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【第1章】

第8話 勉強は前途多難

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 朝食の後、私はリアさんに連れられて城の中にある図書館へとやって来ていた。

「すごい……これまでの人生で見た本の数よりも多いです」

「ここの蔵書数は、そこら辺の図書館には負けないでしょうね」

 連れて来られた図書館には、数えきれないほどの本棚が置かれており、その本棚すべてに本が敷き詰められている。
 天井が高く、大の大人でも梯子を使わなければ届かない位置にまで本がぎっしりだ。

「どんな本でも置いてある図書館ですね」

「はい。しかし今のクレア様は一冊たりとも読むことが出来ません。文字が読めませんので」

 感動していたところに、無情にも現実を突きつけられた。

「リアさんは意外と意地悪だったんですね」

「意地悪ではありません。現実を見つめてもらおうと思っただけなのです」

 実際、その通りだ。これだけの本があっても、私には豚に真珠、猫に小判。本の価値を正しく理解することも、役立てることも出来ない。

「それならどうして私を図書館に連れてきたんですか?」

「クレア様をここにお連れしたのは、気分を出すためです。時として、形から入るのは有効な手段ですから」

「ここで勉強をするということですか?」

「その通りです、クレア様」

 リアさんは私が正解を出したことが嬉しいようで、にこにこしながら私の頭を撫でた。
 嬉しいような恥ずかしいような不思議な気分だ。
 もし姉であるイザベラと仲が良かったら、このようなことをしてもらえたのだろうか。

「こちらへお掛けください」

「へえ、作業スペースもあるんですね」

 リアさんに案内された椅子に座りながら本棚を眺めていると、すぐに目の前に本の山を積まれた。

「これは?」

「教材です。まずは文字の読み書きが出来なくてはお話になりませんので、文字から学びましょう。そして眠くなったら簡単な算数で頭の体操をして、手が疲れたらリアが読み聞かせる帝国の歴史を聞いてください」

「もしかして、私の勉強の先生って……」

「はい。リアがお教えいたします」



 習ってみたいと思っていた勉強だが、実際に学んでみると難しくて頭を抱えてしまう。

「クレア様、そんなに長く書いてはdになってしまうのです」

「それだけで違う文字になってしまうんですか? もっと文字の差別化は出来なかったんですか?」

「リアに言われましても。人間の生み出した人間の文字ですので、カラスのリアには何とも」

 文句を言っていても仕方がないので、気を取り直してもう一度、紙にペンを走らせる。
 勢い余って文字が伸びてしまった。

「今度はqになっていますよ、クレア様」

 ……文字は繊細すぎる!
 
 早速苦戦しながらも、地道に練習を重ねていった。
 リアさん曰く、文字は数をこなせば覚えられるとのことだった。
 その言葉を信じて何度も何度も紙にペンを走らせる。

「私、リアさんのことをただの使用人だと思ってました。リアさんは文字の読み書きが出来るエリートだったんですね」

「いいえ。この城の使用人は全員文字の読み書きが出来ます」

 聞きたくなかった。
 この城に人間は私しかいないのに、人間の私は文字の読み書きが出来ず、私以外は人語の読み書きが出来るなんて。
 エリート集団の中に放り込まれた落ちこぼれの気分だ。
 ……気分というか、落ちこぼれそのものだ。

「種族を越えて会話が出来るようにとシリウス様が使用人たちに人語を教え、それがあまりにも便利だったため、親から子へと教育が始まったのです」

「種族を越えて?」

「シリウス様にお仕えしているのは、狼、蜘蛛、カラスの使用人です。共通の言語が無かった頃は、連携を取るどころかお互いに顔を合わせないようにしていたらしいのです。不思議ですよね」

 私からすると、狼と蜘蛛とカラスが連携を取って仕事をこなしている方が不思議だ。
 そして人語を完璧に理解していることも不思議……と言ったら、けなしているように聞こえるだろうか。

「でも、どうして人語なんですか。シリウス様は死神ですよね?」

「シリウス様は死神……ですが、見た目が人間そっくりですから。地上で暮らすにあたって、人語が必要だったのです」

 確かにシリウス様は人間離れした美しさを持ってはいるものの、身体のつくりは人間そっくりだ。
 それならば犬や猫よりも人間に擬態して生活する方が楽なはず。
 人語はその過程で習得したのかもしれない。

「リアの両親は人語を与えてくれたシリウス様にとても感謝をしていて、子どもの名付け親になってくれと頼んだそうですよ」

「では、リアさんの名前はシリウス様が考えたんですね」

「はい。三姉妹の全員にシリウス様が名前をくれました。ちなみにリアは三姉妹の真ん中です」

 私はまだ城の使用人のうち、リアさんとしか挨拶が出来ていない。
 城でリアさんに似た人を見かけたら声をかけてみよう。

「お姉さんと妹さんのお名前は何て言うんですか?」

「姉はマリーで、妹はアンです」

「会ってみたいです。やっぱりリアさんに似てるんですか?」

「クレア様、お喋りはこの辺で。もう一度最初から書いてみましょう」

「そういえば、勉強中でしたね」

 しかし私の書いた文字は、またしても見本とは別物になってしまった。

「……私、こんな調子でちゃんと読み書きが出来るようになるんでしょうか」

 よく見ながら書いたのに見本とは別の文字が書き上がってしまう現象は、昔のリアさんにも起こったのだろうか。
 リアさんはとても優しい微笑みを浮かべている。

「練習あるのみですよ、クレア様」

 しかし、優しい言葉とは裏腹に授業内容は割とスパルタだった。
 このあと私は、リアさんに励まされながら、ディナーの時間になるまで勉強を続けることになった。



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