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天の神子 第一章 「雨雲が流れる時」
天の神子 第一章 「雨雲が流れる時」 その4
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数日後、ユーインはまた雨巫女のお努めをこなしていたが、その表情には暗い迷いが表れていた。
「ただいま参りました」
「巫女さま。いらっしゃいませ」
「お変わりありませんか?」
「おかげさまで」
「それは、良かったです…」
いつものように笑顔を見せたいのに、どうにもそんな気持ちになれないまま、ユーインは家々を巡る。そんな彼女を見た村人達も、彼女の背を不安そうに見送っていく。
村の主婦らが噂をする。
「巫女さま、どうしちゃったのかしら」
「なんだか暗いお顔をされてたわね」
「よくないことでもあったのかも」
「私達でなんとかできないかしらねえ」
そう話している内に、夕日が降りてくる時間となった。
「お努め、終わっちゃった…」
ユーインがふと手元を見ると、いつも通り籠いっぱいの貢物を持たされている。
「今日は、あんまり楽しくないな…」
ユーインは帰路に着き、いつも通りに屋敷へと帰ろうとしていた。
その時。
「巫女さまぁー!」
村人が一人走り寄ってきた。息の切らし様からして、只事ではない用事で呼び止めてきたことはすぐ分かった。
「どうしたの?」
「は、畑にっ、バケモノが!出てきたんだ!」
「えっ…!?」
ユーインはバケモノという言葉を聞き、すぐに魔物の存在を思い出した。
あの竜人が語ったことが本当なら。
そう考えずにはいられなかった彼女は、村人から其の出所を聞き、一目散に駆け出した。
(あの人の話が本当なら、私が何とかしなくちゃいけないことかもしれない!)
ユーインが畑に着くと、猟師らが槍や弓を構えて、目の前の存在と対峙していた。
「な、何なんだ!このバケモノ!」
「さっさと他所に帰れ!」
怒号を受けている其は、確かに魔物と呼べるものだった。
熊をも覆いつくせるような大きさの泥の塊が全身で這いずっているような、不定形で悍ましく、生物と呼べるのかも分からないモノが、ぼんやりと輝く目のような部分を敵意ある者に向けている。
「あれが…魔物」
ユーインは静かに呟き、先日の竜人との話を思い出す。
天の恵みをもたらす神子を探し求めるもの。魔物とは、きっと今までの常識では計り知れない脅威であり、あれを鎮めるには神子の使命を果たす必要があるのだろう。
(これは、私がやらなくちゃいけないことなんだ)
魔物を見てそう確信したユーインは、さらにその場に近づこうとした。
「巫女さま!危ないですから退いてください!」
「ミコさま!」
「行っちゃダメだよ!」
怯える村人らの制止を振り切り、ユーインは猟師らの背後に行く。
「皆さん、大丈夫ですか!」
「巫女さま!こっち来ちゃいけねえ、逃げてくれ!」
ふと魔物の方を見る。全身に村人達が刺し込んだのであろう槍や矢の一部が露出しているが、血が出ているようにも、弱っているようにも見えない。やはり獣とは異なるものと考えた方がいいのだろう。
「あれはあなた達ではどうしようもない、と、思います。私が何とかするので、皆さんは逃げてください!」
「何とかって、どうする気だべさ?アイツには何さしても効いてないぞ!?」
「そ、それは…」
言い出してはみたものの、具体的な策はない。しかし自分の中の何かが、あれを止めろと訴えてくるのだから、前に立ちふさがるしかない。
そうこうしている内に、魔物が動き出す。身体を変形させ、自身の身体に刺さっている鋭利な物体を人間らがいる前へと剥き出し、一瞬でまとめて突き出す。
「うわあああああ!」
己の得物に串刺しにされていく猟師らを見て、ユーインは一歩も動けなくなった。
「あ、ああぁ…嫌…だめ…!」
魔物はユーインにも槍の穂先を向ける・
「お姉ちゃ…」
結局、どうすればよかったのか。何も分からないまま、私は死んじゃうのか。
そう思った瞬間、彼女の胸元に刃が飛んでくる。
「っ…!」
肉に刃が刺さり、裂けていく音が聞こえた。
「ボーっと突っ立てんじゃねえよ、雨巫女さまよ」
目の前にあるのは、胸元へ向かったはずの槍ではなく、紅く、大きい、あの背中。
「あ、え…」
