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第110話 ウォーク・イン・ザ・ウォール
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『絶壁』
壁の内部を上へ上へと上っていくにつれ、なぜここがそう呼ばれるのかわかってきた。
「ちょっ……ちょ、ちょっとルード……これ……」
いたるところで。
「あっ、うん……あんまり見ないようにしよう……」
行われているからだ。
「えっと……テスちゃん、見ちゃダメ……です……うぅ……」
その。
「あらぁ、テスは私たちの中で一番詳しいのではなくてぇ?」
営みが。
嬌声。
嬌声。
嬌声。
嬌声。
嬌声。
そして、時たま聞こえる得も知れぬ男たちの不規則な息遣い。
淫靡な匂い。
微かに影で確認できる、蛇のような動き。
「ふむ。ほんとうに人間とは、くだらぬものだな。このようなことにうつつを抜かすとは」
そうはいいつつも、本の知識ばかりの耳年増テス。
視線はチラチラを落ち着きなく奥の方を見ている。
その、奥の方。
薄い色のベールでいくつかの空間に区分けされた、その一画ごとに男女一組ずつ。
一つの階層に大体七つほど設けられた「部屋」で、彼らは営みを行っている。
「人間ってのはすごいわねぇ……。まさか、魔界を隔てた壁の中で、こんなに欲をぶちまけてたとは……。私から見てもこれは罰当たりに感じますわぁ」
「わわわ、セレアナさんもテスちゃんも見ちゃダメです!」
二人の視界を塞ぐラルクに、セレアナがからかうように声をかける。
「神官ラルクは、この淫蕩に耽る者たちのことは知っていたのかしらぁ?」
「し、知るわけないじゃないですか! 大体、ボクはここに赴任してきて、ずっと穴を掘ってたんです! こ、こんな……こんな……こと……ごくりっ」
「ラルク、よだれが垂れておるぞ」
「たたた、垂れてません! よだれなんか生まれてこの方垂れたことがありません! あれです! 松明の光の反射的ななにかです!」
「お、おう……そうか……」
あまりに必死なラルクくんの否定っぷりに、ちょっと引き気味のテス。
「神父さん、もうちょっとお静かにお願いできないッスかね。別にアンタのとこの信者じゃなかったら、淫猥だろうがなんだろうが構わねぇわけでしょ?」
「そ、それはそうですが……! でも、こんな……こんな、けしからんこと……」
「ラルク、鼻の下が」
「伸びてません!」
気配察知スキルでも使ったかのようなラルクくんの素早い返答。
「はぁ……ったく。えらいの連れてきちゃったッスね」
ドミー・ボウガンが呆れたように呟く。
「いや、ほんと……でも盲点だよね、たしかに。まさか人間と魔族の戦いの最前線が売春宿になってるだなんて……」
「戦いの最前線……ねぇ。どっちもやる気ないんスけどね、実際は」
「そうなの? バチバチに戦ってるのかと思ってた」
「ああ、まぁ、やってるようには見せてますけどね。適当に矢を消費したりしないと、サボってると思われるんで。明後日の方向に射ったりして遊んでるッス」
「遊んで……。そうなんだ……」
もう五階層分は上がっただろうか。
上に上がるにしたがって、仕切られているベールも金や銀の刺繍の入った高価そうなものになり、区分けされた部屋の数も少なく、そして広くなっていた。
延々と繰り返される折返しの階段を登りながら、ドミーは話を続ける。
「そもそも、魔物側も別に攻めてこようなんてしちゃいないッスからね。むしろ、お金もらってこっそり通してたりしますよ」
「えぇ!? そうなの!?」
「えぇ、そもそも考えてもくださいよ。魔物って空飛べるじゃないッスか。あんなの全部撃ち落とすなんてムリっす」
「いや、まぁ、そうだけど……。え、じゃあ、空飛ぶ魔物って……」
「全部フリーパスっすね」
「えぇ!? それなら人間界、大変なことになるんじゃ……」
「さぁ、それがなってないから、どうにか上手いこと折り合い付いてるんじゃないんスか? ちなみに、もちろんこっちは通過した魔物ゼロって報告してますけど」
「そ、そうなんだ……」
「なんていうか、ハリボテね、この壁」
リサの言葉に、ドミーは自嘲気味に笑う。
「ははっ、ハリボテ……。そうッスね、まさにハリボテの巨壁ッスよ。ここは」
頭がクラクラしてくる。
各階層に焚きしめられた香の混じり合った匂いのせいかもしれない。
女の体でよかった。
男のままだったら、なにかよからぬ反応をしてしまっていたかも。
それに。
ゼノス。
あの色欲の権化をここに連れてこなくて本当によかった。
「この壁ができて千年以上。ここのやつは、ここで生まれて、ここで死んでく連中が多いんス。一生壁の中で、女と酒に溺れ、特に意味のない仕事をして、死んでいくだけ。よそから来た商売女……まぁ、姐さん方にしたみたいに拐ってこられた連中が、そいつらの子を産んで。んで、そのエンドレスですよ。それでついた名前が」
絶壁。
「絶壁の意味じゃないんス。絶望の壁で絶壁なんスよ」
絶望の、壁──。
「そういうとこのボスに会うんです。覚悟だけはしといてくださいね」
倦怠と諦めの町、メダニア。
そこのボス、ディー。
バランスブレイカーとも言えるスキルを持ったドミー・ボウガンが怯れる相手。
一体、どんな女なんだ……。
九階層ほど上ったところで、ついに区切られているベールは広々としたもの二つだけとなった。
客からの貢物なのか、美術品のようなものまで飾ってある。
きっと、かなりの上級娼婦なのに違いない。
「次、ッス」
そう短く言ったドミーが、少し重そうな足取りで階段を上がっていく。
ビュオッ──!
