3 / 40
紋なしのヨアン2
しおりを挟むあれから五日。学園では日課のように侮蔑の言葉が耳に届き、三度呼び止められて直接暴言を吐かれた。
これまでにない頻度だが、どうも先日の一件が影響しているらしい。
ヨアンが騎士団へ訴える前に、マリウスが三人の騎士たちに厳重処罰を与えてしまったのだ。そのため「魔物もどきが公爵家嫡男に取り入って」と、嫌味たらしく噂される。
ただこれを発言する者らは、ヨアンの身分を失念している。マリウスとの仲も昔からで、今さら取り入るもない。知っているくせに、理解ができていないのだ。
「名門オルストンも地に落ちたな」
「オルストン侯爵殿もお気の毒に」
せめて貴族らしく言葉を繕えばいいものを、彼らはヨアンだけでなくオルストンの名を持ち出した。
これまでは自分が言わせたのだと己を恥じたが、彼らこそがオルストンの名誉を傷つけている。そう考えをあらためれば、周囲を黙らせることは簡単だった。
「卿らは、オルストンにはもはや名誉などないと考えるんだな」
ヨアンが原因であることよりも、オルストンの評判だけに的を絞る。
「そんなことは言っていない」と反論する相手には、会話を録音した魔法道具を見せるだけ。それで全員黙り込む。
ヨアン個人に価値はなくても、オルストンを侮辱したとなれば話は別だ。
この反撃が功を奏したのか、ヨアンの耳に届く不快な言葉は激減した。
(魔法が当たり前すぎて、科学技術の進歩がないんだな……)
録音魔法が付与された魔法石を指でもてあそび、ヨアンは興味深く眺める。
卒業を明日に控えて学生寮を引き払う準備をしていたが、物が少なくて早々に終えてしまった。がらんとした室内には備え付けられた家具が並ぶばかり。
室内灯も、快適な気温を保つ効果も、すべて魔法石によるものだ。
魔法がない世界を知った今、ヨアンは紋なしであることに不便を感じなくなった。
以前は魔法そのものに劣等感を抱いていたが、異世界なら電化製品に触れたくないと言うようなものだ。無理があるし、その意味ではこちらの世界でも大半の人間が消費者の立場にすぎない。
それより今は、純粋に羨ましいなと感じる。空想世界の魔法に憧れる少年の気持ちとでもいうのか。これは前世を思い出した影響だろう。
もし魔法が使えたらと、考えてしまう。
(炎のオーラをまとった剣なんてかっこいいな)
一騎当千の派手な魔法を使ってみたい。戦いたいのではなく、魔法を使う感覚を味わってみたい。どうせやるなら、派手なほうがいい。
夢ではなく実現できる世界なのに残念過ぎる。レアはレアでも唯一無二の落ちこぼれでは、締まらない。
(以前はどうしてこんな風に考えられなかったんだろ……。無理だな、オルストンの矜持が許さない)
テーブルに一つだけ残された手紙を見下ろす。実家であるオルストンから届いたものだ。
近々こうなるだろうと思っていた。
ヨアンは家族から疎まれている。そのヨアンが家門をひけらかすのだ。
侮辱を受けたからという、本来正当なはずの理由は通用しない。
(今度こそ除籍されるな。……そうなってもかまわないけど)
使用人さえ声をかけてこないヨアンでも、生活基盤は貴族社会にある。周囲の落胆と侮蔑のすべてが、『貴族として』のヨアンを苦しめた。
けれど前世の記憶が、身分差のない暮らしを教えてくれる。
ヨアンは当たり前に貴族だったし、そのため罪悪感に苛まれてきたが、もはやこだわる理由はない。
除籍はむしろ大歓迎だった。この世界の平民の暮らしには疎いし、前世の記憶も限定的だ。けれど悲観する気持ちはない。
誰もヨアンを知らないところに行って一からやり直すというのは、妙案のように思えた。
手紙はそのままに窓の外へ視線を投げる。
平民になったらどこへ行こうか。そう思いながら、ふと窓ガラスに映りこんだ自身の顔に焦点を合わせた。短い黒髪の不愛想な顔だ。目を細めて、右頬にそっと触れる。
五日前、マリウスの指を染めるほど出血していた傷は、今はすっかり癒えて痕もわからない。ヨアンに回復魔法をかけてくれる相手はいないので、自然治癒で治ったということだ。
昔から傷の治りは早かった。これも魔物もどきと言われる理由の一つではある。
(……そういえば、あの頃も痛みに強かったな。擦り傷程度ならすぐに治ってた)
同時に思い出すのは、前世の少年時代。
最後の日は立ち上がれないほど痛めつけられたが、子どもがあれほどの傷を負って意識を保っていたのだ。十分頑丈だったといえる。
ならばこのヨアンとしての生も、あの少年からの地続きなのだろうか。
(……そうだといいな。あの人が宝と言ってくれたものと、少しでも繋がりがあれば……)
