洋人形の呪い

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洋人形の呪い

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洋人形の呪い
                                   ブルーマウンテン

「私が産まれたのは馬小屋のような作業部屋だったわ。それで製作者の男性は私のことをキャシーと名付けたの。男性は白髪のおじいさんで、私を触る手はもうすごくふらふらだった、そうそう毎朝自分が用意したホットミルクを毎回溢して大変だったんだから」
 古びたおもちゃ屋の中で一匹のダックスフンドが困った顔をしながらショーケースを見つめている。ダックスフンドは何度も後ろを振り向き、飼い主であるおもちゃ屋の主人が来るのを今か今かと待っているのだが一向に来る気配がない。
「ちょっとそこのわんころ! よそみをしてないで私の話を聞きなさい!」
 どこからともなくダックスフンドを怒鳴りつける声が響き渡る。犬は困った顔をしながらショーケースの前で静かに体を横にした。ダックスフンドは視線を声のする方に向けるとじっとそこを見つめる。視線の先には高級な一人掛けの椅子にふんぞり返るフランス人形があった。ただその人形はとても機嫌が悪いらしく、深々と座った椅子の上で足を組み、腕を組み、先ほど怒鳴ったダックスフンドを睨み付けている。
   そんなフランス人形の容姿はとても美しく立派なもので、髪は金色とまでは行かないが、透き通った茶色で人形の髪とはいえないほどに艶がありさらさらしている。肌は死んだ人のように青白く温かさを感じない。目は大きくパッチリしていてとてもリアルであり、鼻は高くて小さい。口元も鼻と同様で小さくかわいらしいサイズである。服はごわごわしたドレスのようなものを身に着けていて色は白色。人形の大きさは一メートルぐらいあるだろうか、着ている洋服のせいかもしれないが、とても大きく感じる。しかし、勿体無いという言葉に尽きる。両足を揃えてしっかりと座れば大層可愛く見えるだろうに、椅子に踏ん反り返るところを見ると正直良い気持ちではない。これでは女の子なんて誰もこの人形を買おうと思わないだろう。それにこの人形は自我があるようで人間のように動き、喋るのだ。これではダックスフンドが困った顔をするのも頷ける。
「ワオーン!」
 ダックスフンドが天井に向かって強く吠えると、部屋の奥から太った中年の男が歩いて向かってくる。
「うるさいぞ。リチャード、ご飯か?」
 尻尾を振り回しながら飼い主の方へ走っていくダックスフンドのリチャードは助かったと言わんばかりの表情で男の足元に駆け寄った。
「なんだ、どうした?」
 リチャードはフランス人形のキャシーが入ったショーケースの方を向き、力強く吠えて男に訴える。
椅子に座るキャシーは吠えるリチャードに向かって勢いよく中指を立てた。
「リチャード、何を伝えたいのか分からないが、キャシーは人形なんだ。たまにあれ、今動いた?  みたいな場面に遭遇したりもするが……多分見間違いだろう」
 男はそう犬に言い聞かせると、餌をやると言ってまた店の奥へと入って行った。
リチャードはキャシーの方を何度か振り返りながら男の後を追いかける。そして部屋の奥にリチャードが入っていくと商品が置かれている店内はキャシーと他のおもちゃだけとなった。
「ほんと、つまらないわ」
 キャシーはそう言うとひじ掛けに頤をついた。
「なんで誰も私の話を聞いてくれないのかしら。ここには私以外の隣人さんが沢山いるというのに、話が出来るモノが一人もいないなんて!」
 そもそもなぜフランス人形のキャシーが動いたり喋れたり出来るのかというところだが、何十年も昔に五歳という若さで亡くなった彼女の体の一部がこの人形の製作時に使われたらしく、魂がこの人形に取り憑いたからである。
   キャシーは今から五十年ほど前に初めてアメリカで発見された。この人形を所有していた人物が心霊現象にあったことが紙面に掲載され、ちょっとしたニュースになった。その後専門家がこの人形を調査した結果、人形の至るところに人間のものが使われていることが発覚したのである。しかしこの人形を研究していた研究室でフランス人形が消失、研究員の男性も一緒に行方不明になったことによりこの事件は人々の記憶から消えていくことになったのだ。そんな貴重なフランス人形がこのおもちゃ屋に飾られていることが正直不思議なのだが、その真実は彼女自身から聞いた方が早いのかもしれない。なにせキャシーはおしゃべりがとても大好きであり、彼女の話し相手になれば絶対に教えてくれるだろう。
「そんなに私の話が聞きたいのならいくらでも話してあげるわ。でも今はそんな気分じゃないの。あーあ、そろそろこのショーケースの中にいるのも飽きたわ」
 椅子から飛び降りるとキャシーはショーケースのガラスを軽く叩いた。
「このガラス結構硬いのよね。どうしようかしら」
 キャシーは困った顔をして胸の前で腕を組む。するとお店の奥から先ほどの店主が顔を覗かせ、誰もいないことを確認してからショーケースの方に駆け寄ってきた。キャシーはそれに気付くと「ゲッ」と驚いた声を発すると共に身動き一つせず、ただのフランス人形になりすました。
