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第4章 両想いってことで

第17話

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チュンチュンとベランダの方から小鳥のさえずる声がする。

(あれ?朝か?)

瞳を開けようとして、いつもはしない甘い匂いに気づいた俺は、しっかりと抱え込んだ腕の中の温もりを確かめるように長い髪に顔を埋めた。

(いい匂い……)

ゆっくりと瞳を開ければ梅子はまだ夢の中だ。

俺は梅子のはだけたままのブラウスの合わせから覗く、鎖骨の赤い噛み跡を眺めた。首元にも俺がつけた赤い跡が二つ、花が咲いたようにくっきりと残っている。

俺はその痕を順番にそっと指先で辿る。

「ん……」

梅子が僅かに唇を開いた。何度も重ねたキスのせいだろう。口紅の取れた唇を見れば昨日の夜の出来事があっという間にフラッシュバックしてくる。俺は少し梅子から体を離すと額に片手を乗せた。

(やば……身体熱くなりそ)

「……てゆうかさ、俺に襲われかけたくせに一緒に寝てんじゃねぇよ」

俺なんてベッドの下に転がしておけばいいのに、俺に添い寝するかのように梅子はこちらに身体を寄せている。

(やっちまったよな……)

昨日は朧げだが、間違いないのは俺は梅子を強引に自分のものにしようとした。自分がこんなにも幼稚で嫉妬深いことを昨日の昨日まで知らなかった。

(そういや、帰り遅かったけど、アイツになんもされてねぇよな?)

見えている範囲で梅子の素肌を確認すると、俺は片手ではだけたブラウスのボタンを閉め毛布を梅子の肩まで掛け直した。

「アイツのこと……梅子さんはどう思ってんだろ」

昨晩梅子の帰りが遅かったということは恐らく歓迎会のあと殿村と一緒に居たということだ。梅子の帰りが遅い上に何度連絡しても返事がなかったことに苛ついた俺は、生まれて初めてヤケ酒というモノをした。

(ガキ、だよな……つい飲みすぎたし)

意識が飛んだ頃に肩を揺すられて瞳を開ければ待ち焦がれた梅子が目の前にしゃがみ込んでいて、俺は夢と現実の区別が曖昧なまま、目の前の梅子に手を伸ばした。梅子の心も身体もどうしようもなく欲しくてたまらなくなったから。

「誰にも渡したくない……ごめん、こんなガキで」

俺は梅子を起こさないようにそっと頬に触れた。早くもっと大人になりたい。梅子の不安も抱えてる悩みも丸ごと受け止めて、未来ごと一緒に抱きしめたい。

「俺、はやく梅子さんのいう大人になるからさ……」

そのためにも自分の気持ちをただ押し付けるだけじゃなくて、梅子の気持ちももっと推し計ってやらなきゃならない。ガキの恋愛法則に則ったままじゃ、いつまでたっても梅子は、俺のことなんて男として見てくれないから。

俺は指先で梅子の首元に付いたキスマークにそっと触れた。

「もうこんなことしない……だから」

「絶対?」

その言葉と共に梅子がぱちりと瞳を開けると、困ったように笑った。

「えっと……ごめん、起こした?」

「うん、どこで目を開けようか悩んでた」

「恥ずかし……てゆうか、ごめんなさい」

「あれだけ飲んでたのに、ちゃんと記憶はあるんだ?」

「ありますよ、俺だってどんなに酔ってても好きな女しか欲しくないから」

口を尖らせた俺を見ながら梅子がクスッと笑った。

「いつから待ってたの?あの子は?」

「心奈すか?ベッドに放り込んだら、すぐに帰りましたよ。逆に俺が襲われそうだったし……俺、そんな信用ない?梅子さんしか興味ないのに」

そこまで言って俺は口元を覆った。

「……すいません、ガキみたいな返事ばっか。こんなんじゃ、梅子さんに相応しくないの分かってるのに」

梅子が大きな瞳をさらに大きくしてから、ふわりと微笑んだ。

「相応しくないのは私の方だよ」

「え?」

「……だってそうでしょ?世界くんは、容姿端麗で将来有望な御曹司」

「何それ。そんなん関係ねぇじゃん」

「聞いて。でね、世界くんはこれからキラキラと希望に満ちた人生を自分の夢だけ抱いて真っ直ぐに歩んで行って欲しいの。その隣にいるのは私じゃない……私じゃ勿体無いよ。このままじゃ私のことがいつか世界くんの足枷になる気がして……だから契約交際は……終わりにしよ」

