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第6章 恋の見積もり対決
第37話
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──(月曜日か……)
あのあと週末、初めて世界から連絡は来なかったし、私もなんだか気まずくて連絡しなかった。会社のエントランスを潜りエレベーターのボタンを押せばすぐにが扉が開く。今朝は特に早めに出社したため乗るのは私だけだ。この時間なら、早起きで仕事熱心な明菜くらいしか来ていないだろう。
(普通に、笑っておはよう、かな?いや違うよね……かと言って……職場で無視……なんて絶対違うし)
私は世界との朝のやり取りをこうやってもう何パターンも頭の中で浮かべては消してを繰り返している。
(やっぱり気まずいな……世界くんもだんまりだし……年上として大人な対応って何だろう。恋にも方程式やマニュアルがあればいいのに)
「とりあえずは……おはようを言うことだよね」
誰もいないエレベーターの中でボソリと呟くと同時に見積課のフロアに到着する。見慣れた見積課の扉を開ければ、すぐに明菜が駆け寄ってきた。
「おはようございます!梅将軍、大変です!」
「ん?おはよ、どしたの?」
明菜に返事をしながら、さり気なく自分のデスクの隣を見れば、まだ世界は出勤してきていないようだ。
「梅将軍!いま、人事部から社員に一斉メールがきて……御堂くんが本日付で社長秘書に異動になったって」
「えっ!それ、どういう……」
私は慌ててパソコンの電源を入れると、明菜の言う通り人事異動のメールが入っている。クリックして間違いないことを確認すると急に動機がしてくる。
(どういうこと……世界くんが私と会うのが嫌で異動希望だした?いやそんなこといくら何でも急に……?)
「それと人事部の友達から聞いたんですけど、今日から御堂くん、早速社長に同行して韓国支社に出張に行ったみたいで、帰国するのは今週の木曜の夜中みたいです」
「そう、なんだ……」
隣のデスクを見れば世界の使っていたデスクはそのままだ。商品カタログやパソコン、陶器色見本、時折小休憩でコーヒー片手に世界が眺めていた私物の料理本までもそのままに置き去りになっている。
──『ねぇ、梅子さん今日何食べたい?タンドリーチキンとか?』
『ばか、仕事中にくっついてこないで』
──『あ、これにしよっかな、暴れすぎ将軍の松平健次郎も好きなサバの味噌煮?』
『え!嘘!食べたい、どれ見せて?!』
──『マジで現金ですね、仕事中でしょ、まぁ互い様ですけど』
そういって形の良い唇を二ッと引き上げる世界の笑顔を思い出す。料理本には私のために世界が貼り付けた付箋が沢山ついている。
「なんか一気に寂しく……なりましたね」
「う、ん……」
明菜がポツリとそういうと自分のデスクに戻っていった。
寂しいところじゃない。ぽっかりと心の真ん中に穴が開いてしまって何も考えられない。
私は再度、隣のデスクに視線を向ける。いつも隣にいた世界が隣に座っていないだけで、こんなに虚無感に襲われるとは思ってもみなかった。またすぐ会えると思っていたから。すぐに顔を見て話せば、また元のように楽しく過ごせるとどこかで安易に考えていたから。
(……またちゃんと会えるよね……話せるよね……?木曜になったら……)
私は卓上デスクのカレンダーを確認する。見れば木曜日の数字の横に小さく×がついている。
見積期限は金曜日の朝9時までだ。残業して作成できるのは木曜の夜が最後。私は頬を両手でパチンパチンと二回たたいた。
悩んでる暇なんてない。迷ってる暇も立ち止まってる暇もない。見積を完成させて心奈との勝負に勝たなけらばならない。そして由紀子に認めてもらい、世界にもちゃん会って伝えたい。