彼女を凶刃から庇ったのは、数日前、突然やって来たあの竜、いや、竜人だった。
彼はあの時と変わらぬ調子でユーインに話しかける。
「あれを何とかしようと感じたんだな?やっぱり神子ってのは他人思いな奴ってか」
「あ、あなたは…竜人さん!」
竜人は翡翠のような瞳を後ろに向け、ニッと余裕そうな笑みを浮かべる。
「ヒーロー参上だぜ!」
彼は大きくのけ反り、腹で受け止めた槍を引き抜く。血はそれほど飛び散らず、彼の肉体が頑強であることを身をもって証明していた。
「ええっ!血、血出てるじゃないですか!大丈夫なんですか!?」
「んあ?ああ。あんな鈍じゃあ、俺は殺せねえっての!」
そう言ってガハハと笑う彼を見て、ユーインはやっぱり恐ろしい人だと感じつつも、その頼もしさにも気付いてきた。
「それならいいんですけど…あの、あれが魔物、なんですよね?」
「そうだ。偏った恵みを無理やり奪ってくるバケモノ。それが魔物だ」
「どうすればいいんですか」
「神子の出番は後だ。まずは俺があれをぶっ倒してやる」
竜人は全身で構えて、魔物を見据える。彼の武器は恵まれた肉体そのものなのだ。
「あんたは危ないから下がっててくれ!」
「は、はい!」
竜人に言われた通り、ユーインはその場から数歩下がる。
暗雲が漂う中、竜人は一息吐き、集中し始める。身体の周りには白い煙のようなものが漂い出し、やがてそれは彼の拳に収束していく。
「すごい…」
ユーインが興味深そうに観察していると、魔物が体内に残っていた槍を纏め、竜人に目がけて高速で突き出した。
「危ない!」
ユーインがそう言った瞬間、竜人の姿が消えた。槍は地面に放り捨てられ、誰かに刺さってもいない。
竜人は今、魔物の泥の身に拳を沈みこませていた。
「ハァッ!」
掛け声と共に、辺りに衝撃が走る。垂直に降る雨粒が、地面に着かずに一瞬浮かび上がる程に。
ユーインも十分に距離を取っていたとはいえ、その風圧に傘が煽られ、思わずのけ反って体勢を崩す。幸い、転げはしなかった。
ドッパァンッ!
重たい破裂音が開けた空に響く。
その音は、魔物のいた所から鳴った。
数秒後、そこには泥の雨が降った。
「…終わったんですか?」ユーインが竜人に駆け寄る。
「いや。こっからが神子の仕事だ」
泥が降り止むのを待ってから、竜人はユーインへ手を差し出す。
「これは…プルヴィア?」
「ああそうだ。これを持ってくれ」
言われた通り、ユーインはプルヴィアを手に取る。
「じゃあそのプルヴィアに、この辺りを清めるように念じてくれ。そうすりゃあお前の雨が応えてくれる」
「私の、雨が?」
「おう」
突然新たな疑問が現れたが、ユーインは今聞くべきではないと考え、竜人の指示に従う。
(この宝石に、念じる…お願いします。私の雨で、村を清めてください…)
瞳を閉じ、願うことに専念する。次第にプルヴィアが青白く輝き始め、眩い光を放つ。
「きゃあ!」
彼女は思わず手から光を落としそうになるが、何とか踏みとどまる。
次第に雲の色が明るくなり、雨粒があたたかな光となって地面に降り注ぐ。
しとり、しとり、さぁしとり。
その一時だけは、雨巫女の空に雫はなかった。
「あ、雨が…」
彼女は傘を下ろし、天を仰いだ。
「上出来だ。こんだけ景気よく降れば、しっかり清められるだろう」
二人が辺りを見回すと、畑の土が降ってきた光の粒に覆われ、魔物に侵された作物が生気を取り戻していく。負傷していた猟師らの傷は塞がり、苦痛の抜けた顔で起き上がって、不思議そうに辺りをキョロキョロと見ている。
「みんな!」
「魔物にやられた傷は、神子でないと治せねえ。お前は正真正銘、雨の神子だ」
「………」
目の前で起きていることは、今まで見たことのないことばかりで、そのどれもがユーインにとって未知の出来事のはずだ。しかし、彼女は何故かそれらの様子を懐かしむような感覚で眺めていた。
「私、こんなの初めてやったはずなのに、なぜか懐かしい気がするんです。どうしてなんでしょう」
「お前もか。神子ってのは皆、そういう前世の記憶みたいなのでも持ってんのかね」
「も、って何ですか。も、って」
「前に話した、晴れしか見たことないって奴もな、同じようなこと言ってたんだよ」
光が降り注ぐ中、遠くからユーインにとって慣れ親しんだ者達の声が飛んでくる。
「巫女さまー!無事ですかー!」
「ん?巫女さまの隣にでっかいトカゲが立ってる!」
