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しおりを挟む「テイタニア教授の論文について、他に指摘は」
ゼミ生が全員黙り込む。散発的な発言はあったけど、そのことごとくが青山教授の端的かつ的確な反論に遭い、撃沈していた。
「君たちはこの夏、何をして過ごしてきたのかね?本論文の核心部と、そこに至るまでのロジック。さらにはその問題点を、誰一人突けないのか」
「そんなことを言われたって……」という隣の笹木さんの小さな呟きが、僕にも聞こえた。
笹木さんは、高校時代に数学オリンピックで金メダルを取ったほどの秀才だ。その彼すら、この論文を理解できないのだ。彼が無理なら、誰にでも無理だ。
「……笹木君」
「はっ、はいっ?」
「即、この部屋を出ていけ。除籍する」
「……えっ!?」
「いいから出ろ。真理に到達しようとする志なき者は、このゼミに必要ない」
底冷えのするような冷たい目で、青山教授が彼を見下ろす。
「あう、あ……」
「早く出ろ」
笹木さんは何か言おうとしたけど、言葉にできない。そして、涙を流しながらリュックを背負い、ゼミ室を出た。
これで、追放されたのは5人目だ。
青山教授は、容赦が全くない。反抗する学生、水準に達していない学生はこうやって問答無用でゼミから追い出すのだ。
そしてゼミからの追放は、専門課程の学生にとって留年を意味する。最後まで残れる学生が3人いない年はザラらしい。酷い年では、全滅もあったという。
こんなハイリスクで、パワハラも酷いゼミの人気が高いのには理由がある。
まず、「天才」青山憲剛の知識に触れられるというのが一つ。そして、何より最後まで残った学生は、たとえ末席であっても研究者として将来の成功を約束されるのだ。
ただ、生き残るかどうかは青山教授の胸先三寸。少しでも愚痴が聞こえようものなら、笹木さんのようなことになる。
部屋が、緊張感で包まれる。次に槍玉に上げられるのは、自分かもしれない。
その時、青山教授が僕を見た。
「竹下君、意見は」
僕は唾を飲み込んだ。教養課程の僕にとって、ゼミは必修じゃない。だから、ここで除籍になっても留年にはならない。
ただ、「青山ゼミ除籍」というレッテルは、ずっとついて回ると聞く。ここが正念場なのは、さすがに分かった。
しかし、こんな無茶振りに対応できるわけがない。どうすりゃいい……?
その時、頭の中に何かが降りてきた。
「……オルディニウムの核分裂の際に、プルトニウムの数十倍のエネルギーと放射線が発せられるのは……論文にもある通りです。
ただ、これ程までにエネルギー量が多いと、恐らく一種の擬似的な空間収縮、ひいては重力場の発生を起こす可能性があります。特に、高純度のオルディニウムの場合」
……口が勝手に動く。こんな論理、僕は辿り着けてないぞ?
「……続けろ」
「……はい。テイタニア教授の本論文に基づけば、マイクロブラックホールのような場が発生することになります。そこまでは、本論文に基づく帰結です。
ただ、テイタニア教授は核分裂のエネルギーを、過小に見積もっているように思います。もしこれがより大きければ……例えばテイタニア教授の試算の5倍程度だとしたら、そこで発生するのはマイクロブラックホールではなく……」
「どうして過小だと思った」
「中性子の吸収量が少な過ぎます。ウラン、プルトニウムと比較した場合の、推論です」
青山教授は「推論か」と嗤った。
「その推論を支える論理はなさそうだな。ただ、過小に見積もっている可能性については同感だ。
もし竹下君の言う水準のエネルギーが発生した場合、オルディニウムの核分裂の際、重力場の収縮より先にある現象が起きることが考えられる。空間、ひいては時間そのものの圧縮現象だ。
無論、そのような事態を引き起こす高純度オルディニウムは、机上にしか存在し得ない。
今あるオルディニウムで核分裂を起こした所で、プルトニウムのなり損ないのような核爆発をおこすだけだ」
青山教授は自分の席に戻り、僕らにレジュメを配り出した。
「下期は、なぜ超高水準のエネルギーが発生した場合に空間や時間の圧縮現象が生じるのかを検証する。これは引いては、アインシュタインの特殊相対性理論の再検証でもある。相対性理論の知識を深めてゼミに臨むことだ」
*
家に戻った僕は、ぼーっと天井を見ていた。ゼミの先輩たちが驚きと羨望、嫉妬の目で僕を見ていたけど、そんなのはどうでもよかった。
今の僕にとって重要なのは、なぜあんな返答ができたのか、だ。まるで既知のことのように、テイタニア教授の分析が口に出ていた。
一週間前、「コナン」と名乗る少年が言った言葉が思い出される。
「時間が経てば、君も『目覚める』ことになる」
「コナン」は、自分が一種の未来人だと言った。そして、僕も。
推測するに、僕には「未来の記憶」がある。ただそれは完全ではなく、まだらな状態だ。今日のは、たまたま「思い出した」ことによって起きたことなのだろうか。
SFの名作に「リプレイ」というのがあるのを思い出した。記憶と人格だけタイムスリップし、過去の自分がそれを生かして人生をやり直すという話だ。
僕のそれも、同じだというのだろうか。だとしたら、完全に「思い出した」時、一体何が起きるというのだろう。
……僕には分からない。ただ、それが「パンドラの箱」を開けるようなものである予感はした。「コナン」が僕を「要監視対象」と言っていたのも、そういうことなのかもしれない。
ただ一つ、言えること。それはあの悪夢を、現実にしてはいけないということだ。
「……僕は、どうすりゃいいんだ」
思わず、言葉が漏れた。由梨花のマンションの倒壊をどう止めるか、全く分からないのだ。
倒壊原因は、「コナン」すら知らないらしい。だから、僕にそれを明かせと言っている。
だが、どうしろと?「コナン」は、僕なら自然にあそこに入れると言っていたけど、そこから先は「協力者」が動いているとまでしか言っていない。
僕はLINEのメッセージを見た。
「パパとママ、土曜日OKだって」
モルカーのスタンプとともに、そう書かれている。一応、「コナン」に求められていることはできるようになった。
ただ、そこに住む由梨花が気付かない異変に、僕が気付けるとは全く思えない。
僕が大きな溜め息をついた、その時だ。
スマホが震えた。……非通知?
出るか出るまいか、わずかに迷った。……アイコンをタップする。
「もしもし、竹下です」
『コナンだ』
高い少年の声がした。僕の体温が急上昇する。
「どうしてこの番号を?」
『このぐらいはできるさ。そして、それはこの際どうでもいい。伝えたいことがあってね。
僕の協力者が、既に動いているのは前に言ったと思う。彼がそのうち、ある人物をあなたに会わせることになる』
「誰なんだ?」
「コナン」が、わずかに間を置いた。
『それはまだ言えない。恐らく、それは最速でも今月末になるだろう。スケジュールは予想の範疇だが、想定したよりはずれ込んでいる。
倒壊の真因は、彼が知っている。至難なのはその証明だ。それをあなたと彼でやってほしい』
「……は?」
『エバーグリーン自由ケ丘に、何らかの欠陥があったことぐらいは僕も分かってる。ただ、どこにどのような欠陥があったのかまでは知らない。
それをあなたと彼とで、突き止めてほしい。12月29日より、前に』
「僕にそんなことができるのか」
僕は建築の専門家じゃない。いくら僕がエバーグリーン自由ケ丘の内部に入れるといっても、それが助けになるとは……
「コナン」が見透かしたように笑った。
『あなたの頭脳なら、可能だ。『思い出し始めている』なら、なおのことだ』
……「未来の記憶」か。
『彼に会う前にエバーグリーン自由ケ丘に行くなら、下見だけでもしておくといい。その情報が、彼の助けになる』
「……分かった。ところで、その人は僕と関係のある人物なのか?」
『さっき言った通り、身元はまだ言えない。言ったところで、理解もできないだろう。ただ、『今後のあなた』には、関係があるかもしれないね』
「今後?」
『……喋り過ぎたかな』
「コナン」が苦笑する。この少年の言うことは、謎ばかりだ。しかもハッキリと物事を言わない。正直、イラっとした。
「いい加減にしてくれ!」
『あなたがもう少し『思い出せば』、嫌でも分かるさ。彼との接触にメドが付いたら、また連絡する』
……電話は一方的に切られた。
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