13 / 37
残り80日~71日
残り73日
しおりを挟む雨の中、クラウンは圏央道を北へと向かっていく。
いささか退屈な風景に耐えきれず、私は眠気覚ましにカーステレオのスイッチを入れた。
♪イヤリングを外して 綺麗じゃなくなっても
♪まだ私のことを 見失ってしまわないでね……
中島みゆきの湿っぽい歌声が聴こえる。決して明るくなれる曲ではないが、今の私の心情には合ってはいた。
向かう先に何が待ち構えているのかは分からない。ただ、何かを捨てねばならないことだけは、どうも間違いなさそうだった。
♪もしもあした私たちが 何もかもをなくして
♪ただの心しか持たない 痩せた猫になっても……
何もかもをなくす、か。私は苦笑した。そうならなければいいが、嫌な予感は消えない。
金なら、多少は払う覚悟はある。ただ、「アイ」のこれまでの言動からして、おそらく狙いは金ではない。それに、金狙いなら柳沢の方がはるかに多く持っている。
なら、エバーグリーン自由ケ丘に関する瑕疵の暴露か?「アイ」が何をしてくるか分からないのは、先週痛感した。ただ、瑕疵があると現時点で訴えても、その証拠はもはやない。
何より、10年は無事に過ぎているのだ。私一人が騒いだところで、頭がおかしいと見なされてクビを飛ばされるだけだろう。
とすれば、「アイ」が求めるものは何か。……皆目見当がつかなかった。
とにかく、あと1時間足らずで「アイ」に会える。そこで奴に、真意を問い質す。
無味乾燥であっても、一応は平穏な日々を、壊させはしない。私はハンドルを僅かに強く握った。
*
「カフェ・ドゥ・ポワロ」は、圏央道の鶴ヶ島インターを降りて数分の、住宅街にあった。
カフェというよりは、小洒落たケーキ屋のような佇まいだ。駐車場はほぼ満車だったが、幸い1台分だけ空いていた。
クラウンを停め、私はカフェの入口へと向かう。こんな悪天の中だというのに、店は中年女性客でなかなかに繁盛していた。
「いらっしゃいませ、お一人ですか」
若い女性が、私を出迎えた。奥のカウンターには、マスターとおぼしき白髪の男性がネルでコーヒーを淹れている。なかなか本格的なカフェではあるようだ。
「水元です」
女性の表情が、不意に引き締まった。そして奥のマスターに何事かを告げる。マスターは手を止め、こちらに向かってきた。
「いらっしゃいませ。話は聞いております。どうぞ、こちらへ」
マスターは奥の部屋に私を案内した。通された部屋は白一色で、窓すらない。客用の個室にしては、酷く閉塞感がある。
2分ほどして、マスターがコーヒーカップ2つとシフォンケーキを持ってきた。
「……頼んでないですが」
「こちらはサービスですよ。横浜からですか、遠方はるばるどうもありがとうございます」
「いえ、圏央道ができて、大分来やすく……」
……おかしい。私は横浜から来たと、一言も告げてない。「アイ」がマスターに言伝てしたのだろうか。
マスターは静かに笑っている。あるいはまさか、この男が?
「失礼、私は『アイ』ではないのですよ」
マスターは私の心を読んでいるかのように言うと、胸元から名刺を取り出した。「カフェ・ドゥ・ポワロ 白田兵次郎」とある。
「『アイ』の知り合い、ですか」
「上司の上司、ですかな。今日は彼女は来ません」
「え」
コーヒーを一口飲むと、白田と名乗るその男は切り出した。
「『アイ』は今日都合が悪いものでしてね。それに、彼女本人からより、私が話した方が恐らく納得されるでしょう」
そうだ。元々のメールには「私の代理」とあった。とすると、元々この男が私と話す予定だったことになる。
「どういうことですか?そもそも、あなた方は……」
白田は腕時計をチラリと見た。
「それを話す前に、一つ面白いものをご覧に入れましょうか。水元さん、競馬はやられますかな」
「いえ、全く」
白田はスマートフォンを私に見せた。テレビ局の動画サイトのようだ。
「これから秋華賞、G1レースがスタートします。その1着から5着まで、全て当ててみせましょう」
「え?」
そんなことが可能なのか?確か、1着から3着まで順番に当てる馬券すら、相当当てるのが難しいと聞く。5着まで当てるとなれば、それは天文学的確率だ。
白田は目を閉じると淀みなく喋り始めた。
「1着はアカイトリノムスメ、2着はファインルージュ。以下、アンドヴァラナウト、エイシンヒテン、スライリー。1番人気のソダシは4コーナーで失速し、確か……10着でしたかな」
動画では、ちょうどファンファーレが鳴った所だった。スタートが切られ、真っ白い馬が2番手の位置を走る。実況の口振りから、これがソダシらしい。
ソダシは快調に飛ばし、先頭に迫る。ところが……
「あっ……!?」
白田の言う通り、最終コーナーで手応えが怪しくなり急失速していく。それを横目に外から突き抜けた馬が、身体半分抜けた所がゴールだった。
「どうです?私の『記憶力』も、さほど衰えてはいないようだ」
白田がフフッと笑う。……「記憶力」?
