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残り40日~31日
残り31日その1
しおりを挟むワンボックスカーの中、あたしたちはずっと無言だった。これから何が待ち受けているのか。それへの不安と恐怖に押し潰されそうになる。
ただ、あたしの手を握る俊太郎だけが支えだった。「大丈夫」、何度そう言ってくれただろう。
そう、きっと大丈夫だ。あたしは、もう一度心に言い聞かせた。
*
発端は、金曜日の夕方だった。俊太郎の部屋で震えるスマホには、見知らぬ番号が表示されていた。
普段なら無言で切っているはずのそれに、あたしは出た。掛けている相手に、見当がついたからだ。
「もしもしっ」
『木ノ内由梨花、だな』
小さく、ボソボソとした男の声。あたしはスマホを握る手を、左手に替えた。ペンを取り、メモの準備をする。
「……誰なの」
『佐藤優結は、俺たちの所にいる。警察を呼ばずに、竹下俊太郎と来い』
……来た。横にいる俊太郎も、小さく頷く。
「どこにいるの」
『品川のグランメゾンタワー。その最上階にいる。日曜日、正午だ』
「優結は、無事なの」
怒りと恐怖で上ずりそうになる声を、あたしは必死で抑えた。
『由梨花っ、助け……むぐっ』
微かに、彼女の声がした。良かった、生きてる。すぐに男の声に変わる。
『というわけだ。来れば彼女は解放してやる』
「……あたしたちは?」
『それは来てのお楽しみだ』
「捜索願は出されてるわ。警察が来たら、あなたたちなんて……」
『そんなに俺がアホだと思うか?無論、リスクヘッジ済みだ。警察が来たと判断した瞬間、佐藤優結は殺す』
俊太郎を見ると、眉に皺を寄せ険しい表情だ。「解せない」と小さく呟く。
あたしも首を捻った。そう、何かが不自然だ。
問い詰めようとしたけど、あたしは思い止まった。毛利さんには、当然優結のことは相談済みだ。もし電話が来たら、相手の手の内を知るために、できるだけ無難に話を進めろと聞いていた。
「無知な子羊だと相手に思わせろ」と彼は言った。油断を招ければ、チャンスは出てくる。
「……分かった。日曜ね」
『そうだ。楽しみにしているぞ』
電話が切れた。俊太郎が何か考え込んでいる。
「……どうしたの」
「おかしな点が幾つかある。由梨花もそう思わなかったか」
あたしは首を縦に振った。
「……何で、優結を拐ってすぐに脅迫しなかったんだろう。そして、なぜ日曜日に来いって」
「そこだ。その辺りに、今回の件の本質がある」
俊太郎はコーヒーカップに口をつけた。
「恐らく、時間が欲しかったんだろう。僕らを襲うために必要な時間が」
「……え」
「奴らも学習はしてるさ。警察が強襲する可能性だって頭にあるはずだ。
多分、由梨花が話したのは坂本って奴だろう。いくらボンボンと言っても、そこまで無策でもないはずだ」
「武器か何か、用意してるってこと?」
「どうだろう。多分、例の薬を使おうとしてるんだと思う。あれは希少品だと毛利さんは言ってた。多分、人数分揃うまで、時間がかかったんだ」
薬……「AD」って薬のことか。
「……ちょっと待ってよ。優結がその薬を飲まされてる可能性って!?」
「ない、と思う。あれの性質はよく知ってる。セックスドラッグにして、優結さんを肉人形にすることだって簡単だ。
でも、『この時間軸』では、『AD』は希少品もいいとこだ。だから、優結さんは大丈夫だ。別の薬物は与えられてるかもしれないけど」
目覚めてからの俊太郎は、これまでよりずっと冷静になった。もちろん、これまでと人が変わったわけじゃない。
それでも、明らかに大人びた気がする。「覚醒レベル」というのが、上がった結果なんだろうか。どこか達観したような物言いも多くなった。
それでも、今の俊太郎は、とても頼りがいがある。不安な私の心を、宥めてくれるかのようだ。
あたしの方が歳上のはずだけど、ずっと歳上の人と話している気分になる。それを俊太郎に告げると、どこか寂しそうな表情になったけど。
「……どうするの」
俊太郎は、少し考えた。
「……そもそも、僕らを呼び出す理由って何だ?」
「え、それって……俊太郎に手を引かせるため、じゃ」
「違う。今なら分かる。奴らの目的は、僕だ」
「……どういうこと?」
「僕の『記憶』は、まだ完全に戻ってるわけじゃない。『グレゴリオ』のトップが誰なのかも、まだ『思い出せてない』。
ただ、奴らには二重の動機がある。まず、エバーグリーン自由ケ丘を巡る不正が明らかになるのを止める。バレたら身の破滅だからだ。そしてもう一つが僕だ。『テロリスト』としての僕を、確実に手に入れる」
ゴクリ、と思わず唾を飲み込んだ。
「……ちょっと待ってよ。今の俊太郎って……」
「まだ、精神状態が安定しきってるわけじゃないんだ。この前会った鷹山先生は、『強い精神的外傷で覚醒レベルは上昇する』と言ってた。
それに近いことを、奴らは狙ってる。部屋に入るなり僕の目の前で由梨花を襲い、犯し、あるいは殺し……そうすることで、『僕』を目覚めさせようとするかもしれない。
そして、『テロリストの僕』を目覚めさせることで、手を引かせようという魂胆だろう」
全身に震えが走った。……そんなことが、できる人間なんて……
「あ」
あたしはすぐに、葵を思い出した。
そうか、多分坂本は、人をもう少なくとも1人は殺してるんだ。
俊太郎の目が、鋭くなった。
「気が付いたね。そう、奴らはそのくらいはできる。ただ、こちらが奴らの誘いにホイホイと乗じると思ったら、大間違いだ」
「毛利さんたちに、助けを求めるの?」
「もちろん。最上階なら、あの方法が使えると思う」
「あの方法?」
「昔の某アクション映画の手法だよ。ただ、それは見てのお楽しみかな。由梨花にあまり話すと、余裕ができてしまう。『無知な子羊』でいた方が、相手は油断するだろ」
俊太郎はニヤリと笑った。
*
そして、あたしたちは今日を迎えた。俊太郎が何をするつもりなのか、あたしは知らない。
ただ、俊太郎の目からはこれまでのような動揺は消えていた。そう、今は俊太郎を信じよう。
「あとどれぐらいですか」
「10分ほど。首都高を降りたら、すぐだ」
「コナン」君の父親だという男性が告げた。そう言えば、「コナン」君がいない。
「『コナン』君は?」
「今日は別の用事がある」
俊太郎が頷く。
「水元さんの案件、ですね」
「ああ。ある『仕込み』をしている。子供のコナンの方が、怪しまれずに済むからね」
俊太郎があたしを見た。
「大丈夫。由梨花には、一切手を触れさせないから」
「……うん」
車は首都高を降りた。しばらくすると、2棟の双子のタワーマンションが見えてきた。
……あれが、グランメゾンタワーだ。
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