顔に風が吹き付けてきた。
屋上。
見渡す限り一面に広がる魔界の景色。
頭の上は、満天の星空。
吹き抜ける風が、ボクらの体にまとわりついた香の匂いを一気に吹き飛ばしていく。
「わぁぁぁぁ! これが壁の上からの眺めなのね!」
リサがパァと顔を輝かせる。
「こんな景色が見れるなんて、やっぱりルードさんについてきて正解でした!」
ルゥも嬉しそう。
「うむむ、これはまさに絶景……! こんなこと、本には書いておらんかったぞ! これが、自分の目で知見を深めるということか……!」
テスも、なにやら感慨深げに唸ってる。
「あ~らぁ! 私の歌うステージにぴったりの舞台じゃありませんことぉ?」
セレアナは……うん、いつものセレアナだな。
「うぅ……ボク、高いとこダメなんです……ぶるぶる……」
ラルクくんは、へっぴり腰でテスのワンピースの裾を掴んでいる。
しかし。
ほんとうに。
戻って、きたんだなぁ……。
学校。
校庭。
土の中。
地底、地獄、そして──。
今は、教会の世話になってる。
戻ってきたんだ、ボクは。
人間界に。
眼下に広がる魔界の景色を見ながら、そんな実感が胸に込み上げてくる。
「ねぇ、リサ、ルゥ、学校ってどの辺なのかな?」
「う~ん、わからないわね。山の形を見る限り、あっちの方じゃない?」
「地図って適当ですもんね。特にこのあたりのは。あ、テスちゃんなら知ってるんじゃないですか?」
「うっ……わがはいの『博識』はまだ回復しておらぬのだ……」
「ほんとかしらぁ? 実は先生も知らなかったりしてぇ~」
「ほ、ほんとだ! わ、わがはいの知識は、すごいんだからな! からかうでない、ばかものが!」
「はいはい、テスちゃんかわいいでしゅね~」
「むぅ~! 頭をなでるでない! 子供あついするな!」
「わわ、テスちゃん、動かないで! 掴んでないと怖いから!」
ハハハ。
気がつくと笑ってた。
いつぶりだろ。
こんなに肩に力を入れずに笑えるのって。
「はぁ……姐さん方、リラックスするのもいいんですが、ちったぁ気合い入れてくださいよ?」
「あ、うん、わかってるよ」
せっかく抜け出してきた魔界。
そこで得た仲間とラルクくんを守るために。
また、魔界とは違った戦いをしなきゃだな。
今度は生きるか死ぬかじゃない。
仲間が、大事な人達が、安心して暮らしていける環境を作るための戦いだ。
まずは、ディー。
この町の支配者からだ。
「よし、じゃあ行こうか」
「お、おぉ……なんか急に雰囲気変わったッスね……」
そりゃ当然。
ボクらは、あの戦いを生き抜いてきた仲間だもの。
そして、女の子を拐って娼婦として働かせてるディー。
ボクたちにまで手を出してきたディー。
きっちりと──落とし前はつけさせてもらうよ。
ザッ。
ボクたちは、歩き出した。
壁の屋上にある詰め所。
ディーの根城、絶壁の最深部へと向かって。
壁の内部を上へ上へと上っていくにつれ、なぜここがそう呼ばれるのかわかってきた。
「ちょっ……ちょ、ちょっとルード……これ……」
いたるところで。
「あっ、うん……あんまり見ないようにしよう……」
行われているからだ。
「えっと……テスちゃん、見ちゃダメ……です……うぅ……」
その。
「あらぁ、テスは私たちの中で一番詳しいのではなくてぇ?」
営みが。
嬌声。
嬌声。
嬌声。
嬌声。
嬌声。
そして、時たま聞こえる得も知れぬ男たちの不規則な息遣い。
淫靡な匂い。
微かに影で確認できる、蛇のような動き。
「ふむ。ほんとうに人間とは、くだらぬものだな。このようなことにうつつを抜かすとは」
そうはいいつつも、本の知識ばかりの耳年増テス。
視線はチラチラを落ち着きなく奥の方を見ている。
その、奥の方。
薄い色のベールでいくつかの空間に区分けされた、その一画ごとに男女一組ずつ。
一つの階層に大体七つほど設けられた「部屋」で、彼らは営みを行っている。
「人間ってのはすごいわねぇ……。まさか、魔界を隔てた壁の中で、こんなに欲をぶちまけてたとは……。私から見てもこれは罰当たりに感じますわぁ」
「わわわ、セレアナさんもテスちゃんも見ちゃダメです!」
二人の視界を塞ぐラルクに、セレアナがからかうように声をかける。
「神官ラルクは、この淫蕩に耽る者たちのことは知っていたのかしらぁ?」
「し、知るわけないじゃないですか! 大体、ボクはここに赴任してきて、ずっと穴を掘ってたんです! こ、こんな……こんな……こと……ごくりっ」
「ラルク、よだれが垂れておるぞ」
「たたた、垂れてません! よだれなんか生まれてこの方垂れたことがありません! あれです! 松明の光の反射的ななにかです!」
「お、おう……そうか……」
あまりに必死なラルクくんの否定っぷりに、ちょっと引き気味のテス。
「神父さん、もうちょっとお静かにお願いできないッスかね。別にアンタのとこの信者じゃなかったら、淫猥だろうがなんだろうが構わねぇわけでしょ?」
「そ、それはそうですが……! でも、こんな……こんな、けしからんこと……」
「ラルク、鼻の下が」
「伸びてません!」
気配察知スキルでも使ったかのようなラルクくんの素早い返答。
「はぁ……ったく。えらいの連れてきちゃったッスね」
ドミー・ボウガンが呆れたように呟く。
「いや、ほんと……でも盲点だよね、たしかに。まさか人間と魔族の戦いの最前線が売春宿になってるだなんて……」
「戦いの最前線……ねぇ。どっちもやる気ないんスけどね、実際は」
「そうなの? バチバチに戦ってるのかと思ってた」
「ああ、まぁ、やってるようには見せてますけどね。適当に矢を消費したりしないと、サボってると思われるんで。明後日の方向に射ったりして遊んでるッス」
「遊んで……。そうなんだ……」
もう五階層分は上がっただろうか。
上に上がるにしたがって、仕切られているベールも金や銀の刺繍の入った高価そうなものになり、区分けされた部屋の数も少なく、そして広くなっていた。
延々と繰り返される折返しの階段を登りながら、ドミーは話を続ける。
「そもそも、魔物側も別に攻めてこようなんてしちゃいないッスからね。むしろ、お金もらってこっそり通してたりしますよ」
「えぇ!? そうなの!?」
「えぇ、そもそも考えてもくださいよ。魔物って空飛べるじゃないッスか。あんなの全部撃ち落とすなんてムリっす」
「いや、まぁ、そうだけど……。え、じゃあ、空飛ぶ魔物って……」
「全部フリーパスっすね」
「えぇ!? それなら人間界、大変なことになるんじゃ……」
「さぁ、それがなってないから、どうにか上手いこと折り合い付いてるんじゃないんスか? ちなみに、もちろんこっちは通過した魔物ゼロって報告してますけど」
「そ、そうなんだ……」
「なんていうか、ハリボテね、この壁」
リサの言葉に、ドミーは自嘲気味に笑う。
「ははっ、ハリボテ……。そうッスね、まさにハリボテの巨壁ッスよ。ここは」
頭がクラクラしてくる。
各階層に焚きしめられた香の混じり合った匂いのせいかもしれない。
女の体でよかった。
男のままだったら、なにかよからぬ反応をしてしまっていたかも。
それに。
ゼノス。
あの色欲の権化をここに連れてこなくて本当によかった。
「この壁ができて千年以上。ここのやつは、ここで生まれて、ここで死んでく連中が多いんス。一生壁の中で、女と酒に溺れ、特に意味のない仕事をして、死んでいくだけ。よそから来た商売女……まぁ、姐さん方にしたみたいに拐ってこられた連中が、そいつらの子を産んで。んで、そのエンドレスですよ。それでついた名前が」
絶壁。
「絶壁の意味じゃないんス。絶望の壁で絶壁なんスよ」
絶望の、壁──。
「そういうとこのボスに会うんです。覚悟だけはしといてくださいね」
倦怠と諦めの町、メダニア。
そこのボス、ディー。
バランスブレイカーとも言えるスキルを持ったドミー・ボウガンが怯れる相手。
一体、どんな女なんだ……。
九階層ほど上ったところで、ついに区切られているベールは広々としたもの二つだけとなった。
客からの貢物なのか、美術品のようなものまで飾ってある。
きっと、かなりの上級娼婦なのに違いない。
「次、ッス」
そう短く言ったドミーが、少し重そうな足取りで階段を上がっていく。
ビュオッ──!
顔に風が吹き付けてきた。
屋上。
見渡す限り一面に広がる魔界の景色。
頭の上は、満天の星空。
吹き抜ける風が、ボクらの体にまとわりついた香の匂いを一気に吹き飛ばしていく。
「わぁぁぁぁ! これが壁の上からの眺めなのね!」
リサがパァと顔を輝かせる。
「こんな景色が見れるなんて、やっぱりルードさんについてきて正解でした!」
ルゥも嬉しそう。
「うむむ、これはまさに絶景……! こんなこと、本には書いておらんかったぞ! これが、自分の目で知見を深めるということか……!」
テスも、なにやら感慨深げに唸ってる。
「あ~らぁ! 私の歌うステージにぴったりの舞台じゃありませんことぉ?」
セレアナは……うん、いつものセレアナだな。
「うぅ……ボク、高いとこダメなんです……ぶるぶる……」
ラルクくんは、へっぴり腰でテスのワンピースの裾を掴んでいる。
しかし。
ほんとうに。
戻って、きたんだなぁ……。
学校。
校庭。
土の中。
地底、地獄、そして──。
今は、教会の世話になってる。
戻ってきたんだ、ボクは。
人間界に。
眼下に広がる魔界の景色を見ながら、そんな実感が胸に込み上げてくる。
「ねぇ、リサ、ルゥ、学校ってどの辺なのかな?」
「う~ん、わからないわね。山の形を見る限り、あっちの方じゃない?」
「地図って適当ですもんね。特にこのあたりのは。あ、テスちゃんなら知ってるんじゃないですか?」
「うっ……わがはいの『博識』はまだ回復しておらぬのだ……」
「ほんとかしらぁ? 実は先生も知らなかったりしてぇ~」
「ほ、ほんとだ! わ、わがはいの知識は、すごいんだからな! からかうでない、ばかものが!」
「はいはい、テスちゃんかわいいでしゅね~」
「むぅ~! 頭をなでるでない! 子供あついするな!」
「わわ、テスちゃん、動かないで! 掴んでないと怖いから!」
ハハハ。
気がつくと笑ってた。
いつぶりだろ。
こんなに肩に力を入れずに笑えるのって。
「はぁ……姐さん方、リラックスするのもいいんですが、ちったぁ気合い入れてくださいよ?」
「あ、うん、わかってるよ」
せっかく抜け出してきた魔界。
そこで得た仲間とラルクくんを守るために。
また、魔界とは違った戦いをしなきゃだな。
今度は生きるか死ぬかじゃない。
仲間が、大事な人達が、安心して暮らしていける環境を作るための戦いだ。
まずは、ディー。
この町の支配者からだ。
「よし、じゃあ行こうか」
「お、おぉ……なんか急に雰囲気変わったッスね……」
そりゃ当然。
ボクらは、あの戦いを生き抜いてきた仲間だもの。
そして、女の子を拐って娼婦として働かせてるディー。
ボクたちにまで手を出してきたディー。
きっちりと──落とし前はつけさせてもらうよ。
ザッ。
ボクたちは、歩き出した。
壁の屋上にある詰め所。
ディーの根城、絶壁の最深部へと向かって。
応援ありがとうございます!
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