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残り50日~41日
残り46日
しおりを挟む「あ、こっちこっち」
表参道ヒルズの前で、薄い赤のシャツを着た長髪の女性が手招きする。あたしは軽く会釈をして、彼女のところに向かった。
「こんにちは。待ちました?」
「大丈夫。私もさっき来たところだから」
愛結さんが笑う。……あれ、1人なのか。
「『コナン』君は」
「彼は離れた所にいるわ」
彼女の視線の向こうに、ベンチで本を読んでいる少年がいる。髪型がオールバック気味で、眼鏡もかけていないけど、よく見ると彼だ。
「え、いいんですか」
「いいの。今日は女子会、そういうこと」
愛結さんから誘いがあったのは3日前だ。週末会えないかとLINEが来た時には、少し戸惑った。しかも俊太郎抜きで、ということらしい。
俊太郎とは早稲田祭から会っていない。LINEはやり取りするけど、どこか素っ気ない……というか距離を取ろうとしているように感じる。
あたしが危険な目に遭ったことに対する、負い目なんだろうか。
怖くなかったか、と言えば嘘になる。でもあの時、彼が私を守ろうとしてくれたのは、本当に嬉しかった。
その感謝の気持ちを伝えたかったのだけど、例のオルディニウムの調査とかで忙しいと、デートの誘いは断られてしまった。
もし、彼の「記憶」に間違いがないのなら、エバーグリーン自由ケ丘が倒壊するまでもう50日を切っている。
そろそろ、あそこに何があるのかを証明しないといけない頃だ。だから、俊太郎が忙しいと言っているのは、多分本当なのだろう。
それでも、会えない寂しさは募る。力強く抱いて欲しい。温もりを感じたい。そう素直に言えればいいのだろうけど、それをしない程度の分別はまだあるらしかった。
そんな中での愛結さんの誘いに、あたしは乗った。
人生経験が豊富な彼女なら、きっとこのモヤモヤとした感情をどうすべきかについて、それなりのアドバイスをくれるんじゃないかと思ったからだ。
「どこに行くんですか?」
「『カフェ・アンジュ』。聞いたことない?」
「あ、あります!確か、有名なパティシエールですよね」
「そう、そこ。予約で席を取ってるから、ゆっくり話せるわ」
「予約って、大変じゃなかったですか?すごい人気だって」
愛結さんはクスクスと笑った。
「ちょっと無理を言って、お願いをね」
あそこも「リターナー」と関係があるお店なのだろうか。想像以上に、彼らのコネクションは広いらしい。
しばらく歩くと、小さなビルと若い女性の列が見えた。あそこの一階が、「カフェ・アンジュ」らしい。
黒と茶色で統一されたその内装は、重厚で上品な印象を与える。ここには一度優結と行こうという話にはなったけど、かなり並ぶと聞いて断念していたという経緯がある。
振り向くと、「コナン」君は列の最後尾に並んでいる。
その脇を通り愛結さんが店員に予約の旨を告げると、奥の席に通された。
「いいんですか?」
「ああ、大丈夫よ。彼は好きで並んでるから。それに行列で待っていれば、誰かが来た時に対処しやすいでしょ?」
「まあ、確かに」
あたしはザッハトルテ、愛結さんはピスタチオのケーキセットを注文する。しばらくすると、ケーキと色とりどりのソース、そしてソルベが乗せられた大きめの皿が運ばれてきた。
「すごい……こんなに豪華なんて」
「写真撮る?インスタ映えするけど」
「あ、インスタはやってないんです。愛結さんは?」
「私も。どうにも、SNSは苦手なの」
ザッハトルテを口に運ぶ。濃厚な甘みと、豊潤なカカオの風味が口一杯に広がった。
とても美味しいと感じると同時に、俊太郎がここにいないことを、私は心から残念に思った。……こういうのは、彼と一緒に味わいたい。
「……美味しい、です」
「浮かない顔ね。彼のことを、考えてる?」
「……!はい。正直、ちょっと不安で」
「だと思った。私も、経験した身だから」
「というと?」
愛結さんはピスタチオのケーキを口に運んだ。
