上 下
98 / 112
【最終章】

第98話 あたしが一番伝えたいこと

しおりを挟む

「あたしは当初、聖女であることを名乗り出るつもりはありませんでした。しかし、状況が変わりました。この大雨です」

 あたしの発言に、人々は顔を曇らせた。
 この大雨で被害を受けた人は多い。
 だからこそ、二度とこのようなことを引き起こしてはいけないはずだ。

「この世にはたった一つ、絶対に守るべきルールがあります。それは『死』です」

 聞き流されないように、丁寧にゆっくりと言葉を紡いだ。

「すべての生物には、死という終わりが運命づけられています。終わりを伸ばそうと努力をすることは可能ですが、終わったものを終わらなかったことにする行為は、許されていません」

 人々はあたしが何を言うつもりなのかと固唾を飲んで見守ってくれている。
 同時に野次を飛ばす人も現れるかと思ったけれど、何故か野次は一つも飛んでこなかった。

「ここまでの話で思い至った方もいると思います。あたしは、シャーロット様の奇跡の力のことを言っています。奇跡と言うと聞こえがいいですが、死んだものを自分勝手に生き返らせる行為は、この世界では認められていません」

 シャーロット様の名前が出たことで、息を飲む声が聞こえた。

「この世で認められていない能力の乱用をした結果が、これです。死んだものを勝手に生き返らせ続けた結果、地球は足りない死の回収を始めました。死の回収のために起こった大雨で、死ぬ予定ではなかった人が大勢亡くなってしまいました」

 冥界の住人の話や魂のバランスの話は、ややこしい上に分かりづらいと思ったあたしは、自分なりに話を要約して伝えた。
 シャーロット様が自分勝手に死者を生き返らせまくった結果が、この大雨だと。

「シャーロット様は聖女ではありません。この世のルールを破って自分勝手に振る舞い、大勢の被害者を出した大罪人です。その証拠に、シャーロット様が触っても『聖女を光らせる原石』は光りません」

 あたしの言葉を聞いた人々は、悩んでいた。
 シャーロット様とあたしの、どちらを信じるべきなのか、と。

「シャーロット様が偽物の聖女?」
「偽物はこっちの女じゃないのか!?」
「シャーロット様は王室が聖女であると保証しているのよ?」
「でもシャーロット様が石を光らせるところは見たことがないかも」
「この大雨がシャーロット様のせいというのは本当のことなのか!?」
「大雨のせいで妻が大怪我をしたんだぞ!?」
「あの女が言っているだけで、大雨がシャーロット様のせいという根拠は無いわ」
「どうすればこの大雨は止むの? 本物の聖女様を崇めればいいの? でもどっちが本物なの?」

 どちらが本物の聖女なのか、そしてこの大雨は本当にシャーロット様のせいなのか、人々は意見を言い合っていた。
 あたしは黙ってその様子を眺める。
 議論は白熱し、十分以上も人々は近くにいる相手と意見を交わし合った。

 やがて議論を終えた人々は、次の言葉を求めてあたしのことを見た。
 大きく息を吸い込んで、言葉を伝える。

「シャーロット様を偽物の聖女だと糾弾しておいてアレですが……あたしが言いたいのは、あたしを本物の聖女として崇めろ、ということではありません」

 あたしがみんなに伝えたいのは、もっと別のこと。

「みんな、聖女になんか頼らないで、自分の力で必死に生きてください」

 あたしの言いたいことは、これに尽きる。

 一番伝えたかったことを告げたあたしは、ふっと力を抜いて雑談を始めた。

「ここからは、聖女じゃなくてあたし、イザベラ・クランドルの個人的な話になってしまいますが…………あたしには妹がいるの。妹は、聖女でも何でもない、普通の女の子よ」

 雑談だと分かるように、砕けた調子で続ける。

「でも妹は、聖女のあたしなんかよりもずっと強いわ。力ではなく心がね。妹はどんな酷い状況下でも、自分を蔑ろにしようとはしなかった。歯を食いしばって必死に生きていた。そして、幸せを掴んだの」

 だからあたしは、クレアのことを尊敬している。
 あんな風に生きたいと思って、今ここにいる。

「聖女の力も魔法も、もちろん権力も、何の力も持たない妹は、それでも幸せを掴み取った。どん底から這い上がってね。簡単なことではないし、苦労もたくさんあったと思う。それでも妹は……人間は、幸せを手にすることが出来る。何の力も持っていない女の子が幸せになれたんだから。あなたたちにだって出来るわ」

 きっと誰にだって幸せを掴む力がある。
 たとえ、何も持っていなかったとしても。

「そんな妹は、他人のために泣くことの出来る素敵な女性に成長したわ。きっとたくさん泣いて、歯を食いしばって生きてきたから、他人を思いやることが出来るようになったのね」

 再会したクレアが他人のために泣くことの出来る人間になっていて、とても驚いたし、同時に嬉しかった。
 あたしの知らないところで、あの子は良い出会いをして、優しい子に成長していた。

「何が言いたいのかというと……生きていると辛いことも多いわ。でもそんな辛い状況に陥ったとき、聖女に何とかしてくれと頼むのではなく、自分自身で行動をしてほしいの。聖女に頼らなくても、人間には状況を変える力がある。辛い出来事を乗り越える力もある」

 そう言って空を見上げた。
 空には分厚い雲が浮かんでいて、止めどなく雨を降らせている。

「大切な人の死は辛いことだけれど、きっと乗り越えることが出来るわ……ううん、乗り越えなくてもいい。胸にトゲが刺さったままでもいいの。それでも生きていけるわ……生きていかなければならないの。人間だから」

 辛い過去を乗り越えられたら、それはとても素晴らしいこと。
 だけど乗り越えられなくても、人は生きていかなければならない。
 胸にトゲが刺さったまま生きる人も、力強くて素敵だとあたしは思う。

「……それにね、聖女と言っても、あたしはただの小娘なの。こんな小娘を崇める必要は無いわ。あなたたちにはあたしなんて必要ない。聖女なんかいなくても、あなたたちは生きていける」

 だから、自分の力で強く生きて。
 たまには誰かを頼ってもいいけれど、自分の足で地面を踏みしめながら生きて。
 きっと誰にだって、出来るはず。
 人間は案外、強い生き物だから。

「あたしはそう信じているわ」



しおりを挟む

処理中です...