34 / 111
第二幕 映画撮影と超新星
ACT33
しおりを挟む
陽の陰った都心の片隅に建つ高層ビル。高島玲子はその屋上から眼下に広がる街を見下ろす。往来を繰り返す人波。常に道路を埋め尽くす車の群れは、少しでも先に進もうとアクセルが踏まれる。遠くで響いたクラクションが次第に伝達されるように拡散される。クラクションに続く怒号は何を言っているのかまでは聞き取れないが、ちょっとした騒ぎに発展していた。
眼下の喧騒とは裏腹に、高島玲子の心は穏やかだった。
穏やかと言うのは少し違うかもしれない。何もこの街に期待していないのだ。眼下に広がるのは常に裏切られてきた街の景色――。
身も心もすでにボロボロだった。
この街で起きたこと全てが、遠い過去の出来事のように思えた。それこそ前世の出来事と思えるほど遠いものだった。
もう疲れたよ……だから……
ありがとう――ごめんなさい。
手すりに手をかけ身を乗り出す。
突発的に吹いたビル風に後押しされるようにして玲子の身体は都会の喧騒に投げ出された。
玲子はやっと自分の身体が自由になったことを悟った。
身体が軽い。これでやっと自由になれる。
玲子の顔には恐怖など一切なく、吹っ切れたように小さく笑い眼を閉じた――。
「カーット!!」
監督の声が轟くと同時に今まで気配を殺していたスタッフが、獲物に飛び掛かる肉食獣の如く動き出した。
「カメラさ~ん。顔に影掛かってなかった?」
「メイク! 風で髪乱れてるから大急ぎで直しといて」
「監督。ビルの使用許可もう少し押さえときますか?」
「ん~、そうだな。もう何パターンか撮っておきたい」
「わかりました交渉しておきます」
インカムと地声の指示の入り乱れる現場はまさに戦場だった。
「寒い……」
「おい暖房用意しとけって言っただろ!」
「優先順位があるでしょうがッ!」
「あっ、私の方は後でいいので……」
「女優に気ぃ使わせんな!」
「気使わせてるのはあんたの方でしょ!?」
正直どっちでもいいから早く何か温まるもの持ってきて。
台本を手に取り、今撮影しているシーンの部分を開く。
足元にはヒーターが一台。まぁ、無いよりマシだけどさ……。またもめられても面倒な事この上ないので、何も言わない事にした。
【Scene79 ビル屋上】
ビル屋上。
儚げな表情で眼下の喧騒に目を向ける玲子。
手すりから身を乗り出す玲子。
「……」
玲子は、どこか寂しげな笑みを浮かべながら身を投げる。
玲子の台詞セリフは「……」のみ。つまりは、無い。台詞がない分、表情や仕草による表現力が求められる。台詞があった方が演技する身としては簡単――演技しやすい。
王子監督の要求は高い。
その要求に応えるのは骨が折れそうだ。
リハーサルの演技も悪くはなかった。でも、もっと演技の質は上げられる――。
髪を整えてくれていたコウちゃんが髪から手を放す。
「できたよ。結衣」
「ありがと。コウちゃん」
「何度でもメイク直してあげるから、安心して汚してきて来なさい。パイをぶつけられてもすぐに元通りにしてあげる」
親指を立てて見送ってくれる専属メイク。
「コウちゃん。今日は映画の撮影。バラエティー番組じゃないからそんな心配はしてません」
「何々? 新しい演出プラン?」
目の前に急に表れたイケメンが――王子監督が楽しそうに笑う。
「パイですか? やってみますか?」
「えっ! いいの?」
(あれ!? もしかして乗り気!?)