「『リターナー』相手の恋って、色々大変なの。相手は自分の知らない時間を生きてて、それは決して共有できない。
それがどんな苦しみや痛みだったのかも、言われれば理解はできるけど、それを共感はできない。
そして、そのことに相手も悩んでいるけど言い出せない。だから、気持ちがどこかすれ違ってしまう」
「愛結さんにも、そういうことが」
「昔、ね。今も、『コナン』君の心の内は、完全には分からない。
まして、私と彼とでは、見た目の年齢が随分違う。決して世間にバレてはいけない恋だし、本当の意味で結ばれるのには時間もかかる。
そしてその時が来たとしても、私が老いて、魅力がなくなってないかは、今でも不安なの」
フッと、寂しそうな表情が愛結さんの顔に浮かんだ。
「俊太郎君は、『覚醒レベル』2だと聞いてるわ。多分、彼の中に眠る『未来の記憶』と現実との折り合いに苦労している頃だと思う」
「『コナン』君にも、そういう時期が?」
愛結さんは静かに頷く。
「彼はすぐに、人格も未来のそれに統合されちゃったけどね。でも、それはそれで大変だった。
俊太郎君の場合、もしそうなったら彼よりかなり難しいことになるって聞いてる。だから、俊太郎君が『壊れそう』になったら、あなたが全力で支えてあげてほしいの」
「支える?」
「そう。彼が、あなたの愛する彼であり続けるために。彼は彼で、苦しんでるでしょうから」
ソルベが溶けかかっているのに気付いて、慌ててそれをすくった。フランボワーズだろうか、濃い酸味を感じる。
「でも、具体的にどうすれば」
「彼には、あなたに隠している『未来の記憶』がまだあるんじゃないかしら。私も、『コナン』君からその点についてはざっくりとしか聞いてないけど」
「え……何ですか、それ」
体温が下がった気がした。俊太郎が、何かを黙ったままにしている?
愛結さんは、軽く首を振った。
「ごめんなさい。私も、そこについては突っ込んで聞いてないの。それに、多分それについては、彼の口から自発的に聞いた方がいいと思う」
……そうなのか。でも、俊太郎が隠し事をするなんて、余程のことだ。一体、未来に何が起きるというんだろう。
「……分かりました。ところで、愛結さんの場合、どうやって支えたんですか?」
「え……あ……そ、それはね……」
「そこまでだ」
「コナン」君が、いつの間にかテーブルの所に来ている。愛結さんは「ハハハ……」と作り笑いをしていた。
「えっと、聞かれただけだからね?」
「それは分かるさ。ただ、詳細をここで話すのは色々不味いだろ」
彼は私たちの隣のテーブルに座ると、慣れた様子で「サオトボルージュのセット」と注文する。聞いたことがない名前のケーキだ。
「あー、それ気になってたのよね」
「じゃあ後でシェアしよう。……木ノ内さん」
「コナン」君があたしを見た。
「どんなことを言われても、あなたはそれを受け止めてあげてほしいんです。僕の口からは詳しく言えないけど、多分近いうちに竹下さんはあなたの助けが必要になりますから」
「……俊太郎に、何が起きてるんですか」
「コナン」君は少し間を置いて、口を開いた。
「竹下俊太郎の『覚醒レベル』が上がり始めています。『未来の人格』の侵食、と言ってもいい」
あたしは席を立った。
「今すぐ行かないと……!」
「待って下さい」
「コナン」君が首を振る。
「やめた方がいいです。下手に刺激すると、酷く不安定な状態で『目覚める』ことになる。それは、あなたにとっても、彼にとっても、不幸なことになります」
「じゃあ、どうすれば!?」
彼は目を閉じ、そして口を開いた。
「あくまで、彼が進んで話をする方向に持っていって下さい。決して、無理強いしないこと。
『覚醒レベル』の上昇を抑え、穏健な形で人格を安定させるには、必要なことです」
「……待つしかない、ということなの?」
「そういうことです。辛いかもしれませんが」
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