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【第四章】 町での邂逅
第56話
しおりを挟むナッシュと私の外出届は、驚くほどあっさりと受理された。
様々な書類に記入したり、長々とした説明を聞かされるものかと身構えていたのだが、拍子抜けだ。
考えてみれば、学園は生徒たちを軟禁しているわけではないのだから、申請すれば許可が下りるのは当然かもしれない。
「外出届に名前を書くだけだったわね」
「そうですね。門限さえ守るなら、町では何をしても良いというのも意外でした」
もちろん犯罪行為を行なえば、国の法律で裁かれる。
しかしそれ以外の、学園独自の校則で裁かれることはない。
「学園の評判を落とさないような行動をしろ、とか言われると思っていたのに」
「たぶんですが、言わなくてもしないからだと思います。この学園を退学になった場合、まず家から追い出されるでしょうから」
「そうなの?」
ナッシュは頷きつつ、長い指をあごに当てた。
「あの話をしていたのは誰だったでしょうか。その者は、学園を退学になったことが周囲に知られたら、就職先が無くなると言っていました。大きなチャンスを台無しにする愚か者の烙印を押されるのだとか」
ハーマナス学園は、いわゆるエリート校だ。
特進科はもちろん、普通科ですら、並の成績では入ることが出来ない。
一方で卒業することは割と簡単だ。出席日数の確保と課題の提出さえしていれば、テストで赤点をとっても補習を受ければ何とかなる。
そのため一度学園に入学してしまえば、その後の未来は明るい。
就職先はいくらでも見つかるし、進学する場合も推薦入学の受け入れ先が充実している。
学園に入学した時点で勝ち組なのだ。
だからこそ学園を退学になることは、勝ち組から転げ落ちたことと同義だ。
そして勝ちがほぼ確定している状態から素行の悪さで転げ落ちるような人物は、職場にいらないということだろう。
国内に職を求めている人間はたくさんいる。
わざわざ素行の悪さで高みから転落した者を雇うよりも、地道に頑張っている者を雇う方が、真面目な勤務態度が期待できる。
とはいえ職を選ばないのであれば、働き先が全く無いわけではないだろう。優良な働き先は無いだろうが。
「家の恥だと追い出された上に、低賃金で過酷な仕事に就くのは、誰だって嫌よね」
「ええ。ですので、門限までには帰りましょう」
「そうね。今日はジェーンへのご褒美を買えたらそれで十分よ」
町には思っていたよりも活気があった。
ローズにこの国の経済状況を聞いていたから、もっと閑散としているかと思っていたのに。
「意外と店がたくさんあるわね」
「この町は国の首都ですから」
首都。
確かに店はたくさんあるが、ここが国の首都ということを考慮すると、そこまで国が発展しているとは思えない。
「そういえば。私はお金を持っていないけれど、ナッシュはいくら持って来ているの?」
「お嬢様がお金の心配をするなんて珍しいですね」
「そ、そうかしら。でもお金は大事でしょう?」
本物のローズはお金の心配をしないのか。
さすがは公爵令嬢だ。
「店丸ごとは買えませんが、少なくとも商品の金額を気にする必要はありませんよ」
「そんなに持って来たの!? 町にはスリがいると聞くし、危険じゃない?」
「すべてを現金で持っているわけではありません。あまりにも高価な場合は、現金ではなく小切手で支払います」
それでも買えないとは言わないのか。
公爵家、おそるべし。
「ところで。ジェーン嬢には何を買うおつもりですか?」
ナッシュの口からジェーンの名前が出てくるのは変な感じだ。
「そうね。時計なんてどうかしら」
「お嬢様との約束には一秒たりとも遅れることは許さないという意思表示ですね。いいと思います!」
「……やっぱり時計はやめておくわ」
そんな意思を感じ取られてしまうなら、時計はやめておこう。
そしてジェーンはいかにもそういった意思を感じ取りそうだ。
「それなら、ジェーンは勉強が得意だから羽根ペンがいいわね。でもそれだけだと地味だから、一緒に他の物も贈りたいわ」
贈られて嬉しいものは、なんだろう。
気軽に使えて、いくつあっても困らないものがいいかもしれない。
あと、変な意思を解釈されなさそうなもの。
「アクセサリー……は、高価すぎて受け取りを拒否されそうだから、ハンカチあたりがいいかしら。それを思うとやっぱり時計はナシね。時計も高価だから受け取ってもらえない可能性があるわ」
私が真剣に贈り物を考えていると、ナッシュは新種の生物を見るような目で私のことを見ていた。
「……何よ。私、変なこと言った?」
私に声をかけられて我に返ったらしいナッシュは、慌てていつもの澄まし顔を作った。
「いいえ。お嬢様が適切な贈り物を用意しようとしていたので驚いただけです」
「どういう意味よ」
「昔のお嬢様は、私が美味しい紅茶を淹れたご褒美にと、気軽に宝石を渡してきましたから」
「紅茶のご褒美に宝石!?」
価値観が違い過ぎて、価値観が違うことしか分からない。
「この調子ではお嬢様はがめつい悪者にカモにされてしまうと、私はいつも心配をしておりました」
「……カモにされないように注意するわ」
今のローズの中身は私だから、さすがに大丈夫なはず。
公爵令嬢の価値観に染まり過ぎず、堅実に生きていこう。
「お姉ちゃんたち、この町に来るのは初めて?」
町を歩くナッシュと私に、可愛らしい声がかけられた。
乙女ゲーム『死花の二重奏』に登場する最後の攻略対象、ミゲルだ。
しかもこの状態は、町を案内してお金をもらおうと猫を被っているときのミゲルだ。
「初めてなら、おれが町を案内するよ! どんな店でもどんな道でも知ってるから、まかせて」
ミゲルは本来の素行の悪さを隠して、可愛らしい少年を演じている。
こうやって猫を被られると、本当にただの可愛い男の子だ。
「じゃあお願いしようかしら」
私の言葉を聞いたナッシュが、私の身体をくるりと反転させた。
そしてミゲルに背を向ける形で内緒話を始めた。
「お嬢様。注意すると言った舌の根も乾かぬうちに、カモにならないでください」
「ちょっとくらいいいじゃない。だってあの子、ものすごく細いわよ。少しくらいお金をあげても罰は当たらないわ」
「分かってやっているのでしたら……貴族の戯れということで大目に見ましょう」
私がただカモにされているわけではないと判断したナッシュは、それ以上何も言わなかった。
「お姉ちゃんたち、どこに行きたいの?」
「ハンカチと羽ペンが買いたいわ。どこで売っているか知ってる?」
「もちろん。ついてきて!」
ミゲルはニコニコと元気に、私の手を引っ張った。
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