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第4章 両想いってことで

第15話

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俺は都内の高級タワーマンションの一室の鍵を開けると、すぐに玄関に明かりをつけ俺に寄りかかったまま、うつらうつらしている心奈を軽く揺する。

「心奈ついたぞ」

「うーん、ベッドまではこんでー」

「お前なー寝室どこ?」

「一番奥の部屋ー」

心奈が履いていたヒールを脱がせ、リビングの明かりをつけながら一番奥の扉が閉まっている部屋へと心奈を引きづるように連れていく。一人暮らしには広すぎる室内には高価なイタリア製のアンティーク家具がずらりと並ぶ。

「おい心奈、もうちょいだから」

寝室の扉を開ければ、寝室には真新しいダブルベッドが置いてある。俺が心奈をベッドに寝かせるとすぐに華奢な両腕が首元に絡み付いた。そして少し垂れ目の綺麗な二重瞼の中に俺が小さく映り込む。

「世界すきー」

心奈の顔の横に手をついたまま、俺は自然と眉間に皺が寄る。

「一緒に寝よ?」

甘ったるい声がやけに耳につく。

「離せよ、俺もう帰るから」

「やだ。世界がいないと寝れない。朝まで一緒にいて」

俺はあからさまにため息を吐き出す。本当はこんなところまで心奈に付き合いたくなかったがボスに梅子を人質に取られてる以上、心奈の機嫌取りはしなければならない。

(しっかし……誰が泊まるかよっ)

俺は苛立ちを何とか腹の底へ押しやる。

「いい加減にしろよ。ここまで茶番に付き合ってやったのにまだやんの?」

心奈が綺麗に惹かれたルージュの隙間から小さな下をペロッと出した。

「やっぱ、バレてた?」

「タクシーで気づいた。酒の匂いしねぇし」

「ちゃんと源課長に許可とったもん」

さっきホテルの宴会場で会った時どことなく梅子がよそよそしく思えたのはそのせいか。俺は心奈から距離を取り起き上がると心奈を睨み落とした。

「お前、梅子さんに何言った?」

心奈も起き上がると乱れたスカートの裾を直しながらくすっと笑う。

「怖い顔しないでよ。挨拶しただけよ、許嫁だって。いいでしょ?もうすぐ正式に婚約するんだしー」

「婚約の件はボスに保留にしてもらってる」

「ふうん。ね、源課長の何がいいの?」

心奈の指先が俺のネクタイの結び目に挿し込まれる。

「やめろ。てか関係ねぇだろ」

「でも残念だよね。世界が思ってるほど源課長は世界のこと想ってないよ」

「どうゆう意味だよ」

「私は世界と関係ないって言ってたわよ。なんなら本人に確認してもらってかまわないから」

俺が奥歯を噛み締めベッドサイドから立ち上がろうとすると、心奈がすぐに俺の左腕を掴んだ。そのまま、心奈が顔を寄せる。

「ね、キスして」

「断る」

「陶山社長から聞いたわよ。世界が都市開発プロジェクトにも、私との婚約にも前向きだってー」

(あんのクソババア……)

「婚約の件は保留だから。まだ入社したばっかではっきりいって結婚とか考えられないし、興味ねぇから」

「あれ?じゃあ、源課長とも今すぐ、結婚する気はないってことー?」

「え?今すぐ?」

「そうよ、今すぐ源課長と結婚できるのー?」

梅子の顔が脳裏に浮かぶが、今すぐと言われれば結婚と梅子が俺の中ではすぐには結びつかない。梅子は忘れてしまっているがまだ再会したばかりだ。これからゆっくり付き合って互いのことをじっくり知って、その先の俺の未来に隣に梅子がいてくれたらと考えていた。

「ふふ……良かった、その顔じゃ今すぐ結婚は考えてるわけじゃないんだ。当たり前だよね、だって世界は新入社員でこれからだし、なにより源課長より一回りも年下だもんー」

返事を返さない俺に向かって、心奈がにこりと微笑むと俺の頬にキスを落とした。

「っ……やめろよ」

強引に心奈から身体を離すと俺は頬をワイシャツの袖で拭った。

「ね、世界。私は世界がTONTON株式会社の社長になるまで、ずっと応援してるしずっと待っててあげられるよ」

「どうゆう意味?」

心奈が長い髪を耳にかけながら小首を傾げた。

「そのままの意味だよ。世界が会社でやりたいことやりながら自然と結婚を考えるまで私は若いから待てるけど、源課長はどうかな。女の人は男の人と違って旬と呼ばれる時期が短いから。それに女の人は結婚だけがゴールじゃないし、その先の出産に至っては年齢を重ねた分だけ妊娠率は低くなるしね。世界が思ってるよりも、女は結婚にも結婚相手にも現実的でシビアな生き物ってこと」

梅子は結婚に対して焦りや不安を持っているようには見えないが、出産といわれると分からない。そもそも梅子とまだ交際してわずかな時間しか過ごしていない俺は、梅子が結婚に対してどう思っているのか真剣に考えたこともなかった。

(結婚うんぬんよりもまだ俺のこと好きにもなってもらってねぇのに……)

