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第6章 恋の見積もり対決
第40話
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ふわふわする。
辺りは真っ暗だ。
(……ん……あれ……?……)
──ヒヒーンッ
ふいに鳴ったスマホの音に身体がビクンと震えて肘がデスクからずり落ちた。
「……え、私……寝てた?」
ガバッと顔を上げて慌てて壁掛け時計を見れば十一時を回っている。
「……二時間近く……寝てたの?」
いくら疲れていたからと言って会社で眠ってしまったことなど一度もない。
そして私は慌ててパソコン画面をのぞき込んで口元に手を当てた。
「嘘っ……」
私がこの三週間必死で作成した見積りデータはどこにもない。タスクバーを何度見てもデスクトップにもファイルにもどこにもない。指先も唇も震えてきて頭の中が真っ白になる。
「なんで……こんな……一体、誰が……あっ」
僅かに漂っている瑞々しい香水の香り、コーヒーの差し入れ、紙コップの回収。
──やられた!!
「……そんな……見積データ根こそぎ消去するなんて……」
ぽたんぽたんとデスクの上に涙の粒が落下していく。
「……ばかだわ……ライバルのコーヒー受け取ったりして……もっと気をつけなきゃいけなかったのに……」
必死なのは余裕がないのは心奈も同じだ。
そして世界のことが本気なのも。
だから何がなんでも勝ちたいのも。
心奈がどんな手段を使ってくるかも分からない以上、疑い深く対応しなければならなかったのに。
「ひっく……どうしよう……ぐす……」
どんなに泣いても見積提出は明日の九時厳守だ。
──ヒヒーンッ
再度鳴ったスマホに手を伸ばし液晶画面を確認する。
(あ……)
見れば、ずっと待っていた世界からメッセージが二通届いている。私は文字がよく見えるように袖で涙を拭った。
──『ずっと連絡しなくてごめん……どんな顔して連絡したらいいのかわかんなくて。あと異動のことも金曜の夜中にボスから連絡あったから、直接言えなくてごめん。もう、家?それともまだ会社?見積できた?俺はいまから飛行機乗って帰るとこ』
──『怒ってるよね。ほんとにごめん、直接謝りたいから、もう一度だけ俺と会ってくれませんか?』
そのメッセージを私が確認した途端、すぐに暴れすぎ将軍の着メロが流れてくる。私は迷わずスワイプした。
「……もしもし?」
私は泣いていたことがばれないようにできるだけいつも通り声を出す。
『どした?泣いてたの?』
「え?……」
『なんか……元気なく感じたから……大丈夫?』
六日ぶりに聞く世界の少し高めの甘い声に、片目からまた一粒涙が転がった。
「うん……大丈夫。泣いてないよ……ちょっと疲れてるだけだから」
『梅子さんもう家?』
一瞬返答につまる。
本当は正直に全部言ってしまいたい。
もう全部投げ出してしまいたい。
世界の声を聞けば途端に想いが溢れて会いたくてたまらなくて、胸が苦しくて痛い。
「うん……もう家だけど、見積提出したら、ほっとしちゃって……話すの明日でもいいかな?」
『……もう寝たいってこと?羽田ついたら……ボス送ってからだから家に着くまで三時間ほどなんですけど……やっぱ迷惑ですよね、すいません』
迷惑なんかじゃない。できることなら今すぐにでも会いたい。もう涙はずっと溢れる寸前だ。
私は唇をきゅっと噛み締めた。
「迷惑なんかじゃないから……この間のことも謝りたいし」
『謝んの俺の方だから……梅子さんは何も悪くないから』
「そんなことない……私いつも素直に言えないから……」
『俺は……そんな梅子さんも全部好きだよ……頑張りすぎなところだけが心配だけど。俺……頼りないと思うけど、梅子さんのことまるごと受け止めたいって思ってるから……俺にだけは隠し事しないで?』
あっという間に視界に膜が張って、涙を落としても落としてもまた直ぐに膜が張る。
スマホ越しに世界の困ったような吐息が聞こえてくる。
『やっぱ泣いてんじゃん……なにがあった?何か言われた?心奈に何かされた?』
「……大丈夫だ……から」
自分で言葉に吐いて自分が苦しくなる。
どうして素直に言えないんだろう、今すぐ会いに来てって、こんな簡単な言葉を口にできないんだろう。
『……あ、ごめんフライトの時間だ。帰ったら必ず行くから……泣かずに待ってて。大丈夫だから』
一方的に切られたスマホからは話中音が聞こえてくる。私はその話中音をしばらく聞いてからマナーモードにすると静かにスマホを裏返した。
そして片手を耳に当てる。
──『大丈夫だから』
世界の声がまだ耳もとに残っていて、さっきまであんなに哀しかった心も涙もそっと寄り添って気づけば世界が半分こにして攫ってくれていることに気づく。
私は袖で涙を雑に拭うと、見積の図面をじっと見つめた。
図面には細かく書き出しがしてあり、数字の拾い出しもできている。おまけにこの三週間毎日向き合った見積だ。暗記している部分もたくさんある。
「……泣いてる場合じゃない……まだ勝負は終わってないじゃない……」
私は新規のエクセル画面を開くと直ぐに指先を動かした。
辺りは真っ暗だ。
(……ん……あれ……?……)
──ヒヒーンッ
ふいに鳴ったスマホの音に身体がビクンと震えて肘がデスクからずり落ちた。
「……え、私……寝てた?」
ガバッと顔を上げて慌てて壁掛け時計を見れば十一時を回っている。
「……二時間近く……寝てたの?」
いくら疲れていたからと言って会社で眠ってしまったことなど一度もない。
そして私は慌ててパソコン画面をのぞき込んで口元に手を当てた。
「嘘っ……」
私がこの三週間必死で作成した見積りデータはどこにもない。タスクバーを何度見てもデスクトップにもファイルにもどこにもない。指先も唇も震えてきて頭の中が真っ白になる。
「なんで……こんな……一体、誰が……あっ」
僅かに漂っている瑞々しい香水の香り、コーヒーの差し入れ、紙コップの回収。
──やられた!!