──好きだよって。
もうどうしようもなく世界が好きで私の中で大きな存在になっていることを。そして一緒に寄りそってあゆむ未来を願っていることも正直にありのままの言葉で伝えたい。いつも世界が私に真っすぐに伝えてくれたように。
(……いまは、やるだけやってみよう)
私は高ぶった気持ちを落ち着かせるために、大きく息を吸うと、卓上の父の形見の湯のみを手に持ち給湯室へと足を向けた。
「わっ……」
一人きりの給湯室はやけに声が響く。
私は湯呑みから溢れた緑茶をみて慌てて布巾で拭き取った。
(ぼんやりしてちゃダメでしょっ……)
頭ではわかっているのにやっぱり世界の顔が浮かんでは消えてを繰り返している。
「梅子、集中っ!」
私は胸元で拳を握った。そして私は汚れた布巾を洗ってハンガーに掛けた。
──ガチャ
「あ、いたいた」
その声に振り返れば、殿村が小さく手を挙げた。ドキッと勝手に鼓動が小さく跳ねる。殿村と会うのは金曜の夜以来だ。
「あ……えと」
すぐに殿村がふっと笑った。
「そんな顔するなよ、いま森川さんに代理で渡しておいたが金曜の夜までの期限で一件見積り頼みたくてね。で、森川さんから梅子が最近やけに忙しいそうにしてるって聞いて、僕の見積りが負担にならないか気になったからさ」
殿村はオフホワイトのマグカップをコトンと置くと、ドリップコーヒーに手をかけた。
「……あ、大丈夫。あとで図面みて、金曜の何時くらいに完成するか後日メール入れる。出来上がり次第、いつもの金庫にいれとくし」
「金庫はいいよ、直接取りに行く。いつも悪いな、助かるよ」
「そんな全然……」
私は殿村のマグカップにセットされたドリップコーヒーの上目掛けてお湯を注いでいく。すぐにコーヒーの良い香りが給湯室に広がった。
「ありがとう。ところで梅子、御堂とは大丈夫だったか?」
心臓がズキンとする。私はなるべく顔に出さないようにいつものトーンを装いながら返事を返した。
「うん……御堂くんの誤解も解けたし……大丈夫。この間は、ごめんね。私を送ってくれたばっかりに……嫌な思いさせて……」
「あの位なんともないけどな。それより梅子と御堂がちゃんと仲直りできたなら良かったよ」
殿村が形の良い唇をキュッと引き上げた。
そのほっとした殿村の顔を見れば、色んな感情が湧き上がって罪悪感まで芽生えてくる。
──言えるわけない。仲直りどころか、世界に乱暴されそうになった上、連絡もとってないなんて。それに私と世界の問題を殿村に正直に伝えるのは違う。これ以上、殿村の想いをわかっていながら、利用もしたくないし、ましてや傷つけたくもない。
「心配かけてごめんね……」
「いや、何かあれば仕事も恋愛も遠慮せずに相談しろよ」
殿村は二重瞼を細めるとドリップコーヒーを粉をポイとシンクの三角コーナーに捨てた。
「あと……御堂の異動には驚いた。社長の独断みたいだけどな。大丈夫か?」
「あ……御堂くんがいない分見積もりが増えるなって……」
「いや、そういうことじゃなくて。梅子が仕事に恋愛を持ち込むなんて思っていないけど、恋人が隣にいるのと居ないのとでは精神衛生的に違うだろ。それに……気のせいならいいんだけど、どことなし梅子が元気なく見えたから」
殿村はどうして私のほんの小さなサインにすぐに気づいてくれるんだろう。それも殿村以外の男性に目を向けている、こんなどうしようもない私にいつだって寄り添って優しくしてくれる。
殿村の陽だまりのようなあったかい優しさと気遣う言葉に勝手に目頭が熱くなる。私は殿村を見ていられなくなって視線を外すと、入れたての緑茶に口付けた。渋みが口内の広がって今日は何だかやけに苦く感じる。
「梅子?」
「ううん、全然大丈夫だよっ、心配してくれてありがとね」