「絶対ダメです!」
「つまんないの」
へそを曲げた子どものような態度でモニター前の指定席へと戻っていく。
ほんとに子どもみたいな人だな。探究心がありすぎる。
これからもっとこの監督に振り回される事になるだろう。ふぅと、大きく息を吐く。
マネージャーの高野さんが肩に手を置き、囁くように言った。
「結衣、気持ちは出来た?」
「……うん」
「いってらっしゃい」
「……うん」
気持ちを作れば作るほど気分は落ちていく。
もう少し深く――役に潜りたい。
空を見上げる。
眩しい。それに比べて私は……、
王子監督が拡声器を握る。
「――本番!」
眼下の喧騒とは裏腹に、高島玲子の心は穏やかだった。
穏やかと言うのは少し違うかもしれない。何もこの街に期待していないのだ。眼下に広がるのは常に裏切られてきた街の景色――。
身も心もすでにボロボロだった。
この街で起きたこと全てが、遠い過去の出来事のように思えた。それこそ前世の出来事と思えるほど遠いものだった。
もう疲れたよ……だから……
ありがとう――ごめんなさい。
手すりに手をかけ身を乗り出す。
突発的に吹いたビル風に後押しされるようにして玲子の身体は都会の喧騒に投げ出された。
玲子はやっと自分の身体が自由になったことを悟った。
身体が軽い。これでやっと自由になれる。
玲子の顔には恐怖など一切なく、吹っ切れたように小さく笑い眼を閉じた――。
「カーット!!」
監督の声が轟くと同時に今まで気配を殺していたスタッフが、獲物に飛び掛かる肉食獣の如く動き出した。
「カメラさ~ん。顔に影掛かってなかった?」
「メイク! 風で髪乱れてるから大急ぎで直しといて」
「監督。ビルの使用許可もう少し押さえときますか?」
「ん~、そうだな。もう何パターンか撮っておきたい」
「わかりました交渉しておきます」
インカムと地声の指示の入り乱れる現場はまさに戦場だった。
「寒い……」
「おい暖房用意しとけって言っただろ!」
「優先順位があるでしょうがッ!」
「あっ、私の方は後でいいので……」
「女優に気ぃ使わせんな!」
「気使わせてるのはあんたの方でしょ!?」
正直どっちでもいいから早く何か温まるもの持ってきて。
台本を手に取り、今撮影しているシーンの部分を開く。
足元にはヒーターが一台。まぁ、無いよりマシだけどさ……。またもめられても面倒な事この上ないので、何も言わない事にした。
【Scene79 ビル屋上】
ビル屋上。
儚げな表情で眼下の喧騒に目を向ける玲子。
手すりから身を乗り出す玲子。
「……」
玲子は、どこか寂しげな笑みを浮かべながら身を投げる。
玲子の台詞セリフは「……」のみ。つまりは、無い。台詞がない分、表情や仕草による表現力が求められる。台詞があった方が演技する身としては簡単――演技しやすい。
王子監督の要求は高い。
その要求に応えるのは骨が折れそうだ。
リハーサルの演技も悪くはなかった。でも、もっと演技の質は上げられる――。
髪を整えてくれていたコウちゃんが髪から手を放す。
「できたよ。結衣」
「ありがと。コウちゃん」
「何度でもメイク直してあげるから、安心して汚してきて来なさい。パイをぶつけられてもすぐに元通りにしてあげる」
親指を立てて見送ってくれる専属メイク。
「コウちゃん。今日は映画の撮影。バラエティー番組じゃないからそんな心配はしてません」
「何々? 新しい演出プラン?」
目の前に急に表れたイケメンが――王子監督が楽しそうに笑う。
「パイですか? やってみますか?」
「えっ! いいの?」
(あれ!? もしかして乗り気!?)
「絶対ダメです!」
「つまんないの」
へそを曲げた子どものような態度でモニター前の指定席へと戻っていく。
ほんとに子どもみたいな人だな。探究心がありすぎる。
これからもっとこの監督に振り回される事になるだろう。ふぅと、大きく息を吐く。
マネージャーの高野さんが肩に手を置き、囁くように言った。
「結衣、気持ちは出来た?」
「……うん」
「いってらっしゃい」
「……うん」
気持ちを作れば作るほど気分は落ちていく。
もう少し深く――役に潜りたい。
空を見上げる。
眩しい。それに比べて私は……、
王子監督が拡声器を握る。
「――本番!」
0
お気に入りに追加
18
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ルナール古書店の秘密
志波 連
キャラ文芸
両親を事故で亡くした松本聡志は、海のきれいな田舎町に住む祖母の家へとやってきた。
その事故によって顔に酷い傷痕が残ってしまった聡志に友人はいない。
それでもこの町にいるしかないと知っている聡志は、可愛がってくれる祖母を悲しませないために、毎日を懸命に生きていこうと努力していた。
そして、この町に来て五年目の夏、聡志は海の家で人生初のバイトに挑戦した。
先輩たちに無視されつつも、休むことなく頑張る聡志は、海岸への階段にある「ルナール古書店」の店主や、バイト先である「海の家」の店長らとかかわっていくうちに、自分が何ものだったのかを知ることになるのだった。
表紙は写真ACより引用しています
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる