天下布武~必勝!桶狭間

斑鳩陽菜

文字の大きさ
24 / 39
第三章 激戦の末に

第六話 儚き野望、燃え尽きて

しおりを挟む
 天文二十三年、春――。
 尾張守山城主・織田信光は、清須城にいた。
 尾張下四郡守護代・織田信友に呼ばれたのである。
 もともと信光としては、彼と直接の繋がりはない。
 尾張三奉行・織田弾正忠家に生まれたが、その任を務めていたのは祖父・良信よしのぶであり、父・信定のぶさだ、そして兄の信秀という代々の当主だからだ。
 当然顔を合わせる機会はなかったが、その機会は向こうからやって来た。
 
「よく参られた。信光どの」
 上段の間にて、守護代・織田大和守信友が口の端を緩めた。
此度こたびの守護代さまのお呼び出し、如何なる要件でございましょう?」
 信光の問いに答えたのは、上段の間のすぐ下にいた大和守家臣・坂井大膳である。
「信光どの、我が殿は貴殿を疑っておられる。我が方に味方すると言ったのは偽りではないか、と」
 一瞬、ギクリとした信光である。
「これは心外。確かに那古野城の信長は我が甥。なれど、アレはとんでもないことをしでかすうつけにござる」
 
 昨年の夏――、信光の守山城を守護代配下という男が訪ねてきた。
 それが信光のやや斜め前にいる、坂井大膳である。
 彼は守護代側につくことを、信光に進言してきた。そして、さらにこう言った。
 
 ――大和守さまが尾張国主となった暁には、信光さまにはそれなりの地を任せたいと申しております。

 どうやら信友が、信長の敵に回ったというのは本当らしい。
 しかも、尾張守護まで自刃じじんに追い込んだという。
 尾張を手に入れたいという欲が、主殺しにまで至ったということなのだろう。
 信光にとって信長は甥だが、末森城主となっている信行も甥である。その信行を、信友は弾正忠家跡取りと仕切りに推しているとも聞く。
 はたしてそれは、三奉行としての弾正忠家に期待してのことか、それともうまく操つろうという考えか、今となっては守護代といえど、悪い事しか想像できない信光である。

 信光は、自分を取り込もうとする彼らに乗った。
 しかし、今年の年明け後に起きた村木砦の戦いに於いて、信長に従ったことが信友たちの疑惑を招いたようだ。
  
「あれは誠に、うつけか?」
 信友が、下衆げすびた笑みを浮かべる。
「は。このままでは御身に災いを呼びましょう。ゆえにここは信長の手の内をしる我が軍勢がこの清須城をお守りしましょうぞ」
 平伏する信光に、信友が坂井大膳に意見を求める。
「そなたはどう思うか?大膳」
「ここまでいうからには、信じてよろしいかと――」
 どうやら他意はないと、二人に信じてもらえたようだ。

 ――まったく、一時はどうなることかと思ったぞ……。

 清須城を辞して、信光は大仰おおぎように嘆息した。
 だがこのあとの展開を、信友たちは知る由もないだろう。
 もし彼が守護・斯波義統しばよしむねあだなすことなく、守護代としての務めを果たしていれば、結果は変わっていたかも知れないが。
 信光は清須城を一瞥いちべつし、きびすを返した。

                      ◆

 四月に入り尾張の地は、薄紅に染められていく。
 尾張・那古野城――。
 村木砦の激戦から僅か数ヶ月しか経っていないが、今川義元本隊との戦いとなると、さらなる激戦となるだろう。
 風に舞う花弁を横目に盃を傾けていた信長は、二口目を口に運びかけてその手を止める。

「信長さまっ」
 断りもなく敷居を跨いできた人物に、恒興が眉を寄せる。
「利家、無礼だぞ!」
「構わん。何事だ?」
 利家は、入ってくるなり機嫌が悪い。
「義銀さまのことです。朝餉あさげをお持ちしたところ、文句を言われたのです」
「いつのことだろう?」
 亡き前尾張守護・斯波義統の嫡子ちやくし斯波義銀しばよしかね――、那古野城にてその身を置くようになってから、苛立ちを周りにぶつけるようになった。
 しかし利家も、鬱憤うつぷんが溜まっていたらしく――。
「ええ、そうです。ですが、今回は魚が食いたいだの、飯が不味いだの、何なんですか!?あれはっ」
「利家、義銀さまは尾張守護だ」
「それはわかっていますけどねぇ……」
 恒興に義銀の立場を言われてしまえば、利家も苛立ちを引っ込めるしかないようだ。
 だがこの時、ある計画が実行されようとしていた。
 
