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終章《図書館司書の日常》

#1

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 相変わらず客足のまばらな図書館。紙本シオリは今日もカウンター席に座って司書業務に従事する。
 新春プレゼントキャンペーンの効果か、わずかではあるが客足が増えたように思う。
 あくまで、そんな気がする、というだけだ。
 
「こんにちは」

 シオリは視線を落としてから挨拶を返す。
 新春キャンペーンを行っていた時に来館してくれてから、定期的に図書館に足を向けてくれるようになった新たな常連さん。
 
「今日は叔父さんと一緒じゃないの?」
「うん、おじさんもいそがしいんだって」

 残念そうに視線を足下へと向ける。

「そうか、寂しいね」
「でも、へいき。おじさんがわたしの本をかいてくれたから!」

 ランドセルを背負った常連は、この図書館では蔵書数の少ない児童書を求めて駆けて行った。
 わたしの本か……。

「元気だねぇ」

 ショウスケが小さくなる赤い背中を眺めながら言う。
 シオリはショウスケの人柄をよく知らないので一概には言えないが、

「変態みたいなのでやめた方がいいですよ」
「紙本さん、相変わらず辛辣だね~」
「何でうれしそうなんですか?」
「ん、う~ん。そういう癖(へき)なのかな?」

 笑顔でさらっと言ってのけるあたりが、気味悪さを増長する。
 からかっているだけだな、と早々に判断し、仕事に戻る。

「仕事してください」
「もうかまってくれないの?」

 やっぱりちょっかいを出していただけのようだ。返しちゃダメ。無視を決め込まなくては。

「あ、棚本君。こんにちは」
「こんにちは!」

 シオリはキーボードに手を置いたまま、顔だけをあげた。最高の笑みをたたえて。

「ま、棚本君は今集中講義の真只中だから来るわけないけどね」

 ショウスケが語末に「W」と付きそうな勢いで噴き出す。

「来たと思った? ね? ね?」としつこいので黙らせる――鉄拳制裁。

「貸出しお願いします」
「はい。こちらにどうぞ……あっ、ご無沙汰しています」
「お久しぶりです。樫本先生」


  ***


 今年も蝉の大合唱の季節がやってきた。
 一年ぶりの大合唱は去年よりもパワーアップしているようだ。

 実は蝉はひそかに冬を越して年々その合唱団の数を増やしているのではないか、などと言う空想をしてみる。あながち間違っていないかもしれない。

 夏の熱気に頭をやられてしまったのかもしれない。クールダウンをしなくては。
 フミハルにとっての癒しは彼女と――シオリと一緒にいること。と言うわけでフミハルは講義が終わるとすぐさま図書館へと向かう。

 次のコマにも講義は入っていたが、今のフミハルには癒しが必要。故にこれはサボりではない。明日事務局に公欠願いを申請してみよう。
 
「棚本。お前かなり頭やられているぞ。医者に行こう」

 アキラが心配そうに医者を勧めてくる。
 どうやら心の声が漏れ出てしまっていたようだ。
 
「大丈夫だよ。そんな事よりお前も一緒に図書館に行かないか?」
「大丈夫じゃないな」

 アキラはそう呟きながらもフミハルの後をついてくる。
 蝉時雨を全身で浴びながら図書館へと向かう。
 
「なんか今日は洒落た格好してるな」
「ん? そうかな?」

 アキラはとぼけてみせる。
 おそらく今日は学校終わりにデートにでも行くのだろう。
 羨ましい。

 フミハルはデートらしいデートをしたことがない。
 彼女がインドアな事に加えて社会人という事もあり時間が作れないの――合わないのだ。

 それに、ようやくシオリを外に連れ出せたと思っても、すぐに小説のネタ探しを始める。デートがいつの間にか取材にすり替わってしまっている。
 そんな話をするとアキラは「大変だな」と同情的になる。それはそれでかなりイラつくので口にはしない。

「フミカさん。今日はバイトか?」
「ああ、バイト帰りに大学に寄るってさ」
「相変わらずアツアツだね」
「いや、棚本。お前とシオリさんも相当だと俺は思うぞ」

 仲は良い。今でもシオリへの想いは変わっていない。むしろ胸に抱いた想いは日に日に増している。
 図書館に到着。窓ガラス越しにカウンターにいるシオリを見つめる……

「珍しいな。シオリさんがお客さんと話してるの」

 アキラが何事か話しているが、その声はフミハルの耳には届いてこない。
 フミハルの目に映る光景はショックなものだった。

 シオリが笑っている。自分以外の男に対して、自分にも見せたことの無いような笑みをたたえている。
 フミハルは心臓を鷲掴みにされた様な痛みを覚える。締め付けられる。
 何なんだあのイケメンは!?

