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1巻
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しおりを挟むプロローグ 王子パーティから突然の追放
「アニエス。もう明日から来なくていいぞ」
とある目的で訪れていた小さな村の酒場の一角。
私たちのリーダー、金髪碧眼で長身の剣士――実はこのフランセーズ国の第三王子でもある、トリスタン様が突然こう言ってきた。
どうして王子は私にこんな事を言うのだろうか。
私は、お忍びで冒険者として魔物と戦い、旅をする王子のために、仲間――パーティ全員分の食事を作ったり、周辺やダンジョンの地図を頭に叩き込んで、皆を安全なルートで目的地へ導くマッパーという役割をこなしたりと、かなり貢献しているのに。
「トリスタン様。先ほどのお言葉は、どのような意味でしょうか」
「言葉通りの意味だ。俺はこのパーティに足りていなかった、真の仲間を見つけたのだ」
王子が隣のテーブルに目を向けると、そこに座っていた綺麗な女性が立ち上がった。
「彼女が新しいパーティメンバーのヴァネッサだ。三種類の魔法を扱う魔法使いで、料理ができる上に美人だ。水魔法しか使えないお前と比べ、全ての能力が上回っている」
「私が水魔法しか使えないのは事実ですが、そちらの方はマッパーとして地図を見たり、未知のダンジョンの地図を作製したりできますか?」
「ふっ。地図など誰でも見る事ができるだろう。戦闘に参加せず、料理と地図を見ているだけのお前など、俺のパーティには不要だ!」
確かに地図を見る「だけ」なら誰にでもできる。だけど、私は何百枚とダンジョンの地図を見てきたし、自分でも地図を描くから、初めて行くダンジョンでも魔物が溜まっていそうな場所や、罠のありそうな場所が経験でわかる。そうして無用な魔物との遭遇を減らし、皆を守っているんだけど、本当に良いのかしら。
「そうそう。お前のパーティ追放と同時に、仕方なくしてやっていた婚約も破棄だからな! 巫女の中では、まだ見られる顔だったから選んだが、そもそも俺はお前みたいな地味な女よりも、ヴァネッサのような綺麗で派手な女が良いのだ。まったく……時代遅れのしきたりなんて、とっととなくせば良いのに」
……は? 何言ってんの⁉
こっちだって、古くからのしきたりだの、王子が巫女と結婚しないと国に災いが降りかかるだのって言われて、泣く泣く婚約してやったんだ。
しかも、神様に仕えてお祈りをしたり、神託を得たりする巫女は、未婚の女性に限られる。だから、王子に選ばれた事で、私は職を失ったんだけど、この人はその事をわかっているの⁉
王子のくせに公務を放って、趣味で冒険ごっこをしている男なんて、まっぴらよ!
「わかりました。そこまで仰るのでしたら、私はこのパーティから抜けます」
「あぁ、そうしてくれ。そして、俺の前に二度と現れるな」
「畏まりました」
その言葉、そっくりそのまま返してやるわよ! 二度と私の前に現れないでよねっ! と心の中では思っているものの、相手は王族なので、口に出す事はできない。
相手がこの国の王子なので、下手な事を言うと不敬罪で罰せられる。そうなったら、私一人の罪ではなくて、私を育ててくれた村の人たちを巻き込んじゃうかもしれないからね。
皆のために言葉を呑み込むけど、好きでもない王子から解放されたのは、本当に良かった。正直言って、他の巫女たちもこの王子の事は嫌がっていたしね。
ひとまず、酒場の二階にある宿へ自分の荷物を取りに行った。
「では、私はこれで。短い間でしたが、お世話になりました」
「待て。婚約の際に渡した宝石があるだろう。あれは返してもらおうか」
「……こちらですね。お返しいたします」
小箱に入れっ放しで、存在すら忘れていた宝石を王子に渡す。
こうして私は、王子が財力にものを言わせて集めた、まとまりのない冒険者パーティから抜けたのだった。
第一章 婚約破棄から始まる自由な生活
「さてと。久々に自由の身になれたんだけど、これからどうしようかな」
十六年間、巫女として育てられ、いきなりトリスタン王子の婚約者に選ばれた。初めて村の外へ出たのは半年前だ。
そこからは、王子がお金で雇った冒険者たちの食事を作り、戦闘に不向きな水魔法しか使えないと、ひたすら地図を見たり描かされたりしてきた。幸か不幸か、そのおかげで地図さえあればどこにでも行けそうだし、せっかくだから、いろんな国を巡ってみようかな。
――くぅぅぅ。
これから何をするかが決まり、いざ出発! というところで、私のお腹が盛大に鳴る。
そういえば、今日の冒険を終え、村で唯一の酒場で夕食にしようとして、追放されたんだ。
お風呂にも入っていないから肩まである青髪も汚れているし、お気に入りのシャツと青いスカートも汚れたまま。
……お風呂とまではいかなくとも、せめてご飯を食べた後に追放してくれれば良かったのに。
「仕方ないわね。唯一の食事処兼宿にはトリスタン王子が居るし、今から別の街へ移動するのは無謀だし、村の近くで野宿かな」
この半年間の冒険者生活のおかげで野営にも慣れた。村から少し離れた森の中で、着々と準備を進める。幸い、私は料理係をしていたので、数人分の食材や調理器具も荷物に入っているし、魔物避けのお香で弱い魔物は近寄れないから、一晩くらいは余裕で過ごせるね。
自分の大きなお腹の音を聞きながら大急ぎで火を熾し、鍋を火にかけると、水魔法で鍋一杯の水を生み出す。そこへ切った野菜を入れ、調味料で味付けして……野菜スープの出来上がり! それをパンと一緒に食べれば……うん、美味しいっ!