                   ◆◆◆

 尾張下四郡守護代・織田信友は、前守護代・達勝たつかつの実子でなく養子である。
 織田大和守家おだやまとのかみけは元々は織田伊勢守家おだいせのかみけの弟筋であり、初代は守護代の更に代理である又守護代を勤めた家系であった。
  聞くところによると応仁の乱のとき、数代前の織田敏定おだとしさだは先代の尾張守護・斯波義敏しばよしとしと共に東軍に属したという。そのため斯波義廉しばよしかどを擁立して西軍に属した岩倉城を拠点とする守護代・織田伊勢守敏広おだいせのかみとしひろと対立したという。
 応仁の乱が東軍の勝利に終わると、敏定は室町幕府から尾張守護代に任じられたらしい。
 敏定が伊勢守家と争って守護代の地位を獲得し清洲城を居城としたため、この家系は「清洲織田氏」とも呼ばれるようになる。
 それからも力を取り戻した伊勢守家と衝突し、斎藤妙椿さいとうみようちんという男の仲介で、両軍は尾張を分割統治することで和睦したという。
  達勝の代となると伊勢守家と対立することはなくなったそうだが、信友の代となって思わぬ相手が障害となった。
 織田弾正忠家である。
 まさか分家である弾正忠家が、主家である大和守家を凌ぐ勢力となるとは思っても見なかった信友である。
 担いでいた守護・義統も、邪魔だと思っていた織田信秀も彼岸の主となった。
 尾張はもう自分のもの――、そんな欲が信友に芽生えた。
 それなのにである。
 また、邪魔な男が現れた。
 織田信長――、彼がいる限り尾張は手に入らない。
 
「大膳!大膳はおらぬか?」
 信友の声に、家臣・坂井大膳がやってくることはなかった。
  だが――。
 
「……信光……?」
 廊に甲冑の音を響かせて、織田信光が信友の前にやって来た。
 確かにこの清州城には彼が連れてきた軍勢がいるが、それは此方側へついたためだ。なのになにゆえ彼は、睨みつけ来るのか。
「坂井大膳ならもうこの清須城はおりません。貴方は見捨てられたのだ」
 信友には、何が起きたのか理解できなかった。
 坂井大膳は常に側にいた重臣であり、戦においては彼が先導した。
「なにを言っている……?そなた……まさか――」
  信光が此方側につくつもりなどなく、清州城を包囲するためと知ったとき、信友の周囲は守山城織田兵が退路を絶っていた。
「この清須城は我が軍が掌握した!最期は潔くされよ」
「おのれ……、我を謀ったのか!?信長の指示か!」
「いいえ、この策は某によるもの」
 刃を向けてくる兵に、信友は声を張った。
「無礼者!私は尾張守護代ぞ!!」
「貴方は欲をかきすぎた。義統さまを死に追いやり、弾正忠家に戦を仕掛けた。守護代だというのなら、弾正忠家とともに義統さまを支えていれば、かような結果にはならなったと思われぬか?」
「――っ」
 こんな形で、織田大和守家が終わるとは――。
 信友は、拳を震わせ唇を噛み締めた。
 結局は自分も、義統同様に傀儡かいらいだったのだ。
 守護・斯波義統を傀儡としていたと思っていたが、自分も坂井大膳らの傀儡だった。
 その坂井大膳は、自分を見捨てて城から逃亡した。
「はは……」
 あまりにも滑稽で、惨めで、笑うにも笑えぬ。
 いったい何処で間違ったのか。

 何処で――。

  はらりと、桜の花弁が舞う。
 儚き野望とともに、一人の男も散る。

「私を倒したとて、この尾張から争いは消えぬ――」
 それが――、その男の最期の言葉となった。

 尾張下四郡守護代・織田大和守彦五郎信友おだやまとのかみひこごろうのぶとも――、下四郡最後の守護代であった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

無用庵隠居清左衛門

蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

マルチバース豊臣家の人々

かまぼこのもと
歴史・時代
1600年9月 後に天下人となる予定だった徳川家康は焦っていた。 ーーこんなはずちゃうやろ? それもそのはず、ある人物が生きていたことで時代は大きく変わるのであった。 果たして、この世界でも家康の天下となるのか!?  そして、豊臣家は生き残ることができるのか!?

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
国を、民を守るために、武田信玄は独裁者を目指す。 独裁国家が民主国家を数で上回っている現代だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 純粋に国を、民を憂う思いが、粛清の嵐を巻き起こす 【第弐章 川中島合戦】 甲斐の虎と越後の龍、激突す 【第参章 戦争の黒幕】 京の都が、二人の英雄を不倶戴天の敵と成す 【第四章 織田信長の愛娘】 清廉潔白な人々が、武器商人への憎悪を燃やす 【最終章 西上作戦】 武田家を滅ぼす策略に抗うべく、信長と家康打倒を決断す この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です))

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

処理中です...