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名前を呼ぶ1
しおりを挟む目覚めたヨアンは、見慣れない天井の模様をぼんやりと眺めた。
ここはどこだっただろう、よく眠った気がするのに体が怠い。重い頭を動かして景色を変えれば、知った男の姿を見つけて一気に覚醒した。
「……っ」
「無理に起きようとするな」
聖獣だ。彼の部屋で、彼のベッドで、なぜかヨアンが眠っていた。
布団を跳ね上げて起きようとしたのに、中途半端に体勢を崩してしまって男に支えられる。
それすら恐れ多くて、ヨアンはベッドについた手を必死に突っ張って頭を下げた。
「ごっ、無礼、を……っ」
「無礼ではない。覚えていないか?」
こうなった状況を聞かれて、ヨアンははっとする。なぜ自分は生きているんだ。気づくと同時、目の前の男にされた暴虐の記憶が蘇る。
ひくりと頬を引き攣らせて聖獣を見上げると、男はぱっとヨアンから手を離した。
「もう何もしない」
そう言った男の瞳は、理性的な落ち着きを取り戻している。
ヨアンを気遣う様子を見せ、触れるぞと声をかけて楽な姿勢をとらせてくれた。
「傷は癒したが、だいぶ出血してしまった。まだしばらくは動かないほうがいい。神官にもおまえを休ませるようにと伝えてある」
「……神官に? あの、あれからどれほどの時間が……」
「丸二日だな」
「……!?」
「なぜ起きようとする」
ぎょっとして身を起こすが、またくらりと目を回してしまった。
全身が重くて思うように動かせないのがもどかしい。
「ベッドを!」
「私はソファでも構わない」
「私が構います……!」
やっぱりベッドを占領していたようだ。泣きそうな思いで、自分こそソファでいいのでと訴えても聞き入れてもらえない。
どうせ彼に運ばせるわけにもいかないのだから、這ってでも移動しよう。
慎重に体勢を変えようとしたところで、目の前に聖獣の手が差し出された。
移動を聞き入れてもらえたのかと思ったが、その指先に見えたのはあの青い指輪。
「……っ」
手を伸ばすが、寸前で握りこんで隠されてしまう。
ヨアンは力なく聖獣を見上げた。思わず伸ばした手だったが、あれはヨアンのものではない。手に取ろうとすれば、今度こそ奪うことになる。
「おまえは何者だ? なぜ、契約の欠片を持っている」
「……契約……?」
その言葉にヨアンは首をかしげた。
再び開かれた手のひらにある指輪と、男の顔を戸惑いながら見比べる。話の流れから、この指輪のことを言っているのだとはわかるのだが。
その指輪がどういうものなのか、ヨアンは知らない。もらったときに聞いたのかもしれないが、少年の記憶に残っているのは「宝」と言われた言葉だけだ。
「あの、それは……、いただいたものです」
「……」
「あ! 別の誰かではなく、聖獣様から」
「……なんだと?」
疑わしげに眉を寄せた男に慌てて付け加える。
やはり聖獣は覚えていないようだった。あなたから貰ったものだとはっきり言っても納得した様子はなく、本当は別人なんだろうかと不安になってしまう。
「聖獣様だと……思います」
けれど彼がその指輪を自身に関わるものだと認識しているのなら、別人ではないはずだ。
ヨアンはすべてを話すことにした。
神の子である聖獣を騙すことはできないし、隠す意味もない。思い出してほしいという願望もあった。
「自分でも、夢と区別がつかない部分はありますが……」
語るのは、こことは違う世界で生きた少年の話だ。
幼いころに男と出会い、この指輪をもらったこと。少年にとってのお守りで、最後の瞬間まで大切に握りしめていたこと。
宝と言われたことまでは言えなかった。「私はあなたの宝です」などと、さすがにそこまで押しつけがましくはなれない。
「……その世界の私は家族の縁に恵まれず、不憫に思われたのだと思います。優しく慰めていただいて、それがとても嬉しかったんです」
家族に恵まれないのは今もだが、前世とは違いヨアン自身に原因があっての結果だ。
比べるものではないが、どちらがより不憫かといえば、前世の少年のほうだろう。
黙って話を聞き終えた聖獣は、そのまま深く思案しているようだった。
伏せた睫毛が意外にも長いなと、ヨアンは場違いに感動する。これまでは少し離れて斜め上からの視点だったが、今はベッド脇に座る男の目線とほぼ変わらない。
無心に見つめていると、聖獣がその形のいい唇を開いた。
「ヨアン」
「……。えっ」
遅れて心臓が跳ねる。
(今、名前を)
聖獣は顔を上げると、目を剥いて凝視するヨアンへさらに続けた。
「私の名を呼んでみろ」
「え!?」
想像を超える発言が立て続けに降ってきて、動揺が抑えられない。
簡単に言ったが、とんでもない命令だ。
「お許し、いただけるのですか?」
「私が許す必要はない」
あっさり否定されて、ぐっと唇を噛み締める。その名の持つ力を、他でもない聖獣が知らないはずはないのに。
まさかヨアンに死ねと言っているのだろうか。
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