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【第一章】 乙女ホラーゲームの悪役なんて願ってない!
第5話
しおりを挟むジェーンとともに特進科クラスを出ると、廊下ではナッシュが待っていた。
「お嬢様、お待ちしておりました」
「すごい! この学園に付き人を連れて来られるなんて。やっぱりローズ様ってものすごく高貴な方なのですね!?」
ナッシュの言葉を聞いたジェーンが、私とナッシュを見比べながら歓声を上げた。
「よく見て。普通科の制服を着ているでしょう。彼も新入生よ」
私に紹介されたナッシュは、見惚れるほどに美しいお辞儀をした。
「私は代々ナミュリー家で使用人をしております一族の者です。この度はお嬢様が学園生活で不自由をしないよう、付き人としてともにこの学園に入学をさせていただきました。お恥ずかしながらお嬢様と同じ特進科には入れませんでしたが。お嬢様ともどもこれからよろしくお願い致します」
「ご丁寧にどうも……え? ナミュリー家!?」
両手を口に当てながらジェーンが私のことを見た。
「さっきの自己紹介でも言ったじゃない。ローズ・ナミュリーって」
「さっきはクラスメイトの華やかさに眩暈がしていて正直途中から何も聞こえなく……あ、だめ。今もローズ様が高貴過ぎて失神しそう。ナミュリー家……」
ジェーンは額に手を当てながらふらふらと廊下を歩きだした。
「ちょっと、一人で大丈夫?」
「はい。人気の無いところで地面を這いつくばって高貴な空気を中和しながら帰りますので、お気になさらず」
「それは大丈夫なの?」
激しく大丈夫ではない気がする。
だけどここで下手にローズが近付いたら、さらに高貴な空気を中和しなきゃと地面に潜りそうな勢いだ。
「それでは、ごきげんよう。優しく尊い高貴なお方」
私からかなり離れてから、ジェーンが挨拶をした。
何だか目の焦点が合っていない気がする。
早く私に慣れてくれるといいけれど。
「お嬢様は面白いご学友を見つけましたね」
ナッシュがふらふらと廊下を歩くジェーンを見ながら言った。
彼なりに一番オブラートに包んだ言い方が『面白い』だったのだろう。
「さっきまでは普通だったのだけど、ね」
学園の授業棟から女子寮までの道のりはそれほど遠くない。
歩いても数分程度だ。
しかしナッシュと一緒に歩くと、『私』のことがバレないかという緊張のせいもあって実際よりも長く感じてしまう。
「お嬢様。遅刻については何も言われませんでしたか?」
そういえば入学式に遅刻をしたのに何も言われなかったっけ。
「私はあなたのおかげで気付かれなかったみたい。あなたはあの後平気だった? 先生にたっぷり叱られたりはしなかった?」
「叱られはしましたが、微笑みを崩さずに聞いていましたら、すぐに話は終わりました」
それは教師に暖簾に腕押しだと諦められたのではないだろうか。
どこの世界でも教職は大変そうだ。
そのままナッシュと当たり障りのない話をしながら歩いていると、女子寮の前へと辿り着いた。
するとナッシュは私に少し待つように頭を下げた後、入り口横にある管理人室に寄った。
そして一分もしないうちに、朝見たものと同じ球状の監視魔法を付けて戻ってきた。
「え? 私の部屋に寄るの?」
口調に思いっきり不快感が表れてしまった。
だって、やっと解放されると思ったのに。
入学式の序盤からすでに早くひとりになりたかったのに。
私の様子を見たナッシュは一瞬ピクリと眉を動かしたが、それ以外の変化は出さずに落ち着いた口調で告げた。
「そのヘアメイクは簡単にはほどけません。私はヘアメイクをほどき次第、すぐに帰りますので、もうしばらくお付き合いくださいませ」
そう言われてしまうと頷くしかなかった。
確かにナッシュは私の髪を面倒くさそうな髪型に整えていた。
これを自分だけでほどくのは骨が折れそうだ。
ここはナッシュに大人しく従った方が早くほどき終わってのんびり出来る時間が増えるはずだ。
「じゃあお願いするわね」
私の言葉にナッシュは満足げに頷くと、女子寮へと歩を進めた。
* * *
「……見られているわね」
私たちの姿を見た寮生たちは、こそこそと内緒話をしている。
当然だ。
片方は『黒薔薇の令嬢』で、片方は女子寮に堂々と入っている男子生徒なのだから。
今朝、私は入学式が始まってから廊下を歩いたから気付かなかったが、私が着替えている間にもドアの前で私を待っていたナッシュはこの視線を寮生たちから浴びていたのだろうか。
「やっぱりあなた、女子寮には来ない方がいいのではなくて?」
「お嬢様以外の人間からどんな視線を向けられても気になりません。ジャガイモ畑にいるのと同じ気分です」
やんわりと女子寮に来ないでほしい旨を伝えたが、ナッシュは笑顔を少しも崩さずに即答した。
ナッシュにとってローズがとても大切な存在だということは分かったが、それ以外の女子生徒をジャガイモ扱いはどうかと思う。
ウェンディも裏ではナッシュにジャガイモ扱いされていたのだろうか。
ウェンディルートをプレイした者としては、ちょっと悲しい。
「ジャガイモのことを気にしている間に。はい、到着いたしました」
ナッシュが恭しく私の部屋のドアを開けた。
「そのジャガイモって単語、二度と使わないでちょうだい」
ウェンディルートをプレイした私の心が折れてしまうから。
「お嬢様のご命令でしたら、今後はそのように致します」
丁寧な仕草で部屋のドアをしめながらナッシュはそう言った。
そしてドレッサーの椅子を引いて私を座らせた。
目の前にある鏡を覗き込むと、黒髪を綺麗にまとめた美少女がそこにはいた。
今朝セットをしてからかなり時間が経っているはずなのに、変わらず綺麗なままの髪型だ。
「あなた、美容師にでもなったらどう? きっと人気が出るわよ」
「お褒めに預かり光栄です。ですがこの技術はお嬢様のためだけに学んだものですので、他のジャガ……お嬢様方に使うつもりはございません」
今、ジャガイモって言おうとした!