「……って、しまった! いつもの癖で、数人分作っちゃった」
味見したところでようやく気づいたけど、お鍋に入っているスープは私一人で食べきれる量ではない。でも作ってしまった料理を無駄にするのも嫌だし、どうしようかと考えていると、
「ほぉ。ずいぶんとうまそうな匂いがすると思ったら、こんなところに人間が居たのか」
何か……居た。
闇の中から男性とも女性とも言える中性的な声が聞こえてきた。巨大な瞳がこちらを見つめ、荒く大きな息遣いが聞こえる。
人の言葉で話し掛けてきたけれど、これは絶対に人ではない。
暗闇の中で光る瞳から目を離さず、ゆっくりと後退すると、焚火に照らされた大きな顔が映し出された。
「嘘……でしょ? どうして……どうして妖狐が⁉」
私の前に災厄級と呼ばれる、出会ったら即死間違いなしの最上位S級の魔物「妖狐」が居た。別名「九尾の狐」を証明するかのように、何本にも分かれた尻尾が蠢いている。
あのバカ王子トリスタンが妖狐を見てみたいと言い出し、皆の反対を押し切って目撃情報があった小さな村へやって来たんだけど……まさか本当に居るなんて。
「人間の女よ。名は何という?」
「あ、アニエス・デュボアです」
「ふむ。アニエス……このスープ、少し分けてくれまいか?」
え⁉ 妖狐がこのスープを欲しがっている⁉
「ど、どうぞ。正直、作り過ぎて困っていたので」
「そうか。では、遠慮なくいただくとしよう」
そう言うと、妖狐は前足で器用に鍋を運び、大きな口で大量のスープを一呑みにしてしまった。
「……こ、これはっ⁉ アニエス。一体、このスープはどうやって手に入れたのだ⁉」
妖狐が驚いた様子で声をあげる。今更だけど、私は魔物と会話している方が驚きだよ。
「どうやって……って、普通に作ったんですけど、もしかして狐が食べちゃいけない材料が入っていました?」
「バカ者! そんな話ではない。このスープは、神水ではないかっ!」
「神水っ⁉ ……って、何ですか? 私が水魔法で出した普通の水ですけど」
「ふ、普通な訳があるかっ! これは、飲むだけで数時間、全ての能力が倍増する神の水だっ! アニエス……お主は水の神に愛されし聖女なのではないか?」
飲むと能力が倍増する神の水⁉ 何を言っているの⁉
「聖女だなんて……あ、でも元は水の神様の巫女をしていましたけど。そのせいかな?」
「いや、気づいていないだけで、元より水の聖女だったのだろう。水の神は同時に二人以上を愛する事は絶対にない。お主は世界で唯一無二の水の聖女なのだ」
え? えぇぇぇっ⁉ 私が水の……聖女⁉
「あ、あの……水の聖女って、世界を救ったり、悪しき魔王を倒す勇者を支援したりしなければならないんですか?」
「……アニエスがそうしたいのであれば、すれば良いのではないか? 別に水の聖女だからといって、やらなければならない事がある訳ではないからな。好きにすれば良いだろう」
恐る恐る聞くと、妖狐が意外にも気安く答えてくれる。
でも、良かった。いきなり聖女だ……なんて言われて、世界中の人々を救う旅に出ろとか、魔王と戦わないといけないのかと思っちゃった。
「それなら、いろんな国をまったり見て回ろうと思っているんですけど、それも大丈夫なんですね」
「もちろん構わないだろう。我は長年同じ地に居たからな。アニエスと共に他の地を見てみるのも悪くない」
あれ? 私と共に……って、ついてくるの?
