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第四話 風雲急を告げる
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滝の如く、雨が降る。まるで何かに、憤っているような凄まじい雨の降り方だ。
この時期の雨は長引くため、餅菓子に黴が生える。数日前に買い求めたものだが、よりによってなぜこの男の前で出したのか。
自身の行為にそう思った晴明は、料紙に包んだ餅菓子を懐に戻した。
彼の前には両腕を組んで、訝しげに睨んで来る男が立っていた。
長身で青い髪に青い双眸、額と腕に金の額飾りと腕輪、逞しい躯には髪色と同じ肩当てと胸当て、腕には長い領巾を絡ませている。
その表情はといえば額に青筋を張らせ、目じりを吊り上げ、唇をひん曲げている。
「立っていないで座ったらどうだ? 青龍」
十二天将にして東の守護神・青龍――、彼がやって来た途端、晴れていた昊は曇り、土砂降りとなった。間違いなく、彼が運んできたものだろう。
『なにをしている?』
「――だったら食うか? 黴が生えてはいるが」
再び餅菓子を出して青龍に差し出すと、彼の眉尻が、ぴくりと跳ね上がった。この男に冗談は通じない。
『俺が聞いているのは、なにゆえ〝あれ〟を放置しているのかということだ』
剣呑な彼の目は、こちらを睨み殺しでもしそうな迫力がある。だが晴明は、青龍を含む十二天将を使役する彼らの主である。ここで視線を逸らそうものなら、主の器に非ずと異界に去るだろう。そしてもう二度と、降りては来ない。
「あれとは?」
『まさか、本当にわかっていないのか?』
青龍は、目を瞠った。
「青龍、お前らしくないな。いつもなら、はっきり言ってくるお前が」
『俺たちにも、あれの正体がわからないからだ。俺たちの敵となるのか、ならないのか』
青龍に寄れば、姿なき妖がいるらしい。妖気を感じるのだが、すぐに消えるという。
幽鬼騒ぎに振り回されて危うく忘れかけていたが、青龍が妖気を感じたという妖は、蛙の化生が言っていた、人を喰っていたという蛟ではないだろうか。
青龍にすれば、十二天将である自分たちが妖に気づいて、主である晴明がなぜ気づかないのかと言いたかったようだ。
結局――、青龍が口を閉ざしたまま隠形したために、話がかみ合わぬままに終わった。出来れば滝のような雨を連れ帰って欲しかったが。
気をつけろ。あいつがくる。
あいつが喰らいにやってくる。
気をつけろ。
気をつけろ。
晴明は、半蔀に目をやった。
そこに、なにかの気配を感じたからだ。しかしそこにはなにもなく、 雨が吹き込んできた。濡れるのが嫌だった晴明は形代で〝式〟を拵え、それに蔀と妻戸を閉めさせた。
◆
その華は、とても美しく変わった色をしていたという。
その華は点々と咲き、やがてそこには白い骸が転がっていたと――。
華の名前は死人花。
その華を辿ると、自然に冥がりの地に着くという。
「まったく、おかしなことが起きるわぃ……」
大内裏は中務省・陰陽寮――、賀茂忠行は、ただでさえ皺の増えたその顔に、新たな皺を眉間に刻んだ。
「青い彼岸花とは面妖な……」
忠行の側で書を捲っていたかの青年は、口の端を緩めた。
そろそろ牛の正刻(※午後十二時)を告げる鐘鼓を、守辰丁(※時を知らせる者)が鳴らすころである。
「そなたはどう見る? 保典」
「彼岸花にはもともと毒がありますが、生えているだけなら、さして問題ではないかと」
賀茂保典――、忠行の息子にして、彼も陰陽師である。
父子が揃って陰陽寮にいるのは珍しかったとみえて、寮官たちは驚目を瞠らせている。
「じゃが、化野ではない場所に骸とは解せぬ。獣に運ばれてきたとしてもじゃ、かなりの道程ぞ?」
確かに忠行の言う通りである。
