白狼アルファは純真オメガの初恋に堕ちる

四宮薬子

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 キリアンが朝食をしっかりと摂る方だと初めて知った。朝から肉料理が出てきて、それと同じ分だけ野菜や豆をしっかり食べている。
 対するレナエルは朝からガッツリとした肉料理は食べない。日替わりのパン、スープ、目玉焼き、小皿に入れられたサラダぐらいだ。たまにソーセージが出てくる。
 キリアンはレナエルの食事を不思議そうに見ていた。
「朝からそれだけで足りるのか?」
「僕は獣人の皆さんとは違いますから……、これぐらいがちょうど良いんですよ……」
 実家でも両親や兄二人の食事はレナエルに比べてボリュームがあった。キリアンも同じ肉食獣をルーツに持つ獣人だから、消費エネルギーもレナエルとは違うのだろう。
 メインを食べ終え、食後の紅茶を飲みながら、レナエルはキリアンの様子を伺う。
 食事中、会話が弾んでいたとは決して言い難い。
(色々聞きたいんだけど良いかな……、更に嫌われないかな……)
 頭の中でぐるぐると考えてしまう。けれど、今までこういう機会はなかった。
 レナエルは一口、紅茶を口に含み、飲み下す。少し緩い温度になっていた。
 そして思い切って、自分から話しかけてみる。
「あの……、キリアン様」
「なんだ?」
 存外、キリアンの声色は冷たくない。
「どうして、温室にいらっしゃったんですか……?」
 これはレナエルの素直な疑問だった。キリアンは忙しくしていて、それにレナエルを初夜の日に拒絶した。手紙の返事も来たことがない。
 なのになぜ、いきなりレナエルが毎朝来ている温室に現れたのか、純粋に気になったのだ。
 レナエルの疑問に対する答えを、キリアンは何でもないことのように言い放った。
「花も、手紙も辞めさせようと思ったからだ」
 え、と小さく呟く。半開きになった唇のまま、レナエルはキリアンを見つめた。
「手紙も、全て読んだぞ」
「そ、そうですか……」
 何だか居た堪れない思いが込み上げてきて、レナエルは目を伏せた。
 レナエルからの手紙を全て読み、辞めさせようと思ったということは迷惑だったということだろう。
(どうしよう……。手紙なんか送るんじゃなかった。花も好きじゃなかったのかも……)
 狼獣人の鼻は特に効くという。匂いがそんなにキツくないものを選んだつもりだったが、もしかしたら嫌な香りだったのだろうか。
 それとも色や花の形が嫌いだったのだろうか。そもそも植物が好きではない可能性もある。そうなると、レナエルは自己満足のためにキリアンに花や手紙を押し付けていたことになる。
 考えれば考えるほど、思考は悪い方へと向かっていく。
 もしかして、離縁を切り出すためにわざわざ忙しい時間の合間を縫って、会いにきたということだろうか。
 勝手な想像で、レナエルは顔を青くしていく。ティーカップを持つ手が震えた。 
「手紙と花、毎日ありがとう」
 予想していなかった言葉をかけられ、レナエルは顔を上げた。
「実は、最初手紙は読んでいなかった。どうせ俺が言ったことに対する言い訳だとか、否定が並べられてあるだけだろう、と勝手に決めつけていたからな。だけど、捨てることもできなくて、贈られてくる花が一日ごとに違うことに気がついた。それで、一週間で花瓶に生けられている花が完成したことに気がついて、その時、初めて手紙を読んだ」
 ここでキリアンはカップに口をつけた。彼は食後にコーヒーを飲んでいる。
「すまなかった、勝手な思い込みでお前を傷つけた。初夜の日にあんなに酷いことを言ったのに、それでも俺のことを想ってくれていて、ありがたく思う」
 思いもよらないことを言われ、レナエルはぽかん、としてしまった。間抜けな表情になっていることに気がつき、レナエルは慌てて唇を引き結び、小さい声で言葉を発した。
「だって、その……、好きな人ですから、キリアン様に助けていただいた時からずっと……、僕は八年間ずっと、キリアン様のことを想ってきたんです、初恋なんです」
 初夜の時は必死で、誤解を取り除きたい一心で『好きだ』と告げてしまったが、今は違う。
 好意を言葉にするのはとても恥ずかしいが、言わなければ伝わらない。言い終えたレナエルの頬に朱が差した。
「それは単に、俺に対して恩義を感じているだけではないのか?」
「それだけじゃないです……、ちゃんと恋愛感情もあります。恩義だけで結婚なんか決めないです……」
 恋愛感情というと、自分の性的な感情を暴露しているようで恥ずかしかった。レナエルの最初の発情期は十四歳の時だったが、キリアンとの淫らな夢を見て、発情期に入ったのだ。
 まあ、そんなことまで暴露しなくとも良いだろう。
「僕は、キリアン様が好きです」
「……そうか」
 キリアンからの返事はそれだけだった。
(キリアン様からすれば僕は助けた多くのうちの一人だし、特別な感情はないよね……)