ゴール後の掲示板を確認する。順位は、白田の言った通りだった。そして、ソダシの順位は……10着。完璧な「予想」だった。しかも、ソダシの負け方も当てている。
競馬には詳しくない私でも、これがいかに異常かはすぐに分かった。
「そんな、馬鹿な」
「しかし、当ててみせた。これにはあるタネがある」
「タネ?」
「ええ。それより、コーヒーを冷めないうちに。グアテマラをベースにブラジルをブレンドした、当店自慢の一杯です」
信じられない思いで、私はコーヒーを口にする。深みのある苦味が、口に広がった。
「さて、私に訊きたいことは山ほどあるでしょうが……なぜ秋華賞を当ててみせたか、それはこれから説明することを、理解してもらいやすいからです」
「何ですか、それは」
背筋に冷たいものが流れる。目の前で柔和な微笑みを浮かべるこの男が、得体の知れない鵺か何かに見えた。
「水元さん、SF小説は読まれますか」
「いえ、全く」
「その1ジャンルに『巻き戻り』があります。未来の記憶を持ったまま、過去に戻った主人公が、その知識を使って出世したりするというストーリーですな。
小説なら『リプレイ』、漫画なら『未来の想い出』や『代紋TAKE2』辺りですが……まあそれはいいでしょう。そしてここからが重要ですが」
白田はもう一度、コーヒーを口にする。
「私も『巻き戻った』一人なのですよ。そして、この世界には私のような人間が、実は少なからず存在する」
……
…………は???
何を言っている?そんな、非現実的なことが……
ここで、私はさっき白田が見せた「予想」を思い出した。……そうだ。あれはその結果を「事前に知っていないとできない」。白田も、「記憶力」と言っていた。
……白田がなぜ、あんなことをしたのか、私はようやく理解した。そして、そこから導きだされる結論は。
「……まさか、『アイ』もその一人だと?」
「察しが早くて助かりますな」
そんな、馬鹿げたことが。しかし妙に腑に落ちた。後々エバーグリーン自由ケ丘の耐震構造の瑕疵が発覚したとすれば、それを知っている「巻き戻り」がいても不思議ではない。
……とすれば?私の顔面は蒼白になった。
「……ちょっと待って下さい!?まさか、エバーグリーン自由ケ丘に、今後何かが起きると??」
「やっとここに来られた意味を理解されたようですな」
白田の表情から、笑みが消えた。
「エバーグリーン自由ケ丘は、2021年12月29日に倒壊します。原因は、前日の震度5の地震と、それに伴い劣化していた構造材が崩れたこと。『我々』は、それを知っている。
そして、それを止めねばならない。413人の犠牲者を救い、さらなる惨劇を生まないためにも」
「……あなたは、何者だ。そもそも、『我々』とは?先週の少年も、あなたの差し金とでも?」
フフ、と微かな笑いが白田から漏れた。
「勘の鋭い御仁は嫌いじゃない。そう、私たちは未来において、治安維持を担って『いた』のですよ。私はとっくに退官していましたがね。
そして、そのうち何人かは『巻き戻り』、別の形で秩序の再構築に向かっているのです。滅びの未来を防ぐために」
「何を言いたいか、さっぱり分かりません」
「まあ、平たく言えば、ですな。我々は警察ですよ。未来の、ね。
そして、重大犯罪とそのトリガーとなる事象を未然に防ぐのが役割です。警察組織にも、既に我々の存在は認知されている」
冗談のような、信じがたい告白だ。だが、いちいち筋は通る。「アイ」が私に内部告発を勧めたのも、そういうことか。ただ、分からないことはまだ山ほどある。
「そんな、現実離れした話が……第一、それを私に教えて何になると?」
「あなたに我々の協力者になって頂きたい。エバーグリーン自由ケ丘の倒壊を未然に防ぐか、最悪死者が出ない形で倒壊させるか。どちらかを実現して頂きたい。
我々は、あれが三友地所主導の手抜き工事で起きたことしか知らない。当の三友地所の責任者であるあなたなら、惨劇を回避できると判断しているのですよ」
「私にそんな力などない!第一、証拠など……」
「全て隠蔽、抹消されているのでしょう?倒壊した後の事後調査でようやく判明したことです。そして、あなたの遺書が決定打になった」
……遺書??