 店主は鼻息を荒くしながらショーケースの前で足を止める。
「キャシー、さっきはごめんね。うちのリチャードが迷惑かけたよね。ほら、新しい衣装を仕入れたんだ。 気に入ってくれるといいんだけど」
 男の手には水色のワンピースが握られている。
「今ショーケースから出すからね。そしたら、お着替えの時間だよ」
 男はへへへと笑いながら南京錠を開けていく。その間キャシーは体を動かすことは無いのだが、目でしっかりと店主の行動を追っている。
(この男、すごく嫌いなのよね。触られたくないわ)
 キャシーがこの男を嫌う理由は自分に対する愛情が強いというところだった。娘に対する愛情の強い父親は世の中には一定数いるが、この男はそれの人形バージョンである。キャシーの頭を撫でながら、彼女に歌を聞かせたり、彼女の分の食事を用意したり、子守唄を聞かせてあげたりと自分の娘のように愛情を注いでいる。キャシー自身最初の一週間はとても嬉しかった。こんなにも自分のことを愛してくれることは人形にとって本望でありこれ以上にない幸せである。しかしその愛情は異常過ぎた。
   ある日の夜、キャシーは衣服をはぎ取られ、彼の一物を擦り付けられたのだ。男は何度も謝りながらも、擦るのを止めず、最後には白目をむきながら体を痙攣させたのだ。この男の行動と自分に降り注いだ液体にキャシーは恐怖し、ついつい悲鳴を上げた。そして彼の一物を勢いよく噛んだことによって地獄から解放されたのだった。この出来事以来、キャシーはこの男が嫌いになったのである。
(もしまた同じことをしようとするのであれば、次は喉を噛み切ってやるんだから)
 男が施錠してある鍵を全て解除するまで、キャシーはどのように男を殺そうかと頭をフル回転させるのだった。
「もう少しだからね。最後の一個だ」
 そう男が言った時、お店のドアが開きお客が入ってきた。
「すみません、ちょっといいですか?」
 男はお客の声を聞いて溜息を吐くと「くそっ」と言い放ちレジの方へと向かっていく。
「やっとあっちに行ったわ。ああ汚らわしい。あんな奴今すぐ死んでしまえばいいのよ」
 そうキャシーが口にしたその時だった。店内の入り口から中型トラックが勢いよく突入してきたのだ。トラックは入り口付近にいたお客さんと店主、それといくつかのおもちゃを巻き込みつつ店内に進入し、キャシーの入ったショーケースにぶつかったところで停止した。ショーケースは粉々に砕け散り、キャシーは砕けたガラスにまみれながら床に転がり落ちた。
「な、なにが起きたの?」
 キャシーは倒れた状態で顔を上げると目の前には小型トラックのボンネットとグリルがあり、その下には流血で真っ赤に染まった店主の顔がおもちゃの箱と一緒に潰されていた。
「キャー!」
 叫び声をあげるキャシー。一度は目を逸らすも、もう一度店主を見る。あの時のように白目を向いているが息はしていないようだった。
「これは死んだわね……でも」
 キャシーは店主の顔の前に立つと、彼の目玉を力強く蹴り上げた。目玉は吹き飛ばなかったが、キャシーの白いシューズは彼の目玉を破裂させ、その奥の血管までも傷つけた。
「ぐちょぐちょ音が鳴ってるわ。汚らしい! あんた、あの時と同じ白目向いちゃってさ! ざまぁ見ろ! 私にあんなことしたからよ!」
 数十回繰り返したところでキャシーは足を止める。目玉があったところは血で真っ黒になり、ただでさえ見てられないものがそれ以上にひどくなっていた。
「いい表情になったわ。じゃあね」
 キャシーはそう言い放つと、店から出るために荷物が散乱した店内を歩いていった。


「人に見られないように外に出るにはあなたが必要不可欠なのよ。分かった? わんころリチャード」
「くぅーん」とあきれた表情で鳴くリチャードはキャシーと並行してゆっくり歩いている。リチャードはお店の奥でゲージに入れられていたため事故に巻き込まれることはなかった。
「あなたが大声でぎゃんぎゃん騒いでくれないと、人間が近寄ってくるんですもの。猛獣を散歩していると思われた方が私は安全なの。だから巨大な猛獣らしく振る舞いなさい」
 僕はちっちゃなダックスフンドだよ、そんな馬鹿なことあるわけない……とリチャードは頭の中で思っているようで、小さな声で「くぅーん」と鳴いた。
 キャシーの考えも分からなくはない。キャシーの大きさは一メートルほどで人間の子供と比べると少し小さいくらいだろうか。街行く人がキャシーを子供として見ている可能性は十分にある。しかし子供ではなく、人形に見られることの方が圧倒的に多かった。
  何度かもの珍しそうに人が近寄ってくることもあり、その度にリチャードが狂ったように吠え、威嚇することによって最悪な状態を避けていた。そのため一度人目がつかないところを通ろうとキャシーは考えたのだった。
「ここから路地裏に入るわよ。なんだか人が多くなってきたし、念のためね」
 キャシーはリチャードの垂れた耳を引っ張り先行する。リチャードは反抗することもなく彼女の後をしっかりついて行った。
 路地裏は暗く、臭く、ジメジメしている。どこを見てもゴミ溜がありその上をネズミが餌を探して歩き回っている。キャシーはそんなねずみ一匹一匹に手を振って挨拶を始めた。
「こんにちはネズミさん。あら、こちらにも……どうも!」
 リチャードは呑気に手を振るキャシーを横目で見つつ、周りに警戒しながら進んでいく。
「ここは夢の国ね。テレビで見たのとは全然似てないけどネズミが沢山いるもの。リチャードも嬉しいでしょ?」
 しかし、リチャードからは何も反応がない。キャシーはリチャードの方を向く。するリチャードは尻尾を高く上げ、歯を剥き出しにして唸っていた。
「どうしたの? そんなに怖がらなくてもいいのよ? ただのネズミじゃない?」
 そうキャシーがリチャードに話すと彼は大声で吠えはじめた。ネズミたちはその声に驚き一斉に走り始める。コンクリートの道を一瞬毛玉が覆った。
「リチャード! どうしちゃったの?」
 明らかにいつもと様子が違うため、キャシーも心配になってリチャードの背中を抱きかかえる。
 リチャードは前方を睨み付けると抱きついていたキャシーを振り払い何者かに向かって走り出した。体制を崩したキャシーはその場に尻餅をつく。
「リチャード!」
 リチャードが走っていった先には大柄の男が一人立っているが身動きひとつしない。まるで置物のようなその男にリチャードは噛み付く。その瞬間、ゴミ溜の山から三人の男たちが飛び出してきたかと思うと手に持った鈍器でリチャードを何度も何度も叩き始めた。リチャードはそのまま地面に倒れながらも吠え、唸り、抵抗を続けていたが、一人の男が顔を三回ほど叩いたところで動かなくなり、静かになった。
「やったな! 久しぶりの晩飯だ」
「でも小さいな、ダックスだぜ?」
「じゃあ、お前はそこらのネズミでも食ってろよ」
 三人の男がそんな会話をし始めたところで、置物のように動かなかった男が静かに口を開いた。
「おい、この犬を連れてた小娘がいたな。そいつも捕まえろ」
 その言葉を聞いた三人は一斉にキャシーの方を振り向くと、先ほどリチャードの顔を叩いた男が鈍器を振り回しながら走り出した。
 キャシーはリチャードのことを心配する暇もなく、人間の男に追いかけられる。しかし男の方が足が速く、キャシーは簡単に追いつかれてしまった。男が鈍器をキャシーの頭に振りかざすと見事に命中し、彼女は顔からコンクリートに倒れる。そして髪を捕まれ、そのままリチャードが倒れている方に運ばれていった。
「やめて! 放して!」
 キャシーは両手両足をバタバタ動かしながら男に訴える。しかし男はそんなキャシーに目もくれずリチャードの死体の上に放り投げた。リチャードは仰向けになり、口からベロを垂らしたまま動かない。キャシーはそんなリチャードに抱きつくと「起きて」と何度も語りかけた。
 男たちがその様子を囲み、上から面白そうに眺めているが、そのうちの一人が何かに気づいたようで驚いた様子で話し始める。
「おい、この小娘人間じゃねぇぞ」
 その言葉を聞いて男たちはキャシーを一斉に見る。すると一人の男が彼女を抱き上げ、全身をくまなく見始めた。男がキャシーの洋服を脱がせようとした時、「ちょっと!」と大声を上げ、その男に殴りかかった。
「何だこの人形! しゃべるぞ!」
 男達が騒ぎ始めると先ほどキャシーのことを捕まえるよう指示を出した男が彼女を自分に渡せと静かに言う。
 キャシーはまた髪を掴まれそのまま男に渡された。
「おい、おとなしくしろ」
「そんなこと出来ないわ。何されるか分からないんですもの」
 キャシーが男にそう言うと男はニヤリと笑った。
「お前名前は?」
「キャシーよ」
「ふん……俺はベン。よろしくな、お嬢ちゃん」
 ベンはキャシーの髪を掴んだまま、三人の男たちに言った。
「いいか、この人形は俺が管理する。使い方を模索すれば億万長者になれるからな。お前たちはそこに転がってるダクスを調理しろ」
「リチャードよ。私のワンころなんだから」
 そうキャシーが言うと、ベンはリチャードと名前を修正しもう一度指示を出す。
「さあ、準備にかかれ。時間はないぞ」
 ベンの言葉を聞き、三人は各々の準備に取り掛かった。
「私はどうなるの?」
 キャシーはベンにそう問いかけると彼女を地面に立たせる。
「今から俺らの家に連れてく、歩けるならついて来い」
家といっても同じ路地裏にある小さなダンボールハウスのことである。ゴミ袋が壁のように積み上げられ、床にはダンボールを敷いている。約畳三枚分のダンボールを縦長に、建物の壁に沿って敷いているためそんなに狭くは感じられなかった。
「意外に広いのね」
 その言葉にベンは笑った。
「そうだ。この路地裏はほかのとこと違って奥行きがある。それにほら、あそこに壁が見えるだろう。そこから左右にまた道が伸びてるんだ」
 ダンボールの中から指をさしてそう教える。そこはリチャードが殺されたところのちょっと先だった。
「なんでリチャードを殺したの?」
 キャシーはベンに聞く。
「腹が減ってた。それだけだ」
「最低」
 キャシーは腕を組んでベンを睨む。
「私の唯一の話し相手だったのに」
 それを聞いてベンはキャシーの方を向く。
「元々の持ち主と話をしてたんじゃないのか?」
「あんな最悪なやつ持ち主なんて思ったことなんかないわ」
 キャシーはおしゃべりが大好きである。この会話を皮切りにキャシーの小さな口からは自分が誕生した経緯からここに来るまでの出来事を全て喋り尽くしたのだった。
「そういう訳でここに来たっていうわけ」
「それは大変だったな。でもそうしたら俺はお前を知ってることになる」
「どういうこと?」
 キャシーは不思議そうにベンに聞いた。
「確か都市伝説にもなってたな。呪われたフランス人形の話だ。その人形を研究していた大学で男性の研究員と一緒に消えたってやつがあったはずだ」
「なによ、さっきも話したじゃない。それは研究員のトムよ。『俺と一緒にここから逃げて幸せになろう』って言って彼が私をさらったの。ちょっと、ちゃんと話は聞いてよね」
「あ、ああ……」
 ベンはそれを聞いて驚くどころではなく。それ以上に自分のもとに神様がこの人形を贈ってくれたことにとてもベンは感謝をした。
「ああ、神様よ。ありがとうございます。ホームレスでも毎日のお祈りをしっかりしていればこんなにも良いことがあるのですね。 ああ、ああ」
 ベンは急にひざを突き空を仰ぎ始める。その光景にキャシーは少し引いてしまった。
「この人も少しおかしいのね。あーあ」
 キャシーはそんなことしか思っていないようだが、空を仰いでいるベンは、この人形を使えばホームレス生活を終えることが出来るという、絶対的な確信を得たのだった。
 その晩、ホームレスとフランス人形が囲んだ食卓にはこんがり焼けたお肉が汚いお皿の上に置かれ、並べられていた。ベンの合図により一斉にお肉に群がるホームレスたちは満面の笑みで語り合う。そしてその肉はキャシーの分もしっかりと用意されていた。
「ほらお前の分だ」
「私は人形よ、たとえリチャードの亡骸でも食べれないわ」
 その言葉を聞いた四人のホームレスたちは一度全員で顔を見合わせると一斉に笑い出した。
「そうだった、お前人形だったな。でもこれを準備しろって言ったのはベンさんだ!」
 その言葉を聞いてキャシーはベンを睨む。「うー、怖い顔だ」とキャシーに言った後、ベンは汚い正方形の箱の中から茶色い毛布のような物を取り出すとそれをキャシーの膝の上に置いた。
「すごくふわふわね、でもなんか匂うわ」
 その言葉を聞いて笑いながら答える。
「それはリチャードの毛皮で作った膝掛だ。まあ、ハンカチみたいに小さいが、あの小さな身体からこんなに取れるとは思わなかったよ」
 それを聞いてキャシーは膝に置かれたブランケットを抱きしめた。
「リチャード、また私の話を聞いてくれるのね。良かった! もう離さないわ」
 ブランケットを力強く抱きしめる様子はとてもかわいらしい。本物の人間の女の子のようだった。
「でもベンさんこの子、自分の犬を殺してもそんなに動揺してなかったですよね」
 一人の男がそう言うと、キャシーが口を開ける。
「ええ、それはそうよ。リチャードは私の話し相手なだけですもの。話し相手がいなくなったのであれば、新しく見つけるだけよ。まあ、もう沢山いるから見つけることもないのだけれど」
「変な人形だな」
 ベンに問いかけた男がそう言うと、ベンは肉を噛みながら彼に言った。
「俺たちが話し相手になりゃいいだろ。変なこと言ってキャシーを困らせるなよ」
 ベンの言葉に男は小さく「すまん」と言って手に持っていた肉を皿に置いた。キャシーはその様子を見て、「喧嘩は駄目よ」と優しく言う。するとダンボールハウスに笑いが起きた。
 そんなこんなでキャシーはベン達ホームレスと一週間ほどゴミ溜のダンボールハウスで生活をしていたが、彼女の性格というものはそんなにすぐに変わることもない。
「ああ、飽きたわ」
 キャシーはこのホームレス生活に一週間で飽きてしまったのだった。
「最初の二日ぐらいは気にならなかったんだけど、三日目から急に匂いが気になってきて眠ることさえ出来なくなったわ。それに話し相手が沢山いたっていうのに、今じゃベンともう一人のホームレスだけになっちゃったし。 どこにいっちゃったのかしら」
 それは二日前の出来事である。ベンが恐ろしい顔でダンボールハウスに帰ってきたかと思うと、ナイフを持った男に襲われたと腕を抑えながら言ったのだ。ベンと一緒に出掛けた男はその男に車の中に引きずり込まれ連れていかれたと言う。実際ベンの腕にもいくつかの切り傷があり、汚れた服に血が滲んでいた。
「くそ、なんだったんだ」
 通り魔殺人に遭遇したと言うベンはその日からキャシーをダンボールハウスの中から出ないように言い、他の男達には夜の監視を強化するように指示を出した。
「私は外に出てネズミさんや他のホームレスの人とも触れ合いたいの」
 キャシーのわがままにベンは「駄目だ」と喝を入れる。
「変な奴に捕まってみろ、前の持ち主のようにされるかもしれないんだぞ! ここから出なければ安全なんだ!」
 そう言うベンの鬼のような顔はとても恐ろしく、普段の顔からは想像出来なかった。そんなことがあった日の夜、もう一人のホームレスが死んだ。これは発砲事件の流れ弾が心臓に命中したらしく、ベン達が見つけた時には石像のように硬くなって倒れていたという。
「お前だけはしっかり守らなくてはならない」
 そう言ってベンは犬が入るようなアルミでできたゲージを持ってくると、その中にキャシーを閉じ込めた。
「ちょっと! 私は犬じゃないのよ!」
 そうキャシーがベンに訴えると彼は「お前を守るためだ」と言い放った。
「急にどうしちゃったのよ……」