 そう考えるとまだ二人の間には溝がある。
 どうすれば埋められるのか、レナエルにはまだわからない。
 食事が終わりそうになった時、レナエルは侍女に声を掛けられた。
「妃殿下、新聞でございます」
「あぁ! ありがとうございます」
 毎朝、朝食が終わりかけた頃、レナエルは朝刊を読む。いつものように持ってきてくれたのだろう。
 侍女から新聞を受け取ると、キリアンは意外そうな顔をしていた。
「お前、新聞なんか読むのか?」
「ええ、実家にいた頃からきちんと欠かさず朝刊を読んでいます。両親や兄たちが下々の者たちのことを知るために読んでいたので、その影響ですね。僕もずっと世間知らずではいられませんから」
 本当はキリアンの記事を探し、スクラップするためでもあるのだが、それは恥ずかしくて言えない。
「そうなのか、意外に勉強家なんだな……」
 キリアンは関心したような表情でレナエルの手元の新聞を見ている。
 そんなキリアンにレナエルは、ずっと考えていたことを恐る恐る口に出した。
「あの、もしよかったら……、お忙しくない時、朝食だけでも一緒に摂っていただけませんか?」
「朝食?」
「お忙しいのはわかっています。けれども、このままだと僕も寂しいですし、キリアン様と一緒にいたいです……」
 レナエルの言葉を聞いたキリアンは、しばらく黙り込む。機嫌を損ねてしまったのかもしれない、と感じたレナエルは悲しくなり、俯きそうになったが、灰褐色の瞳と目が合い、離せなくなった。
 レナエルの大好きな、キリアンの真摯で、真面目な視線だ。
「それで俺がお前を愛するようになるとは限らない。それでも良いのか?」
 きつい言葉だ、と感じた。だが、今回衒いなく本音をぶつけてくれたことはレナエルを拒絶するためではないだろう。瞳を見ればわかる。
 それだけでも大きな進歩だ。レナエルは薄く笑った。
「構いません……、僕のわがままにキリアン様が付き合ってくださっているだけですから。それだけで幸せです」
 思い描いていた結婚生活とはかけ離れている。けれど、本来好きな人と同じ時間を過ごせるだけで幸せなのかもしれない。
 現に今日、会話は弾まなかったし、『愛せるかどうかわからない』とはっきり告げられてしまったが、レナエルはキリアンのことを更に強く好きになったように感じる。
(これだけでも良いんだ、これが僕の幸せの形なのかもしれない)
 レナエルはキリアンに向けて、もう一度、微笑みかけた。
 
 キリアンが忙しい日以外、食事を共に摂ることが日課になった。
 朝食が無理なら、昼食か夜食、もしくは両方、わざわざ時間を取ってくれる時もあった。
 本人曰く、『約束は必ず守る』とのことで、その誠実さにレナエルは更に惹かれた。
 食事中の会話も色っぽい話や夫婦らしい会話をするわけではない。
 たわいない話題を、主にレナエルが話している。キリアンは仕事のことは一切話さない。口数も少ないが、レナエルに話を合わせてくれ、相槌を打ってくれた。
 それだけでも幸せな気分だ。
 それと温室通いは続けていた。正式にキリアンから許可も貰ったのだ。
 今朝、キリアンは早朝から仕事をするとのことで、レナエルがキリアンと顔を合わせたのは夕食の時になった。
 キリアンは約束を守り、一日の食事の内、どこか一食だけでもレナエルと摂ってくれるようになったのだ。
 ある時、身体が細いから肉を食べろ、とキリアンに言われたので、夕食はレナエルもキリアンと同じものを用意してもらうことになっている。キリアンほどの量は食べられないので、半分ほどに減らしてはもらっているが。
 レナエルの手首を掴んだ時、あまりの細さに内心では驚いていたらしい。
 それに温室や花壇では土を運んだり、重たい器具を持って作業をしたりする。
 食事を変えてから少し力がついたような気がした。今朝は今まで重くて運べなかった肥料袋を一人で持つことができたのだ。
 できることが増えると嬉しい。次はあれがしたい、これが気になる、と色々と興味も出てくる。
「遅れてすまない、先に食べていてもよかったのに」
 今朝の出来事を思い返していると、慌てた様子で、キリアンが食堂に入ってくる。白いシャツに紺のスラックスというラフな格好だ。もう今夜は仕事をしないのだろう。
「いいえ、僕が一緒に食べたくて勝手に待っていただけです。お気になさらないでください」
「すまないな、それでは食事を始めようか」
 キリアンが席に着くと、食事が運ばれてきた。
 今夜は香辛料をたっぷりと使った肉料理だ。 レナエルは食べやすいよう、一口サイズに切り取り、口に運ぶ。
 キリアンの皿を見ると、レナエルの二倍の大きさの肉が盛られていた。しかし、何だかいつもと様子が違う。
 明らかに食べるスピードが遅い。いつもならガツガツと、しかし決して下品な所作ではなく、見ていて気持ちいいほどの食べっぷりであるのに、今夜に限ってはフォークで肉を運ぶ動作が遅く見えた。
 心なしか、元気がないようにも感じる。何か考え事でもしているようだ。
「あの、キリアン様……」
 気になったレナエルはおずおずと話しかける。
「……ん?」
 返事をしたキリアンの反応も鈍い。やはり何かあったのだろうか。
「何か、ご心配事でも……、あったのでしょうか?」
 キリアンはレナエルの『共に食事を摂りたい』という願いを叶えてくれている。
 まだ自分がキリアンにとって何の役に立つのかはわからない。だが何かできることがあるのなら、キリアンを助けたい。
 言葉はすぐに返ってこなかった。レナエルは沈黙を埋めるように言葉を続ける。
「えっと、その……、キリアン様にお肉を食べなさいって言われて、前よりもお肉を食べるようになって少し力がついたんです。前まで一人で運べなかった肥料袋を運べるようになったり、剪定鋏も前よりも長い時間持っていられるようになったりとか……、だからその、えっと……」
「別にお前に力仕事は期待していない」
 ピシャリ、とはねのけられ、レナエルはしゅん、となってしまった。
「そうですよね、ごめんなさい……」
 変に自信がついて調子に乗りすぎたかもしれない。レナエルは黙って、サラダのトマトをフォークで刺し、口に運ぶ。思ったよりも酸っぱく感じた。
 すると、今度はキリアンから話しかけられた。
「レナエル、お前、今でも人買いたちは怖いか?」
「それは……、怖いですよ」
 当たり前だ。誘拐された時の記憶は未だに消えない。
 手足を縛られたから、身体にフィットする服は苦手だし、就寝する際も完全な暗闇にはしない。というかできない。
 だが、それがどうしたのだろう。人買いが怖い存在なんて、レナエルを救出したキリアン本人が一番よくわかっているのではないだろうか。
「一体、何ですか? なぜそのようなことを尋ねるのですか?」
 キリアンはレナエルをちら、と見る。そしてコーヒーを飲むと、考え込むように話し始めた。
「実はな、以前、幼いオメガを誘拐し、取引きしていた組織を摘発したんだ」
「あぁ、新聞で読みました。知っています」
 二週間ほど前のことだ。もちろんスクラップノートにも挟んであった。
「その被害者の大多数が身寄りのいない、未成年のオメガの子供達だ。王都のいくつかの救民院に分けて保護されているんだが、大きく心を傷つけられていて、ひどく怯えていたり、他人に乱暴をしたり、自傷行為に走る子までいて、大層手を焼いているらしい。どうにかならないか、と救民院の職員から要望が上がっていて、医師やオメガの騎士を派遣しているが、どうにも効果がない」
「なるほど……」
 それはとても心が痛む。レナエルも誘拐されてからしばらくはトラウマに苦しんだ。家族や使用人たちの手厚いフォローや支援があって、今は普通に暮らせているが、当時は酷い状態だった。
「もし、お前の心の負担にならないのなら、子供達の慰問に行ってやってはくれないだろうか?」
 キリアンは探るような視線をレナエルに向ける。しかしその視線は試しているようなものではなく、レナエルを気遣っているものだ。
 それは、初めて見るキリアンの表情であった。レナエルは俄かに驚く。
(あ、もしかして、キリアン様に頼られている……?)
 仕事の話をされるのも初めてで、こうやって何かして欲しい、と頼まれるのも初めてだ。
 それに気がつくと、純粋に嬉しい、という気持ちが込み上げてくる。
 しかし誘拐された時のトラウマを完全に克服したとは言い難い。向き合うのは少し怖い思いもある。
 なので、咄嗟に返事ができなくて、レナエルは唇を引き結んでしまった。
「無理に、とは言わない。子供達から、昔を思い出すような話をされるかもしれない。無理なら何か他の案を考えようと思う」
「ええ、少し怖いです。けれども昔の僕みたいな、怖い思いをした子供達のことは気になります。力になれるのなら、力になりたいです」
「大丈夫か? 無理ならいいんだ」
 不安があるが、キリアンの役に立ちたい。そんな子供達のことは放ってはおけない。
「大丈夫です、やります」
 決意したレナエルは、はっきりと応えた。
「そうか、ありがとう……、レナエル」
 優しい声で笑いかけられる。普段のクールで真面目な表情も好きだが、柔らかな笑顔のキリアンも素敵でドキドキしてしまった。それにこの笑顔はなかなか見られないから、とても貴重だ。
(何をすれば慰めになるだろう。ピアノとか?)
 ピアノは小さい頃からずっと習っていて、昔は結構自信があったのだが、王宮で暮らし始めてからめっきり弾く機会が減ってしまっていた。
 色々と思い浮かんでくることをキリアンに話すと、それは良いな、と穏やかな笑顔をまた見せてくれる。
 そう言われると、レナエルは張り切ると同時に、勇気づけられた。そして、キリアンの笑顔にぼうっと見惚れてしまう。すると不思議そうな顔をされてしまい、慌てて何でもないように取り繕い、二人で話し合いを重ねた。
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