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# 遠い過去の話1

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◇◇◇

 彼──ディエルの故郷は、とある小国のさらに辺境の村だった。

「あそこの子、やっぱり魔物化したんだよ」
「この時期にあの川をこえるのは……」
「国も見放したような村ではな……」
「ディエルはどうする」
「誰が連れていけるっていうんだ」

 その年、ディエルは洗礼を受ける最後の機会である八歳を迎えた。
 遠くの国には赤い獅子の聖獣がいて、人間が魔物化しないように洗礼を受けさせてくれるという。
 けれどディエルの故郷は、首都に出るだけでも命がけの装備が必要な場所にあった。おいそれと出かけられないため、大人たちは数年に一度だけ、年頃の子どもたちをつれて危険な旅に出るのだ。この時代はまだ聖物を各地に配ることは一般的ではなかったらしい。
 ただその年は、続く長雨に増水した川を越えることができなかった。
 そのため魔素の耐性が弱い子どもから魔物化してしまい、ディエルも時間の問題と言われていた。
 村はずれの小屋に閉じ込めて、魔物になるのが先か飢え死ぬのが先か。子どもの姿のままでは良心が咎めるから、魔物化がはじまったところで殺すつもりだったのだろう。
 そんな中ディエルは、一人で洗礼を受けに行こうと決意したのだった。

「おれは! 死ぬのはいやだ!」

 勢いで逃げ出したものの、川がだめなら逆から行こうと向かった先は深い森。
 そこでディエルは、あっという間に魔物に取り囲まれてしまう。
 必死で逃げているところに現れたのが、大きな白銀の狼だったのだ。

「わあ! 待って待って! おいてかないで!」

 助けてもらったというよりも、魔物が逃げた。
 その時はこっちの狼に食べられるのかと覚悟したディエルだったが、白狼は少年を無視して通り過ぎていく。つまり助けられたと思ったディエルは、それからずっと白狼につきまとっていた。
 素早く駆けても追いかける。見失ってもめげずに大声で叫ぶ。当然魔物に囲まれて、そうなると姿を見せる白狼に、ディエルはすっかり懐いてしまった。
 白狼も見ていられないと諦めたのだろう。子どもの目線と同じ高さに体を小さくすると、ディエルは目を丸くして大いに喜んだ。
 それからふたりの旅がはじまった。ディエルは白狼を「シロ」と呼び、過酷なはずの森で日々を逞しく生き抜いた。

「うえ、ぺっ、まずっ、まずっ」
「赤い実は甘い! 緑の実はにがい! 黄色の実はおなかが痛くなった」
「ふわふわ、シロより白い。ふふっ、シロより白い、だって!」
「鳥! おれも空が飛びたい。飛べたら高い山も深い川もこえて、洗礼しにいけるのに」
「晴れた空はシロの目と同じ色!」
「あれも魔物? 違う? じゃあ動物。さわれるかな。どんな鳴き声だろ。あ、シロはどんな鳴き声?」
「シロ!」「シロ!」

 ディエルは目に入るもの何にでも興味を示して白狼に伝えた。返事が返らなくてもかまわなかった。白狼は魔物から守ってくれて、怪我をしたら治してくれて、夜には大きくなって包み込んでくれる。
 旅の大事な『おとも』だったから、ディエルは何度も「シロ」と呼びかけた。

「……うるさい。おまえは、片時も口を閉じることができないのか」

 白狼がうんざりしたように声を出したのは、出会ってから二十日ほど過ぎた頃だろうか。
 ディエルはぱかりと目と口を開けて動きを止めた。白狼は「ようやく静かになった」と安堵したようだったが。

「しゃ、しゃべった! しゃべった!!」

 のちにベノアルドは、「もっとうるさくなって辟易した」と語った。


 それからも二人は一緒にいた。
 白狼はディエルの目的を知りながら、自身が聖獣だとは教えなかった。その時の白狼には契約者がおらず、またディエルを契約者にするつもりもなかったからだ。
 けれどそれも長続きしない。
 ディエルの魔物化が進んでいたのだ。

「ねえ……、シロは魔物、食べる?」
「食べない」
「えー、なんでえ」
「魔素が濃くて……、まずいからだな」
「そっかあ。食べてもらえたら、ずっといっしょ、なのに……」
「……腹の中でもうるさいのか……」
「んふっ」

 気まぐれだった、という。
 ディエルは自力で立てなくなり、時折自我を失うこともあった。魔物化が進めば狂暴になるはずだが、少年はその時だけは静かになるから白狼も困惑してしまう。
 彼は無邪気に懐く子どもを見捨てることができなくなっていた。

「契約してやろう。ただし、仮にだ。おまえの名前は受け取らない」
「けいやく……」
「私の名はベノアルド。聖獣ベノアルド。私の名を呼ぶことを許す」
「……聖獣? ほんもの?」
「おまえが探していた聖獣ではないが」
「えー、じゃあしない」
「なんだと」
「だってにせもの……」
「偽物ではない。この……失礼な人間だな。いいから早く私の名を呼べ」
「うーん……。もう一回おしえて」
「……はあ」

 仮契約でも祝福は祝福。ディエルの手には星形の十角紋が現れた。
 ベノアルドでさえ驚いたそれは、おそらく魔物化寸前まで魔素を溜めたからではないかという。過去に例がないので想像だ。

「ねー、おれの名前は呼んでくれないの?」
「名前を受け取っていないから呼ばない」
「ディエルだよ!」
「そうではない。半分だけの契約だから、その名を受け取らないだけだ」
「えー、呼ばないの、困らない?」
「おまえしかいないのに、何を困るんだ」
「ん? んふふ、そうだねえ。じゃあエルは? 名前も半分ならいい?」
「……はあ」

 ディエルは自分しかいないと言われて嬉しかった。彼もベノアルドしかいなかったから。
 目的は果たしたけど、帰れと言われないからそばを離れなかった。
 そうして再びあてもなく進んだ二人は、とある集落にたどり着いた。

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