100日後に死ぬ彼女

変愚の人

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残り50日~41日

残り43日

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崩れ落ちた本棚。その隙間を縫い、僕は進む。
その先で、白髪の痩せこけた老人が嗤っていた。

「相変わらずだな、竹下君」

「……先生も、ご健勝のようだ」

カカカ、と老人が声をあげる。

「冗談はよしてくれ給え。もう永くはない身だと知っているよ」

「……オルディニウムの影響ですか」

「然り。あれによる遺伝子損傷で、全身が癌化している。まあ、もって数日だな」

老人の顔には、確かに死相が浮かんでいる。しかし、その眼だけは煌々と輝いていた。

「……実行に移されるのですね」

「無論。そのためだけに、この55年を生きてきた」

老人はよろよろと席から立ち上がる。彼の右側には、分厚い鉛の扉があった。

「滅ぼすのですね、全てを」

「否。この時間軸だ」

「……?」

「全てを壊してやりたい。その衝動は君も抱えているのだろう?オルディニウムによる精神汚染の影響が多少なりともあったとしても、それは君が本質的に抱えたものだ。
だからこそ、君は『最後の仕事』として私に協力した。違うかな」

僕は小さく頷いた。

「私もその感情は理解する。だが、私の目的は違うのだよ」

「……は?」

「壊すのではない。『リセット』するのだよ。全てをあの日に戻すために」

「リセット」

ニイ、と老人が笑みを深める。

「君は全てをやり直したいと思ったことはないか?あるだろう、私は知っているぞ。
君の人生を、人格を、未来を終わらせた2021年12月29日。その日に戻れればと何度君が乞い願ったか、私は『知っている』」

猛烈な怒りが僕の中に沸き上がった。一体あんたが、僕の何を知っているんだ!?
そして、自分が利用されていたとその時悟った。懐のトカレフに手を伸ばそうとした刹那、老人がさらに言葉を続けた。

「私は君に、チャンスを与えようとしているのだよ。君はあの日に戻れるかもしれない。やり直す機会を与えられるかもしれない。
私なら、それが可能だ。賢明なる君なら、理解してくれると思うが?」


……そういうことか。


僕は利用されていた。だが、目的は違っても「結果は同じ」だとしたら?ここでこの男を撃つのは、得策ではない。

僕は手をトカレフから離し、笑い返した。

「……理解しましたよ」

「物分かりのよい教え子だ。では、最後の仕上げに取りかかろう」


「はい、青山教授」


*

「ハッ!!?」

僕は飛び起きた。脂汗が、ダラダラと流れている。一体、何だ。
時計は深夜3時23分を示している。段々と、悪夢が酷くなる。

まさかこれも、「未来の記憶」だというのか?しかし、これは……


僕の中で、激しく警戒のサイレンが鳴った。確証はない。根拠もない。


だが、ここから先は、決して「思い出してはいけない」気がする。多分……僕が僕でなくなる。


「覚醒レベル4」になることは、極めて危険なことだと「コナン」は言っていた。人格まで未来のものになれば、僕は彼に殺されることになるだろう、とも。

その意味が、ようやく少し分かった気がする。夢の内容は、もうおぼろげにしか覚えてない。ただ、邪悪でどす黒い感情が僕の中にあったことだけは、余韻としてあった。


僕は布団を頭から被った。どうする?どうすればいい?
仁さんに相談すべきなのは、もはや疑いがない。だが、いつまで僕が僕でいられるのか、全く自信がなかった。


もし、急に「思い出してしまったら」??


……考えるな。悪い方へ、悪い方へと考えるな。僕にはやらなきゃいけないことがある。


オルディニウムを使った非破壊検査のメソッドは、大体だが思い付いた。問題は、残り1ヶ月強でオルディニウムを手に入れ、装置を作れるかだ。
それはほぼ不可能なようにも思えた。だが、やらないといけない。由梨花のためにも、僕のためにも。