「えっと、私と一緒に行くんですか?」
「もちろんだ。アニエスといれば、神水が毎日飲めるのであろう? そうすれば、封じられた我が力も取り戻せるかもしれん」
「封じられた……って、え? あなたは妖狐――九尾の狐ですよね?」
「いかにも、我は九尾の狐だ。だが、見よ。今の我には三尾しかないのだ」
妖狐が見ろと言うので、恐る恐る後ろへ回り込むと、前からは何本もあるように見えた尻尾が、確かに三本しかない。
「このため、今の我は本来の半分以下の力しか出せないのだ」
なるほど。それならS級の魔物である妖狐も、今ではB級くらいの強さなのかな?
まぁ、私にはB級の魔物も倒せないんだけどさ。
「だが、アニエス。お主の神水のおかげで魔力が一時的に増え、本来の姿に戻るくらいはできそうだ」
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「いろいろあったんですけど……婚約破棄されて冒険者のパーティを追放され、お腹が空いたから食事にしようとしたけど、村では食べにくいから、ここでご飯を作っていたら、あなたが来た……って感じかな」
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でも、その中でも一番驚いたのは、婚約破棄された事よりも、S級の魔物が現れて目の前で美男子? 美女? に変身した事だけど。
「よし。先程の話から察するに、腹が減っているが、村に入れず食事にありつけないという事だな。ならば、我に任せるが良い」
任せるが良い……って、イナリさんが私のご飯を全部食べちゃったんだけどね。
「今からあの村を支配してこよう。なに、二分もあれば終わるだろうから、ここで待って……」
「ダメダメダメダメ! あなたが言うと、本当にやりそうで怖いっ!」
支配って何⁉ イナリさんは、あの村で何をする気なのっ⁉
「ん? もちろん本当だが?」
「いいから! ご飯は作り直せば良いんだから! 食材もたくさんあるし」
「そうか。ならば我の分も頼む。アニエスの作る食事はとてもうまかったので、ぜひ」
ま、まぁ、そうまで言うなら……もう、仕方ないなぁ。パパッと作っちゃいますか。
荷物から新たに食材を取り出し、調理器具などを改めて準備する。
「ほう。ずいぶんと手際が良いな」
「まぁ、パーティで毎日料理していましたから」
イナリさんが、トントントンと野菜を切る私の様子をじっと眺める。
……なんて言うか、美形にジッと見つめられると恥ずかしいんですけど。
「ふむ……なるほどな。少し待っているが良い」
そう言って、イナリさんがどこかへ行ってしまった。
もしかして、読心術を使えるのだろうか。恥ずかしいのは恥ずかしいけど、どこかへ行ってしまわなくても良いのに。
「待たせたな」
「……って、ずいぶんと早かったですけど、何をなさっていたんですか?」
「あぁ、肉を調達してきた。先程も思ったが、やはり肉がないと食べた気がしないからな」
少しするとイナリさんが戻って来た。食べた気がしない……って、私の夕食を全部食べちゃったくせに。けど、お肉があるのは嬉しいかも。保存のきかないお肉や魚は冒険に持ち運べないから、街や村にいる時しか食べられないもんね。
おそらく、近くにいた鳥を捕まえてきてくれたのだろう。羽毛の処理だけでなく、血抜き処理までされた鳥肉をイナリさんが提供してくれた。
思わぬ食材が手に入ったので、メニューを変えて鳥肉を使ったシチューを作ろう。
「ほぉ。食材を洗うのも神水なのか。贅沢だな」
「だ、だって、普通の水魔法だと思っていましたし。あと、水魔法で幾らでも水を出せるから、水は持ち運んでなくて、これしかないし……」
再び美形のイナリさんに見つめられ……って、肉しか見てない⁉
……とりあえずシチューが完成したので、ようやく私も夕食にありつける。
「どうぞ」
「おぉ、すまないな。……うん、やっぱりアニエスの作った料理はうまいな」
「え、えへへ。いやー、それ程でも。じゃあ、私も……ん? このお肉、めちゃくちゃ美味しいですね! 何のお肉ですか?」
「我が狩ってきた肉か? これはサンダードラゴンの雛だ」
――ぶふぅぅぅっ!
