上 下
6 / 40

再会2

しおりを挟む

「ではさっそく、聖獣様へお目通りいたしましょう。ああ、手袋はつけないでくださいね。紋を隠すなど、不敬ですよ」
 
(なにがさっそくだ。余計な儀式を挟んでおきながら)
 
 ヨアンが紋を隠す理由を知っていながら、不敬と言いつつ笑いをかみ殺せていない。
 まったくの茶番だ。ヨアンは移動しながら、ちらりと周囲を窺った。
 手入れされた庭を両脇に見ながらさらに奥へ。聖堂から離れれば立ち入りが制限された区域だ。巡回警備はあるようだが、人の気配は少ない。
 振り切って逃げることも考えたが、前後に二人ずついる男たちがどんな魔法を使うか判断がつかない。ちらりと確認すれば、二画紋と三画紋持ち。ケビンの持つ四画紋はハッシュマークのように現れる。五角紋からは星形になるため角数で数える。
 現在世界で確認されているのは六角紋まで。過去には十角紋があったとする説もあるが、史実として証明されているのは八角紋なので、十角紋は想像上の紋といわれる。
 星形で現れることもめったにないため、四画紋は騎士団でも主力の多くが持つ紋だ。この状況では、紋なしのヨアンが逃げるのは難しい。
 
「新しい世話役をおつれした」
「どうぞお通りください」
 
 到着した建物が神聖堂らしい。
 厚い石壁と緻密な柱頭彫刻、ドーム状の天井に彫られた彫刻も美しく重厚感がある。聖堂の造りと似ているが、敷地面積のわりに建物部分は少ない。中央には広大な内庭があり、噴水やガゼボまで備えられていた。
 聖獣は風の特性を持つというから、庭を好むのだろうか。そう思って姿を探そうとするが、男たちはそちらには目もくれず回廊を進んでいく。
 辿り着いた部屋の扉を三度ノックし、一呼吸おいてから開け放った。
 
「聖獣様。本日からおそばにお仕えする者をお連れしました」
 
 部屋は侯爵家当主の私室ほどの広さがある。庭に通じる大きな窓、テーブルセットに暖炉、調度品のすべてが一級品だ。奥にはベッドがあり、手前のソファでは本を読む一人の男が。
 
(……男?)
 
 ヨアンは首をかしげる。ケビンは「聖獣様」と呼びかけた。にもかかわらず室内にいる男に慌てる様子もない。
 つまり彼が聖獣なのだろうか。ヨアンはすっかり獣だと思い込んでいたが、まさか人の姿をしていたなんて。
 伏せた横顔でも端正な顔立ちと想像できる。見覚えがあるような…と考えを巡らせていると、隣からケビンの探るような視線が向けられていることに気がついた。
 目が合うとふんと逸らされ、澄ました表情でヨアンに告げる。
 
「では、ヨアン・オルストン卿、ご挨拶を。我々は外で待機していますので」
「え?」
 
 そう言うと、ケビンたちは聖獣に深々と礼をして出て行ってしまった。
 残されたヨアンはぽかんとするしかない。祝福に感謝を、などと言っていた彼らが、感謝するはずのないヨアンを残していく矛盾。
 つまりそれほど聖獣の存在を恐れ、近寄るのも避けたいということだろうか。
 
(まさか、今この場で殺されたり、しないよな?)
 
 さすがにそれはないだろう。日々の食事並みに神殿騎士が消費されれば、入れ替わりが激しいどころの話ではない。あっという間に国が滅びてしまう。
 ヨアンは恐る恐る室内を振り返った。
 膝の上に本を閉じ、男が顔を上げてこちらを見ている。
 その姿をはっきりと認めて、ヨアンはひゅっと息を飲み込んだ。
 
 短い白銀の髪。額に影を落とすくせのある前髪。そこから覗く、晴れた空のような青い瞳……。
 
(──あの人だ)
 
 どくん、と心臓が大きく音を立てる。
 前世で出会った、あの人に間違いない。コートは無造作にソファに掛けられているが、クラバットをつけて刺繍が織り込まれたベストを着ている。王様のような恰好だと思ったそれも、この世界では違和感のない貴族服だ。
 広い肩と組んだ足の長さから、体格のよさが窺える。少年の目線で見上げても大きかったが、ヨアンと比べても頭一つ分は大きいかもしれない。
 
 思いがけない再会に騒ぐ心臓を落ち着けるのに、三度の深呼吸が必要だった。
 ヨアンは聖獣に向かってゆっくり敬礼し、頭を下げる。
 
「……ヨアン……オルストンと、申します。本日から聖獣様のおそばで……お世話を……」
「祝福を拒絶した者が?」
「拒絶では……!」
 
 言いかけて、はっと息を呑む。
 あの声だ。ヨアンを──少年を「宝」と言った声。その声でヨアンを否定する。心臓が竦みあがる思いだった。
 この世界では、紋が現れる左手の甲を見せる形で敬礼を行う。そのうえ聖獣には祝福の効果も感じられるようだ。
 咄嗟に左手を隠すように握りしめるが、それで事実が隠せるはずもない。
 
