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天使の病室
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五藤君は仕事を辞めた。大金と引き換えに、病院で免疫細胞の提供をしている。現在は脂肪幹細胞の提供をしたそうだ。要は脂肪吸引である。彼の肥満体型が利になることがあるとは思わなかった。
以上のような五藤君の現在の情報は、少し指先を動かせばすぐに誰でも手に入る。彼は急に有名人になってしまった。良くも悪くもインパクトのある容姿も相まってか、「醜い天使」の話題は未だ尽きない。既に海外でもニュースになっているようだ。検査入院している病院がどこなのかまで知れ渡っている。私はお見舞いに行った。本当は彼からお見舞いに来て、という連絡が来るのを待っていたのだが、来ない。五藤君がいるのは大きな大学病院だ。
病院の待合室はとても開放的な印象だ。何十人もの人が同時に入れるほどの広いスペースがある。総合病院なので複数の専門医がいるが、全ての患者は一度この中央の受付を通る必要があった。だからこの広さなのだろう。
それよりも、目に留まったのは受付の光景だ。複数の人間が受付の事務員に詰め寄って、耳に響く声をあげている。
「だから、天使の病室はどこだって聞いてるの!」
中年の女性がヒステリックに叫ぶ。その声と様子が、私の記憶の中の人物と重なり、瞬間的に煮えるような暗い感覚を覚えた。
「声を抑えてください、具合の悪い患者さんもいますから」
押しかける人々は引かず、病室を教えろと喚き続けていた。一部では彼の存在は宗教的に祭り上げられていると聞いてはいたが、こうして目にするのは初めてだ。異様な一体感が薄気味悪い。待合室の患者達は、落ち着かない様子でしきりに目を動かしていた。私は携帯で彼に連絡をする。天使と呼ばれる本人は、快く病室を教えてくれた。少し恥ずかしいな、でも嬉しい、と彼は言っていた。まだ騒いでいる人々を尻目に、エレベーターに乗り込む。
「やあ、元気?」
病室は個室だった。五藤君はベッドに腰掛けている。想定していた彼の姿はどこにもなく、変わり果てたミイラのような男になっていた。不自然に頬がこけている。あれだけ大きかった体が、針金のように細くなってしまっていた。変化があまりにも急激すぎるのではないだろうか? 動揺を隠さねばと思う。彼を傷つけてはならない。五藤君は穏やかに微笑んで、来てくれて嬉しいよと言った。その笑顔も恐ろしい怪物のように歪だ。本来あった脂肪が伸ばしていた皮膚が、脂肪の無くなった肉の上に横たわり、醜い細かな凹凸を表面に現していた。頬の皮が垂れ下がっているのが、顔の肉が溶けたように見える。
「ごっそりいかれたわね」
笑って、ベッドの横に持ってきた椅子に座る。そうなんだよ、結構ね。と彼は言った。そこまでやったら術後の経過も悪いだろうと思う。
不意に、肉を削ぐ拷問があったことを思い出した。日頃拷問と処刑について研究しているからか。大学で歴史の一つとして学んでいる。五藤君はそれを知っている。
「私の考えでは、ただの肉体的苦痛だけではなく、精神的苦痛が強い拷問だったと思うの」
「そっかぁ」
五藤君の動きは鈍重だ。わかりにくいが、特番の時のような、何かを隠している表情に見えた。
「あの番組、仲良しの友達が出るって聞いててね。君が出てくれるのかなって思ったんだ」
また来るよ、と私は答えた。
五藤君と話していると、背後の扉が開く音がした。白衣の女性が、回診だと言って入ってくる。私がいることに気がつくと、明るい声で歓迎するような言葉をかけてきた。
「いやー珍しい! おっと失礼、失言だったかな? まあいいんだ。仲の良いお友達かい? また見舞いに来てくれよ。彼には感謝しているんだ。素晴らしい細胞に、医学を志す者は、皆ね」
やけに演技がかった口調だと思った。それに、手振りもやけに仰々しい。ここは舞台だったか? いや、病室の筈だが。呆気にとられる私に、五藤君がくすくす笑った。変わった人だよね、と囁く。いつもこうらしい。変な女医だ。
回診なら、私は帰ろうと席を立った。彼女は五藤君の顔の皮膚を見ていた。難しい顔をしていた。思わしくないようだ。
「あー……。大丈夫、余分な皮膚を取って綺麗にするよ。凹凸も、きちんと軟膏を塗れば目立たない」
