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小説家③

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「早速だが──僕はまず、恋愛物が書きたいんだ。それを念頭に置いて、僕と話をしてもらいたい。それだけだよ」

 対面に座る彼は、にっこり笑ってそう言った。今回は、恋愛に関する刺激を与えれば依頼達成になる、ということだろうか。
 ……かなり、難しそうだけれど。

「ロマンス小説は都会で大人気さ。うら若き乙女に特に。僕は基本書かないがね……」

「それじゃあ、どんなジャンルを書いていらっしゃるんですか?」

 ひとつ前は、俺のような主人公を書いたと言った。ああそれに、地味な主人公は何度か書いたとも。他には何か書いているのだろうか。コメディに時代小説、ミステリーやホラーとか。はたまた、童話だったり?

「葛藤。絶望。非力さ……そういったものがメインのドラマかな。藻掻く人間の生き様が、僕には愛おしいんだ。圧力に耐えられず折れてしまうのも、いじらしい」

 思いつくジャンルはことごとく裏切られた。指を折りながらネガティブな言葉を連ねる青年は、愛おしそうな目で宙を見つめる。

「じゃあ……基本、バッドエンドですか」

「世間的に言えばそうかもしれないね。僕にとっては、何よりも美しい終わり方に思えるが」

 しかしね。

 大きく溜息をつき──うんざりとした顔で彼は続けた。

「編集がしつこく言ってくるんだよ。たまには色恋が主題のハッピーエンドを書いてみてくれってね……まあ、それで主役になる人物像を描くのに悩んでたわけさ」

 ああ、なるほど。納得する。
 どうりでロイたちを見た際、主人公にぴったりだ、人気が出るぞと喜んでいたわけだ。だが単にハッピーエンドを描くのなら、今まで通りの地味な主人公でも書けるのではないだろうか。俺は、小説のことなんて少しも明るくないからわからないけれど。

「貴方が書き慣れたタイプの人間でも、いわゆるハッピーエンドは書けるのでは?」

「……もちろん試しに書いてみたよ。今までのような主人公でね」

 リュディガーさんも疑問に思ったのか、質問を投げれば──眼鏡をずらし、考え込むように目頭を押えてから。
 大袈裟に手を広げて、ノイギアさんは声を張り上げた。

「そしたらどうだい! 気づいた頃には恋慕が叶わず自死していたり、はたまたヒロイン共々追い詰められて絶望の中で心中していたりする始末! これじゃあ編集の意向に沿わないということでお蔵入り。お願いですから趣向を変えて主人公から設定を練り直してくださいと懇願されちゃあ、仕方ないだろう?」

 ……おお。これは、また。難儀だ。どうも彼には、物語を薄暗い方向へ進めてしまう癖があるらしい。ノイギアさんは根っからの……悲劇好き、とでも言えばよいのだろうか。

 嘆くように。噛むこともなく長い言葉を連ねて、頬杖をつく。

「ギルドで凄腕と名高い冒険者に何人か密着もしてみたが……あれはいけない。誰も彼も驕り高ぶっていて、うら若き乙女の読者はおろか、ヒロインすら心底惚れ込むようなキャラクターとは到底程遠かった。僕はそういった目を背けたくなるような醜悪さは嫌いではないが」

 その口ぶりからして、既に何度かギルドに依頼は出していたらしい。彼の望む結果は得られなかったようだけれど。
 俺様系として書くならアリだとは思うが──少女を対象にしたロマンス小説なら、あまり癖が少ない方が刺さるだろうか。そう思えば、確かに彼の書きたいものには向いていないかもしれない。

「それで……恋をした経験は?」

 垂れがちだが探究心に満ちた目で。居住まいを正した彼は、早速と言わんばかりに問いかけた。何も無かったはずの空間からノートと万年筆が現れる。魔法によるものだろう。

「……申し訳ないですが、恋というものが明確にはわからないのです。私はこれまで、魔物と闘って生きていくことしか頭に無いものでしたから」

「なるほど。面白いね、恋を知らない剣士様か……うん、なかなか王道だが良いキャラだ」

 ロイが不慣れな様子で答える。恋をする余裕なんて、今までの彼には確かに無かっただろう。亡くなった妹さんのために剣を振るい、旅をする。定住をしない生活では、色恋とは無縁にもなるのも頷けた。

「私たちは悠斗一筋だからね!」

「ああ」

 双子たちは聞かれる前に明るく言う。その調子に思わず笑った。彼らのそれは友愛ではあるが──恋とはまた違うだろう。

「ははは! いいね、こんな美丈夫たちに愛されてるなんて! ……で、その当の本人はキミだね。ユウトだったか、キミの経験は?」

「……え、俺、ですか?」

 視線がこちらへ向けられて、思わず瞬く。主人公には向いていないと言われたために、自分はもう彼の興味からすっかり外れていると思ったから。

「そうさ。キミも経験が無かったりする口かい?」

「いやー……俺は……まあ、したことはありますよ」

「…………、」

「ほう! 詳しく教えてくれるかな!」

「知りたい知りたい! 教えて!」

「……まあ、俺も興味はあるな」

 前のめりになったノイギアさんと、きゃっきゃとはしゃぐエーベルさんに、そわそわしているリュディガーさん。ロイはついていけないのか、何も言わず。
 恋バナで盛り上がる経験なんて、男子高生のノリ以来久しぶりで、妙な気恥しさを覚える。

「どんな相手に惹かれる? 恋をするとどうなる? それに──」


「一個ずつ! 一個ずつでお願いします!」


 こほんと咳払いをしてから、昔のことを思い返す。最後に恋をしたのは──高校生の頃だった。同じクラスの、快活な女子に惚れた。クラスの人気者で、皆に好かれている子だった。
 あのときは、頻繁に彼女の方を見てしまっていた。たまに視線が合うとひらりと手を振られ、微笑んでくれて──みっともなく心臓が跳ねたのをよく覚えている。

「ええと……なんと、言うか。あくまで俺の例ですけど……好きになったのは、明るい子でした。それで……その好きな人を、自然と見ちゃいますね」

「ふむ。他の小説でも同じようなことが書いてあったが、本当なんだね」

「はは、小説の方が俺の体験談より詳しいし役に立つかもしれないですよ」

「いいや。本当に経験した者の話を聞いてみることは大事さ。一番良いのは実際に経験することだがね」

「それで、視線が合いそうになると急いで逸らしてました。つい見ちゃってたのがバレたら、気持ち悪く思われそうでしょ?」

 ……いや、もうしっかり見てる時点で気持ち悪いかもだけど。
 それで結果はどうなんだと、皆が言外に語りかける。刺さる視線に、気まずさを覚えながら口を開いた。

「結果は、まあ……告白する前に玉砕でしたね。その子が告白されて、付き合う現場をたまたま見ちゃって……バレないように急いで逃げました」

「ははあ……それはまた、気の毒だな」

 口角が上がっている。口元を隠そうと手で覆っているが、ニヤついているのがバレバレだ。

「ニヤついてますよ」

「おっと失敬。嘲笑っているわけじゃないんだ、悲劇だと思っただけで」

 悲劇。まあ、確かに成就しなかったそれは悲劇ではあるだろうけれど。
 少しだけへこんだ俺には気づかず、ノイギアさんはああ、と震える声を出した。


「ああ、面白い! それほど感情を揺さぶられる経験ができるなんて!」


 大きく溜息をつく。そこには、今までのような呆れなどではなく──感嘆の色が浮かんでいた。



「僕も、恋をしてみたいものだ……」



 それこそ恋しげに呟くものだから。なんだか、俺も彼の恋愛経験の有無に興味をひかれた。
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