 ヨアンは祈るように聖獣を見つめた。あの頃とは顔も名前も違うが、彼が世界を超えることもできる神の子なら。
 けれど男は不快そうに眉を寄せ、ふいと視線を逸らしてしまった。
「……っ」
 愛しげに細められる眼差しを何度夢想したことか。そのたび挫けそうな心を奮い立たせてきた。
 それは前世だけではない、今世こそはと決意したヨアンも同じだ。
 
(俺では、あなたの宝になれない? あの子じゃないから……)
 
 前世を他人のようには感じない。誰かの夢であり自分でもあるような。遠くにありながら目線は自分で、感覚があるし感情もある。
 それは彼であり僕の記憶で、ヨアンの過去だった。
 
 けれど聖獣は気づかない。覚えていないだけだろうか。
 あの人と別人とは思えない。それともやはり、ヨアンではだめなのか。
 
(でも……俺はこの人の言葉に救われた)
 
 聖獣が忘れても、あるいはあの少年でなければだめだったとしても、ヨアンの思い出が消えるわけではない。
 前世でなら、夢ではなかったと証明する指輪があった。さすがにその指輪を探すことはできないが、言葉は今も息づいている。
 
 期待するのはお門違いだ。以前のヨアンは失敗したのだから。
 落胆して思い出ごと捨て去る理由もない。
 今でさえ、こんなにも切なく尊い気持ちになるのだから。
 
 聖獣はこちらを拒絶するように、再び本に視線を落としてしまった。紋なしを疎んでも、追い出そうとまではしない。興味がないだけかもしれないが。
 それならば、ヨアンがすることは一つだった。
 
「……誠心誠意、お仕えします。何なりとお申し付けください」
 
 過去のヨアンを救ったこの人に感謝を捧げる。どんなことでもいい、役に立ってみせる。
 自己満足でかまわない。一方的に感謝するのはヨアンの勝手だ。
 
 もはや逃げようという気持ちは、完全に失せていた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結済】(無自覚)妖精に転生した僕は、騎士の溺愛に気づかない。

キノア9g
BL
完結済。騎士エリオット視点を含め全10話(エリオット視点2話と主人公視点8話構成) エロなし。騎士×妖精 ※主人公が傷つけられるシーンがありますので、苦手な方はご注意ください。 気がつくと、僕は見知らぬ不思議な森にいた。 木や草花どれもやけに大きく見えるし、自分の体も妙に華奢だった。 色々疑問に思いながらも、1人は寂しくて人間に会うために森をさまよい歩く。 ようやく出会えた初めての人間に思わず話しかけたものの、言葉は通じず、なぜか捕らえられてしまい、無残な目に遭うことに。 捨てられ、意識が薄れる中、僕を助けてくれたのは、優しい騎士だった。 彼の献身的な看病に心が癒される僕だけれど、彼がどんな思いで僕を守っているのかは、まだ気づかないまま。 少しずつ深まっていくこの絆が、僕にどんな運命をもたらすのか──? いいねありがとうございます!励みになります。

転生令息は冒険者を目指す!?

葛城 惶
BL
ある時、日本に大規模災害が発生した。  救助活動中に取り残された少女を助けた自衛官、天海隆司は直後に土砂の崩落に巻き込まれ、意識を失う。  再び目を開けた時、彼は全く知らない世界に転生していた。  異世界で美貌の貴族令息に転生した脳筋の元自衛官は憧れの冒険者になれるのか?!  とってもお馬鹿なコメディです(;^_^A

謎の死を遂げる予定の我儘悪役令息ですが、義兄が離してくれません

柴傘
BL
ミーシャ・ルリアン、4歳。 父が連れてきた僕の義兄になる人を見た瞬間、突然前世の記憶を思い出した。 あれ、僕ってばBL小説の悪役令息じゃない? 前世での愛読書だったBL小説の悪役令息であるミーシャは、義兄である主人公を出会った頃から蛇蝎のように嫌いイジメを繰り返し最終的には謎の死を遂げる。 そんなの絶対に嫌だ!そう思ったけれど、なぜか僕は理性が非常によわよわで直ぐにキレてしまう困った体質だった。 「おまえもクビ!おまえもだ!あしたから顔をみせるなー!」 今日も今日とて理不尽な理由で使用人を解雇しまくり。けれどそんな僕を見ても、主人公はずっとニコニコしている。 「おはようミーシャ、今日も元気だね」 あまつさえ僕を抱き上げ頬擦りして、可愛い可愛いと連呼する。あれれ?お兄様、全然キャラ違くない? 義弟が色々な意味で可愛くて仕方ない溺愛執着攻め×怒りの沸点ド底辺理性よわよわショタ受け 9/2以降不定期更新

ハッピーエンドのために妹に代わって惚れ薬を飲んだ悪役兄の101回目

カギカッコ「」
BL
ヤられて不幸になる妹のハッピーエンドのため、リバース転生し続けている兄は我が身を犠牲にする。妹が飲むはずだった惚れ薬を代わりに飲んで。

奴隷商人は紛れ込んだ皇太子に溺愛される。

拍羅
BL
転生したら奴隷商人?!いや、いやそんなことしたらダメでしょ 親の跡を継いで奴隷商人にはなったけど、両親のような残虐な行いはしません!俺は皆んなが行きたい家族の元へと送り出します。 え、新しく来た彼が全く理想の家族像を教えてくれないんだけど…。ちょっと、待ってその貴族の格好した人たち誰でしょうか ※独自の世界線

転生先がハードモードで笑ってます。

夏里黒絵
BL
周りに劣等感を抱く春乃は事故に会いテンプレな転生を果たす。 目を開けると転生と言えばいかにも!な、剣と魔法の世界に飛ばされていた。とりあえず容姿を確認しようと鏡を見て絶句、丸々と肉ずいたその幼体。白豚と言われても否定できないほど醜い姿だった。それに横腹を始めとした全身が痛い、痣だらけなのだ。その痣を見て幼体の7年間の記憶が蘇ってきた。どうやら公爵家の横暴訳アリ白豚令息に転生したようだ。 人間として底辺なリンシャに強い精神的ショックを受け、春乃改めリンシャ アルマディカは引きこもりになってしまう。 しかしとあるきっかけで前世の思い出せていなかった記憶を思い出し、ここはBLゲームの世界で自分は主人公を虐める言わば悪役令息だと思い出し、ストーリーを終わらせれば望み薄だが元の世界に戻れる可能性を感じ動き出す。しかし動くのが遅かったようで… 色々と無自覚な主人公が、最悪な悪役令息として(いるつもりで)ストーリーのエンディングを目指すも、気づくのが遅く、手遅れだったので思うようにストーリーが進まないお話。 R15は保険です。不定期更新。小説なんて書くの初めてな作者の行き当たりばったりなご都合主義ストーリーになりそうです。

弟のために悪役になる!~ヒロインに会うまで可愛がった結果~

荷居人(にいと)
BL
BL大賞20位。読者様ありがとうございました。 弟が生まれた日、足を滑らせ、階段から落ち、頭を打った俺は、前世の記憶を思い出す。 そして知る。今の自分は乙女ゲーム『王座の証』で平凡な顔、平凡な頭、平凡な運動能力、全てに置いて普通、全てに置いて完璧で優秀な弟はどんなに後に生まれようと次期王の継承権がいく、王にふさわしい赤の瞳と黒髪を持ち、親の愛さえ奪った弟に恨みを覚える悪役の兄であると。 でも今の俺はそんな弟の苦労を知っているし、生まれたばかりの弟は可愛い。 そんな可愛い弟が幸せになるためにはヒロインと結婚して王になることだろう。悪役になれば死ぬ。わかってはいるが、前世の後悔を繰り返さないため、将来処刑されるとわかっていたとしても、弟の幸せを願います! ・・・でもヒロインに会うまでは可愛がってもいいよね? 本編は完結。番外編が本編越えたのでタイトルも変えた。ある意味間違ってはいない。可愛がらなければ番外編もないのだから。 そしてまさかのモブの恋愛まで始まったようだ。 お気に入り1000突破は私の作品の中で初作品でございます!ありがとうございます! 2018/10/10より章の整理を致しました。ご迷惑おかけします。 2018/10/7.23時25分確認。BLランキング1位だと・・・? 2018/10/24.話がワンパターン化してきた気がするのでまた意欲が湧き、書きたいネタができるまでとりあえず完結といたします。 2018/11/3.久々の更新。BL小説大賞応募したので思い付きを更新してみました。

麗しの眠り姫は義兄の腕で惰眠を貪る

黒木  鳴
BL
妖精のように愛らしく、深窓の姫君のように美しいセレナードのあだ名は「眠り姫」。学園祭で主役を演じたことが由来だが……皮肉にもそのあだ名はぴったりだった。公爵家の出と学年一位の学力、そしてなによりその美貌に周囲はいいように勘違いしているが、セレナードの中身はアホの子……もとい睡眠欲求高めの不思議ちゃん系(自由人なお子さま)。惰眠とおかしを貪りたいセレナードと、そんなセレナードが可愛くて仕方がない義兄のギルバート、なんやかんやで振り回される従兄のエリオットたちのお話し。

処理中です...