半妖の陰陽師~鬼哭の声を聞け

斑鳩陽菜

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第二話 王都に彷徨う魂たち

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 ああ、なにゆえ――。
 聞け。
 なにゆえ、われは。
 聞くがいい。我が叫びを、なげきを。
 お前には聞こえぬのか。
 我がかなしみを、我が怒りを。
 聞け。聞け。
 我がどうこくの声を。


 さぁ――……と、風の音がする。
 湿った風とともに、別のなにかが耳に触れた。
 青年は口に運びかけていた土器かわらけから視線をあげ、しとみのほうを見た。
「どうした?晴明」
 晴明の目の前で、同じく土器を口に運んでいた男――、ふじわらとうがひとつまばたきをした。「いま――、誰かの声がしなかったか?」
「いや、風の音じゃないのか?」
 耳をましてみたが、冬真の言うとおり、風の音しか聞こえては来なかった。
 晴明に聞こえたそれは、確かに〝声〟というよりも、〝音に〟近い。

 王都の北を通る一条大路――、この大路沿いには貴族の邸宅やくりやまちなどがある。
 ついべいの続く大路を進むと堀川に出る。そこには一条戻橋いちじようもどりばしという橋が架かっていた。もともとつちかどばしと呼ばれていたが、死者がこの橋で蘇ったといわれ、一条戻橋という名前に変えられたという。
 安倍晴明は、この一条戻橋近くにやしきかまかまえている。
 この日、となった男が酒をまないかと晴明邸にやって来ていた。
 づき(※六月)――。
 ながあめに入り、心まで薄雲が覆ったようにうつうつとした気分だ。つまも開いているというのに、湿気とぼんとくゆうの暑さにかりぎぬは着ていられず、も外した晴明であった。
 対し冬真はがたもんようひたたれと、彼は最初からかんむりなどは被っては来なかった。
 本来は常に烏帽子を着用するのが成人男性のだしなみだが、冬真は名門貴族の息子であるにも関わらず、そうした常識にはとらわれたくないらしい。
 大内裏ではさこんちゆう中将じようであり、ふじはらなんの次期当主。ただ性格は、少々がさつではあるが。
 今や、飛ぶ鳥を落とす勢いの藤原一門。
 藤原四兄弟をとして、よんに分かれた藤原家は、現在は関白・ふじらよりふさを当主とするちやくりゆうほつ、冬真の父にして右大臣・ふじわらかねひさとうしゆとするぼうりゆうなんとなったが、この間にえだかれしていた者を含めれば、都を歩けば藤原なにがしという人に当たるというほど、藤原姓は多いだろう。
 晴明は、おかしな取り合わせだとちようてきわらった。
 かたや名門貴族の息子、かたやあやかしの血を引きながら陰陽師に就いている自分。
 油断すればくらがりに沈む身だというのに――。
 冥がりは心に宿した闇、人にあらざるモノが棲む世界。両者は違うようで、ある日突然結びつく。ただ晴明の場合は、あやかしの血を半分引いているために混ざってしまったが。
 冬真はそんなものは気にしないというが、妖という存在をきらう人間はほとんどである。子供の頃は自分は人間だと言っても、周りの人間たちは信じてはくれなかった。
 いつか人をらうしようになる――と、思っているらしい。
 さすがに現在いまは、そうしたさげすみの声は受け流す余裕は出来たが。
「また誰か死ぬと思うか?」
 とうとつに話を振られ、晴明はろんに目を細めた。
「酒のさかななまぐさい話か?」
「そう思うのは俺だけじゃないと思うぞ?王都の真ん中で髑髏されこうべが転がっているんだ。そのうち、けがれの都になるってな」
 晴明は顔をしかめた。
 王都に髑髏が転がっている――、冬真の話はじようだんではない。現実に起きていることなのだ。何者にわれ、骨だけにされる――、そんなかいが。
 晴明は、かえるしようのことを思い出していた。
 彼が棲む池のほとりで、みずちが人を喰っていたという。
 王都で人を骸にしたのは、その蛟なのだろうか。だが何故か、人を喰ったであろうモノを誰も見てはいないという。見たのは蛙の化生だけだ。
「そういえばお前、関白さまに呼ばれたそうじゃないか?ふじつぼの件か?」
「ああ……」
「お前を呼んだと云うことは、よほど痛くもない腹を探られたくないらしいな」
 頼房に向けられる皮肉に、晴明はとくしんがいった。

                         ◆◆◆

  藤壺は後宮にある殿舎の一つ、飛華舎の別名である。
 七年前――、きんじようていの第一皇子が病にて亡くなったという。これにより、おとうとみやである第二皇子がとうぐうせんを受けた。
 問題は亡くなった第一皇子のせい殿でんちゆうぐうでなく藤壺のにようであり、彼女もまた病で没し、皇子が亡くなったことでじゆだったのではないかとされたためだ。
 呪詛をしたのは、孫をみかどに据えたい頼房ではないか――、第一皇子の乳母めのとであり、藤壺に仕えていたない(※女官の位)がそう叫んでいたという。
 本当のところはどうだったのか――、口にしないまでも、もそううわさが残っているらしい。頼房としては、自ら疑いを晴らすために動けば「やはりそうだったのか」と思われたくなかったようだ。
 ――だから、私か。
 いつもは帝をたぶらかしているだの、のうで権力を得ようとしているだの言ってくる彼が、なにゆえ今回だけは調べろと言ってきたのか、晴明ならほかていしんたちにあやしまれず、幽鬼が誰なのか、さらに始末してくれれば儲けものと踏んだようだ。
 嫌なことは、重なるものである。
 晴明は帝を誑かしてはいないし、権力を得ようとも思わない。
 もともとというしよう殿でん(※内裏に上がれる立場)できる身分ではなかったのだ。晴明としてはそのままでも良かったのが、こうせきを認められ、あれよというまにじゆまでになった。くらいを返せというのなら、いつでも返すつもりの晴明である。
 
 さんきたたらんとほつしてかぜろうつ――。
 何かが起こる前は、ぜんちようが現れるというがそのごとく、王都でかいが起き内裏に幽鬼がさまう。はたらしてどちらが先だったのかは不明だが。
しのはらえが近いというに……)
 夏越しの祓えとは、罪や穢れをのぞき去る朝廷での行事である。
「いつも思うが――」
 冬真が笑みを浮かべる。
「なんだ?」
「陰陽師とは大変だなと思ってな」
「思っていたら、仕事の邪魔はせんと思うが?」
 はんがんで言い返した晴明に、冬真は「邪魔をしたつもりはないんだが」と答える。
 冬真がやって来たとき、晴明は貴族たちから依頼されたれいを片付けようと筆をとった所だったのである。帰れと言っても冬真は終わるまで待つといい、背後で待たれてもである。これのどこが、邪魔をしたことにならないのか。
 
                       ◆◆◆

 ふねから王都に向かう道を、牛車が進んでいた。
 昨夜に降った雨のせいで道はかるみ、乗っている人間のほうも楽ではなかった。
 湿気と蒸し暑さ、ぜいをこらしたうしまとっているせいで暑いこの上ない。開いたかわほりおうぎあおぐも、一向に涼しくはならない。
「まったく、まだ邸に着かぬのか……!?」
 イライラをぶちまける男に、うしわらわが申し訳なさげに伝えてくる。
「車輪が泥濘みにはまった様子……、しばらくお待ちを」
「早く致せ!」
 ふんぜんと座り直した男の前に、それはいた。
「なにゆえ、こんなモノが……」
 それはシュルシュルと床を這い、男の前でかまくびをもたげた。 
  
  なにゆえ――。
 男はむなしくそらを見上げていた。
 さっきまで乗っていた牛車の音が遠ざかっていく。
 ああ、なにゆえわたしはここにいるのか。
 なにゆえ、誰も聞こえぬのか。
 なにゆえ――。

                         ◆

 人がまた一人死んだ。
 みずちに喰われて骨になった。
 骨の側に青い彼岸花。
 それは、嘆き悲しむこんぱくが咲かせるはな
 なにゆえに、聞こえない。
 なにゆえに、消えねばならぬ。
 さぁ、聞くがいい。
 答えよ。
 我が問いに。我がなげきに。


 風の乗るその声に、木のえだにいた彼女はろんに眉を寄せた。
 声の主はいったい誰なのか。
『珍しいこともあるものね?青龍。あなたが降りてくるなんて』
 その男ははだかたてをつけ、腕にからませた姿すがたけんげんした。
『あの声、お前にも聞こえていただろう。たいいん
『人が蛟に喰われたって言っていたわね。でも変だわ。あやかしが出たのなら、晴明が私たちに何かしら言ってくるはずだもの』
 二人は、晴明が使えきするしきがみであった。
 しかし、青龍の反応は厳しい。
 『あのほうかたれするのは結構なことだが、やつくらがりに半分染まった男だ。いつなんどきちるか知れぬ』
 晴明は人間と妖の両方の血を引く半妖――。
 そのことは当初からわかっていた筈である。
 納得の上で、式神となった。
『相変わらず、晴明には厳しいわね。でも青龍、彼は私たちじゆうてんしようあるじよ』
 青龍は青い髪に青いそうぼうをしているが、太陰は赤い髪に朱色の双眸をもつ。腰まで緩く波打って流れる髪をき上げて、太陰は青龍を見据えた。
『奴が冥がりに陥ちぬと?まぁいい。その時は主たる器なしとみるまで』
 言いたいことをいっていんぎようする青龍にあきれ、太陰はためいきをついた。
 十二天将は神――、普通なら異界にいてじんかいに降りることも人間に力を貸すこともない。 安倍晴明が、彼ら一人一人を訪ねにやって来る前までは。

 もうあの声は、聞こえては来なかった。
   あれは、誰が誰に対しての声だったのか。

 聞け。聞け。
 我が声を聞け。
 お前になら聞こえるはずだ。
 さぁ、答えよ。
 なにゆえなのか、そのわけを。
 
  神である彼らなら声の主を見つけられそうだが、いくら探っても見つからない。
 もし本当に人が喰われたのなら、じっとしてはいられないのだが。
 声も聞こえなくなった今ではどうしようもなく、太陰は一人、風に吹かれていた。
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