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神殿長の指示2

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 高圧的な命令に、離れていたヨアンの身も竦む。
 これまでの彼は強い口調であっても、どこか甘やかさがあった。こんな拒絶ははじめてで、圧されるように一歩下がってしまう。
 エニスも同様だったようで、払われた手を押さえてそろそろと後ずさってきた。
 かけるべき言葉も声にならず、黙って退室するしかない。

 扉が閉まると同時に、ヨアンは詰めていた息を吐き出した。自分に向けた拒絶ではないと思っても恐ろしかったし、ベノアルドが心配だった。
 一瞬、彼がエニスを受け入れたようにも見えたのだ。
 それを振り払ったのは契約の核が近くにあったおかげだろうか。やはり聖獣の名を呼ぶエニスは危険だ。

「──まだ足りないのかな……」

 そう考えたとき、耳に届いた小さな呟きにひやりとする。
 何を。それがベノアルドに対するよくないことのように聞こえて、ぱっとエニスを振り返る。左手を撫でるエニスは不満そうな顔をしていたが、ヨアンと目が合うと「なんですか」と唇を尖らせた。
 無意識の呟きだったようで、背後の扉を振り返りながらわざとらしくため息をついてみせる。
「あーあ。ヨアン様がいたから僕に甘えられなかったんですよ。あとで様子を見にきてあげなきゃ」
 それはさすがに都合のいい解釈すぎないか。
 エニスは自分が嫌われることなど考えもしないらしい。六角紋で、優しい兄がいて、この容貌。溺愛されて育ったことがよくわかる。
「それは」
「いいでしょ。だってヨアン様も足しげく通ってらっしゃったんですもんね?」
 その通りなので、だめだとも言えなかった。
 悪あがきのように、意味のない注意をするしかない。
「……ノックを鳴らすのを、お忘れなく」
「ふふっ。そのうち咎められなくなりますよ。僕はね」


◇◇◇


 エニスと別れたあとは、ざわつく気持ちを押さえきれないまま、朝の騎士訓練と清掃活動を終えた。
 ヨアンは巡回警備や護衛の仕事を与えられていないため、比較的自由になる時間が多い。それが考えすぎる原因にもなるのだが、今日は特に集中できなかった。

(エニスはあのあとベノアルド様のところに行ったのかな……)
 行くなと言えないのがつらかった。彼に愛されているのは自分なのに。昨日はあんなにも近づいて、深く交わったというのに……。
「……っ」
 思い出してヨアンはぶんぶんと頭を振った。
 神殿長とエニスのせいで余韻は吹き飛んでいたが、完全に消え去るには強烈すぎる記憶だ。
 痛む体はベノアルドが癒してくれたが、意識してしまえばはじめて知ったあらゆる感覚が蘇りそうになる。熱い吐息や、中をかき混ぜる硬い感触まで。

(っ、だめだ、図書館に行って落ち着こう……)

 ヨアンはふらふらと騎士館を出て図書館を目指すことにした。本を探すときだけは夢中になれる。
 鳥を扱う本は禁じられたから選択肢が増えてしまった。昨日の本はどうだっただろう。確かめに行きたいのに今は躊躇ってしまう。エニスがいたらどうしよう──と。
「はあ……」
 どうにも悪い想像が消えない。ため息をついて顔を上げたちょうどそのとき、反対側から歩いてくるエニスを見つけた。小さく息を呑み、止まりかけた足をぎくしゃくと動かす。
 彼は騎士館に戻るところらしく、ヨアンを認めると迷惑そうに顔をしかめた。こちらも話すことはないので黙って通り過ぎようとするが、無視をされるのは気に食わないらしい。

「聖獣様は僕とお話しして落ち着いたみたいです。少しお休みされると言ってましたから、心配しないでくださいね」
「……っ」

 振り返ると、エニスはそれが見たかったといわんばかりに勝ち誇った顔でつんと顎を上げた。ふいっと背を向けて去っていく姿を見送りながら、ヨアンは胸のざわめきを思い出す。
 ベノアルドのことは信じている。けれどエニスと二人きりで、いったい何を話したのだろう。
 考え出すと止まらずに、気がつけばベノアルドの部屋の前まで来てしまった。休んでいるなら起こしてしまうだろうか。迷ったけれど我慢がきかない。

(こんなの、醜い嫉妬だ……)
 自覚していながら、結局耐えきれずにノックを鳴らしてしまう。
 恐る恐る部屋に入ると、ベノアルドはいつも通りソファに腰かけていた。本は読んでいなかったが、窓の外を眺めていたようだ。

「──どうした」

 低く静かに問いかけられて、ヨアンはぴしりと直立してしまった。
 先ほどの拒絶を思い出して、咎められるだろうかと身構える。

「あ、その、お加減は。……あ、エニスがさっき……」
「ああ……、来ていたようだが、入れていない」
「入れていない?」
「扉を開けることができずに立ち去って行った」

 ヨアンは思わず背後の扉を振り返る。三度のノックのあとの入室拒否はあり得るらしい。
 聞けば、聖力で扉が動かないように固定したのだという。

「紋なしの俺でも入れてもらえたので……てっきり」
「それは、誰であろうと区別の必要がなかったからだな」

 ヨアンという男は祝福を拒絶しながらも、自身は聖獣に対して従順。歪な存在だが脅威ではない。快不快でいうなら不快といえるが、総じて関心がない。
 契約が奪われたことを認識するまで、ベノアルドは何事にもそのような捉え方だったという。
 だが今はヨアン以外を警戒して、他は近寄らせないようにしている。連絡はすべてヨアンを通すように、と言ったことが徹底されていた。
 エニスは「様子を見に行く」と言った手前、会えなかったとも行かなかったとも言いたくなかったのだろう。つまりあれは、ただの虚勢だったのだ。
 二人きりになったわけではないと知って、ヨアンはほっと肩の力を抜いた。

「今朝は、なにか……エニスから感じましたか……?」
「不快感を」
「っ、それは」
 聞きたかったのは契約の繋がりを感じたかということだったが、ベノアルドはにべもない。
 端的すぎて契約かエニスか、どちらが不快だったのか判断しづらい。けれど拒否感であったことにはほっとする。

「……彼のことはいい。ヨアン、こちらに来て、名を呼んでくれ」

 吐息するベノアルドの表情に疲労の色を見つけて、ヨアンは慌てて駆け寄った。
 ためらいがちに手を伸ばせば、男の手に掴まれて自らの頬へ導かれる。それに勇気を得たヨアンは、ソファに片膝をついて体ごとすり寄った。
 目線を合わせて、ベノアルドの顔を覗き込む。

「ベノアルド様」
「……ああ」

 はっきりと呼びかけると、ベノアルドは安堵したように目を閉じて、ヨアンを強く抱きしめた。
 その背を抱き返しながら、ヨアンはじっと宙を睨む。

(……礼拝の日は三日後。もう時間がない)

 月に一度の礼拝の日は国内外から多くの人が集まる。ここで公表するつもりなのか、あるいは行事が落ち着いてから最後の仕上げにかかるのか。
 エニスの存在はベノアルドに不快感を与えた。不快であるうちはまだいい。そこに違和感がなくなってしまえば、ベノアルドは奪われてしまう。
 神殿長とエニス。彼らが求めるものを手にする前に、ヨアンが何とかしなければ。

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