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第6章 恋の見積もり対決

第33話

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※※
(やばい……足攣りそう……)

「ほー、殿村部長は施工にもお詳しいんですなぁ」

「いえ、橋本はしもと部長には知識、技術共に到底及びませんよ」

殿村の隣で橋本と呼ばれた恰幅の良い50代の男性がガハハと笑う。

TONTON株式会社と施工契約を結んでいる大手サブコンとの接待だが、私自身、お座敷での接待は久しぶりだ。

(もう二時間か、そろそろ終わるかしら……)

こっそり足を崩そうか否か迷っているうちに既に爪先まで感覚がない。その時隣から小さな声が聞こえてきた。

「……源課長はこの後ご予定は?」

「え?」

見れば隣に座っている橋本の部下で山中やまなかという40代前半と思われる課長が私に顔を寄せた。

「えっと……あの何か見積りの件で何かご要望でも?」

すぐに山中が口元を緩めながら耳元で囁いてくる。

「源課長、独身でしょ?この後ホテルで一杯どうかな?もちろん仕事の話もしたいし」

山中が話すたび日本酒とタバコの混ざったにおいに吐き気がしてくる。

(ホテルって……どうしよう……)

チラッと殿村を見るが、橋本と焼酎片手に談笑中だ。私はさりげなく距離をとりながら、無理やり笑顔を貼り付けた。

「……申し訳ありません、業務以外で他社管理職の方とお会いするのは会社で禁じられておりますので」

「硬いこと言わないでよ、慣れてるでしょ?そうじゃなきゃTONTONで女課長なんて、なれるわけないんだからさー」

一瞬で顔が引き攣る。たしかに女の身でTONTONで管理職についているのは私だけだ。でもそれは見積の正確さと受注率で正当に評価されたものだし、自分自身の努力の積み重ねと結果だとも思っている。

「あの……困ります」

「いいね、一度断ってからってパターンかな?」

女が管理職につくには当然身体を使っていると考える思考回路に嫌悪感を通り越して軽蔑してしまう。

「あんまり俺のこと無下にしない方がいいよ?俺、専務の娘と付き合ってて、この都市開発の件は俺の意見でかなり左右されるから。専務の娘とはお見合いみたいなもんでね。源課長みたいな綺麗な女性と結婚前に一度くらいお相手願うのも悪くないなと」

(ふざけないでよっ……)

私のきているブラウスの上から胸元をニタニタと見ながら山中が、日本酒を徳利に注ぐとまた流し込む。 

「これ、ちょっと見てくれます?……」

山中がさも仕事の話かのようにスマホを取り出すと、私に向けて自身の電話番号を表示した。

「山中課長、大変申し訳ありませんが……」

──え?

お尻に触れたソレが山中の掌と気づき鳥肌がたつ。
思わず身体が小さく跳ねた。ドクンと心臓が嫌な音を立てながら呼吸が浅くなる。

随分前のあのことが一瞬でフラッシュバックしてくる。

「あれ?大丈夫?」

山中は私のお尻に当てた掌を上下し始めた。

(……こわい……誰か……)

「源課長おめでとうございます!」

「え?」

顔を上げれば、橋本が垂れ目の目尻を更に下げながらこちらをみて拍手をしている。その瞬間に山中の掌がさっと引っ込められた。

「あの……」

「いやー、まさか殿村部長と婚約中とは知りませんでした。実におめでたいですな」

「橋本部長ありがとうございます」

私が口を開く前に殿村が笑顔で言葉を返した。

(どういうこと?殿村と私が婚約……)

「ではそろそろお開きにしますかね、殿村部長と源課長のお邪魔ですしね、ガハハハ」

「橋本部長、ちょうどハリヤーが着く時間ですのでお見送り致します」

「いやー、殿村部長は気が効くね。じゃあ山中君帰ろうか」

「はいっ、橋本部長」

その声に山中が私の方を見もせずに慌てて立ち上がる。
殿村が私に視線を合わせると、まわりに気づかれないように小さく頷いた。

(あ、殿村……気づいて……)

「あっ……」

私は見送りに立ちあがろうとして足の痺れから前のめりになりバランスを崩したが、すぐに殿村の大きな腕が私の身体を遠慮がちに支えた。

「大丈夫か?」

「うん、足が痺れちゃって……」

「ハハハハッ、これはこれは仲睦まじいですな、殿村部長、見送りは結構ですから。未来の奥様の足を見てあげてください。それではまた」

「お気遣い頂きすみません、ありがとうございます」

殿村が頭を下げるのを見て私も慌てて頭を下げた。

「本日はありがとうございました」

私達を目を細めながら橋本が掌を上げて軽く振った。


そして山中と共に部屋から出て行くと、私は喉に溜めていた空気をようやく吐き出した。

「梅子、大丈夫か?ごめんな」

殿村がしゃがみ込むとすぐに私を覗き込む。

「殿村が……謝ることじゃないじゃない、私ももっと毅然とした態度取れればよかったんだけど、得意先の人だし……専務のお嬢さんとお付き合いされてるって聞いて……都市開発の件に影響しないようにしなきゃって……」

言いながら声がか細く震えてくる。殿村が背中にそっと掌を当てた。

「他には?言われただけか?かなり山中課長の奴、近くまで寄ってたけど触られたりは?」

「少し……だけお尻……」

殿村がゆっくり私を抱き寄せた。

「……ほんとごめんな……橋本部長と話しながら、梅子の表情がこわばってたから山中課長に口説かれてるのかなと思って、咄嗟に橋本部長に梅子と婚約中だってことにして橋本部長の目が梅子に向くよう誘導したんだ……」

「うん……ごめ……ありがとう」

「都市開発のことさえなければ……ぶん殴ってやりたかった……正直、僕は都市開発のことなんかどうでも良かったんだ。とにかく梅子を助けたくて……でも僕が殴ることで都市開発のことがダメになれば……梅子が責任感じると思って、婚約中だなんて嘘ついた。怖い思いさせてしまってごめんな」

殿村の優しさと思慮深さに我慢していた涙が転がっていく。

「怖かったな、もう大丈夫だからな」

殿村があやすように頭をポンポンと撫でる。

「……殿村……私……」

目の前の殿村が滲んでうまく言葉が出てこない。殿村は私からさっと身体を離すとスラックスのポケットからハンカチを取り出し目尻にそっと当てた。

「……分かってるよ、優しくされて困ってんだろ。こういう時ぐらい甘えろよ。これくらいで梅子の気持ちが僕に向くなんて思ってないし、ポイント稼ぎしてる訳じゃないからさ」

私の心を軽くするために、おどけて肩をすくめる殿村の真っ直ぐで濁りひとつない誠実さが心臓を締め付ける。

「……ありがと」

私はハンカチで目頭をぎゅっと押さえつけると残りの涙を飲み込んだ。

「うん……ちゃんと泣き止んだな……僕達のタクシーも呼んであるんだ。もう、店の前についてると思う。家まで送るから」

「え、でも」

「いいから甘えとけって、ほら」

殿村に手を引かれながら私は立ち上がる。その掌は大きくあたたかくて、ひどくほっとした。

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