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メナール2
しおりを挟む「エニス様が神殿長の部屋から出てくるところを見たんです」
一日の務めを終えて訪ねてきたメナールは、深刻な表情でそう言った。
どんな話だろうと身構えていたのに、肩透かしを食った気分だ。
「……聖獣様の伴侶なんだから、神殿長と話すこともあるだろ」
「神殿長室ではなく、私室のほうですよ」
伴侶と口にするのも胸が苦しいが、念押しするメナールの言葉は確かに違和感を覚えるものだった。
神殿上層部はそれぞれ聖堂内に執務用の部屋があり、それとは別に私室を持っている。貴族の邸宅ではないので設備などは最低限。神殿長として会うならなおさら、環境の整った執務室で会うのが当然だろう。
日々忙しく仕事をして寝に帰るばかりの私室に招き入れるとは、ずいぶん親しげだ。
メナールがどういう意図で気にするかは知らないが、ヨアンからすれば二人が協力関係を結んでいることの確証とも取れる。
「それに、私が見たのは三か月以上も前です」
「え?」
三か月も前なら、エニスは神殿入りしていない。たとえ身内でも、聖堂内部には関係者以外の立ち入りは許可されていないはず。
「神殿長はとても公正で厳格な方でしょう。それがあのエニス様を招き入れるのだから、気になっていたんですよ」
「彼を知ってたのか。六角紋で有名だから?」
ヨアンはマリウスや兄に関連して、多角紋の人数だけは知っている。けれど積極的に得たい知識でもなかったので、個々の情報までは把握していなかった。
「いえ、私はイングル領出身ですから」
「ああ、そうだったのか」
「イングル領はナカラ草を用いた染色が盛んで、とても裕福な領地です。領主と一部の元締めだけが、ですけどね」
他人事のように語るメナールは、故郷の領主に敬意を持っていないようだ。
「エニス様は三番目のご子息で、あの愛らしさに加えて六角紋だったこともあり、それは溺愛されてお育ちになったようです。なんでも思い通りになって我儘放題。彼の目に止まった見目のいい男たちは、逆らうことも許されず様々なご奉仕を強要されるそうです」
「ご奉仕」
メナールの様子からそれが性的なものだと気づいて、ヨアンは怪訝な思いで首をかしげてしまう。
「……彼はまだ、十六だよな?」
「幼い頃から男たちを侍らせ奴隷扱いしていましたが、おそらく精通されてからそちらの方面も目覚めたようで」
育つ環境が違うと、こうも理解できない価値観に転がるのか。ヨアンはくらりとめまいがするようだった。
「でも、神殿長はたしか六十代で、見目も、こういってはなんだけど、それほど……」
「そちらではなく、聖獣様のことを知ってお近づきになりたいと思ったのではないですか?」
「それは」
あり得る。とヨアンは体を強張らせた。
ベノアルドと会った時のエニスの反応を思い出したのだ。「最高」とため息を漏らしてうっとりと見惚れていた。あれは、そういう意味だったのか。
マリウスが当主の名代で神事に参加したように、功績を認められた貴族であれば機会が与えられる。イングル伯爵家も招待されたかもしれないし、エニスへのご機嫌伺いで話をした大人がいたかもしれない。
そうして聖獣を抱え込もうと画策する神殿長と、ベノアルドと交わりたいだけの六角紋の少年が出会った……。
(これが二人の目的か)
共通の目的ではなく、まさに役割分担の目的だ。
「──私が聖獣様のお世話をしていた半年ほどで、そのお声を聞いたことは一度もありません。唯一、ヨアン様のことをお尋ねになられたときだけです」
青褪めてぎゅっと唇を噛みしめたヨアンに、メナールが穏やかな声で話を続けた。
「エニス様が本物の伴侶であれば、聖獣様はその気配を感じ取られて、同じく気にされたのではないでしょうか。でも、三か月前の当時もそんなご様子はありませんでした」
「……メナール」
彼はどこまで気づいているのか。まさかヨアンがベノアルドと情を交わしたとまでは思わないだろう。
けれどヨアンの思いは察しているかもしれない。その上で、聖獣もヨアンを気にかけているはずだと、励ましてくれているのだ。
「ヨアン様。何かお考えがあれば教えてください。私も協力いたします」
メナールの言葉に、ヨアンは戸惑うように首を振った。
「……何を。もう何度も巻き込んでるし、今もそうだろ? 見つかったらただではすまない」
「今さらですよ。仰る通り私は平民で、ヨアン様と親しくしてる。それだけでもうこの神殿では生き辛いんです。ちょうど逃げようと思ってたところでした」
「メナール……」
「きっかけをください。ヨアン様」
彼がヨアンの罪悪感に触れないように言ってくれているのがわかる。
王宮神殿騎士は聖獣と関わることもあり、職務放棄は裏切りとみなされ厳罰に処される。最悪の場合は死罪だろう。
故郷へ戻れるはずもなく、下手をすれば一家ごと国外へ逃げる必要がある。別の聖獣が支配する国で洗礼を受け直すことはできるが、そうなれば二度とアレイジム王国に戻ることはない。
どちらに転んでも、それはメナールとの別れを意味していた。
「どうして……」
「言ったでしょう。私はもう嫌気がさしてしまったんです」
きっぱりと言い捨てるメナールに、ヨアンはそれ以上問うことはできなかった。彼をここまで追い詰めてしまった一端は、確かにヨアンが持っているのだ。
「……考えというほどの作戦はなくて……うまくいくかもわからないんだ。……でも、結果がどうなろうと、……メナールは行動を起こしたあと、すぐに逃げてくれ」
「はい、そのつもりです」
悪びれず頷いてみせるのに、メナールは親しみを込めた眼差しで笑みを浮かべる。
こんな形での別れを経験したことがないヨアンは、引き留める方法さえも知らなかった。
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