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王都・夜の少年①

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 依頼を終えたある夜。街を見歩こうと外に出ようとした瞬間、後ろから声がした。

「外出するならば、俺もついて行く」

「……ロイ、疲れてるでしょう」

「これくらいなんてことはない」

「駄目だよ! 回復してもらったとはいえ、攻撃魔法なんか受けたんだから! 安静にしてて!」

 そうだ。今日はモンスターの攻撃をモロに受けたのだから。外出なんてさせる訳にはいかない。
 わかった、と渋々といった返事が返される。

「ここの治安は良い方だ。出歩いてもそう危険な目には遭わないだろうが……用心するに越したことはない」

「うん、気をつけるよ」

 くるり、振り向いて。ビシと指を指した。

「ちゃんと寝ててな!」

***

 茂みをわけいって出た湖のそばには、既に誰かが座っていた。薄暗くてあまり見えないが、ローブを身にまとった男性のようだ。俺を不審そうに黙って見つめている。

「あ……すみません、人がいるとは思わなくて」

 這い出て立ち上がり声をかけても、依然としてじろりとこちらをねめつけるだけ。弱い月光に照らされたその人の顔立ちは、気品がありつつもどこか刺々しい印象を受けた。

「……アンタ、ボクのこと知らないの」

「……え?」

 澄んだ、少し高い声が夜の空気に静かに響く。予想もしていなかった言葉に面食らった。どこかで会ったことがある? いや、それとも名の知れた人物だとか?
 不躾だとは思いつつもその人の顔を観察し、記憶を掘り起こしてみるが――やはり、思い当たる節は無かった。

「……すみません、ちょっとわからなくて」

「ふうん。随分な世間知らずか田舎者なんだね」

 刺々しい物言い。なんとも手厳しい人だ。しかし反論のしようも無い。どうやらこの都では知らない者はいないような口ぶりだ。

「う、その通りですけど……ええと、有名な方なんですね。俺は悠斗っていいます、良ければ貴方の名前を教えてくれませんか?」

「名前なんか聞いてないし、知らないヤツに教える義理も無いでしょ。なにアンタ、不審者なの」

「えっいや違いますよ!」

 慌てて否定するが、警戒の滲む目つきは変わらない。誰でも知ってるような人なら、名前を教えてくれても良さそうな気はするが――いや、有名だからこそなのか。とにかく何を言っても同じ調子で返される予感がしてきた。……ここでのんびり過ごすのは諦めて、別の場所を探した方が良さそうだ。なにより彼の迷惑にもなりそうだし。

「………………っ!!」

 そう考えていると、こちらを見ていた彼が驚いたように小さく息を漏らした。不思議に思って彼を見たが、ただ黙っているだけで理由はわからない。沈黙が気まずくて、ひとまずここから去ろうと思い立ち上がったときだった。

「えっと、突然すみません。邪魔しちゃったみたいだから、別の場所に――」

「待って」

 打って変わって切羽詰まった声が言葉を遮る。俺が口を閉じると、彼は矢継ぎ早に続けた。

「別に……邪魔とか、言ってないでしょ。座れば」

「え、いや、でも――」

「いいから」

 有無を言わせぬ口調で促されるまま、おずおずと腰を下ろす。沈黙が間に満ちていく。……気まずいことには変わりない。なにか、なにか話題を――

「……こんな時間に何してたの」

「え? 散歩、ですかね……初めて来た場所だからいろいろ歩いてみたくて」

 こちらが何か言うよりも先に彼が話を振ってくれた。へえ、と俺の答えに興味なさげな相槌が返ってくる。

「来たばっかりなんだ」

「はい。貴方は、ええと……よくここに来るんですか?」

「……まぁね」

「そう、なんですね」

 また、沈黙。嫌な汗が出そうになったそのとき、呆れたような声が発された。

「……アンタ、会話下手ってよく言われない?」

「やめてください、今それ実感してるんで……」

「……っふ、情けないの。ボクより大人のくせに」

 彼が微かに息を漏らして笑う。それにほんの少しだけ緊張が解れて、俺も頬を弛めた。
 どうやら年下だったようだ。確かにどこか幼さが残るというか――あどけなさが、ほんの少しだけ和らいだ雰囲気から感じ取れた。

「あ……そっか、年下なんだ。何歳なのか聞いてもいい?」

「……なに。それ聞いて年齢でマウントとか取るつもり?」

「取らないよ! 嫌な人すぎるよそんなの」

「年齢言ったそばから敬語じゃなくなってるし、どうだか。……ボクは17歳。だからって言っとくけど舐めないでよね」

「……敬語の方がいい?」

「いいよ、今更。……よくここに来るか、だっけ」

「あ……ありがとう。うん」

 彼の方に目をやれば、青年の猫目がふ、と伏せられた。

「……ここ、綺麗だから。それに、精霊の加護が満ちてるし」

 精霊の加護。ヤコブさんが森に住むのを好んでいたのも、たしかそれがあったからだ。それほど加護とやらはこの世界では重宝されるのだろうか。なにかお得な効果があったりするのかな。

「精霊の加護……があると、やっぱり凄いの?」

「……無知すぎない? 子どもでも知ってるようなことなのに、どこまで世間知らずなの」

「あはは、いやぁ……」

 刺さる視線で胸が痛い。知っていて当然の常識らしいが、生まれも育ちもこの世界ではないからわからないのだ――なんて弁解は、本当に不審者だと思われるだけだろう。

「加護があると、魔法の精度や効果が上がる。それに、持つ魔力が呼応して気分が落ち着きやすくなる」

「そうなんだ……すごいな」

 どうやらリラックス効果があるらしい。俺にはこれっぽっちも魔力が無いため呼応も何も無いだろうが、それでも不思議と清々しい気持ちになる。パワースポットのようなものだろうか。どこかお寺や神社に近い、神聖な空気に似たものを感じた。

「良い場所だなぁ」

「……満月の晩はここの加護が一段と強くなる。それに、水面に大きい月が映ってきらきらして綺麗だから、ボクも嫌いじゃない」

「へえ! 見てみたいな」

「次の満月は五日後。知らなそうだから教えてあげる」

「知らなかったからありがたいです……」

 ふあ。あくびをひとつ。なんだか、眠くなってしまった。
 そろそろ帰った方が良いだろう。ロイも寝ているだろうから、音を立てないようにしないと。

 少年に向き直って、口を開く。

「ねえ、またここに散歩しに来てもいいかな。満月じゃない日でも」

「……そんなの聞かないでよ。勝手にすればいいでしょ」

「もともと君がいた場所だし、落ち着けないとか迷惑になることはしたくないから」

「アンタなんかにペース乱されたりしないし。来たいなら来れば」

 す、と彼が立つ。

「あ、もう行っちゃうの?」

「アンタが来るよりずっと前から居たし、いつもこのぐらいで帰るって決めてる」

「そっか……明日もここに居る?」

「居るけど」

「わかった、また明日ね!」

「……ふん。ほんっっと、子供みたいな大人」

 吐き捨てられた毒舌に、吹き出しそうになる。確かに彼は俺よりずっと大人びているのだが、捨て台詞こそ率直に言えば子供っぽいものだったからだ。
 言葉こそ厳しいけれど面白い子だ。もっと、彼を知ってみたい気がした。
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