背中を伝う汗の量が、増えた。こんな、10月にしては寒い日なのに。
「一体、それは」
「倒壊したその日、あなたは遺書を残して自殺するのですよ。『倒壊の原因の全ては、私にある』と残して」
「え!!?」
強烈な違和感が、私を襲った。……確かに、エバーグリーン自由ケ丘のことはずっと心の片隅にあった。ただ、「原因の全てが自分にある」などと、私は決して書かない。
あれは、私と丸井、大仏、そして柳沢の4人による、共同犯行だ。自分だけ死ぬということは、私は決してしないだろう。
「どうかなさいましたかな?いささか、衝撃的な話ではありますが」
白田も私の異変に気付いたようだ。私は、気を落ち着かせるために、冷めかかったコーヒーを一気に流し込む。
「本当に、私一人の責任であると、『私が書いた』のですか」
「……と認識しておりますがな。おかしな点が?」
私は頷いた。
「……共犯がいます。彼らの名を出して死ぬならともかく、1人で全部背負って死ぬことは、ないはずです」
「共犯の名は」
私は白田に丸井たちのことを告げた。彼の目が鋭くなる。
「……なるほど。これはそんなに単純なヤマでもないらしい。……そうなると、いよいよあなたに協力してもらう必要がありそうですな」
「協力って、どうやって」
白田もまた、コーヒーを飲み干した。
「エバーグリーン自由ケ丘の瑕疵を見付け証明するには、内部告発ではまず足りない。それが可能な、外部者の青年がいます。
水曜日に、その彼と会って頂きたい。コーディネートは、こちらで行います。それと平行して、先ほど仰った3人の調査も始めさせて頂きます。説得などお願いするかもしれませんが、よろしいですかな?」
私は頷いた。納得できない点は多々あるが、白田が嘘をついているようには思えない。ならば、彼の提案に乗るより他ない。
ただ、分からないことがある。エバーグリーン自由ケ丘の倒壊を防がねばならないのはともかく、「警察」が出張る意味は何なのだろうか。
「一つ、訊いていいですか」
「どうぞ」
「先ほど仰った、『さらなる惨劇』とは」
白田が深い溜め息をついた。
「エバーグリーン自由ケ丘倒壊事故による犠牲者は、413人。その関係者の1人が、復讐として三友地所の本社が入居する『三友グランドタワー』を超小型核により爆破したのですよ。
その犠牲者は6238人。核が十全に爆発していたなら、桁は確実に1つ、あるいは2つ違ったでしょうな。そしてその犯人こそ、あなたが水曜日に会う人物です」
「え?」
「我々の使命は、凶悪、重大事件を防ぐことにある。そして、場合によっては犯人の動機となる事件や事故を防ぐ必要もあるのですよ。
今回は、その典型ですな。彼も『巻き戻り』……『リターナー』だが、幸い『まだ』善良だ。ならば、彼と協力しない手はない」
「誰なんですか、その人物は」
白田が、私の目をじっと見た。
「東京大学理科一類、竹下俊太郎。我々の最重要監視対象ですな」
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
変な屋敷 ~悪役令嬢を育てた部屋~
aihara
ミステリー
侯爵家の変わり者次女・ヴィッツ・ロードンは博物館で建築物史の学術研究院をしている。
ある日彼女のもとに、婚約者とともに王都でタウンハウスを探している妹・ヤマカ・ロードンが「この屋敷とてもいいんだけど、変な部屋があるの…」と相談を持ち掛けてきた。
とある作品リスペクトの謎解きストーリー。
本編9話(プロローグ含む)、閑話1話の全10話です。
ダブルネーム
しまおか
ミステリー
有名人となった藤子の弟が謎の死を遂げ、真相を探る内に事態が急変する!
