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第92話  ベンキ出版社

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 イレーム王国の王都イシュタム。
 背後を険しい山脈で覆われ、清き水と海まで広がる肥沃な大平原に恵まれた、メルセルティス大陸において最強、最盛──そして堅牢を誇る都。
 その王都イシュタムのぎりぎりスラムに区分されないあたりの一画。
 そこに、ベンキ出版社はあった。

「はぁ……。カールくん……」

 社長兼編集長のグレゴリウス・ベンキが、諦めの色の濃い溜息を漏らす。

「はいっ!」

 カールと呼ばれた金髪碧眼の青年は、小さな目をキラキラと輝かせて元気よく答えた。

「いや、『はい』じゃなくてさぁ……。何回も言ってるよねぇ? 著者不明の怪しい原稿は採用できないって」

「はいっ! ですので、ボクの名前で出版しております! よって、著者不明ではないです!」

「はぁ~~~……」

 グレゴリウス・ベンキは、「編集長」と書かれたプレートの置かれた机に肘をつき、力なくうなだれる。

「あのねぇ、カールくん? それ、パクリっていうの。わかってる? キミは誰のものともしれない原稿を勝手に丸パクリして、勝手に出版してるの。そのヤバさ、わかってる?」

「わかっておりません! もし本人が現れた場合には、ボクが得た売り上げ金の全てを譲渡するつもりです! なので別に構わないかと!」

 グレゴリウス・ベンキの肘が、机の上をズズズと這っていく。

「構わなくないんだよぉ……。絶対に後から揉めるんだよぉ、この手のものはさぁ……」

 グレゴリウス・ベンキ──腐っても古くからある貴族の端くれである彼は、とうとう頭を抱えて机に突っ伏してしまった。

「でも!」

 小さい小さい出版社。
 その唯一の平社員であるカール・スモークは、グレゴリウス・ベンキの後ろに回ると、分厚い肩をグイッと揉んだ。

「うぎっ!」

 不意に肩を揉まれた肩こりグレゴリウス・ベンキは声を上げる。

「ボクのおかげで赤字経営から脱出できましたよね!?」

「うぐぐ……たしかにそれはそうなんだが……」

 もみもみと徐々にほぐれていく肩に頭を揺られながらベンキは答える。
 両手に力を込めるリズムに乗って、カールくんの弁舌に熱が入っていく。

「赤字にあえいでいた我がベンキ出版社。名門ベンキ家の五男坊グレゴリウス・ベンキ様が、世に真実を伝えるべく気勢よく立ち上げた弊社へいしゃ! あぁ、しかし、なんということでしょう……! 世の中は真実など求めていはいなかったのです! 世の中の民の求めているもの、それはっ──」

 ぐぐっ!

「ひぐぅ! いたい、カールくん、痛いから!」


「娯楽っ!! なのですっ!」
 

 粗雑な古道具屋の二階に間借りしているベンキ出版社。

「ちょっと! うるさいよ、あんたらっ!」

 今日も階下から家主のおばあちゃんに怒られる。

 ガララッ!

「あぁ……ひぃ……すみません、ほんと、いつもいつも……」

 建付けの悪い窓を開け、四角い顔を覗かせたベンキが表通りの家主に向かってペコペコと頭を下げる。

「いいですか? 五年前にボクの名前で出版した『最強の鬼族に生まれたオレ。魔神から閻魔に任命され、めちゃかわロリっ子鬼の秘書と一緒に働いてます』。これが大ヒットに次ぐ大ヒット。おかげで溜め込んでた借金も全て返し終わりました。でっ! さぁ、これからってところなんです、弊社は!」

 再び大家さん。

「うるさいよっ!」

「はひぃ、すみません……! カールくん、あの……声抑えてね?」

 ベンキは横に広い体をキュッとちぢこませる。
 カールは、そんな上司にお構い無しで続ける。

「編集長、わかってますよね? ここが勝負のかけどきなんですよ!」

 ずいっ。

「うっ……」

「このまま、ただ一発当てただけの弱小出版社で終わるのか……」

 ずずいっ。

「うううっ……ちょっと、あんまり顔近づけないで……」

「それとも、二発目を当てて、編集長の望んでいた『正義ある出版物』を世に送り出す余力のある出版社に成長するのか!」

 ずずずいっ! 

「うぅ~…………」

「さぁ! どっちなんですっ! 編集長!?」

 ずずずずいっ!

「はぁ~………………わかった、わかったよ……だから離れてくれ……。キミに詰め寄られるとイヤな汗かくよ、ほんとに……」

 壁際まで追いやられた編集長グレゴリウス・ベンキは、観念したかのように白旗をあげる。

「わかってくれましたか!」

「でもね、その前に……」

 ベンキは、ずり落ちかけていた丸メガネをくいっとかけ直す。

「判定だけは、させてもらうからね」

「当然です! どうぞっ!」

 カール・スモークがウキウキとした様子でデスクの上に原稿を広げる。


 カッ!


 ベンキはずり落ちた体を引き起こすと、丸メガネの鼻部分を押さえ、なにやら気を張り詰める。
 すると、ベンキの体が金色のオーラに包まれていった。
 ベンキの髪が逆立つ。
 と同時に、名家ベンキ家の五男坊グレゴリウス・ベンキのスキルが発動した。


 【拡散的未来予測バズリズフューチャー


 シュゥゥゥゥゥゥ……!


 原稿の上にモクモクと小さい黒雲が現れ──。

『花丸』

 を描くと、ポンと音を立てて消えた。

「おおっ! ほら、ヒット確実じゃないですか! 花丸ですよ、花丸! しかも前の時よりも大きな! いや~、これまで編集長の予測が外れたことはないですからね! これできっと我が社は安泰! 連続ヒットで中堅出版社になること間違いなし!」

 諸手を挙げて大喜びのカール。

「いや、カールくん? 私のスキルは完璧じゃないからね? 未来が変わることもあるし? だからほら、正義の告発本だってさ、これまで売れないと判定されてきたけど、我々の努力次第で売れるかもしれないわけだし?」

「まぁまぁ! いいじゃないですか、編集長! 告発本なんて絶対に売れませんって! 人々は御大層な正義なんかよりも、悪の魔神が痛い目遭う方に興味があるんですよ!」

 バンバン!

「ちょ、カールくん、あんまり強く背中叩かないで……! それと声、もうちょっと抑えて……」

 案の定聞こえてくる再三の家主。

「うるさいよ!」

 ガラッ!

「は~い、すみませ~ん! でも、ボクたち来年にはここ出ていってると思うんで我慢してね、おばちゃ~ん!」

「こら……! カールくん、せっかく貸してくださってる家主さんになんてことを……」

「いいんですよ! これくらい自分たちにプレッシャーをかけといたほうがいいです! ってことで!」

 どんッ!

 カール・スモークは膨大な量の粗末な紙を机の上に積み上げる。

「どんどん書いていきますんで、製本作業お願いしますね!」

「あ、あぅ……」

 カール・スモークはアームカバーを付けた腕を掲げると、くるりとペンを回す。


 【自動模写オートリプロダクション


 瞬間、カールの背中はピンと伸び、まるで自動人形かのように次々と原本を紙に書き写していく。

「はぁ……」

 ベンキ出版社の社長兼編集長、グレゴリウス・ベンキはため息をつく。

「私の職業特性【リスクヘッジ+】では、この本を出すのは危険度がかなり高いって判定出てるんだけどなぁ……」

 そんなボヤキも、もう自動スキルに入った部下の耳には届かない。

 ぴらっ。

 ベンキは、足元に落ちたザラザラの安紙を拾い上げる。
 そこには、こう書かれていた。


『天界の手下の鑑定士が鬼族最強の閻魔であるオレに卑怯な罠を仕掛けてきたものの、聡明なる頭脳で華麗に返り討ちにし、ついでにクソ魔神サタンも軽くボコってみた件 著者:カール・スモーク』


「魔神サタンに鑑定士、ねぇ……。そんなもん本当にいるなら、お目にかかってみたいもんだよ……」

 グレゴリウス・ベンキは、ため息をつく。
 己と部下がこれから巻き込まれていく動乱を、ほんのりと予感しながら。
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