 そんなこんなでキャシーがダンボールハウスに監禁状態のまま一週間たったのだった。
「早くこんな場所から抜け出さないと」
 そう言ってキャシーはゲージの中を見渡すとベンがどこからか持ってきたおもちゃ達が散乱していた。ぬいぐるみが殆どだが中にはおもちゃ箱から開封されていない物まである。
「ちょっと、良い物があるじゃない」
 あいにくゲージには蓋がされておらず、何か箱の上に登ればどうにか出ることが出来そうだった。
「あなたがここにあったことに感謝するわ」
 おもちゃの箱をゲージの側まで引きずって持ってくると、リチャードの形見であるハンカチを腕に結び付け、その上によじ登った。案の定、ゲージから脱出することが出来ると、ベン達がいないか注意を払いながらダンボールハウスの外に出た。


「こんにちはお婆さん。何を売ってるの?」
 その言葉を聞いて老婆は目を開けた。すると目の前に高さ一メートルほどのフランス人形が自分の顔を見上げているのが見える。
「あら、かわいい子ね。どこから来たの?」
 そう問いかけるとフランス人形は後ろの方を指さす。
「ああ、ベンのとこの。じゃあ、あなたがキャシーね」
 私の横に座りなさいと言うように、老婆は自分の座っているブルーシートの左横をゆっくり叩いた。
「ありがとう」
 キャシーはお礼を言ってそこに座った。
「噂通りの子だね」
「噂?」
 老婆が「そうだよ」と優しく返すとどんな噂なのかをゆっくりと話し始めた。
「ベンがいつになく笑顔で話しかけていたのさ。可愛い子がうちにやってきたってね。久しぶりに見たよ。 あんな顔」
「そう、うれしいわ」
 キャシーはそう言うと自分の座った左横に置かれたぬいぐるみを自分の膝の上に置いた。
「まあ、こんなにお金になりそうな物が手に入ったんだから笑顔にでもなるね」
「ちょっと、それどういう意味?」
 老婆のいうことに意味が分からないキャシーは彼女に問いかける。老婆は細い目をカッと見開いてキャシーを見た。
「あんたは動いて喋れる人形。もしあんたを使って見世物小屋をやるんだったら確実にお客が入り大金が手に入るだろう。それに都市伝説にもなっている行方不明のフランス人形が本当に見つかったということが分かればお前の価値も十分上がる。そこでうまく手放せばベンは薄汚れたホームレス生活から抜け出すことが出来る」
「そんな、そんなことベンが考えるわけないわ」
 キャシーがぬいぐるみを強く抱きしめる。
「おやおや、気付いてなかったのかい。最近ベンから沢山のおもちゃを貰っていただろう? あれはあなたが寂しくないようにとベンが君に買っていったもの」
「そんなお金ベンが持ってるわけないわ。だって」
 キャシーの言葉を遮って老婆は続ける。
「仲間をお金に変えたのよ。あんたのためにね」
「え? 何ですって?」
 老婆の言葉に頭を傾けるキャシー。
「商売道具は大切に扱わないといけない。アンタが飽きないように色々なことをしたかったんだろう。詳しくは分からないけどね」
 老婆はそう言うとその場に立ち上がった。
「ちょっと席を外すよ。ごめんね」
 老婆はそう言うと自分のお店を開いた状態でどこかに歩いていく。キャシーはそんな老婆を目で追うことなく、抱きしめていた汚いぬいぐるみを見つめていた。
「私をお金儲けに使おうとしていた、あのベンが」
 老婆の話が本当か嘘かは置いておく。しかし、お金儲けに使うというのは正直いいものではない。お店にいた時は店主の男が他のお客に私を売る気は一切無かった。その分彼からは異常なほどまでの愛情を受けてはいたのだが。キャシーの心の中は正直言って良い物ではなく、段々とモヤモヤした怒りにも近い感情が彼女の全身を覆いつくしていった。
「やっぱり、あそこから逃げてきて正解だったかも」
 キャシーがそうつぶやいた時、一人の女性がキャシーの前に現れた。
「この人形、とっても可愛い」
  女性はキャシーを抱き上げ、キラキラした目で眺め始めた。


「この人形値段が書いてなかったけれど、本当はいくらだったのかしら」
 女性は自分の車を運転しながら呟いた。彼女の運転する車の助手席には、金髪の可愛らしいフランス人形が小汚いクマのぬいぐるみを抱きかかえた状態で座っている。この女性はホームレスが路地裏で開いていたフリーマーケットでこの人形を買ったのだった。
「でも、ホームレスの人いなかったから泥棒されたと思われてないかしら。お金は置いてきたけれど」
「大丈夫だと思うわ」
「そう、なら良かった……え?」
 驚いた女性が助手席を見ると、ぬいぐるみを持ったフランス人形が笑顔で自分の方を見ている。そして首を左に傾けて楽しそうに話し始めた。
「こんにちは! 私はキャシー!」
 声にならないような悲鳴を上げ女性は車のブレーキを勢いよく踏む。車体が前方に大きく傾いたかと思うと後方に勢いよく戻り二回ほどバウンドした。大きな道を走っていなかったことが救いだろうか。事故を起こすことなく車は停止した。
「なに? なになに! 何が起きてるの?」
 興奮する女性は手を頭の上に当て、状況を整理しようとするが、どうしても横のフランス人形が気になって仕方がない。
「どうしたの? 早くドライブの続きをしましょう?」
「さっきから人形がしゃべって動いてるんだけど!」
