100日後に死ぬ彼女

変愚の人

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何か,様子がおかしい。




俊太郎に会ってすぐに、あたしは気付いた。いや、会う前からなんとなく妙な気がしていた。

火曜の夜、あたしから送ったLINEへの返信は、やけに遅かった。そして、「土曜日はうちで過ごさないか」と訊いてきたのだ。
まったりおうちデートというのは、決して嫌じゃない。適当に二人でYouTubeを見て、そのうちそういう雰囲気になり、何回もセックスしてから解散する。多分、いつものそういう感じだろう。
ただ、インターンが終わってからの俊太郎は、何か変だ。悪夢に悩んでいるというのは前からだったけど、さらに何か思い詰めるようになっている。

遠出を彼に持ちかけたのも、いつもと違う所で過ごして、気分転換してもらいたかったからだ。新学期になれば、また忙しくなる。このままでいるのは、良くない予感がしたのだ。
それがおうちデートでは、普段と大して変わらない。俊太郎に甘えさせても、それはその場しのぎだ。その時は良くても、またすぐに悪くなる。

だから、あたしは強引に彼を説き伏せ、こうやって車で中目黒に来た。でも、これは正しかったのか。俊太郎の顔を見たあたしは、すぐに不安に駆られた。

「どうしたの?……目の下、すごい隈だよ。また、例の悪夢?」

「いや……そうじゃないんだ。でも、寝れてない」

「えっ……今日、どうする?具合悪いなら、俊太郎の家に行ってもいいよ?」

俊太郎は、少し考えた後で強く首を振った

「……大丈夫。それに、色々調べてくれたんだろ?由梨花に悪い」

「本当に、身体は問題ないの?」

「うん」

そう言うと、俊太郎は助手席に座った。無理をしているのは、明らかだった。
「何かあったの?」と問い詰めようとして、あたしはやめた。普段なら、きっとそうしていただろう。でも、そうすると俊太郎を追い詰めることになる気がしていた。もう、1年の付き合いになる。俊太郎のメンタルがそこまで強くないのは、分かっていた。

あたしは、iPhoneを操作した。接続されたカーステレオから、昔のロックバンドの曲が流れる。


♪Is this the real life?
♪Is this just fantasy?
♪Caught in a landside,
♪No escape from reality……


「……『ボヘミアン・ラプソディー』か」

「そ。Queen、好きでしょ?」

俊太郎は無言で頷く。音楽を流していないと、沈黙に耐えられない気がしたのだ。

あたしはハンドルを首都高方面へと切る。目的地の房総半島までは、渋滞さえなければ2時間弱で着くはずだ。

*

「……ここは」

「そ、牧場」

車を降りると、家族連れが次々に入場門に向かっているのが見えた。小さめの観覧車が、ゆっくりと回っている。

「何か、意外だな。てっきり、富士急かどこかに行くかと思ってた」

「そういう刺激もいいけどね。たまには、こういう何もしないでぼーっとするデートもよくない?」

俊太郎には、今日の行き先は告げないでいた。少し物珍しそうに、彼は辺りを見渡している。

「何か、懐かしいな。実家の近くにも、こういう牧場があった」

「群馬だったっけ。伊香保の方にも,似たようなのあったよね」

「小学校の遠足の定番だったな」

少し、俊太郎の表情が緩んでいる。あたしは、ここを選んで正解だったかもと思った。もちろん、俊太郎の出身を踏まえた上での選択だ。
童心に戻る、というと大袈裟だけど、リラックスしてもらうならこういう所の方がいいかもと考えたのだ。

あたしは、レクサスの後部座席からリュックを取り出した。

「そういえば、それ何が入ってるの」

「ふふん、それは後でのお楽しみ。じゃ、行こっか」

あたしは俊太郎の手を引いた。

*

羊やアルパカと戯れているうちに、すぐにお昼になった。絶叫マシーンや派手なショーがなくても、意外と時間は早く流れる。台風一過、空が透き通るように青い。
はじめは所在なげにしていた俊太郎も、あたしに連れられて動物たちに触っているうちに、まんざらでもない様子になった。俊太郎は、何か難しいゼミに入っている、らしい。その準備とかで、気が張り詰めている所はあるのだろう。今の彼に必要なのは、こういうゆっくりとした時間なのだ。

「ここでいっか」

あたしは広い芝生の広場を見つけると、リュックからシートを取り出した。

「え」

「ほら、座って。お弁当、用意してあるよ」

俊太郎が、少し目を見開いた。

「まさか、由梨花が作ったの?」

「そ。俊太郎んちに行く時、ご飯は外か俊太郎が作るかだったじゃない。たまには、ね?」

「料理、あまりしないかと思ってた」

「そんなことないよ?ただ、機会がなかっただけ」

あたしは、大きい弁当箱を置いた。中身はおにぎりとウインナー、そして卵焼きという定番だ。そこに、小さなハンバーグとポテサラ。
作るのには、1時間ぐらいかかった。ママからは「手伝おうか」と言われたけど、冷凍食品なしで全部手作りしたかったのだ。
結果、卵焼きは少し焦げたし、ハンバーグはちょっと形崩れした。それでも、やってみることが大事なのだ。

俊太郎が、少し笑った。笑い顔を見るのは、かなり久しぶりな気がする。

「まるで、遠足みたいだな」

「そういうこと。大人の遠足も、悪くないでしょ?」

俊太郎はハンバーグを口にすると、「うん、美味しい」とつぶやいた。あたしもつられて笑顔になる。


……と、その時。
俊太郎の表情が、急に崩れた。


「う、ううっ……」

「ど、どうしたの?」

彼は涙目であたしを見ると、強く唇を噛む。精神的に参っていたから、ほっとして感情が緩んでしまったのだろうか。

「由梨花っ……」

俊太郎が何かを言いかけて、やめた。間違いない、何かを隠している。

「辛いことがあったら、言って?少しは楽になるかも」

「……違う、そうじゃないんだ……ただ……」

「ただ?」

俊太郎が口を開きかけて、閉じた。頰に涙が伝っている。

「……今は、言えない。言えないけど……」

あたしは、少しイラっとした。隠し事をされたままなのは、それがどんな理由であれ、いい気分じゃない。「ちゃんと言ってよ!」と喉まで出かけた。


……その刹那、あたしの身体は強く抱きしめられた。嗚咽が、耳元で聞こえる。


「ちょ、ちょっと……」

周りの親や子供たちの目が、あたしたちに集まったのが分かった。正直、これは気恥ずかしい。
でも、俊太郎は泣くのをやめなかった。身体を離そうとするのをやめ、あたしはそっと彼の頭を撫でる。甘えさせてばかりじゃダメだと、分かっているのにな。

耳元で、小さく俊太郎の声が聞こえた。



「……由梨花、僕が必ず……君を守る」



「え?」

俊太郎が急に、我に返ったようにあたしから離れた。

「……ゴメン。でも、いつかちゃんと話すから」

「大学のこと、じゃないよね」

「違う。今は、言えない。でも、必ず……」

必死に、真剣にあたしの目を見つめる俊太郎に、あたしはただ頷くしかなかった。

*

牧場を出た後、あたしたちは海ほたるに寄ったぐらいで、ほぼ真っすぐにうちに帰った。
「ラブホに行かない?」と誘ったけど、「それはまたでいい」と断られた。俊太郎にしては珍しいけど、そういう気分でないのはよく理解できる。
身体を使って繋がりを確認したいなんて……不安なのは、あたしもかもしれない。

車から降りる時、俊太郎が言った。

「今日はありがとう。……とても、幸せだった」

「うん。来週から、頑張ってね」

「ありがと。……今度、由梨花の家に行っていい?」

「え、うち?」

俊太郎が、小さく首を縦に振った。

「一度、見ておきたくって」

「休日に、だよね?パパとママ、両方揃ってた方がいい?」

正直、ここで両親に挨拶しようというのは意外だった。もちろん、2人には俊太郎のことは話している。今のところ、好印象は持ってもらえている、はずだ。
ただ、将来俊太郎とどうなるかなんて、まだ分からない。俊太郎と結婚というのは、考えたことがないわけじゃないけど、そうだとしてもずっと先のことのはずだ。今のタイミングで両親に紹介するのは、少し早い気がする。

「……それは気にしないよ。ご両親に会えればそれはそれで構わないけど」

どういうつもりだろう?さすがに、親がいるのにいちゃつくほど、あたしも俊太郎も常識がない人間じゃない。

「一応、帰ったら予定聞いてみる。じゃ、またね」

「うん……また」

例の悪夢のこと、気にしているのかな。どこか引っかかりなら、あたしは車のハンドルを切った。

*

エバーグリーン自由ケ丘には、6時前に着いた。辺りはかなり暗くなっている。車はそんなに運転しないけど、何とか何事もなく着けた。
たまにはこういうドライブもいいかもしれない。もっとも、今日はパパが車を使わないからできたわけで、そんなに頻繁にはできないけど。

マンション脇の大型商業施設には、かなり客が入っているようだった。高級スーパーに加えて、有名ブランドショップがテナントに入っている。自由ケ丘らしいちょっとお洒落なパティシエールやイタリアンレストランなども入っていて、あたしもたまに使う。
日本でも滅多にないこの高級ショッピングモールは、開業から10年経った今でも客足が途絶えない。あたしが三友地所をインターン先に選んだのも、ここのデベロッパーである影響が大きかった。

「っしょ」

ほぼ空のリュックを背負い、あたしは駐車場を出た。パパとママに、何か買って帰ろうかな。

その時、スーパーの方から、誰かがあたしを見ているのに気付いた。……あれ、どこかで見たことがあるかも。
その子連れの人影は、私に向かって一礼した。あ、あの人は。

「毛利さん?」

近づくと、彼は照れながら笑顔を浮かべた。

「奇遇ですね!この辺にお住みなんですか?」

「いや、嫁に連れられて、でしてね。木ノ内さんは、こちらに」

「はい。本当に偶然ですね。お子さんですか?」

毛利さんが小さな女の子を見た。まだ、小学校に上がる前だろうか。毛利さんの手を握っている。

「ええ。亜衣、ご挨拶は」

「もうりあい、です。はじめまして」

ぺこりと、その子が頭を下げた。

「すごくしっかりしたお子さんですね。あたしがこのぐらいの時は、こんなにちゃんと挨拶できなかったですから」

「……まあ、実の子じゃないんですけどね。連れ子でして」

そうなのか。毛利さんは30代前半っぽいから、このぐらいの子がいても不思議じゃないけど。

「あっ、すみません。何か複雑な事情が……」

「いや、大した話でもないんですけどね。おっとごめんなさい、嫁を待たせてるんで、また今度。竹下君によろしく」

「どうもすみません」

そう言うと、毛利さんは商業施設の駐車場の方へと去っていった。実の子じゃないって言ってたけど、仲の良さそうな家族っぽいな。


その時、あたしはふと違和感を覚えた。


「また今度」?


ああ、ラーメン屋で会うことがあるかもということかな。その時はそう、勝手に納得した。
それは、とんでもない勘違いだったのだが。


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