透明人間の殺し方

復活の呪文

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第1章:終わる夏

全部、壊してくれ

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正午を迎えた空は、まだ夏の出口が見えないような、重い暑さを孕んでいた。
グラウンドは昔ながらの土のフィールド。乾いた土が固く締まり、踏みしめるとわずかに砂ぼこりが舞い上がる。白線で引かれたラインも、プレーのたびに削れて薄くなっていく。スパイクで激しく土を削るたび、空にふわりと舞い上がる土埃を、選手達が突き抜けた。

「ゴール前中央、13番警戒!」

敵ディフェンスの声が響く。密集した臙脂色のユニフォームの合間を縫って、夏樹へと向かうパス。夏樹は、それを受け取ると無理やり体を反転させ、ディフェンスのマークを左から受けながらシュートを放った。しかし、シュートは大きく枠を外れ、ゴール裏へ吸い込まれるように消えていった。

「くそっ」

加藤が試合前に触れていたように、明光高校のプレッシャーは苛烈なものであった。
ゾーンプレスの対策として、選手同士の距離をとった青城高校だったが、その開いた距離すらも、選手達は鍛え上げた肉体とスタミナを躍動させて追い詰める。
負けじとパスを回す青城高校だったが、迫りくるプレッシャーに耐えかねて、ロングパスを選択する局面が多くなった。その結果、空中戦での競り合いに難点を抱える青城高校は、中盤でのボールロストが重なり、前半のうちに2失点を許してしまった。

夏樹も、自分と同等かそれ以上の体格をもち、そして自分のチーム以上に統制された動きをとる相手に、ボールを抑えるだけで精一杯であった。試合前に溢れていた自信も掻き消え、度重なるフリーランニングの影響で水中を歩いているように全身が重い。
スコアは0対2。後半終了に差し掛かってきた時間帯で、なんとか一点返したい所ではあるが、明光高校の硬いディフェンスを未だにこじ開けられずにいる。
敵ゴールキーパーがボールを回収しに向かう間、フィールド選手達は所定の位置につく。

夏樹は、息を整えつつ、自身を鼓舞するチャントを叫んでいる観客席に視線を投げた。古びたスタンドには、応援に来た親や友人たちが詰めかけている。手作りの応援旗が風に揺れ、人々は歓声を上げるが、それらをかき消すように、勝利を確信した明光高校の応援団の声がピッチ全体に響いていた。夏樹は、試合前の部員達の姿を思い出した。
今この瞬間も、あの人たちは俺を見ているのだろう。そして思うのだろうか、やはりアイツじゃダメだったと。あいつの代わりに俺が出ていれば勝てたはずだ、と。

「……くそ」

夏樹は、足元の小石を蹴飛ばした。もしかしたら自分の努力は全て間違っていて、出るべき選手は自分ではなく、彼らだったのかもしれない。そう考えたのだ。

「夏樹」

その最中、トップ下の坂下が、夏樹のもとへ駆け寄ってきた。

「なんですか?」

40分にも及ぶ時間の中、攻撃と守備の両方で駆けずり回った疲労からか、爽やかな青色のユニフォームも、その汗から深い青色へと変色している。坂下が作り出したチャンスを何度も無碍にしてしまった反面、夏樹はその顔を見ることができずに、そのまま所定の位置に戻ろうとした。しかし、坂下はそのまま夏樹に、

「長谷川、来てるぜ」

と告げ、真っ直ぐに夏樹の目を見つめる。

「そう、ですか」

夏樹の淡白な返事に、坂下は舌打ちをすると、更に捲し立てるように続けた。

「何だその態度。あいつの為にも良い所見せてくれよ『エース』さんよ」

「……はい」

そう言うと坂下は自陣へと下がっていった。
敵のゴールキックが伸びる。センターラインを超えたそれは、中盤選手同士での競り合いへとつながった。後半のこの時間帯は、互いにミスが増え始め、得点の可能性が高まる時間帯でもある。競り合ったボールがあらぬ方向に行かないよう、夏樹はチームメイトの競り合いの勝利を願った。
コートの中央に落ちるボールを二人の選手が競り合うが、若干背の高い明光の選手に軍配が上がった。少しでも敵陣へとボールを進めるために、後頭部でヘディングをされたボールは、青城高校のゴールへと迫った。そのこぼれ球を、ディフェンスが大きく前線へ蹴り出した。この時間帯で3点目を決められては、もはや試合が決まってしまう為の判断だ。

大きく伸びたボールは敵の中盤の頭上を通り、夏樹のいる前線へと届いた。落下地点を読んで素早く駆け寄る夏樹だったが、明光の6番が素早く体を入れ、落下地点を奪う。
夏樹は、審判に気取られないように6番のユニフォーム、その背中を引っ張り、体制を崩させた。一瞬よろめいた6番の隙をつき、再度落下地点に入りボールをトラップする。

(これを抑えれば、チャンスが来る……!)

しかし、ボールが纏った落下エネルギーは想像よりも強く、夏樹の足の甲にあたると大きくピッチの外へと向かって弾んでいった。夏樹が駆け出すも、すんでのところでサイドラインを割ってしまった。そのまま、相手に時間稼ぎをさせないためにもボールを取りにピッチの外に出る。すると、松葉杖をついた黒の半袖シャツと、黒のスラックス を着た私服姿の青年がボールを持っていることに気づいた。

「長谷川、先輩……」

数ヶ月ぶりに直接相対した長谷川の姿は、今朝見た夢での姿とも異なっており、一瞬夏樹は、彼を認識できなかった。こんがりと焼けていた肌は白く、ワックスで整えられた短髪も今は伸び、前髪が目にかかっているほどだ。そして、唯一変化のない綺麗な黒色の瞳が、真っ直ぐに夏樹の目を見つめている。

 黒色って、なんて恐ろしい色なんだろう。そういえばこの前、世界史の授業で宇田が言ってたな。中世ヨーロッパでは僧侶や宣教師がこぞって黒色の服を着てたとか。確か、厳粛さや謙虚さ、後悔と反省を表して————

「夏樹」

試合中の分泌されたアドレナリンと現実逃避の情報が渦のように混ざった夏樹を遮るように、長谷川が声をかけ、ボールを片手で差し出した。

「全部、壊してくれ」

渦が止まり、夏樹は再度、長谷川を見つめる。すると長谷川には、昨年夏樹が共に自主練習に励んだ時に見せた、あの、夕陽のように柔らかな笑顔があった。

「……頼むよ」

「わ、わかりました」

夏樹は、断ることができなかった。何を壊して欲しいのか、そもそも自分に対してどのような感情を抱えているのかも尋ねる事もできぬまま、ピッチへと戻った。
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