「あのおっきいトカゲさんが助けてくれたのか」
危機を乗り越えた二人は村人達に迎えられた。
「俺はトカゲじゃねえぇえーっ!」
「ただいま参りました」
「巫女さま。いらっしゃいませ」
「お変わりありませんか?」
「おかげさまで」
「それは、良かったです…」
いつものように笑顔を見せたいのに、どうにもそんな気持ちになれないまま、ユーインは家々を巡る。そんな彼女を見た村人達も、彼女の背を不安そうに見送っていく。
村の主婦らが噂をする。
「巫女さま、どうしちゃったのかしら」
「なんだか暗いお顔をされてたわね」
「よくないことでもあったのかも」
「私達でなんとかできないかしらねえ」
そう話している内に、夕日が降りてくる時間となった。
「お努め、終わっちゃった…」
ユーインがふと手元を見ると、いつも通り籠いっぱいの貢物を持たされている。
「今日は、あんまり楽しくないな…」
ユーインは帰路に着き、いつも通りに屋敷へと帰ろうとしていた。
その時。
「巫女さまぁー!」
村人が一人走り寄ってきた。息の切らし様からして、只事ではない用事で呼び止めてきたことはすぐ分かった。
「どうしたの?」
「は、畑にっ、バケモノが!出てきたんだ!」
「えっ…!?」
ユーインはバケモノという言葉を聞き、すぐに魔物の存在を思い出した。
あの竜人が語ったことが本当なら。
そう考えずにはいられなかった彼女は、村人から其の出所を聞き、一目散に駆け出した。
(あの人の話が本当なら、私が何とかしなくちゃいけないことかもしれない!)
ユーインが畑に着くと、猟師らが槍や弓を構えて、目の前の存在と対峙していた。
「な、何なんだ!このバケモノ!」
「さっさと他所に帰れ!」
怒号を受けている其は、確かに魔物と呼べるものだった。
熊をも覆いつくせるような大きさの泥の塊が全身で這いずっているような、不定形で悍ましく、生物と呼べるのかも分からないモノが、ぼんやりと輝く目のような部分を敵意ある者に向けている。
「あれが…魔物」
ユーインは静かに呟き、先日の竜人との話を思い出す。
天の恵みをもたらす神子を探し求めるもの。魔物とは、きっと今までの常識では計り知れない脅威であり、あれを鎮めるには神子の使命を果たす必要があるのだろう。
(これは、私がやらなくちゃいけないことなんだ)
魔物を見てそう確信したユーインは、さらにその場に近づこうとした。
「巫女さま!危ないですから退いてください!」
「ミコさま!」
「行っちゃダメだよ!」
怯える村人らの制止を振り切り、ユーインは猟師らの背後に行く。
「皆さん、大丈夫ですか!」
「巫女さま!こっち来ちゃいけねえ、逃げてくれ!」
ふと魔物の方を見る。全身に村人達が刺し込んだのであろう槍や矢の一部が露出しているが、血が出ているようにも、弱っているようにも見えない。やはり獣とは異なるものと考えた方がいいのだろう。
「あれはあなた達ではどうしようもない、と、思います。私が何とかするので、皆さんは逃げてください!」
「何とかって、どうする気だべさ?アイツには何さしても効いてないぞ!?」
「そ、それは…」
言い出してはみたものの、具体的な策はない。しかし自分の中の何かが、あれを止めろと訴えてくるのだから、前に立ちふさがるしかない。
そうこうしている内に、魔物が動き出す。身体を変形させ、自身の身体に刺さっている鋭利な物体を人間らがいる前へと剥き出し、一瞬でまとめて突き出す。
「うわあああああ!」
己の得物に串刺しにされていく猟師らを見て、ユーインは一歩も動けなくなった。
「あ、ああぁ…嫌…だめ…!」
魔物はユーインにも槍の穂先を向ける・
「お姉ちゃ…」
結局、どうすればよかったのか。何も分からないまま、私は死んじゃうのか。
そう思った瞬間、彼女の胸元に刃が飛んでくる。
「っ…!」
肉に刃が刺さり、裂けていく音が聞こえた。
「ボーっと突っ立てんじゃねえよ、雨巫女さまよ」
目の前にあるのは、胸元へ向かったはずの槍ではなく、紅く、大きい、あの背中。
「あ、え…」
彼女を凶刃から庇ったのは、数日前、突然やって来たあの竜、いや、竜人だった。
彼はあの時と変わらぬ調子でユーインに話しかける。
「あれを何とかしようと感じたんだな?やっぱり神子ってのは他人思いな奴ってか」
「あ、あなたは…竜人さん!」
