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紋なしのヨアン2
しおりを挟むあれから五日。学園では日課のように侮蔑の言葉が耳に届き、三度呼び止められて直接暴言を吐かれた。
これまでにない頻度だが、どうも先日の一件が影響しているらしい。
ヨアンが騎士団へ訴える前に、マリウスが三人の騎士たちに厳重処罰を与えてしまったのだ。そのため「魔物もどきが公爵家嫡男に取り入って」と、嫌味たらしく噂される。
ただこれを発言する者らは、ヨアンの身分を失念している。マリウスとの仲も昔からで、今さら取り入るもない。知っているくせに、理解ができていないのだ。
「名門オルストンも地に落ちたな」
「オルストン侯爵殿もお気の毒に」
せめて貴族らしく言葉を繕えばいいものを、彼らはヨアンだけでなくオルストンの名を持ち出した。
これまでは自分が言わせたのだと己を恥じたが、彼らこそがオルストンの名誉を傷つけている。そう考えをあらためれば、周囲を黙らせることは簡単だった。
「卿らは、オルストンにはもはや名誉などないと考えるんだな」
ヨアンが原因であることよりも、オルストンの評判だけに的を絞る。
「そんなことは言っていない」と反論する相手には、会話を録音した魔法道具を見せるだけ。それで全員黙り込む。
ヨアン個人に価値はなくても、オルストンを侮辱したとなれば話は別だ。
この反撃が功を奏したのか、ヨアンの耳に届く不快な言葉は激減した。
(魔法が当たり前すぎて、科学技術の進歩がないんだな……)
録音魔法が付与された魔法石を指でもてあそび、ヨアンは興味深く眺める。
卒業を明日に控えて学生寮を引き払う準備をしていたが、物が少なくて早々に終えてしまった。がらんとした室内には備え付けられた家具が並ぶばかり。
室内灯も、快適な気温を保つ効果も、すべて魔法石によるものだ。
魔法がない世界を知った今、ヨアンは紋なしであることに不便を感じなくなった。
以前は魔法そのものに劣等感を抱いていたが、異世界なら電化製品に触れたくないと言うようなものだ。無理があるし、その意味ではこちらの世界でも大半の人間が消費者の立場にすぎない。
それより今は、純粋に羨ましいなと感じる。空想世界の魔法に憧れる少年の気持ちとでもいうのか。これは前世を思い出した影響だろう。
もし魔法が使えたらと、考えてしまう。
(炎のオーラをまとった剣なんてかっこいいな)
一騎当千の派手な魔法を使ってみたい。戦いたいのではなく、魔法を使う感覚を味わってみたい。どうせやるなら、派手なほうがいい。
夢ではなく実現できる世界なのに残念過ぎる。レアはレアでも唯一無二の落ちこぼれでは、締まらない。
(以前はどうしてこんな風に考えられなかったんだろ……。無理だな、オルストンの矜持が許さない)
テーブルに一つだけ残された手紙を見下ろす。実家であるオルストンから届いたものだ。
近々こうなるだろうと思っていた。
ヨアンは家族から疎まれている。そのヨアンが家門をひけらかすのだ。
侮辱を受けたからという、本来正当なはずの理由は通用しない。
(今度こそ除籍されるな。……そうなってもかまわないけど)
使用人さえ声をかけてこないヨアンでも、生活基盤は貴族社会にある。周囲の落胆と侮蔑のすべてが、『貴族として』のヨアンを苦しめた。
けれど前世の記憶が、身分差のない暮らしを教えてくれる。
ヨアンは当たり前に貴族だったし、そのため罪悪感に苛まれてきたが、もはやこだわる理由はない。
除籍はむしろ大歓迎だった。この世界の平民の暮らしには疎いし、前世の記憶も限定的だ。けれど悲観する気持ちはない。
誰もヨアンを知らないところに行って一からやり直すというのは、妙案のように思えた。
手紙はそのままに窓の外へ視線を投げる。
平民になったらどこへ行こうか。そう思いながら、ふと窓ガラスに映りこんだ自身の顔に焦点を合わせた。短い黒髪の不愛想な顔だ。目を細めて、右頬にそっと触れる。
五日前、マリウスの指を染めるほど出血していた傷は、今はすっかり癒えて痕もわからない。ヨアンに回復魔法をかけてくれる相手はいないので、自然治癒で治ったということだ。
昔から傷の治りは早かった。これも魔物もどきと言われる理由の一つではある。
(……そういえば、あの頃も痛みに強かったな。擦り傷程度ならすぐに治ってた)
同時に思い出すのは、前世の少年時代。
最後の日は立ち上がれないほど痛めつけられたが、子どもがあれほどの傷を負って意識を保っていたのだ。十分頑丈だったといえる。
ならばこのヨアンとしての生も、あの少年からの地続きなのだろうか。
(……そうだといいな。あの人が宝と言ってくれたものと、少しでも繋がりがあれば……)
交わした会話のほとんどは覚えていないが、愛しげに細められた青い瞳と、『宝』という言葉は忘れられない。
だからこそ、胸が痛む。大切にしなければいけなかったのに。最後は諦めてしまった少年を知れば、『あの人』はがっかりしただろうか。
ただの旅行者のようにも思えない彼は何者だったのだろう。今となっては確かめるすべもない。
ただヨアンにとって唯一、決して手の届かない未練が生まれてしまっただけだ。
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