「おっ、出てくるぞ」

 そう言うアキラの手を引きフミハルは建物の陰に身を隠す。
 が、図書館から出てきた男に見つかった。そして目が合う。
 ……どうも、と互いに会釈する。
 男は首を傾げながら去って行った。

「何なんだあの男は?」
「それは向こうも思ったことだと思うよ。物陰に身をひそめる男二人組。百人に聞けば百人が俺たちの方を変出者扱いすることは請け合いだな」

 フミハルの耳にはアキラの言葉は届かない。
 図書館に入ると一直線にシオリの下へと向かう。
 カウンターまで来るとシオリはいつもの微笑を浮かべて「どうしたの?」と首を傾げた。

 ……――可愛い。
 それ以上の感想は出てこない。ありきたりな表現、言葉でしかない。しかし、可愛いとしか形容できないそんな微笑みだった。

「簡単な奴だな」

 ため息交じりにアキラが呟いていた。


   ***


「これ、わたしの本なの」

 一冊の本を抱えた女の子が誇らしげに言った。
 フミハルは女の子の言う事の意味を測り兼ねていた。
 疑問符が浮かぶ。

「えーっと……俺はなんて返すのが正解なんだ?」

 フミハルは隣にいるアキラに助けを求める。
 困ったように唸りながらアキラは屈んで女の子の視線に合わせて「それは図書館の本だよ」と正論を言う。
 フミハルにもわかることがあった。アキラの対応は間違っている。
 案の定、女の子は「わたしの本だもん」と口を尖らせ目を伏せる。
 
「おやおや、お二人さん。女の子を泣かせるのはいかがなものかと思いますけど」

 ショウスケが見計らっていたようなタイミングで登場する。
 この人は本当に仕事をしているのだろうか? そう思わざる得ないほどにことあるごとに絡んでくる。

「わたしの本なんだもん……」

 女の子は抱えた児童書をよりきつく自分の方へと抱き寄せた。
 誘拐騒動の後、図書館によく顔を見せるようになった女の子。

 確かに図書館の蔵書は税金で賄われている。そう言った意味では国民の図書――わたしの本という理屈もまかり通るのかもしれない……が、目の前の女の子はそうしたことを言っている訳でないことは直感的に理解できた。

「どうかしましたか?」
 
 背中に声がかけられる。
 振り返るとシオリがやれやれという顔で腰に手を当ててフミハル達を見ていた。

 一言、「カウンター」とだけ言って顎でカウンターへ行くよう指図すると、ショウスケは「あとはお任せします」と手を振りながらその場を後にした。

「で?」

 シオリがフミハルに向かって尋ねる。
 事のあらましを説明しろ、と目が言っている。
 フミハルとアキラで出来るだけ簡潔にそして、わかり易く説明をする。
 話を聴き終えたシオリは女の子に名前を尋ねる。

 すると女の子は「まのか」と答える。
 女の子の名前は真野まのか。大学の近くにあるお嬢様学校に通うお嬢様だ。
 誘拐騒動の時に名前は確認したし、図書館の貸出カードにも名前は記載されているはずだ。
 シオリの性格を考えると、女の子の名前を覚えていないことは充分にありえる話だ。

「この子の名前と、この子が「わたしの本」ということには関係があるんですか?」

 シオリは「もちろん」と言って女の子に本を見せてもらいたいと頼む。
 女の子は頷いて抱いていた本をシオリに渡す。
 ほら、とシオリは本のタイトルを読むように言う。
 言われるがまま本のタイトルを読む。

「『魔女のかくしごと』ですね」
「そういうこと」

 謎はすべて解けたとばかりに、シオリは本をフミハルに見せている。
 フミハルは心の中で突っ込んだ。
 そういうこと、じゃねぇよ!?
 タイトルに謎を解く鍵があるのは間違いない。だが、その鍵をフミハルは見つけることが出来ない。

 アキラの方を横目で窺う。
 視線に気づいたアキラは、肩をすぼめて首を縮めた。
 わからないというデスチャー。
 その様子を見ていたシオリは、ふぅと息を吐いてタイトルの下を指さして読むように命じる。
 シオリの命に従い著者の名前を読み上げる。

「真野貞彦……あ!」
「そう、この本はまのかちゃんの――」
「お父さんの書かれた本ですね!」
「違う。叔父さんの方」

 女の子の叔父さんといえば、誘拐騒動の際に容疑者としてフミハルたちに疑われた人物だ。
 その節には大変失礼な物言いをしてしまった。
 後で謝ったときに笑いながら許してくれた人。
 あの一件からしばらく姿を見ていなかった。執筆をしていたのか。

「加筆修正をしていたんだと思う」とシオリ。

 同じ作家として思うところがあるのか、苦い顔をしている。
 アキラがどうしたのか尋ねると「私も今、ちょうど同じ作業しているから」眉間に皺を寄せて苦々しく口にする。
 相当お疲れのようだ。

 結局は、女の子が叔父さんの自慢をしたかったというほのぼのとした話だ。
 謎解き終えたシオリは足早にカウンターに戻る。
 司書としての仕事もきちんとこなす。
 
「仕事の邪魔しちゃ悪いよな」

 フミハルは書架から一冊本を取って、静かに読むことにした。
 仕事が終わる頃にもう一度来よう。
 帰り道、デートにでも誘ってみようかな。

「俺も少しくらいお洒落してくればよかったかな?」

 アキラに目をやりながら一人呟いた。
 
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