竜人は翡翠のような瞳を後ろに向け、ニッと余裕そうな笑みを浮かべる。
「ヒーロー参上だぜ!」
彼は大きくのけ反り、腹で受け止めた槍を引き抜く。血はそれほど飛び散らず、彼の肉体が頑強であることを身をもって証明していた。
「ええっ!血、血出てるじゃないですか!大丈夫なんですか!?」
「んあ?ああ。あんな鈍じゃあ、俺は殺せねえっての!」
そう言ってガハハと笑う彼を見て、ユーインはやっぱり恐ろしい人だと感じつつも、その頼もしさにも気付いてきた。
「それならいいんですけど…あの、あれが魔物、なんですよね?」
「そうだ。偏った恵みを無理やり奪ってくるバケモノ。それが魔物だ」
「どうすればいいんですか」
「神子の出番は後だ。まずは俺があれをぶっ倒してやる」
竜人は全身で構えて、魔物を見据える。彼の武器は恵まれた肉体そのものなのだ。
「あんたは危ないから下がっててくれ!」
「は、はい!」
竜人に言われた通り、ユーインはその場から数歩下がる。
暗雲が漂う中、竜人は一息吐き、集中し始める。身体の周りには白い煙のようなものが漂い出し、やがてそれは彼の拳に収束していく。
「すごい…」
ユーインが興味深そうに観察していると、魔物が体内に残っていた槍を纏め、竜人に目がけて高速で突き出した。
「危ない!」
ユーインがそう言った瞬間、竜人の姿が消えた。槍は地面に放り捨てられ、誰かに刺さってもいない。
竜人は今、魔物の泥の身に拳を沈みこませていた。
「ハァッ!」
掛け声と共に、辺りに衝撃が走る。垂直に降る雨粒が、地面に着かずに一瞬浮かび上がる程に。
ユーインも十分に距離を取っていたとはいえ、その風圧に傘が煽られ、思わずのけ反って体勢を崩す。幸い、転げはしなかった。
ドッパァンッ!
重たい破裂音が開けた空に響く。
その音は、魔物のいた所から鳴った。
数秒後、そこには泥の雨が降った。
「…終わったんですか?」ユーインが竜人に駆け寄る。
「いや。こっからが神子の仕事だ」
泥が降り止むのを待ってから、竜人はユーインへ手を差し出す。
「これは…プルヴィア?」
「ああそうだ。これを持ってくれ」
言われた通り、ユーインはプルヴィアを手に取る。
「じゃあそのプルヴィアに、この辺りを清めるように念じてくれ。そうすりゃあお前の雨が応えてくれる」
「私の、雨が?」
「おう」
突然新たな疑問が現れたが、ユーインは今聞くべきではないと考え、竜人の指示に従う。
(この宝石に、念じる…お願いします。私の雨で、村を清めてください…)
瞳を閉じ、願うことに専念する。次第にプルヴィアが青白く輝き始め、眩い光を放つ。
「きゃあ!」
彼女は思わず手から光を落としそうになるが、何とか踏みとどまる。
次第に雲の色が明るくなり、雨粒があたたかな光となって地面に降り注ぐ。
しとり、しとり、さぁしとり。
その一時だけは、雨巫女の空に雫はなかった。
「あ、雨が…」
彼女は傘を下ろし、天を仰いだ。
「上出来だ。こんだけ景気よく降れば、しっかり清められるだろう」
二人が辺りを見回すと、畑の土が降ってきた光の粒に覆われ、魔物に侵された作物が生気を取り戻していく。負傷していた猟師らの傷は塞がり、苦痛の抜けた顔で起き上がって、不思議そうに辺りをキョロキョロと見ている。
「みんな!」
「魔物にやられた傷は、神子でないと治せねえ。お前は正真正銘、雨の神子だ」
「………」
目の前で起きていることは、今まで見たことのないことばかりで、そのどれもがユーインにとって未知の出来事のはずだ。しかし、彼女は何故かそれらの様子を懐かしむような感覚で眺めていた。
「私、こんなの初めてやったはずなのに、なぜか懐かしい気がするんです。どうしてなんでしょう」
「お前もか。神子ってのは皆、そういう前世の記憶みたいなのでも持ってんのかね」
「も、って何ですか。も、って」
「前に話した、晴れしか見たことないって奴もな、同じようなこと言ってたんだよ」
光が降り注ぐ中、遠くからユーインにとって慣れ親しんだ者達の声が飛んでくる。
「巫女さまー!無事ですかー!」
「ん?巫女さまの隣にでっかいトカゲが立ってる!」
「あのおっきいトカゲさんが助けてくれたのか」
危機を乗り越えた二人は村人達に迎えられた。
「俺はトカゲじゃねえぇえーっ!」
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