五藤君は酷く怯えたように見えた。
「切るんですか」
「ごめんね」
女医は不自然なほど、申し訳なさそうにしていた。
以上のような五藤君の現在の情報は、少し指先を動かせばすぐに誰でも手に入る。彼は急に有名人になってしまった。良くも悪くもインパクトのある容姿も相まってか、「醜い天使」の話題は未だ尽きない。既に海外でもニュースになっているようだ。検査入院している病院がどこなのかまで知れ渡っている。私はお見舞いに行った。本当は彼からお見舞いに来て、という連絡が来るのを待っていたのだが、来ない。五藤君がいるのは大きな大学病院だ。
病院の待合室はとても開放的な印象だ。何十人もの人が同時に入れるほどの広いスペースがある。総合病院なので複数の専門医がいるが、全ての患者は一度この中央の受付を通る必要があった。だからこの広さなのだろう。
それよりも、目に留まったのは受付の光景だ。複数の人間が受付の事務員に詰め寄って、耳に響く声をあげている。
「だから、天使の病室はどこだって聞いてるの!」
中年の女性がヒステリックに叫ぶ。その声と様子が、私の記憶の中の人物と重なり、瞬間的に煮えるような暗い感覚を覚えた。
「声を抑えてください、具合の悪い患者さんもいますから」
押しかける人々は引かず、病室を教えろと喚き続けていた。一部では彼の存在は宗教的に祭り上げられていると聞いてはいたが、こうして目にするのは初めてだ。異様な一体感が薄気味悪い。待合室の患者達は、落ち着かない様子でしきりに目を動かしていた。私は携帯で彼に連絡をする。天使と呼ばれる本人は、快く病室を教えてくれた。少し恥ずかしいな、でも嬉しい、と彼は言っていた。まだ騒いでいる人々を尻目に、エレベーターに乗り込む。
「やあ、元気?」
病室は個室だった。五藤君はベッドに腰掛けている。想定していた彼の姿はどこにもなく、変わり果てたミイラのような男になっていた。不自然に頬がこけている。あれだけ大きかった体が、針金のように細くなってしまっていた。変化があまりにも急激すぎるのではないだろうか? 動揺を隠さねばと思う。彼を傷つけてはならない。五藤君は穏やかに微笑んで、来てくれて嬉しいよと言った。その笑顔も恐ろしい怪物のように歪だ。本来あった脂肪が伸ばしていた皮膚が、脂肪の無くなった肉の上に横たわり、醜い細かな凹凸を表面に現していた。頬の皮が垂れ下がっているのが、顔の肉が溶けたように見える。
「ごっそりいかれたわね」
笑って、ベッドの横に持ってきた椅子に座る。そうなんだよ、結構ね。と彼は言った。そこまでやったら術後の経過も悪いだろうと思う。
不意に、肉を削ぐ拷問があったことを思い出した。日頃拷問と処刑について研究しているからか。大学で歴史の一つとして学んでいる。五藤君はそれを知っている。
「私の考えでは、ただの肉体的苦痛だけではなく、精神的苦痛が強い拷問だったと思うの」
「そっかぁ」
五藤君の動きは鈍重だ。わかりにくいが、特番の時のような、何かを隠している表情に見えた。
「あの番組、仲良しの友達が出るって聞いててね。君が出てくれるのかなって思ったんだ」
また来るよ、と私は答えた。
五藤君と話していると、背後の扉が開く音がした。白衣の女性が、回診だと言って入ってくる。私がいることに気がつくと、明るい声で歓迎するような言葉をかけてきた。
「いやー珍しい! おっと失礼、失言だったかな? まあいいんだ。仲の良いお友達かい? また見舞いに来てくれよ。彼には感謝しているんだ。素晴らしい細胞に、医学を志す者は、皆ね」
やけに演技がかった口調だと思った。それに、手振りもやけに仰々しい。ここは舞台だったか? いや、病室の筈だが。呆気にとられる私に、五藤君がくすくす笑った。変わった人だよね、と囁く。いつもこうらしい。変な女医だ。
回診なら、私は帰ろうと席を立った。彼女は五藤君の顔の皮膚を見ていた。難しい顔をしていた。思わしくないようだ。
「あー……。大丈夫、余分な皮膚を取って綺麗にするよ。凹凸も、きちんと軟膏を塗れば目立たない」
五藤君は酷く怯えたように見えた。
「切るんですか」
「ごめんね」
女医は不自然なほど、申し訳なさそうにしていた。
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