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第5章 難解な恋の図面
第21話
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──どのくらい経っただろうか。
すっかり晴れ渡っていた青空はあったかいオレンジ色に色を変えて、うっすら月が登り始めている。私は現場である『メゾン・ド・ミャー』の一室で最後のトイレを設置している世界と新の後ろ姿を眺めながら、新が差し入れてくれたコーヒーに口づけた。新と世界は職人たちを予定通りの時間に帰らせると、二人でせっせと図面片手にトイレと配管をつないでいく。
(施工……私もできたらいいのにな)
日々見積をするのに施工図や現場図面は見慣れていて、ある程度の知識は持ち合わせているがあくまで見積をするための知識だ。何もできないのがもどかしい。ただただ私は二人の作業の様子を少し離れた場所から眺めていた。
「世界、塩ビ管の角度もうちょい下」
「はい、こうすか?」
「お。そのまま」
(すごいなぁ……)
世界は大学在学中に経営学を学びながら、高校の悪友だった新の家が経営する田中インテリアに出入りし、施工技術を新の元でアルバイトとして働きながら学んだそうだ。さらに世界が施工するのに必要不可欠な電気工事士及び電気工事施工管理技士の資格までもっているとは驚いた。
──ブルルッ
スカートの中のスマホが震える。コーヒーのペットボトルのキャップを閉めると私はスマホの液晶をのぞき込んだ。
──『梅子、田中社長にはお詫びの電話は入れておいたが大丈夫か?まだ現場?契約が立て込んでて行ってやれなくて本当にごめん』
私は殿村のメッセージを見ながらため息を吐きだしそうになってやめる。殿村にはもう一度二人で会ってちゃんと話さなければならない。
「よし、と世界うまくいったな」
「そうすね。あ!梅子さーん、陶器キャップ取ってくれる?」)
見ればこちらに向かって世界が手招きしている。
「あ、分かった」
私はスマホをポケットに突っ込むと、世界と新の元へ飛んでいく。
「そんな慌てなくても大丈夫っすよ」
世界の綺麗な顔は長時間の施工作業で頬が汚れている。
「あ、ほっぺた……」
「え?なんすか?」
「ははは。俺はお邪魔だな。世界あと仕上げといて。外でタバコ吸ってるわ」
新が額の汗を首に掛けたタオルで拭うとニッと笑った。
「了解っす」
世界が敬礼ポーズを取ると新が「ごゆっくり」と笑いながら煙草を咥えて出ていった。
「やっと二人っきりですね、で、そこの陶器キャップで便器の固定部のネジの目隠しに嵌めてくれます?」
私は陶器キャップで固定部のネジの上に被せていく。
「……ねぇ、こんな簡単なことどうして私に頼んだの?世界くんがした方が……」
「梅子さんに はめて欲しいの、俺、手こんなだし」
両手をパーにした世界の掌は汚れて真っ黒だ。私はささっと陶器キャップを嵌めていく。
「……できたよ」
「ありがと、梅子さんが居てくれて助かった」
「大袈裟ね……私何にもできなかった」
「いてくれたじゃん」
「え?」
「俺のそばにいてくれたでしょ。梅子さんが居なかったらこんな頑張れなかった。俺今日一日梅子さんにイイトコ見せたくて必死だったから」
世界が夕陽に照らされながら少年みたいにケラケラ笑って思わず見惚れる。そしてぎゅっとなった心臓はあっという間に世界に持っていかれてしまう。
「……かっこよかったよ」
世界が一瞬目を見開くと唇を持ち上げた。
「じゃあ、ご褒美ちょうだい」
「えっと……」
世界の言うご褒美が何かはわかっている。
私は手元の時計を確認する。時間は定時の十八時を過ぎていた。
「真面目っすねー。はい、業務終了。今から梅子さんは上司じゃなくて俺の彼女ですね」
きっともう私は世界に恋をしている。
それもただの恋じゃない。
人生で最後の恋。
私はポケットからハンカチを取りだすと世界の頬の汚れをハンカチでそっと拭き取った。
「え?ついてた?恥ずかし……」
「ううん、頑張った証だね」
「あ。俺、梅子さんのその顔好き」
世界が瞳をそらさず嬉しそうに笑う。思わず私も笑っていた。
(私も世界くんの笑った顔大好きだよ……)
大人の恋の説明書通りにならなくてもかまわない。一度始まったチグハグな恋の現場はもう施工完了までもうだれにも止められない。
「世界くん……お疲れさま……」
私は世界の唇に初めて自分からキスを落とす。ゆっくりと重ねて離せば、すぐに世界が私の身体ごと抱き寄せた。