「そうよ、見ればわかるでしょ? 私はキャシー、あなたは?」
「私は、アンジー。じゃなくて……ちょっと黙っててくれる? 少し落ち着きたいから!」
 アンジーはそう言うと一度車の外に出る。そして車の周りを何周かした後、もう一度助手席に戻ってきた。
「おかえりなさい。落ち着いた?」
 キャシーがアンジーのほうを見ながら言う。
「いえ、全然」
 アンジーもキャシーの方を向いてそう答えた。
 アンジーはキャシーを手に取ってよく観察してみる。どこを見ても普通のフランス人形である。ただ、腕に茶色い布切れを結んでいるのが服装に似合わず不自然に見える。触った感じではあるが電池を入れるような所もない。そうなるとこの人形は喋らないはずである。
「ちょっと、何するのよ」
 キャシーがそういうと「ごめんね」と謝り、もう一度車のシートに座らせる。キャシーは普通の人間のように手を動かして自分の服装を整えた。
「これはすごいわ。あなた、どうなってるの?」
 アンジーがキャシーに不思議そうに聞くと彼女は自分の髪を弄りながら話し出す。
「その話、ちょっと長くなるけどいいかしら? あと私のことはキャシーと呼んで」
「ええ、分かったわキャシー」
 そうアンジーが返事をする。
「あと、私の話は長いから、車を運転しながら聞いた方が時間の無駄にはならないわよ、きっと」
 その言葉を聞いて、アンジーは車のエンジンを掛けなおした。
 キャシーの話は長い。キャシーがアンジーに買われるまでの出来事を話し終わるまでに、アンジーの運転する車は目的地としていた彼女の家に到着していた。家はそんなに大きくはないが一戸建てである。
「ひどいと思わない? ベンは私をお金儲けのために使おうとしてたのよ?」
 その言葉を聞いて、アンジーは「ひどい」と返す。先ほどからキャシーの問いかける事柄に対して肯定の返事を繰り返し返している。
「あなたって聞き上手ね。話していてとても気持ちいいわ」
 喋るフランス人形に褒められて嬉しくも悲しくもない不思議な気持ちになったアンジーは車のエンジンを静かに切った。
「さあ、キャシー。私の家に着いたわ。一度おしゃべりを止めて家に入りましょう」
 アンジーの言葉にキャシーは元気に返事をした。
「ところで、この家には一人で住んでいるのかしら」
 アンジーの腕に抱かれたキャシーは玄関の前で質問する。
「今は私だけよ」
 アンジーはそう返すと、玄関の鍵を開けた。
「どうぞ、私の王国へ」
 そう言って開けられたドアの先には床から天井までの空間にぴったり合った、おもちゃでつくられた青色のお城が建っていた。
「何このお城? シンデレラ城?」
「モデルはそうね。でも違う」
「じゃあ何なの?」
 キャシーが困った顔でアンジーの方を向くと彼女は笑って答える。
「あなたのお城よ。キャシー」


 アンジーは人形を集めるのが趣味である。世界中から色んな種類の人形を集めては保管している。しかし、彼女が住んでいたアパートの部屋にはいつの間にかスペースがなくなってしまったのだった。そこで人形のために一戸建ての家を購入。今彼女の家には何百と言う人形のコレクションが保管されている。新しい人形を買うと一週間ほど手に取り遊んだり鑑賞したりする。このおもちゃのお城はその人形を飾るためのお城になっている。
「私のお城なの? 嬉しいわ!」
 キャシーはそう言うと、汚いぬいぐるみを投げ捨て、お城の方に走っていった。その姿は本物の女の子である。無邪気な笑顔に元気に走る姿。アンジーはそんなキャシーの姿を見ていて正直まだ彼女が喋り動くことに疑問を抱いているが、時より見せる無機物的美しさは彼女が人形であるということを証明しているように思えてくる。また彼女の肌がまんま無機物であることは確かである。
「すごい、本物みたいね。でも私が大きいのかしら。この兵隊さん、足で潰せちゃうわよ?」
 そう言ってグリーンアーミーメンを蹴散らすキャシーはまるでお城を襲う怪獣だ。
「嬉しそうで、良かった」
「本当は欲しい人形があったんだけど、思わぬ物を買っちゃったみたいね。実は近所のおもちゃ屋に売っていたフランス人形を買おうと思ってたんだけど、お店にトラックが突っ込んだんだがなんだかしちゃって買えなかったのよね。同じような人形をホームレスが売っていて良かったわ」
 きゃっきゃと遊んでいるキャシーを見ながらそう言うアンジーはなんだかんだで彼女を買って良かったと心から思っているのだった。 
 そんなこんなで、キャシーはアンジーの家に来て二週間ほど経った。いつもなら「私飽きたわ」と言って愚痴を言い出す頃なのだが、今回はそんなことはない。アンジーはキャシーのことを他の人形と同じように接しているが、喋れたり、動いたりという普通の人形が出来ないことをするため、いつしか人形と言うよりは自分の娘のように愛情を持って接するようになっていた。それはキャシーも同じようで、彼女はアンジーのことを自分の家族のように愛するようになっていった。ご飯を食べるのも、遊びに行くのも、買い物も、寝るのも。何をやるにもすべてが一緒である。あの気持ち悪い店主とは違い変な下心もなく、ホームレスのベンのように自分をお金だとしか見てないような汚い考えも持っていない。人から人形が受けるべき本当の愛情はこういう物なのかと、キャシーはアンジーの布団の中で毎晩考えていた。
