チルアカ前日譚

藍色綿菓子

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命乞い

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 いつからこんなに、死や暴力に慣れてしまったのだろう。細々とした嫌がらせから、段々と心が腐って死んでしまったのかもしれない。
 突然異世界から現れた私は、人間を蔑む魔族の館で暮らしている。一所懸命運んだ水を、わざと転ばされてぶち撒いたり、綺麗に洗濯したものを泥だらけにされたり……おい、いいのか? 被害を被っているのは私だけじゃないぞ……と思ってはいるが、皆馬鹿みたいで、そのことに気付かないらしい。落ち込んだ様子を見せると喜ばれるようなので、とにかく私は、笑うことにしている。
 不屈の精神をもって働いていると、本当に少ない人数だが、私の味方になろうとしてくれる同僚もいた。膝を擦りむいたままで泥だらけの洗濯物を再度洗いに行こうとしたら、物陰からちょいちょいと手招きで呼ばれて、行くとさっと膝を洗い流して(空気中から水が出てきた。不思議だ)薬草を巻かれた。そんなこともある。そして薬草泥棒と呼ばれ袋叩きに……そんなこともある。
 夜、衣服やシーツを洗いに行くと、遭遇率が高いのだ。この屋敷の主、名はアルバート。夜のような目を持つ彼は、夜の時間帯の散歩が好きらしい。遭遇するたびに一言二言会話している。大変恐ろしい。よく今日まで命があるものだ。
「今日は随分小汚いな」
 支給された食事を粗末にした、そして勝手に他人の食事に手を出した、という冤罪で、厩に閉じ込められていたので。気性の穏やかな動物ばかりではないので、大変苦労して五体満足を維持した。満身創痍である。
「あまり近づかない方が良いかと思います、厩の臭いが移りますので」
「そうだな、私は五感が鋭いのでね。とても耐えられそうにない」
 領主様は私に手を翳し、何か呟いた。聞き返そうとしたところで、私の服が新品同然に綺麗になった……。
「え? 領主様?」
「なんだ」
「…………ありがとうございます」
 思わず本心からの笑顔が出た。
 領主様はいつもの冷たい目をしていたが、時間差で目を泳がせて、「礼を言われるようなことじゃない……」と顔半分を手で覆っていた。少し耳が赤い。
 なんだか可愛い、と思ってしまった。可愛いわけないのに。ただ、母が「男は可愛がるもの」と言っていたのを唐突に思い出した。ああ懐かしいお母さん。いつかその家に帰るからね……。
「あれあれ、いつも血の気のない顔してらっしゃるのに、ちゃんと血の色は赤なんですね。お揃いですね。私なんかとお揃いは嫌かもしれないけど」
 耳が赤く色付いている、と伝えると、からかうな、と睨まれた。切れ長の目に少し怯んだが、耳は本当に赤くなっている。手で隠している顔も赤いのだろうか。
「ナツミは私が怖くはないの」
 不思議な質問だった。怖いに決まっている。だってこの人の気まぐれや理不尽で、どれだけの人が血を流し、そのうち何人が息を止めたか。私がやってきてからだけでも、二桁は軽く越すだろう。
「怖いですけど、それより今は……」
 打算。処世術。権力者に好かれておけば少しは生きやすくなる。ここは媚を売るチャンスだ、と思った。
「少し、可愛いなって思ったりして……」
 固まる領主様を見て、少しぶっちゃけすぎたか、と焦る。
「なーんて! なーんて言ってみたりして! ごめんなさい、最近少しずつお話させていただいて、調子に乗っているようです。すみません。ごめんなさい。鞭打ってくださって構いません。せめてどうか五体満足でいさせてください……」
 後半命乞いになってしまったけど、私は助かるだろうか。簡単に鞭打ちとか言ったけど、この前この領主様、先端に金属の付いたエグそうな鞭で露出した骨を打っていたような……いけない、死んでしまう。嬲り殺されるよりかは即死したい。
「……今の発言、聞き逃すわけにはいかないな。覚えておいで。タダじゃすませない」
 領主様は静かに穏やかにゆっくりとそう言った。逆に怖いわ! そして顔を隠したままお部屋にお戻りになった……私は震えて眠った。そんな夜が何日か続き、なんだか最近トラブルに巻き込まれることが減ったなぁと思っていたら、私は領主様から呼び出されてしまった。
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