「……そんな……見積データ根こそぎ消去するなんて……」
ぽたんぽたんとデスクの上に涙の粒が落下していく。
「……ばかだわ……ライバルのコーヒー受け取ったりして……もっと気をつけなきゃいけなかったのに……」
必死なのは余裕がないのは心奈も同じだ。
そして世界のことが本気なのも。
だから何がなんでも勝ちたいのも。
心奈がどんな手段を使ってくるかも分からない以上、疑い深く対応しなければならなかったのに。
「ひっく……どうしよう……ぐす……」
どんなに泣いても見積提出は明日の九時厳守だ。
──ヒヒーンッ
再度鳴ったスマホに手を伸ばし液晶画面を確認する。
(あ……)
見れば、ずっと待っていた世界からメッセージが二通届いている。私は文字がよく見えるように袖で涙を拭った。
──『ずっと連絡しなくてごめん……どんな顔して連絡したらいいのかわかんなくて。あと異動のことも金曜の夜中にボスから連絡あったから、直接言えなくてごめん。もう、家?それともまだ会社?見積できた?俺はいまから飛行機乗って帰るとこ』
──『怒ってるよね。ほんとにごめん、直接謝りたいから、もう一度だけ俺と会ってくれませんか?』
そのメッセージを私が確認した途端、すぐに暴れすぎ将軍の着メロが流れてくる。私は迷わずスワイプした。
「……もしもし?」
私は泣いていたことがばれないようにできるだけいつも通り声を出す。
『どした?泣いてたの?』
「え?……」
『なんか……元気なく感じたから……大丈夫?』
六日ぶりに聞く世界の少し高めの甘い声に、片目からまた一粒涙が転がった。
「うん……大丈夫。泣いてないよ……ちょっと疲れてるだけだから」
『梅子さんもう家?』
一瞬返答につまる。
本当は正直に全部言ってしまいたい。
もう全部投げ出してしまいたい。
世界の声を聞けば途端に想いが溢れて会いたくてたまらなくて、胸が苦しくて痛い。
「うん……もう家だけど、見積提出したら、ほっとしちゃって……話すの明日でもいいかな?」
『……もう寝たいってこと?羽田ついたら……ボス送ってからだから家に着くまで三時間ほどなんですけど……やっぱ迷惑ですよね、すいません』
迷惑なんかじゃない。できることなら今すぐにでも会いたい。もう涙はずっと溢れる寸前だ。
私は唇をきゅっと噛み締めた。
「迷惑なんかじゃないから……この間のことも謝りたいし」
『謝んの俺の方だから……梅子さんは何も悪くないから』
「そんなことない……私いつも素直に言えないから……」
『俺は……そんな梅子さんも全部好きだよ……頑張りすぎなところだけが心配だけど。俺……頼りないと思うけど、梅子さんのことまるごと受け止めたいって思ってるから……俺にだけは隠し事しないで?』
あっという間に視界に膜が張って、涙を落としても落としてもまた直ぐに膜が張る。
スマホ越しに世界の困ったような吐息が聞こえてくる。
『やっぱ泣いてんじゃん……なにがあった?何か言われた?心奈に何かされた?』
「……大丈夫だ……から」
自分で言葉に吐いて自分が苦しくなる。
どうして素直に言えないんだろう、今すぐ会いに来てって、こんな簡単な言葉を口にできないんだろう。
『……あ、ごめんフライトの時間だ。帰ったら必ず行くから……泣かずに待ってて。大丈夫だから』
一方的に切られたスマホからは話中音が聞こえてくる。私はその話中音をしばらく聞いてからマナーモードにすると静かにスマホを裏返した。
そして片手を耳に当てる。
──『大丈夫だから』
世界の声がまだ耳もとに残っていて、さっきまであんなに哀しかった心も涙もそっと寄り添って気づけば世界が半分こにして攫ってくれていることに気づく。
私は袖で涙を雑に拭うと、見積の図面をじっと見つめた。
図面には細かく書き出しがしてあり、数字の拾い出しもできている。おまけにこの三週間毎日向き合った見積だ。暗記している部分もたくさんある。
「……泣いてる場合じゃない……まだ勝負は終わってないじゃない……」
私は新規のエクセル画面を開くと直ぐに指先を動かした。
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