陽だまり

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陽だまり

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 気が付くと知らない場所に、一人立っていた。
「ここ、どこ」
 つぶやきは闇へと飲まれ、静寂へと変えていく。
 上下を見ても、左右を見ても、視界一面に暗闇一色で、いったい私はどこを向いているのか分からなくなりそうで一歩も歩くことができなかった。
 酷く冷えた空気に生ごみと下水の臭いが漂い、私は鼻を手で塞ぎ、震える身体を丸めるようにしゃがみ、私は目を閉じる。
 後ろから温かい風が駆け抜け、思わず、目を開くと、風を追うように明かりが石灯籠に灯り、さっきまで見えなかった道筋を作った。
 道は敷石が詰められ、石灯籠は呼吸をするように辺りを照らしている。
 目を凝らすと遠くのほうに明かりが群がっているような場所が見えた。遠いからか集まる明かりの影響かそれが何なのかは見えなかったが、私はその場所を目指して前へ進むことにした。
 灯籠は道の左右に沿って並べられており、灯籠の奥には微かにお地蔵さんが置かれ、隙間なく並べられている様に君の悪さを感じる。
ここはいったいどこなのだろうか。
 周りを見渡しても見覚えがなく、私一人だけの空間に心細さを感じる。
 もしかしたら、ここで待っていれば誰かが来るのではないだろうか。
 立ち止まり、後ろを振り向くと、石灯籠の明かりが萎むように消えていき、暗闇がゆっくりと確実に広がっていき、恐怖が背中を這い回り、冷や汗が頭から首にかけて流れ落ちる。
 止まったことと後ろを振り向いたことに後悔しながら、明かりの方へと走った。
 息がきれて、足が痛くなっても止まることはできなかった。後ろから闇が追っかけてくるそう思うだけで、自然と足が前へと出る。
 しかし、走っても変わらない灯籠が並ぶ道に自分が進んでいるのか不安になっていると、道の左右に並ぶ巨大な狛犬が置かれていた。狛犬の石像を駆け抜ける時に、石像と目が合った気がしたが、暗闇がすぐ後ろまで近づいていることを意識した瞬間に頭から抜け落ちた。
 狛犬を越えてから明かりの群れが大きくなっていることに気づき、目指している明かりが群がる場所が近づいていることに多少の安堵を感じる。
 目指している場所に近づいているからだろうか。いつの間にか先ほどまで感じていた不快な臭いが消え、周りがさっきより明るく、さっきまで何なのかわからなかった場所が、近づくことではっきりと見えるようになった。それは立派な神社だった。
 境内はチリひとつ見当たらないほど掃除が行きとどいており、社は木造で一度は見たことのある素朴な形だが、どこか神秘的な空気が漂っている。しかし、境内には石灯籠が無く、それなのにも関わらずとても明るく、まるで神社そのものが光っているようだった。また、深い静寂が社を包んでおり、人の気配は全くと言っていいほどない。
 見上げる程に大きくて真っ赤な鳥居の前で私は足を止めた。
 後ろを振り向くと暗闇の動きは止まっており、神社を避けるように周りを囲んでいる。
 私は安堵し、呼吸を整えようと深呼吸をした際に気づいてしまった。あんなにも走ったのに、心拍数は上がっておらず、呼吸も乱れもない。つまり、まったくと言っていいほど疲れていなかった。
 ここに来て、初めて私は状況を確認することにした。まずは、この神社に見覚えがあるかどうかを考えたが、こんな光輝く社なんて見たことが無いことは明白だった。次に自分の服装を確認すると学校の制服だった。私はココに来る前は何をやっていたのだろうか。考えてみるも記憶がぼんやりとしていて、分からなかった。
 もしかしたら、この神社に答えがあるのかも知れない。
 私は鳥居をくぐろうとした。その時、後ろから何者かに手を引っ張られた。
 振り向くと、詰襟を来た青年が、私の左手を強く掴んでいる。
 青年は私よりも身長がスラリと高く、さぞや顔は美男子かと思い、目線を顔へと上げると、顔に黒い靄がかかっていて、はっきりと認識できなかったが、どこか懐かしい雰囲気を感じた。
「そっちに行ってはいけない、戻れなくなるぞ」
 透き通るような声が私の鼓膜にこだます。
 青年は暗闇へと私の手を強く引っ張り、風のように走った。
 明かりがない暗闇を私たちは駆け抜ける。
 さっきまで怖かった暗闇も、青年と一緒なら怖さはなく、安らぎすら感じっていた。
 昔どこかでこんな風に走ったような気がする。
 あっという間に神社の明かりが小さくなってきた辺りで、後ろから何か大きな足音が二つ地面を揺らしながら近づいてくる。
 音はどんどんと大きくなり、息遣いまでが聞こえ、獣のような臭いがすぐそこまで近づき、振り向けば暗闇の中から四つの目玉がギラリと睨んでいた。
「振り返るな! 前を見ろ、追いつかれるぞ」
 怒鳴る青年の声はやはりどこか懐かしく感じる。
「あなたは誰?」
 青年は無言だった。
「私、あなたのこと知っている気がするの……ねぇ私たち昔あったことない?」
 繋いだ手をぎゅっと強く握ったので、私も握り返した。
 後ろにいる何かがグルルとうめき声を鳴らしている。
「君は僕のことを知っているよ……大丈夫、戻れば思い出すよ」
 青年は優しく囁いたが、どこか寂しさを感じた。
 私はこれ以上、何も聞けなかった。二人はただ無言で前の見えない暗闇を走り続ける。
 どれくらい走ったのだろうか。私の呼吸が乱れ始め、心臓の鼓動は高鳴り、足が少しずつ痛み出して、青年の速さについていけなくなっていた。
「足を止めてはいけない、走り続けて。もう少しだから」
 青年は強く私の手を引き、優しく励ました。
 後ろの何かは、相変わらずうめき声を鳴らし、地面を蹴りながら走っている。
 青年の言う通り、少しったとこに淡く光る物体が見えたので、目を凝らすと五十センチくらいの蛙の銅像が道の真ん中に正座していた。
「僕はここまでだ。あの蛙まで、一人で走るんだ」
「あなたは?」
 青年の顔は見えなかったが、微笑んでいるのがわかった。
「……またね。陽菜ちゃん」
 青年は陽だまりのような温かい声で呟き、解かれる手は優しさでいっぱいだった。
 私は蛙の像を目指して、一人で走り続ける。
 いつの間にか静寂が戻っていた。
 目頭が熱くなり、大粒の涙が頬へと流れ落ちる。
 胸から沸き起こる悲しさはどこか懐かしかった。
 涙を袖で拭い、蛙の銅像に手を伸ばす。
 ひんやりとした感触が手に広がった。
 後ろを振り向かずに、一言だけ。
「さようなら……」
 私の言葉は儚く溶けた。
 