私は出来るだけ明るく返事をすると殿村より先に給湯室を出た。
あのあと週末、初めて世界から連絡は来なかったし、私もなんだか気まずくて連絡しなかった。会社のエントランスを潜りエレベーターのボタンを押せばすぐにが扉が開く。今朝は特に早めに出社したため乗るのは私だけだ。この時間なら、早起きで仕事熱心な明菜くらいしか来ていないだろう。
(普通に、笑っておはよう、かな?いや違うよね……かと言って……職場で無視……なんて絶対違うし)
私は世界との朝のやり取りをこうやってもう何パターンも頭の中で浮かべては消してを繰り返している。
(やっぱり気まずいな……世界くんもだんまりだし……年上として大人な対応って何だろう。恋にも方程式やマニュアルがあればいいのに)
「とりあえずは……おはようを言うことだよね」
誰もいないエレベーターの中でボソリと呟くと同時に見積課のフロアに到着する。見慣れた見積課の扉を開ければ、すぐに明菜が駆け寄ってきた。
「おはようございます!梅将軍、大変です!」
「ん?おはよ、どしたの?」
明菜に返事をしながら、さり気なく自分のデスクの隣を見れば、まだ世界は出勤してきていないようだ。
「梅将軍!いま、人事部から社員に一斉メールがきて……御堂くんが本日付で社長秘書に異動になったって」
「えっ!それ、どういう……」
私は慌ててパソコンの電源を入れると、明菜の言う通り人事異動のメールが入っている。クリックして間違いないことを確認すると急に動機がしてくる。
(どういうこと……世界くんが私と会うのが嫌で異動希望だした?いやそんなこといくら何でも急に……?)
「それと人事部の友達から聞いたんですけど、今日から御堂くん、早速社長に同行して韓国支社に出張に行ったみたいで、帰国するのは今週の木曜の夜中みたいです」
「そう、なんだ……」
隣のデスクを見れば世界の使っていたデスクはそのままだ。商品カタログやパソコン、陶器色見本、時折小休憩でコーヒー片手に世界が眺めていた私物の料理本までもそのままに置き去りになっている。
──『ねぇ、梅子さん今日何食べたい?タンドリーチキンとか?』
『ばか、仕事中にくっついてこないで』
──『あ、これにしよっかな、暴れすぎ将軍の松平健次郎も好きなサバの味噌煮?』
『え!嘘!食べたい、どれ見せて?!』
──『マジで現金ですね、仕事中でしょ、まぁ互い様ですけど』
そういって形の良い唇を二ッと引き上げる世界の笑顔を思い出す。料理本には私のために世界が貼り付けた付箋が沢山ついている。
「なんか一気に寂しく……なりましたね」
「う、ん……」
明菜がポツリとそういうと自分のデスクに戻っていった。
寂しいところじゃない。ぽっかりと心の真ん中に穴が開いてしまって何も考えられない。
私は再度、隣のデスクに視線を向ける。いつも隣にいた世界が隣に座っていないだけで、こんなに虚無感に襲われるとは思ってもみなかった。またすぐ会えると思っていたから。すぐに顔を見て話せば、また元のように楽しく過ごせるとどこかで安易に考えていたから。
(……またちゃんと会えるよね……話せるよね……?木曜になったら……)
私は卓上デスクのカレンダーを確認する。見れば木曜日の数字の横に小さく×がついている。
見積期限は金曜日の朝9時までだ。残業して作成できるのは木曜の夜が最後。私は頬を両手でパチンパチンと二回たたいた。
悩んでる暇なんてない。迷ってる暇も立ち止まってる暇もない。見積を完成させて心奈との勝負に勝たなけらばならない。そして由紀子に認めてもらい、世界にもちゃん会って伝えたい。
──好きだよって。
もうどうしようもなく世界が好きで私の中で大きな存在になっていることを。そして一緒に寄りそってあゆむ未来を願っていることも正直にありのままの言葉で伝えたい。いつも世界が私に真っすぐに伝えてくれたように。
