上 下
19 / 40

奪われたもの 2

しおりを挟む

「あの……、外には出られないんですか?」
「なに?」

 何度も口づけを繰り返し、大きな胸に抱え込まれるように寄り添っていた。
 ベノアルドから同じ思いを返されたとは思わないが、契約者であるヨアンを信頼して慈しむ心は確かに感じられる。それは思いがけない幸運だった。
 もっと浸っていたいけれど、ヨアンだけが満たされてもよろしくない。

「鳥を見るのがお好きなら、本ではなく庭へ出ませんか? ガゼボもありましたよ。神官たちが利用するところも見ないので、ベノアルド様のための庭だと思うのですが」

 ヨアンが知る限り、ベノアルドが部屋の外へ出たことは一度もない。まだここに来て日は浅いが、日々の様子を見ていても窓の外に興味を向けることさえなかった。
 鳥といえば空にいくらでも飛んでいる。本やオブジェばかりであることに、不自然さを感じてはいたのだ。

「庭……」
 はじめて聞いた言葉のようにベノアルドは目を瞬く。だが不意に顔をしかめて呻き声をあげるから、ヨアンは慌ててその肩を支えた。
「す、すみません、また余計なことを」
「余計ではない……」
 ベノアルドはそう言うと、ヨアンを胸に抱いて痛みを堪えているようだった。
 彼がこうして不完全な契約と、かみ合わない記憶に苦しむ頻度は、日に日に増えている。
 きっかけがヨアンだったなら、そばにいないほうがいいのでは。そう伝えたこともあるのだが、離れることは許されなかった。
 それよりも名を呼んでくれと望まれるから、ヨアンは男の背を撫でながら小さく何度も呼びかける。

「……そうだな。なぜ私は外へ出ないのだろう……」

 しばらくして苦痛が治まってきたのか、ベノアルドはヨアンの肩を抱いたままそっと体を離した。
 窓の外を眺め、はじめてその景色を知ったかのように目を細める。
 そうしてヨアンへ視線を戻すと、うっとりとするような眼差しで微笑みかけた。

「では、今日は外で休憩することにしようか」


 唐突な提案で、紅茶を入れ直すと言ったヨアンをベノアルドは止めた。
 庭に出ることが目的で、紅茶はあとでもいいのだと。冷めても気にしないと言うベノアルドに、それ以上は逆らえなかった。

 部屋を出た聖獣は、案の定注目を集めている。
 年に一度の神事に顔を出すだけだったらしく、ほとんどの神殿騎士は間近に聖獣を見たことがないのだ。
 回廊を歩み庭を眺め、男は何かを思うように眉を寄せる。
 庭に下りる手前で、慌てた様子の神官二人が駆け寄ってきた。

「な、なりません、許可が……!」
「許可? 誰の許可だ?」

 制止の声にベノアルドが問う。この声色は本気で不愉快と感じているようだ。
「っ、それは……神殿長が……」
 答えながらも顔を見合わせて困惑する神官たちに、ヨアンはそうなるだろうなと心の中で同意する。
 聖獣に命令できる者などいるはずがない。たとえ契約者であろうと、主導権を握るのは聖獣だ。神殿の管理を任されるだけの長が、何を制限できるというのか。
 神官たちも聖獣と神殿長、どちらの命令を優先するかと聞かれれば、聖獣と答えるはずだ。

「聖獣様が外へ出るのは……祝福に影響が……」
「そんなものはない」
「内庭に出るだけです。神聖堂の外に出るわけではありませんから」
「そ、それなら……」

 ヨアンのフォローに、神官たちは戸惑いながらも渋々頷くしかないようだった。
 祝福に影響はなく、神聖堂から出るわけでもない。それさえ禁じてしまえば監禁も同様だ。
 聖獣を縛る規則はなく、彼らはそれ以上ベノアルドを止める手段を持たなかった。