風葬地である化野ならば、骸が転がっていても珍しくはないがここは王都だ。通常の紅い彼岸花なら秋になれば咲くが、青い華は咲いたことがない。
しかもである。その華の近くに、骸が転がっているのだ。
考えられるのは――。
忠行が瞑目し、唸った。
「父上?」
「どうやら、正体不明の妖が入り込んだようじゃのぅ。保典」
保典は頷いた。どうやら父子の意見は、一致していたようだ。
「ではすぐに、晴明に」
「いや……」
踵を返しかけた息子を、忠行が止めた。
「なにか? 父上」
「晴明は、内裏での幽鬼騒ぎに駆られておる。アレに言わせれば、心は二つ身は一つじゃろうて」
その晴明は、飛香舎の坪庭にいた。
別名・藤壺――、現在は無人の殿舎である。
(いくらなんでも、まだいないか……)
昨夜の土砂降りによって、飛香舎の地も乾いてはいなかった。幸い藤は見頃を過ぎて雨に打たれることはなかったが、満開の藤はさぞ美しかったことだろう。
七年前まで、ここには笑顔があったという。長い髪を鬟に結ったという童子の笑顔が。
そしてその童子の誕生を、微笑ましく見ていた女人がいたという。
はたして彷徨う幽鬼は、噂の女人なのか。
なにゆえに――。
晴明は、弾かれるように視線を上げた。
さぁ――……と音がする。
雨など降っていないのに、雨が降る音がする。
なにゆえに――、われは。
「なんだ……?」
どこからともなく声が聞こえたが、それはすぐに聞こえなくなった。
晴明の背を、嫌な汗が流れる。
もしかすると、とんでもないモノを誘い出してしまったのではないか。
その勘だけは、消えることはなかった。
◆◆◆
大内裏から帰宅した晴明は、式盤に視線を落としていた。
傍らの几帳が、ふわりと舞うほどの風にも気づかずに。
『なにか、あった? 晴明』
晴明はいつもの狩衣姿ではなく、単衣に袿を羽織り、髷も解いて背に流していた。
風を纏い、すっと降り立った天将・太陰は、憮然とした主の顔にひとつ瞬きをした。
「……占いが外れた」
『まさかそんなことで、そんな顔をしているわけ?』
未来が視える能力も有している天将にとっては、人が未来を視る占いはごく軽いものと捉えている。
「……?」
視線を寄越すその顔は、渋面である。
晴明は陰陽師、吉凶などを占じるのは仕事の一つ。その占いが外れたぐらいで、落ち込む男ではない筈なのだが。
『ここに皺。いい顔が台無しよ? 晴明』
太陰は自分の眉間を指さしてそれを教えるが、晴明の表情はまだ硬いままだ。
「ただの卜占ならいい。だが……」
晴明の視線は太陰から離れ、式盤に戻される。
六壬式盤――、月と星とともに、十二天将すべての名が刻まれた占具。彼はそこに、なにを見たのか。
『なにも完璧である必要はないと思うわ。でなければ、わたしたちを招喚する意味はなくなるわ。あなたが落ち込んでいる姿を見たのは久しぶりだけど、何を占ったの?』
晴明の話はこうだ。
内裏に、正体不明の幽鬼が彷徨っているという。祓えと言われたため、晴明は式盤にてその気配を探った。つまり、幽鬼を待ち伏せしようとしたらしい。
占いによれば、日付は今日の午。午に出てくる幽鬼などいるのだろうかと、晴明も思ったらしい。
「結局は、幽鬼は表れなかったが――」
『が――?』
『青い彼岸花が咲いていた……。これも二度目だ』
『確かに奇妙よね? それが眉間の皺の理由?』
「なにゆえと……」
『え……』
太陰は、思わず面食らった。
『一瞬だったが、そう聞こえたのだ。どうも嫌な予感がする。寧ろ、こっちのほうが当たる気がする』
晴明はそういって、両腕を組んで眉を寄せた。
聞けば昨夜、青龍がやって来たという。
いつもの青龍なら、ありえない行動である。
そして太陰と青龍もまた、その声を聞いているのだ。
なにゆえ――と。
『晴明――、あのね……』
妖が潜んでいるかも知れないことを告げようとして、太陰は口を噤んでしまった。自分たちにも正体を探らせないモノを、どう伝えればいいのか。
ただ、晴明のその嫌な予感は当たるだろう。はたして、何が出てくるのか。
神である天将でも、それはわからないのであった。
この時期の雨は長引くため、餅菓子に黴が生える。数日前に買い求めたものだが、よりによってなぜこの男の前で出したのか。
自身の行為にそう思った晴明は、料紙に包んだ餅菓子を懐に戻した。
彼の前には両腕を組んで、訝しげに睨んで来る男が立っていた。
長身で青い髪に青い双眸、額と腕に金の額飾りと腕輪、逞しい躯には髪色と同じ肩当てと胸当て、腕には長い領巾を絡ませている。
その表情はといえば額に青筋を張らせ、目じりを吊り上げ、唇をひん曲げている。
「立っていないで座ったらどうだ? 青龍」
十二天将にして東の守護神・青龍――、彼がやって来た途端、晴れていた昊は曇り、土砂降りとなった。間違いなく、彼が運んできたものだろう。
『なにをしている?』
「――だったら食うか? 黴が生えてはいるが」
再び餅菓子を出して青龍に差し出すと、彼の眉尻が、ぴくりと跳ね上がった。この男に冗談は通じない。
『俺が聞いているのは、なにゆえ〝あれ〟を放置しているのかということだ』
剣呑な彼の目は、こちらを睨み殺しでもしそうな迫力がある。だが晴明は、青龍を含む十二天将を使役する彼らの主である。ここで視線を逸らそうものなら、主の器に非ずと異界に去るだろう。そしてもう二度と、降りては来ない。
「あれとは?」
『まさか、本当にわかっていないのか?』
青龍は、目を瞠った。
「青龍、お前らしくないな。いつもなら、はっきり言ってくるお前が」
『俺たちにも、あれの正体がわからないからだ。俺たちの敵となるのか、ならないのか』
青龍に寄れば、姿なき妖がいるらしい。妖気を感じるのだが、すぐに消えるという。
幽鬼騒ぎに振り回されて危うく忘れかけていたが、青龍が妖気を感じたという妖は、蛙の化生が言っていた、人を喰っていたという蛟ではないだろうか。
青龍にすれば、十二天将である自分たちが妖に気づいて、主である晴明がなぜ気づかないのかと言いたかったようだ。
結局――、青龍が口を閉ざしたまま隠形したために、話がかみ合わぬままに終わった。出来れば滝のような雨を連れ帰って欲しかったが。
気をつけろ。あいつがくる。
あいつが喰らいにやってくる。
気をつけろ。
気をつけろ。
晴明は、半蔀に目をやった。
そこに、なにかの気配を感じたからだ。しかしそこにはなにもなく、 雨が吹き込んできた。濡れるのが嫌だった晴明は形代で〝式〟を拵え、それに蔀と妻戸を閉めさせた。
◆
その華は、とても美しく変わった色をしていたという。
その華は点々と咲き、やがてそこには白い骸が転がっていたと――。
華の名前は死人花。
その華を辿ると、自然に冥がりの地に着くという。
「まったく、おかしなことが起きるわぃ……」
大内裏は中務省・陰陽寮――、賀茂忠行は、ただでさえ皺の増えたその顔に、新たな皺を眉間に刻んだ。
「青い彼岸花とは面妖な……」
忠行の側で書を捲っていたかの青年は、口の端を緩めた。
そろそろ牛の正刻(※午後十二時)を告げる鐘鼓を、守辰丁(※時を知らせる者)が鳴らすころである。
「そなたはどう見る? 保典」
「彼岸花にはもともと毒がありますが、生えているだけなら、さして問題ではないかと」
賀茂保典――、忠行の息子にして、彼も陰陽師である。
父子が揃って陰陽寮にいるのは珍しかったとみえて、寮官たちは驚目を瞠らせている。
「じゃが、化野ではない場所に骸とは解せぬ。獣に運ばれてきたとしてもじゃ、かなりの道程ぞ?」
確かに忠行の言う通りである。
風葬地である化野ならば、骸が転がっていても珍しくはないがここは王都だ。通常の紅い彼岸花なら秋になれば咲くが、青い華は咲いたことがない。
しかもである。その華の近くに、骸が転がっているのだ。
考えられるのは――。
忠行が瞑目し、唸った。
「父上?」
「どうやら、正体不明の妖が入り込んだようじゃのぅ。保典」
保典は頷いた。どうやら父子の意見は、一致していたようだ。
「ではすぐに、晴明に」
「いや……」
踵を返しかけた息子を、忠行が止めた。
「なにか? 父上」
「晴明は、内裏での幽鬼騒ぎに駆られておる。アレに言わせれば、心は二つ身は一つじゃろうて」
その晴明は、飛香舎の坪庭にいた。
別名・藤壺――、現在は無人の殿舎である。
(いくらなんでも、まだいないか……)
昨夜の土砂降りによって、飛香舎の地も乾いてはいなかった。幸い藤は見頃を過ぎて雨に打たれることはなかったが、満開の藤はさぞ美しかったことだろう。
七年前まで、ここには笑顔があったという。長い髪を鬟に結ったという童子の笑顔が。
そしてその童子の誕生を、微笑ましく見ていた女人がいたという。
はたして彷徨う幽鬼は、噂の女人なのか。
なにゆえに――。
晴明は、弾かれるように視線を上げた。
さぁ――……と音がする。
雨など降っていないのに、雨が降る音がする。
なにゆえに――、われは。
「なんだ……?」
どこからともなく声が聞こえたが、それはすぐに聞こえなくなった。
晴明の背を、嫌な汗が流れる。
もしかすると、とんでもないモノを誘い出してしまったのではないか。
その勘だけは、消えることはなかった。
◆◆◆
大内裏から帰宅した晴明は、式盤に視線を落としていた。
傍らの几帳が、ふわりと舞うほどの風にも気づかずに。
『なにか、あった? 晴明』
晴明はいつもの狩衣姿ではなく、単衣に袿を羽織り、髷も解いて背に流していた。
風を纏い、すっと降り立った天将・太陰は、憮然とした主の顔にひとつ瞬きをした。
「……占いが外れた」
『まさかそんなことで、そんな顔をしているわけ?』
未来が視える能力も有している天将にとっては、人が未来を視る占いはごく軽いものと捉えている。
「……?」
視線を寄越すその顔は、渋面である。
晴明は陰陽師、吉凶などを占じるのは仕事の一つ。その占いが外れたぐらいで、落ち込む男ではない筈なのだが。
『ここに皺。いい顔が台無しよ? 晴明』
太陰は自分の眉間を指さしてそれを教えるが、晴明の表情はまだ硬いままだ。
「ただの卜占ならいい。だが……」
晴明の視線は太陰から離れ、式盤に戻される。
六壬式盤――、月と星とともに、十二天将すべての名が刻まれた占具。彼はそこに、なにを見たのか。
『なにも完璧である必要はないと思うわ。でなければ、わたしたちを招喚する意味はなくなるわ。あなたが落ち込んでいる姿を見たのは久しぶりだけど、何を占ったの?』
晴明の話はこうだ。
内裏に、正体不明の幽鬼が彷徨っているという。祓えと言われたため、晴明は式盤にてその気配を探った。つまり、幽鬼を待ち伏せしようとしたらしい。
占いによれば、日付は今日の午。午に出てくる幽鬼などいるのだろうかと、晴明も思ったらしい。
「結局は、幽鬼は表れなかったが――」
『が――?』
『青い彼岸花が咲いていた……。これも二度目だ』
『確かに奇妙よね? それが眉間の皺の理由?』
「なにゆえと……」
『え……』
太陰は、思わず面食らった。
『一瞬だったが、そう聞こえたのだ。どうも嫌な予感がする。寧ろ、こっちのほうが当たる気がする』
晴明はそういって、両腕を組んで眉を寄せた。
聞けば昨夜、青龍がやって来たという。
いつもの青龍なら、ありえない行動である。
そして太陰と青龍もまた、その声を聞いているのだ。
なにゆえ――と。
『晴明――、あのね……』
妖が潜んでいるかも知れないことを告げようとして、太陰は口を噤んでしまった。自分たちにも正体を探らせないモノを、どう伝えればいいのか。
ただ、晴明のその嫌な予感は当たるだろう。はたして、何が出てくるのか。
神である天将でも、それはわからないのであった。
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