(……いまは、やるだけやってみよう)
私は高ぶった気持ちを落ち着かせるために、大きく息を吸うと、卓上の父の形見の湯のみを手に持ち給湯室へと足を向けた。
「わっ……」
一人きりの給湯室はやけに声が響く。
私は湯呑みから溢れた緑茶をみて慌てて布巾で拭き取った。
(ぼんやりしてちゃダメでしょっ……)
頭ではわかっているのにやっぱり世界の顔が浮かんでは消えてを繰り返している。
「梅子、集中っ!」
私は胸元で拳を握った。そして私は汚れた布巾を洗ってハンガーに掛けた。
──ガチャ
「あ、いたいた」
その声に振り返れば、殿村が小さく手を挙げた。ドキッと勝手に鼓動が小さく跳ねる。殿村と会うのは金曜の夜以来だ。
「あ……えと」
すぐに殿村がふっと笑った。
「そんな顔するなよ、いま森川さんに代理で渡しておいたが金曜の夜までの期限で一件見積り頼みたくてね。で、森川さんから梅子が最近やけに忙しいそうにしてるって聞いて、僕の見積りが負担にならないか気になったからさ」
殿村はオフホワイトのマグカップをコトンと置くと、ドリップコーヒーに手をかけた。
「……あ、大丈夫。あとで図面みて、金曜の何時くらいに完成するか後日メール入れる。出来上がり次第、いつもの金庫にいれとくし」
「金庫はいいよ、直接取りに行く。いつも悪いな、助かるよ」
「そんな全然……」
私は殿村のマグカップにセットされたドリップコーヒーの上目掛けてお湯を注いでいく。すぐにコーヒーの良い香りが給湯室に広がった。
「ありがとう。ところで梅子、御堂とは大丈夫だったか?」
心臓がズキンとする。私はなるべく顔に出さないようにいつものトーンを装いながら返事を返した。
「うん……御堂くんの誤解も解けたし……大丈夫。この間は、ごめんね。私を送ってくれたばっかりに……嫌な思いさせて……」
「あの位なんともないけどな。それより梅子と御堂がちゃんと仲直りできたなら良かったよ」
殿村が形の良い唇をキュッと引き上げた。
そのほっとした殿村の顔を見れば、色んな感情が湧き上がって罪悪感まで芽生えてくる。
──言えるわけない。仲直りどころか、世界に乱暴されそうになった上、連絡もとってないなんて。それに私と世界の問題を殿村に正直に伝えるのは違う。これ以上、殿村の想いをわかっていながら、利用もしたくないし、ましてや傷つけたくもない。
「心配かけてごめんね……」
「いや、何かあれば仕事も恋愛も遠慮せずに相談しろよ」
殿村は二重瞼を細めるとドリップコーヒーを粉をポイとシンクの三角コーナーに捨てた。
「あと……御堂の異動には驚いた。社長の独断みたいだけどな。大丈夫か?」
「あ……御堂くんがいない分見積もりが増えるなって……」
「いや、そういうことじゃなくて。梅子が仕事に恋愛を持ち込むなんて思っていないけど、恋人が隣にいるのと居ないのとでは精神衛生的に違うだろ。それに……気のせいならいいんだけど、どことなし梅子が元気なく見えたから」
殿村はどうして私のほんの小さなサインにすぐに気づいてくれるんだろう。それも殿村以外の男性に目を向けている、こんなどうしようもない私にいつだって寄り添って優しくしてくれる。
殿村の陽だまりのようなあったかい優しさと気遣う言葉に勝手に目頭が熱くなる。私は殿村を見ていられなくなって視線を外すと、入れたての緑茶に口付けた。渋みが口内の広がって今日は何だかやけに苦く感じる。
「梅子?」
「ううん、全然大丈夫だよっ、心配してくれてありがとね」
私は出来るだけ明るく返事をすると殿村より先に給湯室を出た。
応援ありがとうございます!
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