天の神子

ジャックヲ・タンラン

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天の神子 第二章 「その脚はまだ遅い」

天の神子 第二章 「その脚はまだ遅い」 その1

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  第二章 その脚はまだ遅い

 しとり、しとり、さぁしとり。石畳を雨が打つ。道行く人は雨を凌ぐ場所を探し、予期せぬ出会いに恵まれる。

「師匠、少しだけ雨宿りさせてくれますか?」

 少年の声が叩かれた戸に響く。

「どうぞ、入っておいで」

 婦人は突然の来訪に驚いた様子もなく、少年を招き入れる。

「お邪魔します」

 ギイッと戸が開く。少し奥で何かの書類を睨んでいる婦人が、受付台の向こうで腰掛けている。
 ここは宿屋。主は婦人こと、エトリアという妙齢の者である。

「いらっしゃい。また傘を忘れたのかい?」
「そんなとこです」

 少年が傘代わりにかざしていた鞄を払い、雨粒を落とす。

「今は雨の神子が来てるから、外に出る時は傘を忘れるな、って言ったろう」
「でも今日はすぐ終わる仕事だったから、別にいいかなって」
「それでずぶ濡れになってるんじゃないか」
「だって朝に雨が止んだから、夕方までは大丈夫だと思ったんだよ」
「朝に雨が止んだから夕方まで神子が帰って来ないなんて、絶対にとは言えないだろう」
「でも」

 少年がその先の文句を言いかけた所で、エトリアがぴしゃりと遮る。

「お黙り。シュグ、『でも・だって』はお前の治らない癖だね。アタシの弟子としてなら良いが、そうじゃない時は鬱陶しいったらありゃしない」
「…ごめんなさい、師匠」

 シュグと呼ばれた少年は、飼い主に叱られた子犬のように落ち込み、エトリアは見かねてため息を吐き、己の叱咤を省みた。

「…次からは傘を持っていくこと。いいね?」
「師匠…はい!」

 反省と許しを受けて立ち直ったシュグは、もう暗い顔を見せなくなった。
 二人の言い合いが一段落したあたりで、天井から怒号が響いてくる。

「お前なぁ!よりにもよってなぁ!」
「ごめんなさーい!」
「ユーイン、大事なものは無くさないように気を付けないと…」

 怒号の出所は件の雨の神子一行だった。上方から響く声を聞いて、エトリアはやれやれと呆れた。

「相変わらず苦労しているようだね」
「師匠、上で騒いでるお客さんって、もしかして…」
「ああ。神子の御一行サマさ」
「ここに泊まってるの?もっと早く教えてくれてもよかったのに!」
「客の個人情報を言いふらす訳がないだろう」

 エトリアはシュグの問いに淡々と言い返していく。シュグは湧き出た疑問をぶつけていくが、エトリアが示す至極当然な理由で納得せざるを得なかった。

「ましてや相手は雨の神子だ。お前みたいに神子に一目会いたい奴らがわんさか駆け込んできたって、迷惑にしかならないのさ」
「う~ん…確かに。神子様だって、一気に野次馬が来られても困っちゃうか」
「そうそう。どうせここでの使命が済んだら旅立って行くんだ。只の客として扱ってるよ」
「そういうものなんですか」
「そういうものだよ」

 二人は話を終え、上の階にいるであろう神子達が降りてくるのを待つことにした。
 階下に響いていた怒号等も静まり、やがて階段から三人の人物が降りてきた。
 それらは落胆した顔を手で覆うオルラウンと、傷心した妹を慰めるヨウレスと、そんな姉に縋りつくユーインだった。
 暗い雰囲気の三人を見て、エトリアが声をかける。

「今回の神子は随分と手間がかかりそうだね、オルラウン?」
「エトリア…俺、田舎育ちナメてた…」
「だろうね」

 あの豪快な竜人は今、たった一人の少女によって消沈していた。

「まさか、プルヴィアを宿に置いてくとは思わなかった…」

 エトリアは思わず吹き出し、笑いをこらえきれなかった。

「プ、プルヴィア、を、置いてった⁉へへっ、へえ~!雨の神子の忘れ物は自分の神器だったのかい!いやはや大物だねえ!」
「大物どころの話じゃねえよ…ったくよ」

 愚痴をこぼすオルラウンにおずおずとユーインが声をかける。

「ごめんなさい!本っ当にごめんなさい!」
「お前、プルヴィアを使う時に毎回懐から出して使う気だったのか?」
「手に持ってないと使えないのかと思って…」
「身に着けてりゃいいんだよ!」
「ひいぃ~!」

 怒りを隠しきれずに怒鳴り散らすオルラウンを見て、ユーインは身を丸めてしまった。

「あ~面白い。神器の扱いも分かってない神子が見れるとはね」

 一通り笑ったエトリアが言った。

「妹がすいません」

 ヨウレスが宿主に頭を下げる。さながら子を庇う親のような光景に、シュグが問いかける。

「神子様のお母さん、ですか?」
「えっと…姉なの」ヨウレス自身が訂正する。
「あれっそうなんですか?なんか、お母さんみたいだったから、つい」
「まあ、親代わりの付き合いではあるから、そう見えるかもしれないわね」

 実際、姉妹が共に過ごした時間は大抵の家族よりも長く深いものだった。村からの貢物があっても、それらを活用できる手が無くては朽ちるだけだ。
 ヨウレスは巫女である妹と生きるために、付き人として大半の家事や処世術を学んできた。
 故に、彼女はユーインの姉であり、親代わりの保護者でもある。

「にしてもあんたの妹、退屈しない子だねえ」

 エトリアが少し呆れて言う。

「まぁ、昔から目が離せない時が多いので」
「しかし、だ。この調子で神子の使命を果たすのは難しいんじゃないかい?」
「本当、お恥ずかしい限りです」

 ぐずるユーインを前におろおろとしているオルラウンを見たエトリアは一息吐き、

「…ねえ、少しあの子預かってもいいかい?」

 師匠としてヨウレスに申し出た。

「え、どういうことですか?」
「こういうことさ」

 そう言ってエトリアは指を振った途端、ユーインが握っているプルヴィアが独りでに動き、宙に浮きだした。エトリア以外の全員がその様子を不思議そうに見つめる中、そのままエトリアの手元にやって来ると、吊るしていた糸が切れ落ちたように手中に入った。

「あ、わ、私の、返してください」
「もちろん。こっちにおいで」

 ユーインは少し赤らんだ目でプルヴィアを見据え、足を擦りながらエトリアと面した。
 エトリアはその様子を見て、先ほどまでとは違う優しい声色で語り出した。

「これはお前が一生使うことになるかもしれない物だ。だから…」

 エトリアがプルヴィアを吊るす鎖を手に取り、留め具を外す。そして鎖の両端をユーインのうなじに回し、再び留めた。

「アタシが使い方を教えてあげよう。雨の神子」
「え?」
「聞こえなかったかい?私の弟子にしてやると言ったのさ」
「で、弟子?」

 エトリアはカウンターの下から薄い円盤のような物を取り出し、ふわりと頭上に投げると、円盤は鍔の広い帽子になりエトリアに被さった。

「アタシは魔法使いのエトリア。気に入った子を弟子にして、魔法を教えているんだ」

 エトリアがシュグを一目見ると、ユーインの隣にシュグが駆け寄って来た。

「僕がその弟子。シュグだよ」
「そ、そうなんだ」

 一見した印象はユーインより少し幼く見える男の子。身なりは町を走り回る子供たちとそう変わらないが、その振る舞いからはどことなく子犬のような愛らしさが感じられるのは、彼の個性なのかもしれない。
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