焦りだけが募って、不安が雪のように降り積もっていく。

「……分かったようなこと言ってんじゃねーよっ。もう帰るから!じゃあな!」

俺は不敵に笑う心奈を見ながら寝室扉を閉めると、マンションを出てすぐにスマホの液晶に梅子の名前を浮かべた。

※※

「あ、殿村、もうここで大丈夫。今日もごちそうさまでした」

自宅マンションにのエントランスに到着して、何気なく見た手元の時計は深夜0時を回っている。

「いいえ、どういたしまして。あ、来月の誕生日、イタリアンでいい?」

「あ、去年のミシュラン二つ星のとこ?」

「あぁ、梅子がフォアブラのソテーがおいしいって絶賛してたお店」

「確かにおいしかったけど、凄く高級だからいいわよ。また焼き鳥で」

殿村が形のよい唇を持ち上げながら目を細めた。

「え、どしたの」

「梅子のそういうところも好きだなと思って」

そして強引に引き寄せられたと思えば目の前に綺麗に結ばれたネクタイの結び目がみえて、タバコのにおいが鼻をかすめる。

静かだった心臓はあっという間に跳ね上がって頭で理解できないまま呼吸が浅くなっていく。

「……ちょ……殿村……酔ってるの?」

殿村が修二のお店で飲んだのはビール三杯だったはずだ。酒の強い殿村がビール三杯で酔っぱらうことなどあるのだろうか。

「あれくらいじゃ酔えないな。ホントは少しぐらい酔っぱらってから梅子を抱きしめようかと思ったけど、それは卑怯な気がしてさ」

「え?……な、に……」

殿村の低い声が耳元にかかって緊張から声が出なくなる。

「梅子」

殿村の大きな掌が私の頬に触れたと思えば、そのまま顎を上に持ち上げられる。殿村の綺麗な二重瞼に吸い込まれそうになって心臓も痛いくらいに鼓動を刻んでいく。

「すきだよ……ずっと梅子が好きだった」

「私……」

(……好き?……)

頭の中に殿村の声と一緒に世界の声も聞こえてくる。ずっと同期として接してきた殿村から言われた言葉は、何度も頭に思い浮かべるのに少しも理解が追い付かない。

「ごめんな。戸惑うよな。でも言えなかったんだ、梅子のあの時の言葉を大事にしてやりたくて」

「……あの時の?言葉……?」

「さっき話しただろ?十二年後の自分についての話。あの時さ、梅子こう言ってたんだ。私はこの会社でお客さまの日々の暮らしに寄りそって笑顔になれるお手伝いをしたいって。自分が図面からおこした見積書をもとに商談が決まって、商品納品して、誰かの笑顔のみなもとの一端を担えることに誇りを持ってるって」

「そんなこと……話してた?」

「うん。だから、三十五歳まではとにかく仕事を頑張ってみたいって。だからさ……こうして想いを伝えるのは梅子が三十五歳になるまで待とうって決めてたんだ。ごめん、まだ誕生日前なのに……」

「私……全然覚えてなくて……それにあの、殿村のこと同期としてずっと見てたから、その……」

「梅子、怒るなよ」

「え……」

抱き寄せられて唇があったかくなる。言葉が出せなくなって距離が近すぎて殿村の顔もよく見えない。唇だけが互いの体温を感じている。


──世界のキスと全然違う。


穏やかで相手に寄りそうようなキス。すぐに唇からそっと離れて殿村が私を覗き込んだ。

「梅子怒ったよな?」

「……あの……」

「分かってるよ。困らせてごめんな。でも一度……僕とのこと考えて欲しい。急がないから」

「待って……殿村、私……」

契約交際とはいえ世界といま交際していることは、きちんと伝えておくべきだと思った。それに今世界のことでこんなに悩んでいる自分がいるのに、ずっと同期として接してきた殿村のことを急に異性として、ましてや恋人としてなんて考えられない。

「殿村……私ね……いま御堂くんと付き合ってるの」

「らしいな」

「えっ……なんで知って……」

「子犬くんから宣戦布告されてるからね。どうやったか知らないが、どうせ普通の交際じゃないんだろ?」

驚いた私を見ながら殿村がふっと笑った。

「その顔だと図星かな。良かった……何年、いや十二年も僕は梅子を見てるんだよ。梅子のことは少なくとも子犬くんよりはわかってるつもりだけどね」

「でも殿村……私、いま御堂くんと……付き合ってるのは事実だし……殿村のこと」

「だから返事は今すぐじゃなくていいって。会社では今まで通り同期として宜しくな。おやすみ。ゆっくり休めよ」

殿村はくしゃっと笑うと私の頭をポンと撫でて直ぐに背中を向けた。

私は殿村が見えなくなるまで見送ると唇にそっと触れる。

(夢じゃない……んだ。殿村が私のこと……それに……キス……)

一度おちついた心臓がまだ音を立てて騒がしくなる。今まで一度も殿村を同期として以外見たことがなかった。まださっきの告白とキスが現実のこととは思えない。

その時またポケットのスマホが震える。もう何度目だろうか。私はようやくポケットからスマホを取り出し相手からのメッセージを確認する。

「ちょっと……」

思わず声が漏れ出た。

不在着信が5件入っている。そしてラインメッセージを開けば世界からのメッセージが10件も入っていた。

さっき届いた最新メッセージを見て、私はすぐに二度文字を目でなぞる。

──『会いたい』

私は夜空に向かってため息を一つ吐き出してからエレベーターへと乗り込んだ。
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