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必然──ダークエルフの青年②

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 ──この世界に、来る前から?


「向こうにいた頃から、ずっと。だから呼んだんじゃないか」

「呼んだ、って……?」

「言葉の通りだよ」


 俺を呼んだ。つまり、俺がこの異世界に来たのは──目の前の人物が原因なのか?


「ごめんね、スキルも魔力も与えてあげられなくて。ちょっと計画が上手くいかなかったんだ」

 にこりと形作られた人の良い笑みに、背筋が凍った。なにか本能的な恐怖が背を這う。

「できることなら最初に与えてあげたかったさ。だけどうん、無くても良いね。君はそれがあっても驕り高ぶるような人間じゃあないが、健気に頑張ってくれるだろうと思ってた……見立て通りだ」

 この世界に飛ばされた元凶が彼だと知っても怒りは湧かなかった。ただ、ただ恐ろしかった。目の前の男が、腹の底の見えない相手が。黙りこくる俺に気づいているのかいないのか、なおも滔々と水が流れるように捲し立てられていく。

「そっか、能力のことばっかり言うから誤解しちゃったんだね? 違うよ、私は君の平凡だけどちょっとだけ図太くて、でもやっぱり弱くて、それでいてお人好しで……相手のことを見捨てられないところに惹かれたんだ。優しい子だもんね、君は」

「そんなの……そんなのいっぱいいますよ、俺なんかよりも良い人が……」

「どうかな。君が思ってるより、みんなって汚いからね。強大な力を与えられれば大抵はそれに甘えて溺れるだろうし」

「っだったら貴方の考えているような人間とは違います! 俺だってそういうのが貰えると思ったし、世界最強になるんだーとか考えてましたもん!」

 噛み付くように反論する。そうだ、元々来たばかりの頃はそんなことを夢想していたじゃないか。俺だって汚い人間で、彼が望むような奴じゃない。
 息巻いて言い切れば、呆気に取られたように固まり。そして、思い切り吹き出した。


「ふ、あははは! もう、ほんっと面白い!!」


 呆気に取られるのは、今度は俺の番だった。肩を震わせて目尻の涙を拭う彼は少し息を整えると、垂れがちな目を細めてうっそり微笑んだ。



「……君はね、どんなに強い力を手にしても結局自惚れないんだよ。"自惚れられない"んだ、そういう人間だから」



 何も無かったはずの空間からぽん、と彼の手に現れたのは、俺の顔ほどの大きさもある鏡だった。怪しいほどに輝く表面は、不思議なことにゆらりと水面のように揺れているのだ。そこに、なにか暗い人影が映る。見入っているうちにだんだんとはっきりしていき──それが、俺なのだとわかった。


「ほら、想像してみて。つよーい力を手に入れた自分を。それこそ誰よりもずっと多く質の良い魔力を有し、誰も敵わないようなスキルを手にした自分を。ああ、スキルを何十個も持つなんてのも良いかも」


 鏡面の中の"俺"が剣を振るって果敢にドラゴンに似た魔物と戦っている。思わず目を見張る。相手は自分よりも遥かに巨大だが決して怯まず懐へ飛び込んでいくのだ。その身のこなしは鮮やかで、愚鈍な今の俺とは似ても似つかない。そして眩いほどの閃光と共に魔法を繰り出す。見ているだけだというのに、それがきっと高度なものだということが伝わった。
 それほど時間も経たないうち。──大きな地響きを起こし、とうとうその巨躯は地に伏した。しかし、何故だろうか。もうひとりの自分は特に喜びも見せず、当然のことのように飄々とした顔をしていた。

「……みんな、みんな君を称える。不自由なんて何も無い。可愛い子たちが君を囲んで、ハーレムなんかできちゃったりしてね」

 ギルドらしき場所で皆が俺に賞賛の目を向ける。歴戦の屈強な冒険者も、新人らしい冒険者もみんなみんな憧憬と羨望を宿して。俺の腕に絡む、華奢な白い腕。見目麗しい女性が甘えるように身を擦り寄せていた。また別のあどけなさの残る獣人らしい女の子が蕩けた目で俺を見つめる。また他の子は──あげればキリがないような何人もの女性が俺に侍り、何か語りかける。きっと砂糖を吐くような甘言が紡がれているのだろう。

 その中心で。"俺"は、皆に合わせてへらりと笑っていたけれど。──その目は、どこか昏かった。
 それは、そうだろう。だって、そんなもの。そんな力で皆が俺を認めてくれたとしても、それはただの──


「……ねえ、どう? 本当に疑いようも無く素直に、心の底から喜べた?」


「周りが持ち上げるのはこの力があるからだ、元々の自分じゃこうはなれなかったのに──なんてね。努力して得たものならまだしも、突然与えられた力ならば君は結局そうなる。違う?」


 何も、言えない。


 だって俺は確かに、そんなものただの紛い物だと思ってしまったのだから。知らない内に誰かに与えられたものなど、いつ同じように突然奪われるかわかりやしない。その決定権が自分には無いという感覚がずっと強く感じられて、不安になるのだ。

「……ふふ。自惚れる才能って言うのかな。それを上手く使えば国を掌握する英雄になれるだろう。下手に使えば救いようも無く堕落した愚者になるだろう。君はその才能が無いんだ……それが、君を平凡かつ非凡たらしめるもの」

「不器用でいじらしくて、かわいい」

「お人好しなのも知ってる。自己保身だって考えるけど、結局は他の人が困ってたら助けちゃうもんね」

 頭がおかしくなりそうだ。次々と口にされる口説き文句のようなそれは、じわじわと頭や心の中に侵食していく感覚を覚えて。

「驚いたよ、いつもの日課で観察してたら君が事故に遭いそうになってたんだもん。あのままだったら確実に死んでたよ? だからじゃあもういいかと思って呼んだんだ、ほんと危機一髪って感じ」

 鏡が消えて、柔和な笑みを湛えたまま彼が言う。

「それとも、あのまま死にたかった?」

「……わからない、です。実感が無くて」

「そう。まあそれはそうか」

 黙り込む俺を、きゅ、と抱きしめる。細い指が服の上から腹を這った。

「ふふ。ああ、固まっちゃって」

「ひ、」

「うん? 少し筋肉がついたかな。そうだよね、この世界に飛ばされたら多少は逞しくならざるを得ないからね。文明は多少発達しているけれど、君の居たところほどでは無いから」

 あ、と思い出したように発した一音。突然離れて、彼は優しい声でごめんね、と謝った。

「喋りすぎちゃった。悪い癖だな……話したいことはまだあるんだけど、後にしようか」

「待って……待って、ください。頭が追いつかないんです。そもそもなんで向こうの世界を知ってて、それに計画って、なにを…………」

「焦らないで。それも後でね」

 じゃあ、行こうか。

 そう言った彼に手を掴まれて。眩い光に、俺は包まれる。この感覚はよく知っていた。
 ──転移だ。どこかへ連れ去られることを悟り、愕然としたまま、何の抵抗もできなかったのだ。
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