俺は梅子の言葉を最後まで聞き終わると、すぐに強く抱きしめた。

「いやだ」

「……世界、くん、苦しいよ……」

「そんな理由じゃ離してやんない」

「……だめだよ、私なんかじゃなくて、やっぱり同年代の子と……」

俺は身体を離して梅子の両頬に触れる。

「一回しか聞かない。俺は梅子さんが好きだよ。梅子さんは?俺のことがそんなに嫌?」

梅子がきゅっと唇を結ぶ。そのまま梅子の瞳を捕まえていれば、梅子の瞳にうっすらと膜が張る。

「言ってよ。俺、梅子さんより年下だけど、ちゃんと好きな女の気持ちくらい受け止めるから」

「私は……世界くんが……」

瞳の膜は、まあるく水玉を象って一つ転がった。
俺は指先でそっと掬う。

「大丈夫だよ、ちゃんと聞くから言って」

一度転がった涙はまたすぐに転がってシーツを濡らしていく。

「私……ひっく……世界くんが……好き」

その欲しかった言葉に俺の鼓動は大きく跳ね上がった。

「俺も大好き」

そのまま梅子の涙を唇で舐めとると、すぐに梅子の唇に唇を重ねた。あっという間に身体が熱くなってきて俺は梅子のブラウスのボタンを外していく。その手を梅子が掴んだ。

「待って……いきなり、その」

「やだ。待てない」

俺は梅子の手首をシーツに縫い付けると片手でブラのホックを外した。梅子が身を捩る。

「い、や。待って、ダメ!世界くんっ……ちょっとせめて……そのシャワー……」

「……やば。シャワーってことは俺に抱かれてもいいってことっすよね。だって両想いですもんね」

「ばか!やっぱりだめ!そう言われるとなんだか途端に恥ずかしくなるでしょうが、だいたいこんなこと久し」

梅子がものすごい勢いで唇を掌で隠した。

「へぇ、いいこと聞いちゃった。誰かと付き合うのもセックスするのも久しぶりなんすね。知ってました?女性は一年以上セックスしないとまた処女の感覚に戻るらしいっすよ。てことで梅子さんが処女だと思って親切丁寧に抱きますね」

「ばかっ、何が親切丁寧よっ。おかしなこと言うのやめなさいっ!さ、さっきの取り消すからっ」

「取り消すって何を?俺のことが好きでしょうがないってこと?それは無理。脳みそに刻み込んだから」

「そんなこと言ってないっ」

梅子が顔を真っ赤にすると俺から逃げ出そうと体を捩った。スカートの裾が捲れ上がってその姿に欲情してくる。

「限界。もう食べる」

「ちょっ……と、食べるって……」

「おしゃべり終わり、黙ってよ。いただきます」

俺はまだ何か言いかけてる梅子の唇に噛み付くようにキスをする。
梅子とのキスはハチミツみたいに甘い味がする。何度味わっても飽きることない恋の味だ。

「ンンッ……世界く……」

「梅子さんってどこもかしこも甘い……この甘さもツボですね」

「お願っ……シャワーだけさせて」

「あとで食べ終わったら一緒に浴びよ」

精一杯平然としてるつもりだが、正直余裕なんて全くない。

梅子からちゃんと好きだと言ってもらえて、ずっと好きだった目の前の梅子をいまから俺が抱くと思うと、心臓はもはや爆音を立てている。乱暴にだけは抱きたくないのに欲望そのままに身体が勝手に動いて、もう何も考えられなくなる。

「ちゃんと濡れてんね」

ショーツの中に俺の指先を挿し入れれば、紡ぎ出される梅子の甘い声が一際大きくなった。

「や……世界く……」

「優しくするけど、痛かったらいって……」

──ピンポンピンポンピンポーン。

「へ?」
「え?」

慌てて起き上がると二人して玄関先へと視線を向ける。

「え?誰?」
「今日土曜日すよね?俺見てきま」

──♪チャーラーチャラーララーチャーラーチャーララー

すぐに鳴り出したスマホは着信音から梅子のものだ。

「え、このタイミングで……?」

すぐに梅子がスマホを鞄の中から拾い上げると素っ頓狂な声を上げた。

「きゃあ!嘘っ!ちょっと世界くん、早く帰って!いや、違う、隠れて!いや、もう無理じゃないっ」

「え?何っ?どしたんすか?そんな慌てて」

──ピンポンピンポン。

再びインターホンが鳴り響き、玄関扉の方から女性の声がする。

「梅ちゃん!着メロ聞こえたわよ!いるんでしょう!開けなさい」


「え?誰すか?」

「あぁっ!何でこうなるのよっ、とりあえず世界くんシャツちゃんと着て!」

俺はベッドから立ち上がると半分脱ぎかけていたワイシャツのボタンを閉め、ベッド下に落ちていたネクタイを締め直した。

「誰なんすか?」

「お母さんだから」

「へ?お母さん?」

「そう、私のお母さん。世界くん、靴持ってベランダから帰ってくれる?」

「何で?」

「何でって……」

梅子が乱れたベッドを雑に直しながら戸惑った顔を見せた。

「やましいことなんて何もないじゃん。ご挨拶させて」

「ご挨拶って、まさか……」

「俺は付き合ってますって言ってもいいけど、その顔だと会社の後輩ってことにしときますかね。ほら早くお母さん待たせちゃ悪いじゃん」

俺が背中を軽く押せば、梅子は小さなため息を残しながら玄関へと駆けていった。
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