 私は松葉杖を突いて、ある家へと向かった。
 私がこの家に来るのは、小学校低学年以来になる。
 インターホンを鳴らすと、家から、中年くらいの女性が迎えてくれた。
「陽菜ちゃんいらっしゃい、待ってたわ」
「お忙しいときにすいません」
 私は深く頭を下げた。
「いいのよ、あの子も陽菜ちゃんに久々に会えて、きっと喜んでいるわ、さぁ入って」
女性は優しい笑顔を向けた。
「ありがとうございます。お邪魔します」
 私は再び、頭を下げて、家へ入ると、昔と何もかも同じで、まるでこの家だけ時間に取り残されたかのようだった。
「それにしても、陽菜ちゃんも大変だったわね」
 女性は私の右足を見て、言った。
 骨折した右足をさする。
「そうですね」
 二ヶ月前に私は帰宅中に飲酒運転している車に引かれてしまい。右足を骨折と後頭部を強く打ってしまった。
 私は直ぐに病院で運ばれ治療を受けたが、意識が戻ってこず、二週間くらい目を覚まさなかった。一時は危険な状態まで陥ったらしいが今はいつも通りの生活を少しずつ取り戻している。
 あの場所は何だったのだろうか。
 入院中に何度も同じことを考えては、死後の世界なのだろうか。はたまた私の作り出した夢なのだろうかと結論の出ないことを考えたが、あの時の記憶が日に日に薄れていることに気づき、私は忘れる前に、助けてくれた青年のことを思い出そうと、古いアルバムで記憶に残る青年の姿を探した。そして私は一枚の写真を見つける。
 それは満面の笑みで笑う私と、陽だまりのような優しい表情をした青年が一緒にいる姿だった。
涙がこぼれ落ちる。
「見つけたよ……」
 青年は小学校低学年くらいの時に良く遊んでくれた中学生のお兄ちゃんで間違いなかった。私はいつも優しくて頼りになるお兄ちゃんが大好きだった。しかし、お兄ちゃんは突如交通事故で亡くなってしまった。
 何で忘れていたのだろうか。
 いや、忘れたのではない。逃げたのだ。
 お兄ちゃんが死んだあの日、それを知った私は死を受け止めきれず、一日中泣き叫んだ。悲しい気持ちが辛くて、いつからか悲しさから逃げ、忘れたように過ごすようになってしまった。
 仏壇の前は線香の香りが鼻を擽り、陽だまりのように穏やかな空気が漂っている。
 飾られている写真を見て、女性は微笑んだ。
「今日はあの子、ちょっと笑っているように見えるわ」
 私もつられて微笑んだ。
「そうですね、とっても優しい笑顔です」
 写真に写る表情は私の大好きだった頃と変わらなかった。

 終わり
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