「今が一番楽しくて、幸せだわ。ずっとこの生活が続けばいいのよ」
 あのわがままで口が悪く飽きやすいキャシーが、こんなにも丸くなるものかと、もしリチャードが生きていたら驚いていたかもしれない。それぐらいアンジーのキャシーに対する愛が強かった。
「ああ、明日はアンジーと一緒に本物の夢の国に行くわ、あの汚らしいネズミの溜まり場じゃない。本当の夢の国」
 そうキャシーが胸を躍らせた時、玄関の呼び鈴がチヤリリンと鳴り響いた。
「誰かしら……アンジー、誰か来たわよ」
 横で寝ていたアンジーを揺すって起こす。
「なぁにー、こんな時間に」
 こんな時間といっても、まだ夜の七時である。夢の国はここからかなりの距離があるため、今日は早めの就寝なのだ。
「しっかり歩かないと転げるわよ」
「あーい」と言って寝室から出ていくアンジーはゾンビのようにフラフラと、そしてゆっくりと歩いて行った。
「ちょっと心配ね」
 キャシーは少し不安になり、ベッドの上から飛び降りた。階段を一段ずつ丁寧に降りていくと、玄関の扉を開けようとしているアンジーが見える。彼女が玄関の鍵を開け扉に手をかざした時、玄関の隣に備え付けられた窓ガラスが勢いよく割れ、ボールのような物が家の中に入ってくる。
「ああっ! 何?」
 ガラスの割れる音に驚いたアンジーは勢いよく後ろを振り向く。バスケットボールかそれともサッカーボールか。
 玄関には電気は付いておらず、月夜の明かりだけでは判断できない。
「なによ、もう……」
 そう言ってアンジーが玄関の電気を付けると、彼女が悲鳴を上げてその場に座り込んだ。キャシーはアンジーの声を聞いて転がるように階段を下ると、そこにはボールではなく人の頭部が転がっていた。しかもキャシーはその顔に見覚えがある。キャシーが路地裏で最後に話をした人物。
「え? ホームレスの、お婆さん……?」
(なんでこんなところにお婆さんの頭が?)
 そうキャシーが思った時、またアンジーの悲鳴が上がる。
「な、何するのよ!」
 キャシーがアンジーの方を向く、するとそこにはベンがアンジーにナイフを突きつけた状態で立っていた。
「やっと見つけたぞ、キャシー!」
「ベン? なんであなたが」
 そうキャシーが問いかけると、アンジーの首に強くナイフを当てる。
「お前を取り返しに来たんだよ! キャシー!」
 ベンは大声で怒鳴り散らす。
「お前がいないと、俺は生きて行けないんだ!」
 ベンの言葉にキャシーも強く出る。
「私知ってるのよ! あんた私を金儲けの為に使うつもりなんでしょ?」
 その言葉にベンは一瞬言葉を詰まらせる。
「だ、誰から聞いたんだ」
「ここに転がってる、お婆さんから」
 それを聞いて怒りが収まらないのか、アンジーに向けるナイフが震え始める。アンジーは悲鳴を上げることも出来ない。
「あのクソババア! 余計なこと言いやがって! 殺して正解だったわ」
 そう言うベンにキャシーは「でも事実みたいね」と言い放つ。
「ああ、そうだ最初はそう考えた。お前を研究機関に売るのもよし、見世物小屋を開くのもよし、サーカス団に売るのもだ、俺はお前を利用してお金を儲けて、この汚ねぇホームレス生活から抜けようと思ったんだよ」
 キャシーはそう話すベンに少しずつ近づいて行く。
「でも、お前と過ごしていくために妙にお前のことが気になってきてよ。お前を大切にしないと、優しくしないとって思うようになったんだ」
「それってどういうこと?」
 キャシーがベンに疑問を投げかける。
「俺にも詳しいことは分からねぇ。でも、お前が言っていた前の持ち主の男みたいに、お前への異常な気持ちが自分にも芽生えてきたんじゃねえかって……」
 そういうベンは一度ナイフを押さえつける手をアンジーから離す。話すことに集中し過ぎたのだろう。アンジーはその隙を逃すことはしなかった。ベンの横腹に肘を入れ彼を怯ませる。そして勢いよくキャシーのいる方に走るとキャシーの前に仁王立ちになった。
「てめぇ、何をしやがる!」
「それはこっちのセリフよ! キャシーは私が買ったの! 私の物なんだから!」
「やかましい! お前は黙ってろ!」
 そう言ってベンはアンジーに向かって走り出す。ナイフを脇腹付近に構え、アンジーを睨みつけている顔は悪魔のように恐ろしい。キャシーはアンジーに向かって突進するベンに向かって老婆の頭部を投げつけた。見事ベンに命中し、彼の動きを止める。
「邪魔だ、ババア」
 ベンは老婆の頭部を玄関の方へ蹴り飛ばす。
「無駄な抵抗はやめるんだな、キャシー」
 そう言うベンは自分の周りを確認する。しかし、アンジーとキャシーはどこにもいない。ベンが老婆の頭部を蹴飛ばしたときにどこかに隠れたらしい。彼の目の前にはおもちゃのようなお城だけが見えていた。そのお城には「キャシーの王国」という垂れ幕が掛けられている。
「このお嬢様め、俺の元に帰ってくればこのお城よりも豪華な物を用意してやるよ」
 そう言うとベンはお城を素手で崩し始める。プラスチックと紙で出来た王国のシンボルは簡単に崩れ始め、お城を守っていたグリーンアーミーメンも瓦礫に埋もれて倒れている。
「あんなダンボールハウスに住んでる人が、お城なんて持ってるわけがないでしょ!」
