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【第2章】
第38話 ジャン・クランドルの悪行
しおりを挟む「シリウスさまぁ、例の話の続きを聞かせてくださいよぉ」
「余は仕事中だ」
「あはっ、普段のシリウス様もいいけど、仕事中のシリウス様の真剣なお顔も、ス・テ・キ」
「……部屋に戻れ」
今日も今日とて、私はシリウス様の執務室に突撃していた。
「話を中断してからもう一週間ですよ? すぐに続きを聞かせてもらえると思ってたのに」
「悪いが仕事が急に忙しくなった」
「忙しいって、覗き見がですか?」
シリウス様は覗き見に使う水晶玉から目を離すと、深い溜息を吐いた。
「そなたには余の仕事をきちんと説明する必要があるようだな」
「教えてくれるんですか? シリウス様の話なら何でも聞きたいです!」
一番気になっているのはこの前の話の続きだが、シリウス様に関することなら何でも聞きたい。
それがシリウス様の口から語られるのなら、なおさらだ。
「……前々から思っていたが、そなたは侯爵家がどうなったのか知りたくはないのか。余の執務室に来ても聞きたがるのは余のことばかりではないか」
「侯爵家? ……ああ、クランドル家のことですね。忘れてました」
強がりでも何でもなく、本当に忘れていた。
それほどに、この城に来てからの生活が充実していたのだろう。
「忘れていた? 普通は復讐心を燃え上がらせるはずだろう。特に兄にはよく殴られていたはずだ」
「うーん……もちろん許してはいませんが、彼らのために自分の人生を消費する気は無いと言いますか。復讐に回すエネルギーがあるなら、シリウス様を追い回すことに使いたいですし」
目の前に好きな相手がいるのに、目の前にいない嫌いな相手のために時間を使うのは、もったいない。
その時間を目の前のシリウス様のために使った方が、時間の有効活用だろう。
「そう簡単に割り切れるものか?」
「きっと復讐の炎が燃え上がる前に、シリウス様への愛の炎が燃え上がっちゃったんですね。愛の力は偉大です。さあシリウス様、一緒に愛の炎を燃やしましょう!」
そう言ってシリウス様に抱きついたが、シリウス様は私を抱き返すことも引き剥がすこともしなかった。
黙って再び水晶玉に目線を落としている。
「どうかしたんですか?」
「いや……水晶に、そなたの家族だった者が映っていてな」
言われて私も水晶玉を覗き込んでみると、確かに兄であるジャン・クランドルが映っていた。
この水晶玉は私が勝手に覗いても何も見えないが、シリウス様と一緒になら私にも見ることが出来る。
シリウス様が水晶玉に魔力を送ることで映像が映る仕組みなのかもしれない。
『どうして僕を殴るんですか』
『理由なんていらねえだろ。強いて言うなら目障りだからだな』
『これからも、こんなことを続ける気ですか』
『ごちゃごちゃうるせえな』
水晶玉の中では、ジャンと友人が、使用人らしき男の子を殴っている。
侯爵家では見たことのない男の子なので、ジャンの友人の家に仕える使用人だろう。
ジャンの横にいる友人は、クランドル家にも遊びに来たことのある男爵家の子息だ。
名前は忘れたが、紅茶を配膳したことがある。
『痛いです。やめてください』
『嫌だね』
私というサンドバッグがいなくなったから、彼がジャンのストレス発散のための新しいサンドバッグになったのだろう。
私のときはジャン一人が相手だったが、この男の子は二人から暴力を受けている。きっと私よりも痛いはずだ。
「最低ですね。また反撃できない使用人を狙っていじめてるなんて」
「……余は、この蹴られている男児に種を蒔くつもりだ」
「種を蒔く……ああ、私のときみたいに『力が欲しいか』ってやつをやるんですね?」
私が聞くと、シリウスは眉間にしわを寄せつつ頷いた。
「そういえば、あれって何割くらいの人が、力が欲しいと答えるものなんですか?」
「三割程度だ。状況にもよるが、耐え続ける人生を選ぶ者の方が多い」
「意外と少ないんですね」
もし力を貰ったとしても、一発逆転が出来るわけではない。
それに復讐は果たせるが、もちろんその代償は支払うことになる。
「でも逆に言うと、力を貰った三割の人は、相手を殺しちゃうわけですか」
「いいや。実際に相手を殺すのは、その中でもごくわずかだ」
誰だって苦しい状態から逃れたいとは思っても、だからと言って人殺しになりたいわけではないはずだ。
極限まで追い詰められた人のみが復讐を果たすのだろう。
「……シリウス様は、可哀想な人を助けるために、このようなことをなさっているのですか?」
もしそうだとしたら、助ける方法が「相手を殺すこと」なのは悲しい。
大魔法使いと呼ばれていたシリウス様なら、もっと他にも方法がありそうなのに。
しかしシリウス様の答えは、私の予想とは違った。
「人間を助けたいから力を与えるのではない。誰かを殺しそうな人間に、力を与えるのだ」
私は返事をすることが出来なかった。
いくら美しくても、人間そっくりでも、シリウス様は紛れもなく死神だ。
その事実を、私は久方ぶりに思い出した。
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