上 下
29 / 112
【第2章】

第29話 シリウスの過去①

しおりを挟む

 陽の当たらぬ冥界には、溢れんばかりの魂が浮かんでいる。
 蛍の光のように淡く輝く魂が無数に浮かんでいるおかげで、新月の夜を思わせるはずの冥界は今や薄明るい。
 しかしそれは望ましいことではなく。

「どうしてこんなに魂が!? 予定になかったじゃない!」

「戦争だってさ。まったく。のんびり生きればいいものを」

「また戦争なの!? 人間は飽きないわね。命を粗末に扱うなって教わらなかったのかしら!?」

 冥界に運ばれて来た魂をチェックしながら、同じ地区担当のマリアンヌと雑談を交わす。
 雑談の内容は、ほとんどが仕事の愚痴だ。

「戦争のせいで俺たちは休日返上だ。勘弁してほしいよな」

「よりにもよって、担当地区内の二国が戦争を起こすなんて。嫌になっちゃうわ」

 戦争をしている両方の国が俺たちの担当地区なせいで、どちらの国の兵士が死んでもここに魂がやってくる。
 どちらの国が勝とうとも、俺たちの仕事は増えるばかりだ。

「そもそも担当地区が広すぎるのが問題だよな。何ヶ国担当させるんだよ」

「どこの地区もこんな感じみたいよ。人手不足が深刻すぎるわ」

 手伝ってもらおうにも、冥界の誰もが他人を手伝える状況ではない。
 俺たちだって別の地区の手伝いを頼まれても、手伝う余裕などない。

「ああっ!? また魂が来たみたい。いい加減にしてほしいわ。もっと生きなさいよ!」

 マリアンヌは魂の光を浴びて輝く金髪をなびかせながら、魂をシッシッと追い払うジェスチャーをしている。
 そんなことをしても意味が無いとは分かりつつも、やらずにはいられないのだろう。
 今や彼女の大きな紫色の目の下には、くっきりとクマが出来ている。

「マリアンヌ、やつれたな」

「誰だって働き続けたらやつれもするわ。シリウスだって大概な顔をしてるわよ」

「俺、顔だけが取り柄なのに。困るなあ」

 ナルシストな冗談を言うと、マリアンヌが力いっぱい肩を叩いてきた。

「力強っ!?」

「ごめん。力加減ができなかったみたい」

「それも仕事が多すぎるせいか?」

「たぶんね」

 俺たちは冗談を言い合って気を紛らわせながら、ひたすらに魂のチェックを行なっていた。
 行なっても行なっても終わりの見えない、確認作業を。



「こら! 暴れるな!」

「また喧嘩なの?」

「今ここにいる多くの魂は、元が人間だからな。集まれば喧嘩をするのは道理だ」

「魂だけになってまで、何をしてるんだか」

 俺は激しくぶつかり合う二つの魂を、無理やり引き剥がした。
 そして両方の魂をつねりつつ、説教をする。

「ただでさえ忙しいから喧嘩なんか放置したいけど、この前喧嘩を放置したら、どんどん喧嘩に参加する魂が増えて、喧嘩が大きくなっていったものね」

「ああ。喧嘩が小さいうちに叱らないとだな」

 この前の喧嘩は、本当に酷かった。
 二つの魂がぶつかり合いの喧嘩を始め、喧嘩に巻き込まれた別の魂がさらにぶつかり合いを始め、その喧嘩に巻き込まれた魂がさらに……と収拾がつかなくなってしまったのだ。
 ただでさえ仕事が多く時間が足りないのに、この喧嘩を止めるのにずいぶんと時間を費やした。
 もう二度とあんな事態はごめんだ。

「戦争をしている二国の兵士同士が喧嘩しやすいから気を付けてね」

「……はあ。ここはいつから託児所になったんだろうな」

 俺が喧嘩を起こした魂を説教している間にも、マリアンヌは魂のチェックを進めていた。
 作業を止めると、冥界が魂で埋め尽くされてしまうからだ。

 それほどに、今の冥界は魂で溢れていた。




しおりを挟む

処理中です...