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ケビン1
しおりを挟むさらに二日が過ぎたが、事態は何一つ変わっていない。
メナールは朝夕二度の食事のたびに話をしていくが、下働きに過ぎない彼が上層部の動きを探るには限度がある。むしろ動きがなさすぎて、何も聞こえてこないそうだ。
「見つかればメナールも罰を受ける。どうして俺にいろいろ教えてくれるんだ?」
「貴族の方々があまりに幼稚な嫌がらせをするからですよ。がっかりしたんです。この人たちの庇護のもと生きていたのかと……。見て見ぬふりどころか、協力した私が言うことではありませんが」
メナールに真意を聞いたのは、もう彼を疑う気持ちが失せていたからだ。
疑われて当然だとメナールも頷き、「聖獣様に誓って」と前置きして、本音を聞かせてくれた。
「こう言っては侮辱と思われるかもしれませんが、気の毒に思ったんです。紋なしの異常性はわかりますが、そこまで追い込むことかと。一番傷ついているのはヨアン様でしょう。持たない者を責めてもどうしようもない。私たち平民もそうです。身分の低さを嗤われても、過去は変えられないんですから」
「……それは侮辱というより同情かな」
「平民が同情することが侮辱でしょう」
そうかもしれない。以前であれば下位貴族に嫌味を言われるよりも、平民に憐れまれるほうがつらかった。
今となっては、なぜそうまで気にするのかと不思議なほどだ。ヨアンはその同情に助けられている。
「どんな考えでも、俺に味方してくれるなら善意と感じるよ」
ヨアンがそう言えば、メナールはほっと肩の力を抜いて自嘲するように微笑んだ。
「私にできるのはこの程度です。それもここ数日は、まったく動きがなくて……」
「いいんだ。……聖獣様の最近のご様子を聞きたいな」
「私では話にならないと思われたようで、二度目のお声がけはありません。こちらから話しかける勇気も持てず……。あの、ですが、毎日読書をされて、穏やかに過ごされています」
「へえ……どんな本を?」
「私が見たのは、鳥が描かれた表紙の……」
それはヨアンが持ち込んだあの本に違いない。
(俺の選んだ本を、まだ読んでくれているんだ)
聖獣はあの日の不調の原因をヨアンとは思わないだろうか。
誰に疑われてもいい。彼にだけは信じてほしかった。
◇◇◇
夕方になり、食事を持って現れたのはメナールではなかった。
「お元気そうじゃないですか。聖獣様を案じて夜も眠れないかと思いきや……毒を盛った本人だからですか? やはり貴方に資格などなかったんですねえ」
部屋に入るなりそう言ったケビンは、スープ皿が一枚乗るだけのワゴンを扉の横に押しやった。
悪意しか感じない男の登場に、ヨアンはとっさに身構える。
慎重に立ち上がりながら様子を窺うが、来たのはケビン一人だけのようだ。
聖獣の世話だけしていろと武器は持たされていないため、こちらをまったく警戒していないのだろう。
「私は何もしていません」
聖獣を心配しないわけはないが、もし本当にヨアンが原因だとしても自傷なんかで償えるはずがない。
そんなことをわざわざ丁寧に説明する意味もないと、怯まず応じるヨアンにケビンは舌打ちした。
「紋なしが、早々に追い出されるか音を上げるかと思っていたのに……」
これまでの慇懃無礼さを崩した態度が不穏で、ヨアンは警戒するように眉を寄せる。
「それでもヨアン様は、戻る家も頼る人もないのでしょう? カヴァラス卿が手を差し伸べるかもしれませんが、公爵家の品格を落とすようなこと、公爵閣下は決して見過ごされないでしょうねえ」
優秀な幼馴染がそれを考慮せず、期待を持たせるようなことは言わないと思う。けれど実際に頼るつもりもないので、ヨアンは黙ってケビンの指摘を聞き流した。
「私だけが、真にヨアン様を救うことができると思いませんか?」
「──は?」
どの口が? という発言にヨアンはぽかんとする。
「私だけだったでしょう? 学園でヨアン様を庇ってあげていたのは」
「何を言って、……そちらが仕組んだことでしょう」
「仕組むだなんて。身の程を教えて差し上げただけです。身分だけで貴方に味方する者は一人もいないとね」
そんなことは教えられなくても理解している。侯爵家の家族や親類にすら味方はいないのだ。
「聖獣が疎んじるのもかまわずに、図々しくもご機嫌取りとはね。行き場をなくしてやけになりましたか? そうまでせずとも、私に縋ればいいんですよ」
「……っ」
大股に近寄ってくる男にぎくりとして、ヨアンは思わず後ずさってしまう。
足が椅子に当たってよろけたところで襟を掴まれ、薄笑いを浮かべたケビンの顔が迫ってきた。
「高みに手を伸ばした結果がこれです。死にたくはないでしょう?」
「それが聖獣様のご意思なら……従いますよ」
叶うなら誤解があれば解きたいが、ヨアンが聖獣の祝福を受け取れずに不快感を与えたのは事実。それが許されないのなら、潔く諦めるしかない。
ヨアンの答えはケビンの気に入らなかったようだ。
男はすっと表情を消し、掴んだ襟を乱暴に引いた。完全に態勢を崩したヨアンは、踏ん張ることもできずにベッドにたたきつけられてしまう。
「う……っ」
「つまらない虚勢はやめましょうよ。もうわかったでしょう? 聖獣が貴方に応えることはないんですよ」
「こたえて、もらえるとは」
わかっていても、言葉で突き付けられると心が痛む。これはヨアンを傷つけるための悪意だが、正しく現実でもあった。
聖獣はヨアンに関心などない。毎日通い詰める人間をしばらく見ないなと気にしても、不便を感じることなくいずれは忘れるのだろう。
ヨアンに芽生えた思いも、ヨアン自身がこの先ずっと否定し続けなければいけないものだ。
「はは。それです。現実を受け止めきれず、耐えるしかないその目。──とても、そそる」
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