「急にどうした? 生煮えだったのか?」
「な、生煮えとかじゃなくて、サンダードラゴン⁉ ドラゴンなんて、S級の魔物じゃない! というか私、ドラゴンのお肉を食べちゃったの⁉」
ねぇ、ドラゴンって食べられるの⁉ というか、人間で食べた事がある人って居るの⁉
「うまいであろう。親ドラゴンの肉は硬いから、食べるならドラゴンの雛に限る」
「雛に限る……じゃないわよっ! そんなの食べて大丈夫なのっ⁉」
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「神水は、能力値を増加させるだけでなく、あらゆる状態異常を回復する。まぁ、心配しなくてもよい。それより早く食べないと、我が全て食べてしまうぞ?」
「……もう、こうなったらヤケよっ! 死ぬ前に、美味しいお肉をいっぱい食べてやるんだからっ! ……くっ、どうして魔物のお肉がこんなに美味しいのよっ!」
「はっはっは。アニエスは食いしん坊さんだな」
美味しいお肉をヤケ食いし、食べきれなかった分はイナリさんが――ううん、もう呼び捨てで良いわよ! イナリがたいらげる。
イナリは細身なのに、あの大量に食べた物はどこへ消えるのだろうか。
そんな事を思っていると、食べ過ぎたのか、それともやっぱり毒だったのか、頭痛がしてきた。
「イナリ……なんだか、頭が痛いんだけど」
「神水を飲めば治るのではないか? 万能薬と同等の効果があるからな」
イナリに言われた通り、水魔法で作り出した水を飲むとすぐに頭痛が引いていった。
「む⁉ アニエス……お主、魔力が大幅に増えておるぞ?」
「神水を飲んだからかしら?」
「いや、それは食事中にも飲んでいたであろう。詳しく診るから、少し動かないでくれ」
イナリがジッと私を見つめてくる。
やっぱり男性か女性か気になるな……
「おぉ、すごいぞアニエス。サンダードラゴンの肉を食べたからか、雷の魔法が使えるようになっているぞ」
イナリが変な事を言い出した……って、何⁉ 今、何て言ったの⁉ 使用できる魔法は生まれつきで決まっているのに、どういう事なのっ⁉
「試しに雷魔法を使ってみてはどうだ? どの程度の効果なのか把握しておいた方が良いであろう」
あ、やっぱり雷魔法は聞き間違いではなかったんだ。ひとまずイナリに言われた通り、水魔法を使う時と同じく、雷が出るように念じてみる。
――バチッ。
「うわ……本当に雷みたいなのが出た」
使えてしまった。
ただ、雷魔法といっても指先から小さな雷を放つだけなので、戦闘には使えないと思うけど。
「食べたのがサンダードラゴンの雛だから、小さな雷を生み出すことしかできないのかもしれんな。よし、今から親ドラゴンを……」
「要らないから! お腹空いてないし、何だかすごい戦いになりそうだし!」
「はっはっは。我にとってドラゴンの一匹や二匹、大した事はないぞ? ただ、満腹は確かにいかんな。うまいはずの食事の味が半減してしまう」
イナリは満腹ならば……と、止めてくれたけど、私としては味がどうこうよりも、これ以上変な物を食べたくないんだってば。
……まぁ、味は今まで食べた中で一番じゃないかってくらいに美味しかったんだけどさ。
食事の後片付けを済ませ、水で濡らしたタオルでもぞもぞと服を着たまま身体を拭いたり、髪を拭いたりして、お風呂の代わりを済ませる。
「私はこれから就寝するけど、イナリはどうするの?」
「そうか。では、我も休むとしよう」
イナリが私の敷いたシートに腰掛ける。
これは……その、私と一緒に寝るっていう事だろうか。
その……何て言うか、私たちは出会ったばかりだし、まだお互いをよく知らないし、というか本気でこれから行動を共にするのかな?