「ふん……」
 回廊で立ち尽くす神官たちを横目に、ベノアルドはゆったりと広い庭を歩く。
 緑の芝を踏み、色とりどりの花を観賞する。木々の葉は風にそよぎ、傾いた日が心地よい熱を伝えてくれる。
 ガゼボで椅子に腰かけたベノアルドは、開けた空を見ようと少し身を乗り出した。

「空は広いな。風が心地よい」
「聖獣様の特性は風でしたね」
「そう。……内に籠るなど、愚かなことだ」

 ベノアルドは同意するように頷き、外だからと名を呼ぶのを控えたヨアンをちらりと見た。
 彼が宙を撫でるように軽く手を振ると、風が動いてガゼボの周りに見えない壁が作られたようだ。

「声を遮断しただけだ。──ヨアン。おまえのおかげで、私は契約を奪われたことを知った。風を奪われていたこともな。……誰であろうと、許すつもりはない」
「私がその者を探します」
「おまえは何もしなくていい。今、契約の糸を手繰っているところだ。近くにあることはわかっている」

 一瞬剣呑に光ったベノアルドの瞳は、すぐに伏せられて見えなくなった。ヨアンの前では怒りの感情を見せないようにしているのだ。
 何もするなというが、本当に自分にできることはないのだろうか。
 もどかしく思うヨアンに気づいたのか、ベノアルドは言い含めるように言葉を続けた。

「あまり動くと気づかれる。核はこちらにあるが、土台を奪われて不安定といえばわかるか。あちらに傾けば、再び意識が塗りつぶされる恐れがある」
「そんな」

 契約は聖獣の意思であり、記憶とも直結する。その大半が奪われながらも、核を取り戻したベノアルドは契約が綻びかけていることを知った。

「誰かが書き換えようとしている。もちろん簡単にできることではないが……。それを許してしまうほど、私が聖力を落とすような出来事があったのかもしれない」
「聖力を……」

 ベノアルドはふっと自嘲するように笑い、空を掴むように右手を持ち上げた。
 そこにあの指輪を見つけ、ヨアンは窺うように男を見つめ返す。

「おまえに預けておこう」
「え、ですが」
「持っていなさい。今のようにそばにいるならば、どちらにあっても変わらない。おまえが契約者と知る者はいないから、最も安全な隠し場所ともいえる」

 ベノアルドが差し出した指輪は、小さな青い光になってヨアンの左鎖骨のあたりに溶けていった。
 これなら奪おうにも奪えない。確かに安全な隠し場所だ。

「……またここですか?」
「すっかり定着しているな。心配しなくとも、今度はあのようには取り出さない」

 そうは言うが、古傷に触るような、でもやっぱり嬉しいような。
 複雑な気持ちで鎖骨を撫でるヨアンを見つめて、ベノアルドは穏やかな微笑みを浮かべた。

「万が一のことがあっても、核さえ無事なら完全に奪われることはない。もしまた私がおまえを忘れたら、名前を呼んでくれ。ヨアン」

 その言葉にヨアンは大きく頷いた。
 これはヨアンだから任されたこと。ベノアルドからは指輪だけでなく、信頼も預かったのだ。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結済】(無自覚)妖精に転生した僕は、騎士の溺愛に気づかない。

キノア9g
BL
完結済。騎士エリオット視点を含め全10話(エリオット視点2話と主人公視点8話構成) エロなし。騎士×妖精 ※主人公が傷つけられるシーンがありますので、苦手な方はご注意ください。 気がつくと、僕は見知らぬ不思議な森にいた。 木や草花どれもやけに大きく見えるし、自分の体も妙に華奢だった。 色々疑問に思いながらも、1人は寂しくて人間に会うために森をさまよい歩く。 ようやく出会えた初めての人間に思わず話しかけたものの、言葉は通じず、なぜか捕らえられてしまい、無残な目に遭うことに。 捨てられ、意識が薄れる中、僕を助けてくれたのは、優しい騎士だった。 彼の献身的な看病に心が癒される僕だけれど、彼がどんな思いで僕を守っているのかは、まだ気づかないまま。 少しずつ深まっていくこの絆が、僕にどんな運命をもたらすのか──? いいねありがとうございます!励みになります。

僕の策略は婚約者に通じるか

BL
侯爵令息✕伯爵令息。大好きな婚約者が「我慢、無駄、仮面」と話しているところを聞いてしまった。ああそれなら僕はいなくならねば。婚約は解消してもらって彼を自由にしてあげないと。すべてを忘れて逃げようと画策する話。 フリードリヒ・リーネント✕ユストゥス・バルテン ※他サイト投稿済です ※攻視点があります

ハッピーエンドのために妹に代わって惚れ薬を飲んだ悪役兄の101回目

カギカッコ「」
BL
ヤられて不幸になる妹のハッピーエンドのため、リバース転生し続けている兄は我が身を犠牲にする。妹が飲むはずだった惚れ薬を代わりに飲んで。

そばかす糸目はのんびりしたい

楢山幕府
BL
由緒ある名家の末っ子として生まれたユージン。 母親が後妻で、眉目秀麗な直系の遺伝を受け継がなかったことから、一族からは空気として扱われていた。 ただ一人、溺愛してくる老いた父親を除いて。 ユージンは、のんびりするのが好きだった。 いつでも、のんびりしたいと思っている。 でも何故か忙しい。 ひとたび出張へ出れば、冒険者に囲まれる始末。 いつになったら、のんびりできるのか。もう開き直って、のんびりしていいのか。 果たして、そばかす糸目はのんびりできるのか。 懐かれ体質が好きな方向けです。今のところ主人公は、のんびり重視の恋愛未満です。 全17話、約6万文字。

俺の婚約者は、頭の中がお花畑

ぽんちゃん
BL
 完璧を目指すエレンには、のほほんとした子犬のような婚約者のオリバーがいた。十三年間オリバーの尻拭いをしてきたエレンだったが、オリバーは平民の子に恋をする。婚約破棄をして欲しいとお願いされて、快諾したエレンだったが……  「頼む、一緒に父上を説得してくれないか?」    頭の中がお花畑の婚約者と、浮気相手である平民の少年との結婚を認めてもらう為に、なぜかエレンがオリバーの父親を説得することになる。  

【完結】マジで滅びるんで、俺の為に怒らないで下さい

白井のわ
BL
人外✕人間(人外攻め)体格差有り、人外溺愛もの、基本受け視点です。 村長一家に奴隷扱いされていた受けが、村の為に生贄に捧げられたのをきっかけに、双子の龍の神様に見初められ結婚するお話です。 攻めの二人はひたすら受けを可愛がり、受けは二人の為に立派なお嫁さんになろうと奮闘します。全編全年齢、少し受けが可哀想な描写がありますが基本的にはほのぼのイチャイチャしています。

子育てゲーだと思ってプレイしていたBLゲー世界に転生してしまったおっさんの話

野良猫のらん
BL
『魔導学園教師の子育てダイアリィ』、略して"まどアリィ"。 本来BLゲームであるそれを子育てゲームだと勘違いしたまま死んでしまったおっさん蘭堂健治は、まどアリィの世界に転生させられる。 異様に局所的なやり込みによりパラメーターMAXの完璧人間な息子や、すでに全員が好感度最大の攻略対象(もちろん全員男)を無意識にタラシこみおっさんのハーレム(?)人生がスタートする……!

転生令息は冒険者を目指す!?

葛城 惶
BL
ある時、日本に大規模災害が発生した。  救助活動中に取り残された少女を助けた自衛官、天海隆司は直後に土砂の崩落に巻き込まれ、意識を失う。  再び目を開けた時、彼は全く知らない世界に転生していた。  異世界で美貌の貴族令息に転生した脳筋の元自衛官は憧れの冒険者になれるのか?!  とってもお馬鹿なコメディです(;^_^A

処理中です...