絶対に言おうとした!
ウェンディルートでも親密度が上がるにつれてナッシュの毒舌部分が出ていたが、まさかこんな序盤から出てくるなんて。
すでにローズとの親密度が高いという点では喜ぶべきかもしれないが、『私』は毒舌耐性が無いのに。
ゲームでも毒舌属性の無い紳士なときのナッシュの方が好きなのに!
「お嬢様、どうかなさいましたか?」
ナッシュが出際よくヘアメイクをほどきながら鏡越しに尋ねてきた。
女性をジャガイモ呼ばわりしておきながら涼しい顔をしている。
「別に。少し驚いただけよ」
「驚いた、ですか。驚いたと言えば、今日のお嬢様には何度も驚かされました」
ナッシュは何でもないことのように言ったが、途端に私の心臓は早鐘を打った。
いつも一緒にいる付き人が、主人の変化に気付かないはずがなかったのだ。
「驚かされたって、いつ?」
「出会った瞬間からです。お嬢様に『ナッシュ』と呼ばれたのは何年振りでしょうか」
うん。確かに言った。言ってしまった。
だってこの世界に来てから初めてゲームに出てくる攻略キャラに出会ったから、つい。
勝手に知っている名前が口から飛び出してしまった。
思い出してみると、ゲームでのローズは誰の名前も呼んではいなかった。
なぜかウェンディだけは例外で名前を呼んでいたが、それ以外の人を呼ぶときは敬称だけで呼んだりあなたとだけ呼んだりしていた。
だけどまさか付き人の名前を何年も呼んでいないとは思わなかった。
というか、そんな初っ端から違和感を持たれていたとは。
「今朝も言ったでしょ。緊張で記憶が飛んだって」
「そうでしたね」
私は冷や汗が流れっぱなしだが、ナッシュはただの世間話のつもりだったのだろうか。
私の言葉をさらりと流した。
そのまましばらく髪を梳かす音だけが響いていたが、沈黙に我慢の出来なくなった私は、仮定の話の体でナッシュに探りを入れてみることにした。
「……あの、もし……もしもの話、なんだけどね」
「はい、なんでしょう?」
「もし私が死んで別人に」
言い終わる前にぐるりと身体を回転させられた。
突然のことに驚いて顔を上げると、先程までとは別人のようにナッシュの顔が歪んでいた。
こんな表情はゲームのスチル絵でも見たことが無い。
「冗談でも死ぬなんて言わないでください! 危険があるなら全部私が取り除きます! 今度は!」
言葉だけ聞くと怒っているようにも聞こえるが、目の前のナッシュは今にも泣き出しそうだ。
「どこが悪いのですか!?」
「ごめんなさい。今のはただの例え話で」
またしても私が言い終わらないうちにナッシュは行動を起こした。
軽々と私を姫抱きにすると、暴れる私を抱えて部屋を飛び出したのだ。
「医務室はどっちですか!?」
廊下にいた寮生が怯えながら医務室への道を指さした。
ナッシュは私を姫抱きにしたまま医務室への道を走った。
「嘘でしょう!?」
こんなスチル絵も、ゲームには出て来なかったじゃない!
そんなことをされたら本当に心臓が飛び出ちゃうわよ!?
「離してちょうだい。自分で歩けるわ!」
「それは保険医の決めることです」
「自分で自分の体調くらい分かるわよ!?」
ナッシュは都合の悪いことは無視する方針なのか、これ以降は私と会話をしてくれなかった。
その代わりに私を姫抱きにしていることが嘘のように全速力で廊下を走っていた。
――――――ガチャリ。
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