そして今日は、そのための重要な1日なのだ。青山教授に、協力を仰ぐ。理論武装は、ある程度できた。問題は、彼が折れるかだ。


僕はそのまま、夜が明けるまでを過ごした。


*

「入り給え」

青山教授の研究室のドアを開けると、埃と本の乾いた匂いがした。教授のデスクは、本でぎっしり詰まった本棚で囲まれている。

「……失礼します」

教授は僕に目を合わせることなく、論文に目を通していた。僕の存在など、まるでないかのように。

「用件を手短に言え」

僕は無言で、リュックからレジュメの束をデスクに置いた。

「これに目を通して欲しいのです」

「そんな暇があると思うか?」

ギロッと教授が目線を上げた。気圧されそうになるのを、僕は必死で堪える。

「……オルディニウムの実際への適用についてです。放射線を取り扱う機器において、既存のセシウムから置き換えることによる利点を取りまとめました」

「下らん。時間の無駄だ」

「……これが400人以上の命を救うことになると知ってもですか」

教授が、僕の目をじっと見た。

「……何が言いたい?」

「ある建物に瑕疵の疑いがあります。ただ、既存の検査機器を使用した場合、大掛かりにならざるを得ません。ごく短時間で、正確な検査を完了する必要がある。
それにはオルディニウムの使用が最適と判断しました。簡単な設計のアイデアも、ここに記しています」

「そんなもの業者に依頼すればよかろう?」

「時間がないんです!」


……ドクン


思わず語気が強くなった。……まずい。感情を、コントロールできなくなりつつある。唇を噛んで、理性が戻るよう願った。

青山教授は、依然無表情で僕を見る。

「時間がない?」

「ええ、どうしてもです」

「なぜ時間がないと分かる?」

言葉に窮した。それ以上は、「リターナー」の存在を明かすことになる。それは、網笠官房副長官から止められていることだ。
それでも、僕はこの事実を明かすべきなのか?


握り締めた拳が震えた。本当にまずい。
「何が何でもだよ!!」と叫び、胸ぐらを掴みそうになる衝動を必死で抑えた。しかし、あと何秒もつ?


…………限界だ!


「クク……」


青山教授が、突然笑い出した。


「……は?」


「ククク……フフフ……ハハハハハ!!!そうか、そういうことか!!!」


「何がおかしい!!!」


叫ぶ僕に、青山教授は嬉しくて仕方ないと言った様子で笑いかけた。

「いや、実に傑作だよ。私の仮説は当たっていたというわけだな」

「仮説?」

「そうだ」


青山教授が立ち上がった。




「竹下君、君はこの時代の人間ではないな?」




ゾクッと背筋が震えた。


「な、何で、それを」


青山教授はニタリと気持ち悪い笑みを浮かべる。

「推測だよ。そもそも、少し前までただの凡百の学生だったはずの君が、これほど正確に私やオルド・テイタニアの学説を理解できるはずがない。
そして、まるで未来に何か起きるであろう事項を断定的に言ってきた。しかも『具体的な犠牲者数』まで言及した。
そこから導き出される論理的帰結は、君が『未来から来た』こと。そしてそれは、恐らくオルディニウムから生じた何らかのエネルギーによって引き起こされた。どうかね?」

「……教授、あなたにも『未来の記憶』が」

カカカ、と教授が嗤った。

「そんなものはない。ただ論理的思考から結論を導き出したに過ぎん。
この現象を生み出したのは、未来の私だな?素晴らしい、実に素晴らしい……が」

教授の顔から、急に表情が抜け落ちた。

「……まあいい。私も、じきに『思い出す』と思おうか」

彼は僕の作ったレジュメに目を通し始めた。そしてあっという間に読み終えると、「フン」と一言だけ言った。

「……論理が甘過ぎる。何よりオルディニウムの放射線量を甘く見ているな?既存の低純度の鉱石すら、毎時5シーベルトの放射線量だ。環境被害が起きかねん。
とはいえ、鉛のシールドをもう1層加えれば、放射線の集約自体は可能だ。照射時間はごく短く、非破壊検査機器もダウンサイジングできる。理には叶っている」

「できるんですか」

「メーカーに依頼したら数年はかかる。テストに次ぐテストが必要だからな。
だが、私が作る分には問題がない。数週間で作れるだろう」

「本当ですか!!?」

「オルディニウムの取り扱いに最も習熟しているのは私だ。不可能などない」

安堵で身体から力が抜けた。その場にしゃがみこみたくなる。


……良かった……本当に、良かった……


「……にしても、なぜ急に」

「『未来を変える』ことに、学術的興味が湧いた。ただそれだけのことに過ぎん」

青山教授はレジュメを置き、窓の外を見る。

「……実に興味深い。だが、私は……」

その表情は見えない。一体、彼は何を考えているのだろう?


……ゾクン


え?


…………ゾクン、ゾクン


急に、鼓動が早くなってきた。これは、一体??


「う……あ……!?」


激しい頭痛。歪む視界。バランス感覚が、急激に失われていく。


そして。



ドサッ



…………僕の意識は、失われた。



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