交わした会話のほとんどは覚えていないが、愛しげに細められた青い瞳と、『宝』という言葉は忘れられない。
だからこそ、胸が痛む。大切にしなければいけなかったのに。最後は諦めてしまった少年を知れば、『あの人』はがっかりしただろうか。
ただの旅行者のようにも思えない彼は何者だったのだろう。今となっては確かめるすべもない。
ただヨアンにとって唯一、決して手の届かない未練が生まれてしまっただけだ。
366
お気に入りに追加
574
あなたにおすすめの小説
【完結】伴侶がいるので、溺愛ご遠慮いたします
*
BL
3歳のノィユが、カビの生えてないご飯を求めて結ばれることになったのは、北の最果ての領主のおじいちゃん……え、おじいちゃん……!?
しあわせの絶頂にいるのを知らない王子たちが吃驚して憐れんで溺愛してくれそうなのですが、結構です!
めちゃくちゃかっこよくて可愛い伴侶がいますので!
本編完結しました!
リクエストの更新が終わったら、舞踏会編をはじめる予定ですー!
悪役令息の七日間
リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。
気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
【完結】冷血孤高と噂に聞く竜人は、俺の前じゃどうも言動が伴わない様子。
N2O
BL
愛想皆無の竜人 × 竜の言葉がわかる人間
ファンタジーしてます。
攻めが出てくるのは中盤から。
結局執着を抑えられなくなっちゃう竜人の話です。
表紙絵
⇨ろくずやこ 様 X(@Us4kBPHU0m63101)
挿絵『0 琥』
⇨からさね 様 X (@karasane03)
挿絵『34 森』
⇨くすなし 様 X(@cuth_masi)
◎独自設定、ご都合主義、素人作品です。
【完結】イケメン騎士が僕に救いを求めてきたので呪いをかけてあげました
及川奈津生
BL
気づいたら十四世紀のフランスに居た。百年戦争の真っ只中、どうやら僕は密偵と疑われているらしい。そんなわけない!と誤解をとこうと思ったら、僕を尋問する騎士が現代にいるはずの恋人にそっくりだった。全3話。
※pome村さんがXで投稿された「#イラストを投げたら文字書きさんが引用rtでssを勝手に添えてくれる」向けに書いたものです。元イラストを表紙に設定しています。投稿元はこちら→https://x.com/pomemura_/status/1792159557269303476?t=pgeU3dApwW0DEeHzsGiHRg&s=19
【完結】守護霊さん、それは余計なお世話です。
N2O
BL
番のことが好きすぎる第二王子(熊の獣人/実は割と可愛い)
×
期間限定で心の声が聞こえるようになった黒髪青年(人間/番/実は割と逞しい)
Special thanks
illustration by 白鯨堂こち
※ご都合主義です。
※素人作品です。温かな目で見ていただけると助かります。
今世はメシウマ召喚獣
片里 狛
BL
オーバーワークが原因でうっかり命を落としたはずの最上春伊25歳。召喚獣として呼び出された世界で、娼館の料理人として働くことになって!?的なBL小説です。
最終的に溺愛系娼館主人様×全般的にふつーの日本人青年。
※女の子もゴリゴリ出てきます。
※設定ふんわりとしか考えてないので穴があってもスルーしてください。お約束等には疎いので優しい気持ちで読んでくださると幸い。
※誤字脱字の報告は不要です。いつか直したい。
※なるべくさくさく更新したい。
魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました
タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。
クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。
死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。
「ここは天国ではなく魔界です」
天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。
「至上様、私に接吻を」
「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」
何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる