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指輪2
しおりを挟む「聖獣、様」
震えるヨアンの声にかまわず、男の手が左肩を掴んだ。その指からは鋭い爪が伸び、服を突き破って肌を裂く。
痛みに歯を食いしばり、ヨアンは必死に男を見上げた。
何か疑われているようだが、神官に監視されていたヨアンが余計な物を持ち込めるはずがない。
誤解だ、と声になる前に、食い込んだ爪そのままに、勢いよく腕が振り下ろされた。
「うあ……!」
服ごと肌を切り裂く強烈な痛みに、ついに悲鳴が漏れてしまった。
咄嗟に男の腕を掴んだが、びくりとも動かない。
見上げた晴天の瞳がぎらりと光っている。怒りでも嫌悪でもなく、そこに理性はないようだった。
「聖獣様!」
これがただの破壊衝動だというなら、なおさら受け入れられない。
大声で制止を呼びかける。男の正気を呼び戻すためと、神官を呼ぶためでもあった。けれど誰も来てくれない。そこまで頑丈な壁だっただろうか。
焦りと痛みで冷静な判断ができない。
爪は再び鎖骨を撫で、今度は躊躇いもなく骨ごと深く鷲掴んできた。
「ああ……!」
耐えがたい痛みに立っていられず、ずるりとその場に崩れ落ちてしまう。
飛びそうな意識を必死につなぎ止めて聖獣を見上げた。
このままでは殺される。ヨアンの思いが不快ならそう言えばいいのに。消えろというなら二度と目の前に現れない。
何も語らず言いがかりのように暴力を振るうなんて、聖獣といえども理不尽が過ぎる。
文句の一つも言ってやりたいが、今は逃げることが先だ。
聖獣の手が離れ、ヨアンは傷を押さえながらじりじりと距離をとった。
彼は真っ赤に染まった右手を一心に見つめていた。
何かを持っている。指先で仄かに光る何かが、血を弾いてあらわになる。
(──指輪!)
気づいた途端、愕然としてヨアンは痛みを忘れた。
あれは確かにあの日、少年だった『彼』がもらったものだ。
抉れた鎖骨に触れて茫然とする。今、それを取り出したのか。ずっと体の中にあったとでも?
(あの日、胸に抱いて……)
小さな指輪を抱きしめて眠った。それが彼の最後の記憶だ。
まさかそのせいで内側に取り込まれたのだろうか。だとしても前世の肉体は失われ、世界までも超えているのに。
呼吸を忘れて凝視する先、男の手の中で指輪がぼうと光の塊へと形を変えた。
「あ……!」
その小さな光は、吸い込まれるように聖獣の体に溶けていく。
未練がましく消えた指輪を求めて、ヨアンは震える指を伸ばした。
ここにあった。あの人が「宝」と言った証明が、ずっとここにあったのに。
そうと知ったときには奪われた。
(……違う。この人は、取り戻しただけ……)
ヨアンが持っていてはいけないものだから。
落ちそうな手を力強く掴まれる。こちらを見据える瞳はなおも苛烈な光を宿していたが、ヨアンはもう何も感じなかった。
「── まだ、これだけではない」
聖獣の言葉に、ヨアンは目を細める。
男の開いた口元には、鋭い牙が見えた。肩に食い込み、骨が軋む音を聞く。押し出される苦痛の悲鳴も、まるで他人事だった。
視界を滲ませる涙は痛みのせいか、喪失感のためか。
(俺が持つものなんて、もうないのに)
もらったものは、あの指輪だけだ。
それでも、この人がまだあるはずと言うのなら。
(返したい。どこかに残骸でも残っているなら、全部)
喰らって、啜って。そうすればヨアンは、この男の一部になるのだろうか。
いいなそれ。そう思って、ヨアンはそっと目を閉じた。
自分を守るつもりはあったけど、聖獣の大切なものを奪ったまま生き続けることはできない。
溢れそうな恋心を嘆く必要はなかった。そんなものはきっと、この男は気にしない。感謝を捧げ、ただ想っていられればよかった。それだけで幸福なことだったのに。
(最後に……、そうだ、死ぬ間際がいい)
頑丈な体が功を奏した。どくどくと命が流れ出る音を聞きながら、まだ意識を保っている。
聖獣が与える痛みを余すところなく受け止めて、そして最後の瞬間に名前を呼ぼう。
この人が殺すのではなく、ヨアンがその名とともに終わらせるのだ。
(考えてみたら、この腕の中で死ねるなんて幸せなことじゃないか?)
頬を撫でる白銀の髪にうっとりと頬ずりする。触ってみたいけれど、腕が上がらないのが残念だった。
ふうっと血の気が失せる。深く深く落ちていく。
最後の力を振り絞って、ヨアンはひゅうと息を吸い込んだ。
「ベ…ノ、ァ……」
「──っ」
びくん、と男の体が揺れた気がした。
すべての感覚が遠ざかる。
ヨアンは失敗したな、と思った。最後まで呼べなかった。
愛しい男の血肉となり糧となることを夢想して、少し堪能しすぎたらしい。今回もまた後悔で終わるようだ。
そしてもう、次はない。
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