四十五歳でうつ病により会社を退職した藤子は、五十歳で純文学の新人賞を獲得し白井真琴の筆名で芥山賞まで受賞し、人生が一気に変わる。容姿や珍しい経歴もあり、世間から注目を浴びテレビ出演した際、渡部亮と名乗る男の死についてコメント。それが後に別名義を使っていた弟の雄太と知らされ、騒動に巻き込まれる。さらに本人名義の土地建物を含めた多額の遺産は全て藤子にとの遺書も発見され、いくつもの謎を残して死んだ彼の過去を探り始めた。相続を巡り兄夫婦との確執が産まれる中、かつて雄太の同僚だったと名乗る同性愛者の女性が現れ、警察は事故と処理したが殺されたのではと言い出す。さらに刑事を紹介され裏で捜査すると告げられる。そうして真相を解明しようと動き出した藤子を待っていたのは、予想をはるかに超える事態だった。登場人物のそれぞれにおける人生や、藤子自身の過去を振り返りながら謎を解き明かす、どんでん返しありのミステリー&サスペンス&ヒューマンドラマ。
リモート刑事 笹本翔
雨垂 一滴
ミステリー
『リモート刑事 笹本翔』は、過去のトラウマと戦う一人の刑事が、リモート捜査で事件を解決していく、刑事ドラマです。
主人公の笹本翔は、かつて警察組織の中でトップクラスの捜査官でしたが、ある事件で仲間を失い、自身も重傷を負ったことで、外出恐怖症(アゴラフォビア)に陥り、現場に出ることができなくなってしまいます。
それでも、彼の卓越した分析力と冷静な判断力は衰えず、リモートで捜査指示を出しながら、次々と難事件を解決していきます。
物語の鍵を握るのは、翔の若き相棒・竹内優斗。熱血漢で行動力に満ちた優斗と、過去の傷を抱えながらも冷静に捜査を指揮する翔。二人の対照的なキャラクターが織りなすバディストーリーです。
翔は果たして過去のトラウマを克服し、再び現場に立つことができるのか?
翔と優斗が数々の難事件に挑戦します!
友よ、お前は何故死んだのか?
河内三比呂
ミステリー
「僕は、近いうちに死ぬかもしれない」
幼い頃からの悪友であり親友である久川洋壱(くがわよういち)から突如告げられた不穏な言葉に、私立探偵を営む進藤識(しんどうしき)は困惑し嫌な予感を覚えつつもつい流してしまう。
だが……しばらく経った頃、仕事終わりの識のもとへ連絡が入る。
それは洋壱の死の報せであった。
朝倉康平(あさくらこうへい)刑事から事情を訊かれた識はそこで洋壱の死が不可解である事、そして自分宛の手紙が発見された事を伝えられる。
悲しみの最中、朝倉から提案をされる。
──それは、捜査協力の要請。
ただの民間人である自分に何ができるのか?悩みながらも承諾した識は、朝倉とともに洋壱の死の真相を探る事になる。
──果たして、洋壱の死の真相とは一体……?
”その破片は君を貫いて僕に突き刺さった”
飲杉田楽
ミステリー
"ただ恋人に逢いに行こうとしただけなんだ"
高校三年生になったばかり東武仁は授業中に謎の崩落事故に巻き込まれる。街も悲惨な姿になり友人達も死亡。そんな最中今がチャンスだとばかり東武仁は『彼女』がいる隣町へ…
2話からは隣町へ彼女がいる理由、事故よりも優先される理由、彼女の正体、など、現在と交差しながら過去が明かされて行きます。
ある日…以下略。があって刀に貫かれた紫香楽 宵音とその破片が刺さった東武仁は体から刀が出せるようになり、かなり面倒な事件に巻き込まれる。二人は刀の力を使って解決していくが…
アンティークショップ幽現屋
鷹槻れん
ミステリー
不思議な物ばかりを商うアンティークショップ幽現屋(ゆうげんや)を舞台にしたオムニバス形式の短編集。
幽現屋を訪れたお客さんと、幽現屋で縁(えにし)を結ばれたアンティークグッズとの、ちょっぴり不思議なアレコレを描いたシリーズです。
愛情探偵の報告書
雪月 瑠璃
ミステリー
探偵 九条創真が堂々参上! 向日葵探偵事務所の所長兼唯一の探偵 九条創真と探偵見習いにして探偵助手の逢坂はるねが解き明かす『愛』に満ちたミステリーとは?
新人作家 雪月瑠璃のデビュー作!
影の多重奏:神藤葉羽と消えた記憶の螺旋
葉羽
ミステリー
天才高校生・神藤葉羽は、幼馴染の望月彩由美と共に平穏な日常を送っていた。しかし、ある日を境に、葉羽の周囲で不可解な出来事が起こり始める。それは、まるで悪夢のような、現実と虚構の境界が曖昧になる恐怖の連鎖だった。記憶の断片、多重人格、そして暗示。葉羽は、消えた記憶の螺旋を辿り、幼馴染と共に惨劇の真相へと迫る。だが、その先には、想像を絶する真実が待ち受けていた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる