100日後に死ぬ彼女

変愚の人

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残り100日~91日

残り100日

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嫌な、夢を見ていた。





*

僕は漫然と、町中華のテレビを見ていた。昼のニュースは、アメリカの金融政策が変わりそうだとか、上野の動物園でパンダが生まれただとか、そんなどうでもいい話題を流していた。
僕はズズッとタンメンを啜った。塩気と胡椒と化学調味料が効いたスープは少しくどいけど、野菜の旨味が凝縮されたスープは少し太目の麺によく絡んでいた。熱いスープも、年末のこの時期には有難い。

評判通り、悪くない店だな。

その時、画面が切り替わった。ベテランの女性アナウンサーの声が、一気に緊張感のある物に変わった。

「速報です。東京都目黒区のマンション3棟が、倒壊したとの情報が入ってきました。現場から中継です」

倒壊?どういうことだ?

ほぼタンメンを食べ終わり、立ち上がろうとした僕は、テレビに視線を向けた。

記者が震えながらレポートを始めている。混乱からか、記者は噛み気味に原稿を読み上げていた。

「ご、午前11時頃っ、と、東京都目黒区自由ケ丘のマンション3棟が、突如、と、倒壊しましたっ。きゅ、救護活動が始まっていますがっ、百人以上がい、生き埋めになったもようですっ」

記者の背後には多数の救急車と消防車、そしてパトカーがあった。まだマンションが倒れて間もないからか、土煙で画面がくすんでいる。

何かすごいことになっているな、とぼんやり思っていた僕の意識は、数秒後に叩き起こされた。


……見覚えがあるぞ、ここ。


あのコンビニと、遠くに見える鉄塔。……まさか。いや、そんなはずは。


記者は続ける。


「と、倒壊したのはエバーグリーン自由ケ丘の1号棟から3号棟っ、倒壊の原因は、不明で、警察が詳しい状況をっ……」


ガタッ


僕は思わず立ち上がった。唇が一気に乾いていくのが分かった。


……間違いない、由梨花のいるマンションだ。


由梨花が家にいないことを、強く願った。大学に行っているか、家族や友達とたまたま外出していると思いたかった。
震える手で、スマホを操作する。焦りと恐怖で指がずれ、何回か変な所をタップしてしまった。

由梨花に電話を掛ける。頼む、出てくれ。



「お掛けになった電話番号は、電源が入っていないか、電波の届かない場所に……」



その願いは、無機質な電子音声と共に、瞬時に打ち砕かれた。


*




そして、いつもそこで目が覚めるのだ。




*

「クソッ」

熱帯夜でもないのに、汗が酷い。僕は手で額のそれを拭い、強く頭を振った。

悪夢は段々と鮮明になっている。最初に見たのは、春頃か。凄まじく嫌な夢を見たという記憶だけがあった。
次に見た時には、内容をうっすら覚えていた。その次は夢に色が付き、声が付き……そして今日は、味まで感じていた。

霊感などというものは、僕にはない。勿論、予知能力などというものもない。この20年、普通の、どこにでもいる人間として生きてきた。
多分このまま院に進み、研究者として大成することなくどこかのメーカーに就職し、そこそこの収入とそれなりに平凡で暖かな家庭を作って死ぬのだと思っていた。
家庭を作るのが、由梨花となら最高だ。ただ、大学に入ってやっとできた初めての恋人と添い遂げられると考えるほど、僕はロマンチストじゃない。今はただ、このぬるま湯のような幸福に浸っていたかった。


だからこそ、この悪夢は不快だ。……不快極まりない。


由梨花といつか別れることに、僕が恐怖している表れなのだろうか。機会があったらカウンセラーにでも相談しようかと思ったが、金が勿体無いのでやめた。

時計は10時過ぎを示している。休日とはいえ、少し遅い目覚めではある。
由梨花に無性に会いたくなった。あの夢を見ると、いつもそうだ。

僕はスマホを手に取り、LINEを開いた。

*

「で、あたしを呼び出したってわけ?」

ニヤニヤしながら由梨花が僕を見る。僕はバツが悪くなって、フラペチーノのクリームを口にした。

「……悪いかよ」

「いやあ、可愛いなあと思ってさ。前にも急に呼び出したことあったじゃん。あれもそうなの?」

僕は無言で、もう一度スプーンでフラペチーノをすくう。由梨花の笑みが深くなった。

「ニャハハ、そうなんだあ。てっきりあたしとしたかったからだと思ってたよ。あの時の俊太郎、随分お姉さんに甘えてきてたからさ」

「こういう時だけ歳上ぶるなよ」

「でもそういうの、嫌いじゃないよ?俊太郎、母性本能くすぐるタイプだもんねえ」

「……褒められてるのか貶されてるのか分からん」

「勿論、褒めてるよお。あたしの友達でも、俊太郎可愛いって言う娘結構いるもん。大学でも、狙ってる娘いるかもよ?」

「生憎、大学ではとっつきにくい陰キャで通ってるんでね。第一、うちの学部に女はほとんどいない」

由梨花が少しむくれた。

「俊太郎のそういう自己評価の低いとこは直した方がいいと思うけどなあ。てか、学歴だけならあたしより上なんだし」

「たまたま入試で山が当たっただけさ。本物の天才を前にすると、思い上がろうなんて気も失せる」

「あー、前に言ってた青山って教授?でもそこのゼミ生なんだから、俊太郎も凄いと思うけど」

僕は苦笑してストローに口をつけた。

「僕からしたら、由梨花の方が凄いさ。就職、もう大体決まったんだろ?三友地所なら十分だろ」

「あたしこそたまたまインターンで行ったのが上手く行っただけだよ。……就職まであと1年半かあ」

ふうと溜め息をつく由梨花を見て、僕は微かな不安を覚えた。由梨花は僕より1つ上だ。僕が多分院に行くことを考えたら、社会人としてのキャリアは最低3年離れることになる。その間、この関係が維持できているのだろうか。
由梨花も同じようなことを考えているのかもしれない。あんな夢を見るのも当然か。

「……マンションに、異変はないよな」

「あ、さっき言ってた悪夢を気にしてるの?大丈夫、もう住んで10年経ってるけどすっごく快適。セキュリティも万全だし治安は良好だよ」

「……ならいいけど」

「考えすぎだってば。ていうか、これからどうする?スタバでお茶して終わりじゃしょうがないでしょ」

時計を見ると14時過ぎだ。道玄坂方面に向かってもいいが、身体目当てに呼んだと思われても癪に障る。そういうことは嫌いじゃないが、今は由梨花といる時間そのものを楽しみたかった。

「……そうだな、映画何かやってたっけ。竜のなんとかってのが流行ってるらしいけど」

「んー、映画もいいけど。ヒカリエの辺りをブラブラするのもよくない?」

「ま、それもいいか。ただ、そんな手持ちはないぞ」

「いいのっ。じゃ、行こっ……」

由梨花の視線が止まった。窓側の席をじっと見ている。

「どうした?」

「いや、誰かが見てるような気がして」

由梨花の視線の先には、若い母親と小学校高学年ぐらいの子供がいた。

「……あの母子が?」

「どうだろ、気のせいだと思うけど」

母親はかなり整った顔立ちだ。母親にしては少し若すぎる気もする。
ただ、それより目を引いたのは子供の方だ。水色のジャケットにフレームの厚い眼鏡。これで蝶ネクタイまで着けていたら、ほぼ某国民的アニメの主人公だ。

「コスプレ、じゃないよな」

「あー、言われて気付いた。名探偵コナンっぽいよね、あの子。本当に探偵だったり」

「なわけあるかよ。行くよ」

*



僕が席を立ったその時、コナン似の少年が一瞬ハッキリと僕を見たのに気付いた。



その時は単に、躾がなってないだけだろうとしか思わなかった。
その意味が分かるのは、もう少ししてからのことだ。

*





木ノ内由梨花が「死ぬ」まで、残り100日。
これはその100日間の物語だ。





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