ものすごく綺麗な容姿のイナリが隣に座って、心臓が爆発するくらいにドキドキする。
「これは一人用か。ちと狭いな……これで良いか」
突然イナリの姿が、私が抱きかかえられる程に小さく、白銀の毛に覆われた狐に変わる。
「え? イナリ……なの⁉ か、可愛いーっ! 尻尾がモフモフしてるっ!」
「いかにも我だが……こら、すりすりするなっ! 尻尾で遊ぶでない!」
不機嫌そうなイナリの言葉を無視してしばらくモフモフを楽しみ、ふと疑問に思って聞いてみた。
「イナリは、人間の姿が本来の姿って言ったけど、それならこの可愛い姿やあのたくさん尻尾が生えた大きな姿はなんなの?」
「この姿は隠密用の姿だ。とはいえ、簡単な魔法は使えるぞ。ドラゴン……は難しいかもしれんが、この辺りに居る魔物くらいは簡単に仕留められるから、安心するが良い。あと、最初に会った時の姿は戦闘用の姿だな。牙や爪で物理攻撃ができる」
「で、その戦闘用の姿で力を封じられて、元の姿に戻れなくなっていたの?」
「その通りだ。だが、アニエスのおかげで、元の姿に戻る事ができた。誠に感謝する」
そう言って、子狐の姿のイナリが私の腕の中でペコリと頭を下げる。
……大変! 可愛過ぎる!
今のイナリは可愛いし、本来のイナリは綺麗だし……でも、寝る時は今の姿の方が良いかな。あの姿だと、ドキドキしっぱなしで眠れないよ。
「我はしばらくアニエスと行動を共にさせてもらう。神水の効果が数時間で切れてしまうからな」
改めてイナリが私について来ると言い出した。
「一緒に行動するのは構わないけど、私はのんびりいろんな国を見て回ろうと思っているだけで、目的はないけど、良いの?」
「構わんさ。我の力を封じた者たちの手掛かりがある訳でもない。アニエスと一緒に、のんびりと多くの場所を旅して、何かが見つかれば良いと思っている」
「それなら構わないわよ。じゃあ、これからよろしくね。イナリ」
「あぁ、こちらこそよろしく頼む」
こうして王子様の冒険者パーティを追放された私は、九尾の狐と呼ばれているイナリと、のんびりいろんな国を巡る事になった。
「ふわぁ……ん? なんだろ……このモフモフ。すごく気持ち良い……」
「アニエス……おい、アニエス」
「この全身をモフモフで包まれている感じ……なんだか、幸せ」
「アニエスーっ!」
突然大きな声で呼ばれ、ぼやけた視界を見渡すと、視界いっぱいに大きな口があった。
「ひゃぁぁぁっ!」
「アニエス、我だ。イナリだ」
「え? イナリ? ……どうして、その大きな狐の姿になったの?」
「昨夜眠っている間に、神水の効果が切れたようだ。すまないが、我に神水をくれぬか?」
眠気が一気に吹き飛び、心臓がバクバクしたけれど、イナリとわかると怖くないのはなぜだろうか。やっぱり一緒に食事をして、会話したからかな?
ひとまずリクエスト通り、大きく開いた口の中に水を生み出すと、イナリの身体が小さくなって昨日の中性的美人へと姿を変える。
「うーん。夜寝る前に、お水を飲んでから寝るのが良いのかな?」
「そうかもしれんな。しかし、アニエスよ。我の尻尾を触るくらいならともかく、三尾の尻尾に埋もれて寝るのはどうなのだ?」
「え? 私、そんなところで寝ていたの? ……ね、寝心地はすごく良かったよ?」
モフモフベッドの正直な感想を伝えると、イナリが無言になってしまった。あれ? 何か呆れられた? それにしても美形はジト目でも美形なのね。
朝食の準備をするため、昨日の夕食を作った簡易かまどに火を点けようとして、ふと気づく。
「これってもしかして、簡単に火を点けられるんじゃない?」
枯葉を指さし、サンダードラゴンのお肉を食べて得た、小さな雷を起こす魔法を使うと、すぐに火が点いた。
やったね! これで水を持ち運ばなくて済む上に、面倒な火熾しが簡単にできるようになったよ!
……ますますパーティの料理係に適する能力を得た気がする。まあ、いっか。
簡単な野菜スープとパンで朝食を用意し、イナリと一緒に食べる。
「むぅ。アニエスの料理はうまいのだが、やはり肉が欲しいな」
「……ドラゴンのお肉はもう止めてね」
「ほう。では、オークキングの……」
「今日は街へ移動するつもりだから、そこでお肉を買いましょう! 普通の……普通のお肉をっ!」
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