【完結】祝福をもたらす聖獣と彼の愛する宝もの

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聖獣観察1

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 あれから一か月ほど過ぎたが、ヨアンは今も生きている。

(名前を呼ばなければいいだけだからな)

 マリウスから聞いた通り、追い詰められた者たちによる自滅は何度かあったらしい。
 聖獣の気配に耐えられない者も多く、言われてみれば周辺は警備の騎士が少ない。これは実際に聖獣の機嫌を損ねた者が威圧を受け、近くにいた者までその巻き添えを食ったからのようだ。
 初日にヨアンを置いて出て行ったケビンたちも、かなり離れた場所で待機していた。紋なしが聖獣の怒りを買う可能性を考えたのだろう。
 彼らは気に食わない相手を精神的に追い詰めては、自滅するか失敗して不興を買うか、どちらかに転ぶかをまるで娯楽のように眺めているのだ。

「侯爵家子息であるヨアン様の湯沸かし姿とは、貴重な光景ですねえ。聖獣様のご厚意に触れようと必死ですか」

 その一環なのか、彼らは事あるごとにヨアンの矜持を傷つけようとした。
 疎まれて育ったヨアンでも、人の世話はしたことがない。掃除も振る舞いも見よう見まねだ。前世の知識も役には立つが、拙いことに変わりはないだろう。
 そんな姿を見て、高位貴族が落ちぶれたものだと、わざわざ人前で笑い者にするのだ。
 貴族の矜持を手放したヨアンからすれば、こちらこそが笑いたい。あまりにも幼稚に感じてしまう。ぐっと堪えれば耐え忍ぶように見えるのか、男たちはさらに調子に乗った。
 けれどそれも、黙って受け流すうちに騒ぎを聞きつけて神官がやってくる。

 王宮神殿では、神官の地位が高い。
 聖獣に直接仕えるのは神殿騎士だが、神殿の管理や儀式などの祭事を執り行うのは神官たちだ。神殿騎士の重要性が薄れてからは、数が多いばかりの暇人集団のまとめ役として仕事を割り振っている。
 腐りきった神殿騎士とは違い、責任感が強く高潔な者が多い。ヨアンに同情するわけではないが、役目を放り出して余計な騒動を起こそうとする者を適切に指導してくれるのだ。

 こうして過ごしてみれば、案外王宮神殿の住み心地は悪くない。
 マリウスが気にする悪意も一部の者だけだ。
 気をつけるまでもなく彼らが期待することは起こらないので、せいぜい聖獣に取り入るために足掻いていると誤解すればいい。


「聖獣様。ヨアンです。紅茶をお持ちしました」

 三度のノックのあと、声をかける。何も反応がなければそのまま入室。ただの無視だが、これは誰に対してもそうなので気にしない。
 ワゴンを押して現れたヨアンに一瞥もなく、聖獣は読書を続けている。ヨアンはちらりとテーブルに置かれた本を見て、綻びそうになる頬に力を込めた。

 向かって左側がこれから読む本、右側が読み終えた本。
 今聖獣が読んでいる本も含め、すべてヨアンが持ち込んだものだ。部屋にある蔵書から聖獣が好みそうなものを想像して、図書館で探してきた。
 よろしければ、と渡すときは視線も寄越さないし、興味がそそられなければ手もつけない。けれど気になれば手に取ってくれるのだ。

(本に罪はないから)
 聖獣もそう思うのだろうか。はじめは外すことも多かったが、今はほとんど右側に積まれていく。

「区切りのいいところで休憩されませんか?」

 ティーポットは魔法石が埋め込まれているので、適切な温度を保っている。時間が経っても問題ないので、ヨアンは扉の横に控えたまま聖獣を見つめた。
 ふわりと額を撫でる白銀の髪、伏せられた瞳。頬のラインも美しく、端正な顔立ちは見飽きることがない。見た目の年齢は二十代半ばから後半といったところだろうか。マリウスより年上に見える。
 本体は白狼というが狂暴な気配はなく、洗練された貴公子のような佇まいだ。

(あの髪色の白狼になるのかな。そんなの美しいに決まってる。高貴な姿なんだろうな)

 見てみたい。けれどおそらくそんな機会はない。どのタイミングで姿を戻すのか知らないが、大切な儀式にヨアンが参列できるはずもないから。
 こうしてそばにいて、ほんの少しでも役に立っていると思うだけで満足しなければ。
 前世でたった一度きりとはいえ、大切な言葉をくれた人が目の前にいるという奇跡。時間が経つにつれてじわじわと実感が広がり、ヨアンに日々新しい感動をもたらしてくれる。
 これは夢ではない。あの人が瞬きをして、時折気分を変えるように吐息もする。気になるページを行き来する様子は、どこか微笑ましい。
 思い出の中では不思議な存在で、いつしか神聖視していたし実際に彼は聖獣だった。けれどまるで人と変わらない生活を送る姿に、なぜか親しみを覚えてしまうのだ。

「……穴が開く」
「えっ?」

 ああ、唇が動いた。じっと見つめていたヨアンは、それが自分にかけられた言葉だとすぐには気づかなかった。
 きょろきょろと左右を見て、聖獣へ視線を戻す。顔を上げた男と目が合って、どきりと心臓が跳ねた。

「あっ……、不躾な、ことを」

 ヨアンが聖獣観察をするのは今日がはじめてではないが、これまで彼は一貫して無視を貫いていた。
 声をかけてもらえたのは進歩といえるのか。けれど内容としては不興を買っている。

 ヨアンは慌てて顔を伏せ、謝罪の礼をした。
 役目を外されたらどうしようと焦燥感に駆られる。そんなことになったらもう二度と彼に近寄れないし、下手をすれば神殿からも追い出されてしまう。

「おまえのそれは歪だな」
「……も、申し訳ありません……」

 聖獣の言葉が胸に突き刺さる。紋が現れる形での敬礼は逆に不敬だったかと、ヨアンは慌てて左手を覆い隠した。
 前世を思い出してから紋なしを嘆くことはなかったが、祝福をもたらすのが彼と知れば話は別だ。
 これこそが罰なのか。聖獣の宝を失ってしまった罰。
 だからヨアンは、今世で彼の祝福を受け取ることができなかったのだろうか。

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