「もっかい」
私は世界からの触れるだけのキスに難解な恋の図面を重ねていた。
すっかり晴れ渡っていた青空はあったかいオレンジ色に色を変えて、うっすら月が登り始めている。私は現場である『メゾン・ド・ミャー』の一室で最後のトイレを設置している世界と新の後ろ姿を眺めながら、新が差し入れてくれたコーヒーに口づけた。新と世界は職人たちを予定通りの時間に帰らせると、二人でせっせと図面片手にトイレと配管をつないでいく。
(施工……私もできたらいいのにな)
日々見積をするのに施工図や現場図面は見慣れていて、ある程度の知識は持ち合わせているがあくまで見積をするための知識だ。何もできないのがもどかしい。ただただ私は二人の作業の様子を少し離れた場所から眺めていた。
「世界、塩ビ管の角度もうちょい下」
「はい、こうすか?」
「お。そのまま」
(すごいなぁ……)
世界は大学在学中に経営学を学びながら、高校の悪友だった新の家が経営する田中インテリアに出入りし、施工技術を新の元でアルバイトとして働きながら学んだそうだ。さらに世界が施工するのに必要不可欠な電気工事士及び電気工事施工管理技士の資格までもっているとは驚いた。
──ブルルッ
スカートの中のスマホが震える。コーヒーのペットボトルのキャップを閉めると私はスマホの液晶をのぞき込んだ。
──『梅子、田中社長にはお詫びの電話は入れておいたが大丈夫か?まだ現場?契約が立て込んでて行ってやれなくて本当にごめん』
私は殿村のメッセージを見ながらため息を吐きだしそうになってやめる。殿村にはもう一度二人で会ってちゃんと話さなければならない。
「よし、と世界うまくいったな」
「そうすね。あ!梅子さーん、陶器キャップ取ってくれる?」)
見ればこちらに向かって世界が手招きしている。
「あ、分かった」
私はスマホをポケットに突っ込むと、世界と新の元へ飛んでいく。
「そんな慌てなくても大丈夫っすよ」
世界の綺麗な顔は長時間の施工作業で頬が汚れている。
「あ、ほっぺた……」
「え?なんすか?」
「ははは。俺はお邪魔だな。世界あと仕上げといて。外でタバコ吸ってるわ」
新が額の汗を首に掛けたタオルで拭うとニッと笑った。
「了解っす」
世界が敬礼ポーズを取ると新が「ごゆっくり」と笑いながら煙草を咥えて出ていった。
「やっと二人っきりですね、で、そこの陶器キャップで便器の固定部のネジの目隠しに嵌めてくれます?」
私は陶器キャップで固定部のネジの上に被せていく。
「……ねぇ、こんな簡単なことどうして私に頼んだの?世界くんがした方が……」
「梅子さんに はめて欲しいの、俺、手こんなだし」
両手をパーにした世界の掌は汚れて真っ黒だ。私はささっと陶器キャップを嵌めていく。
「……できたよ」
「ありがと、梅子さんが居てくれて助かった」
「大袈裟ね……私何にもできなかった」
「いてくれたじゃん」
「え?」
「俺のそばにいてくれたでしょ。梅子さんが居なかったらこんな頑張れなかった。俺今日一日梅子さんにイイトコ見せたくて必死だったから」
世界が夕陽に照らされながら少年みたいにケラケラ笑って思わず見惚れる。そしてぎゅっとなった心臓はあっという間に世界に持っていかれてしまう。
「……かっこよかったよ」
世界が一瞬目を見開くと唇を持ち上げた。
「じゃあ、ご褒美ちょうだい」
「えっと……」
世界の言うご褒美が何かはわかっている。
私は手元の時計を確認する。時間は定時の十八時を過ぎていた。
「真面目っすねー。はい、業務終了。今から梅子さんは上司じゃなくて俺の彼女ですね」
きっともう私は世界に恋をしている。
それもただの恋じゃない。
人生で最後の恋。
私はポケットからハンカチを取りだすと世界の頬の汚れをハンカチでそっと拭き取った。
「え?ついてた?恥ずかし……」
「ううん、頑張った証だね」
「あ。俺、梅子さんのその顔好き」
世界が瞳をそらさず嬉しそうに笑う。思わず私も笑っていた。
(私も世界くんの笑った顔大好きだよ……)
大人の恋の説明書通りにならなくてもかまわない。一度始まったチグハグな恋の現場はもう施工完了までもうだれにも止められない。
「世界くん……お疲れさま……」
私は世界の唇に初めて自分からキスを落とす。ゆっくりと重ねて離せば、すぐに世界が私の身体ごと抱き寄せた。
「もっかい」
私は世界からの触れるだけのキスに難解な恋の図面を重ねていた。
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