 そう言ってお城の中から飛び出したキャシーはベンの足に飛びつくと、彼の肉を食いちぎるほどの力で噛みついた。
 大声で叫んだベンは、痛さのあまり手に持っていたナイフを落とし、キャシーが噛んだところを手で押さえる。キャシーはその隙にナイフを広いベンに向けた。
「ごみ溜の王国なんてネズミでも欲しがらないかもね」
 そう言うとキャシーはしゃがみ込むベンの背後に回ると先ほど強く噛みついた方と真逆の足にナイフを突き刺す。一突き、二突きしたところでベンは地面にうつ伏せになった。
「くそ、人形のくせに……!」
 ベンの言葉を聞いてキャシーはもう一度ナイフを突き刺した。ベンは号哭する。
「お城とか言って、また誰かの命をお金に変えるんでしょ? あなたのホームレス仲間みたいに」
 そうキャシーが聞くと、ベンは声を震わせながら笑った。
「そうさ、お前に飽きられないようにするには十分な金が要る。そのためには誰かを殺して金を稼ぐしかないのさ。まぁ、今簡単に売れるような人間は周りにいない。だからお前が愛しているアンジーでも売り飛ばそうか」
 その言葉を聞いてキャシーはナイフを持つ手に力が入った。ベンの太ももを切り裂く。ベンは犬のように叫び声を上げた。
「黙って! アンジーにそんなことはさせないわ」
「うるせぇ、人形が!」
 そう言うとベンは荒く呼吸をする。
「アンジーもいつか俺たちのようになるぞ!  異常な愛に溺れるんだ!」
「黙りなさい!」
キャシーは切り口を力強く蹴る。ベンは痛みをこらえながらもニヤリと笑う。
キャシーはベンに警戒しながらナイフを持ったまま彼の目の前に移動し、ナイフを彼の目の前に突き付けた。
「結局、あんたはあの汚らしい男と一緒よ。まあ、私の服を剥がして自慰行為に走らないだけマシだけど、十分異常者だったわ」
 そう言うキャシーはベンを睨みつけた。冷ややかな視線がうつ伏せになっているベンを見下ろす。
「褒め言葉にしか聞こえねぇな、でもお前を愛してることは本当だぜ。最初は全然そんな気持ちは感じなかった。でも日が経つにつれて、お前が段々気になってくるんだ。人間の女性に魅かれるようにな。そして、お前がダンボールハウスから出てったあの日になってやっと気付いた。お前がいなくなったことで、俺の心にぽっかり穴が開いちまったみたいに寂しさが体の奥深くから込み上げて来たんだよ」
「はぁ」と呆れた表情を見せるキャシーはベンの言葉にあまり耳を傾けない。
「やっぱり俺はお前のことを愛してたんだって、お前がいないと生きていけないって。まるで恋に落ちる呪いにかかったみたいに、俺はお前を好きになってしまったんだぁ!」
 感情が高まってしまったようで、ベンは知らないうちに涙を流しながらキャシーに訴える。感情と共にそして傷口から噴水のように真っ赤な血液が噴き出すとキャシーとベンの上に降り注ぐ。これが月夜に降る雨に純情な恋を楽しむ二人のロマンチックな恋模様の終着駅だったとしたらなんて美しかったことか。しかし現実はそんなことなく、異常な愛情に呪いの如く縛られた男の欲望は絶対に叶うことはない。
「残念だけど、好きでもない男のしつこい告白なんてヘドが出るくらい気持ち悪いのよ! 分かったらあんたも地獄に落ちなさい!」
 そう言って、キャシーは容赦なくベンの目玉にナイフを突き刺す。何度も何度も突き刺す。雪のように白いキャシーの肌が真っ赤に染まるほど血を浴びたところで手を止めた。
「ベンもあの店主と同じように殺してやったわ、自業自得ね」
 キャシーはそう言ってナイフをベンの頭部に突き刺した。


「終わったの?」
 リビングの奥の部屋からアンジーは恐る恐る顔を出す。
「ええ、大丈夫よ。終わったわ」
 そう言うキャシーは静かに笑った。
「良かった」と今にも泣きそうな声で言うアンジーはそのままキャシーに駆け寄ると力強く彼女を抱きしめた。
「殺されるかと思った……怖かった」
「私がアンジーを守ったわ。これで一安心よ」
「ありがとう、ありがとう。大好き……キャシー」
「私も大好き、アンジー」
 血の滲むリビングで強く抱き合う二人。ベンの死体がすぐ側に放置されていることを忘れているかのように。もしかしたらアンジーは、この家がどんな状況になろうと、自分が生死をさまよう様な状態になっていたとしても、キャシーが無事であればそれだけで十分だと考えるかもしれない。
「キャシーったら、すごく汚れてるじゃない」
「ちょっと、やりすぎちゃったわ」
「もう……綺麗にしてあげるから、シャワーを浴びに行きましょう」
 アンジーはキャシーを抱きかかえると笑いながらバスルームへと歩いて行く。
「洋服は自分で脱ぐわ」
「いいの、私を助けてくれたお礼よ。それぐらいさせて」
「分かったわ、洗わせてあげる。そしたら少し遊びましょう? アドレナリンが分泌しまくってて眠れそうにないから」
 キャシーがバスルームの扉の前でアンジーに言う。アンジーは扉を開け、キャシーを床におろす。そして少し考えた後、悪い事を考えた子供のようにニヤリと笑うと「いいわ」と返事をする。
「いつもよりも楽しい遊びをしましょう。夜はまだまだ長いんだから」
  

                       終わり

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