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第5章 難解な恋の図面
第26話
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──私は夢を見ていた。
あれは私が入社して二年目だった。連休を利用して実家に帰省した私は久しぶりに親子水入らずでお好み焼きを囲み、たわいない会話を楽しみ、実家のソバ枕に居心地悪く感じながらも眠りについた。そして翌日、私が東京に戻る際、父はいつものように玄関先まで私を見送ると『またいつでも帰っておいで』と頭をなでた。私は父の穏やかなまなざしもぷっくりとした大きな掌も大好きだった。
『梅子、念ずれば花開くだ。頑張れよ』
『うん……ありがとお父さん、また帰って来るからね』
まさかこの会話が父との最期の会話になるなんて夢にも思わなかった。
たわいない日常、当たり前の日常、ささやかな日常は、いつも永遠にあるわけではない。ある日突然砂の城のように跡形もなく消えていく。
翌日トラック運転手だった父は雷雨の中、荷物を地方に運ぶ途中、反対車線からスリップしてはみ出してきたトラックと正面衝突して死んでしまった。
それから私は雷が苦手になった。雷の音があの日の母と私の叫び声に似てる気がして心が灰色になって胸が苦しくなるから。
(そういえば……)
あれはいつだったっけ?急に降り出した雨に、私はたまたま居合わせた男の子と雨宿りをしたことがある。雨脚はすぐに強くなり轟くような雷の音に体中が震えた。
──『大丈夫だから……』
そう言って公園のてんとう虫の形をした滑り台のトンネルの中で私と一緒に雷が鳴りやむまでいてくれた男の子はいまどこで何をしてるんだろうか?
──『ねぇ、もう一度会えたら……』
別れ際、あの男の子は私に……何て言ったんだっけ……?
記憶がふわふわと浮いては沈んで漂って曖昧になっていく。眠りの波に揺られながら、窓辺から差し込む朝の光に曖昧な意識がゆっくり引き戻されていく。
──キーンコーンカーンコーン♪キーンコーンカーンコーン♪
「ん……ええっと……」
私は目を閉じたまま毛布から右手だけ出すと、目覚まし時計の方へと手を伸ばす。
(久しぶりにお父さんとあの子の夢みたな……)
ふわりと頬に柔らかい感触がして私は慌てて両目をこじ開けた。
「……え……?」
目の前には世界が子供みたいな顔をこちらにむけたまま、長いまつげを揺らしている。
「……そ、うだ……私……昨日……世界くんと?」
記憶の端を隅から隅まで探るが最後までどころか前半あたりまでしか記憶がない。
「あれ……えっと」
身だしなみを確認すればスウェットは来ているが下着がベッドサイドに落ちているのが見えた。
「あ、私……やっぱ世界くんと」
「してないっすよ」
見れば世界が大きなあくびをしながら、切れ長の瞳をきゅっと細めた。
「え?だって……」
「あのね、セックスご無沙汰のクセに挿れられた感覚ないでしょーが。気持ちよくなってくれるのはいいんすけど、意識とばさないでよ。俺があのあとどんだけ我慢したと思ってんのっ」
「えぇっ!?」
「えぇっ!?じゃないっすからね、マジで!」
(いくらご無沙汰だったからとはいえ……まさか……意識飛ばすなんて……な、なんたる切腹案件……)
世界が、目の前でスウェットをぽいと脱ぎ捨てるとワイシャツを羽織る。スーツを着ている時は分かりにくかったが、腹筋が割れていてちょうどよく引き締まった体をしている。
「ちょっと着替えるなら見えないとこで……」
思わず顔をそむけた私に世界が不満げな声を出した。
「は?何?もうマジでスーツ着て会社モードにしとかないと朝から襲いそうなんで!」
世界は口を尖らせたまま洗面所へスタスタと向かって行く。
「もう何よ……そんな拗ねなくたって……」
それでも朝起きて直ぐに誰かが隣にいることにこんなに安心したことはあっただろうか。世界と迎えた朝はいつもよりもずっとまぶしくて、朝の光がこんなにも愛おしく思う。
「……朝ごはん作ろっかな……世界くん卵スープ飲むかな……」
朝食など課長になってから作ったことは一度もない。でも世界がいるなら何か栄養のあるものを作ってあげたいと自然に思う。
(私自身も困ったものよね……)
もう恋愛なんてとどこかで諦めていた以前の私にはきっと戻れない。
目の前のこの恋を大事に温めて二人で育てていきたいから。
私はさっと着替えると割烹着を羽織りコンロに火を点けた。
あれは私が入社して二年目だった。連休を利用して実家に帰省した私は久しぶりに親子水入らずでお好み焼きを囲み、たわいない会話を楽しみ、実家のソバ枕に居心地悪く感じながらも眠りについた。そして翌日、私が東京に戻る際、父はいつものように玄関先まで私を見送ると『またいつでも帰っておいで』と頭をなでた。私は父の穏やかなまなざしもぷっくりとした大きな掌も大好きだった。
『梅子、念ずれば花開くだ。頑張れよ』
『うん……ありがとお父さん、また帰って来るからね』
まさかこの会話が父との最期の会話になるなんて夢にも思わなかった。
たわいない日常、当たり前の日常、ささやかな日常は、いつも永遠にあるわけではない。ある日突然砂の城のように跡形もなく消えていく。
翌日トラック運転手だった父は雷雨の中、荷物を地方に運ぶ途中、反対車線からスリップしてはみ出してきたトラックと正面衝突して死んでしまった。
それから私は雷が苦手になった。雷の音があの日の母と私の叫び声に似てる気がして心が灰色になって胸が苦しくなるから。
(そういえば……)
あれはいつだったっけ?急に降り出した雨に、私はたまたま居合わせた男の子と雨宿りをしたことがある。雨脚はすぐに強くなり轟くような雷の音に体中が震えた。
──『大丈夫だから……』
そう言って公園のてんとう虫の形をした滑り台のトンネルの中で私と一緒に雷が鳴りやむまでいてくれた男の子はいまどこで何をしてるんだろうか?
──『ねぇ、もう一度会えたら……』
別れ際、あの男の子は私に……何て言ったんだっけ……?
記憶がふわふわと浮いては沈んで漂って曖昧になっていく。眠りの波に揺られながら、窓辺から差し込む朝の光に曖昧な意識がゆっくり引き戻されていく。
──キーンコーンカーンコーン♪キーンコーンカーンコーン♪
「ん……ええっと……」
私は目を閉じたまま毛布から右手だけ出すと、目覚まし時計の方へと手を伸ばす。
(久しぶりにお父さんとあの子の夢みたな……)
ふわりと頬に柔らかい感触がして私は慌てて両目をこじ開けた。
「……え……?」
目の前には世界が子供みたいな顔をこちらにむけたまま、長いまつげを揺らしている。
「……そ、うだ……私……昨日……世界くんと?」
記憶の端を隅から隅まで探るが最後までどころか前半あたりまでしか記憶がない。
「あれ……えっと」
身だしなみを確認すればスウェットは来ているが下着がベッドサイドに落ちているのが見えた。
「あ、私……やっぱ世界くんと」
「してないっすよ」
見れば世界が大きなあくびをしながら、切れ長の瞳をきゅっと細めた。
「え?だって……」
「あのね、セックスご無沙汰のクセに挿れられた感覚ないでしょーが。気持ちよくなってくれるのはいいんすけど、意識とばさないでよ。俺があのあとどんだけ我慢したと思ってんのっ」
「えぇっ!?」
「えぇっ!?じゃないっすからね、マジで!」
(いくらご無沙汰だったからとはいえ……まさか……意識飛ばすなんて……な、なんたる切腹案件……)
世界が、目の前でスウェットをぽいと脱ぎ捨てるとワイシャツを羽織る。スーツを着ている時は分かりにくかったが、腹筋が割れていてちょうどよく引き締まった体をしている。
「ちょっと着替えるなら見えないとこで……」
思わず顔をそむけた私に世界が不満げな声を出した。
「は?何?もうマジでスーツ着て会社モードにしとかないと朝から襲いそうなんで!」
世界は口を尖らせたまま洗面所へスタスタと向かって行く。
「もう何よ……そんな拗ねなくたって……」
それでも朝起きて直ぐに誰かが隣にいることにこんなに安心したことはあっただろうか。世界と迎えた朝はいつもよりもずっとまぶしくて、朝の光がこんなにも愛おしく思う。
「……朝ごはん作ろっかな……世界くん卵スープ飲むかな……」
朝食など課長になってから作ったことは一度もない。でも世界がいるなら何か栄養のあるものを作ってあげたいと自然に思う。
(私自身も困ったものよね……)
もう恋愛なんてとどこかで諦めていた以前の私にはきっと戻れない。
目の前のこの恋を大事に温めて二人で育てていきたいから。
私はさっと着替えると割烹着を羽織りコンロに火を点けた。
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