天の神子

ジャックヲ・タンラン

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天の神子 第一章 「雨雲が流れる時」

天の神子 第一章 「雨雲が流れる時」 その3

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 翌日、ユーインが屋敷で貢物のお茶を淹れていると、玄関の戸を叩く音が聞こえてきた。

「ユーイン、出てもらえる?」
「いいよー」

 お茶に合う菓子を作っている姉を横目に、ユーインは玄関に行く。

「どちら様で、しょう…か…」

 扉の外にいたのは、竜だった。

「お前さんが雨巫女、だな?」

 赤黒い鱗、突き出した二本の角、蝙蝠のような巨大な翼をもつ生き物が、自分の倍はある体躯で、二本の足で立っていた。
 そう感じたユーインは、ただひたすらに冷静になろうとしていた。

「あ、あ、えと、ど、どちらさんまでしょうか」
「サンマ?」
「様!どちら様でしょうか!」

 傍から見れば家に上がり込む熊に対面した少女といわれても大差ない。やって来た客が熊か怪物か程度の違い。
 生物としての絶対的な差を感じながら、ユーインは玄関に現れた其とさらに対話を試みるが…

「どちら様って言われてもなぁ…そんなにビビられてちゃこっちも話しづれえよ」

 そう言って竜は頭をユーインに近づけて、
「あー…こんにちは?」と、笑って鋭利な牙を見せた。

 ユーインは死を覚悟した。せき止めていた涙が理性と共に流れ出てしまいそうだった。
 そこに戻ってくるには遅いと思った姉が来る。

「ユーイン、変な人でも来たの?」
「あ…お姉ちゃ…」
「どうしたの?そんな腰抜かし、て…」

 姉がユーインの後ろで牙をむき出して屈んでいる竜を見る。
 竜はこれ以上の騒ぎにならないよう必死に考えを巡らせた。

「あ~っとぉ…その…お邪魔します?」

 そう訊く彼は不審者そのものだった。

「………」

姉は玄関の壁に掛けていた槍を取り、構える。

「その子を放して!」
「うおお!?違っ、誤解だ!俺は別に」
「いいから出てって!」
「わか、分かったから、出るから。一旦落ち着いてくれ、な?」

 竜は姉に言われるままに引き下がり、両手を挙げて敵意が無いことを伝えた。その間、竜の喉元には槍の穂先がジリジリと近寄っていた。
 姉は降りしきる雨に打たれても降参の姿勢を崩さない竜の様子を見て、本意からの行動であると見なし、槍を壁に掛け戻した。

 それから少し経って、やっと三人は落ち着いた。

「まさか竜が家に来るなんて」

 ユーインがそうこぼした居間には、茶が注がれた三杯のカップが置かれている。

「竜、というか竜人な。あいつらと一緒にされるのはゴメンだぜ」
「ああっごめんなさい!」

 過剰に謝るユーインに、竜人はガハハと笑って許した。

「そんなに謝らんでもいいぜ。そもそも亜人を見たことねえなら、ああなるのもしょうがねえってもんだ!」
「うう…」

 恐怖が抜けきらないユーインの代わりに、姉が話を続ける。

「私達はずっとこの村で生きてきたので、あなたみたいなアジン?さんを見るのは初めてです」
「成程。デカい畑の割には随分狭い田舎なわけだ」
「そうかもしれませんね。時折行商人がいらっしゃって、村の作物を買い取っていかれる事はあります。畑が大きいのは、この子のおかげです」

 二人はユーインを見る。

「雨巫女さま、か」
「この子の上にはいつも、雨雲が浮かんでいます。初めは弱くて小さなものだったのですが、この子が大きくなるにつれて、雨雲も大きくなっていって…」

 竜人が茶を一口啜る。

「だからその雨を利用して、畑を育てている、と」
「はい」
「成程な。使命には従っているわけだ」
「え?」

 俯いていたユーインが、ふと竜人を見る。
 生まれ持っての使命。そんなものが私にあるのだろうか、と。

「このお嬢ちゃんは神様からの大事な使命を持って生まれてきたんだ」
「そんな、急にそんなこと言われても」
「まあ落ち着いてくれ姐さん。つっても、ホントの姉妹じゃねえだろうがな」
「な、んで知って…」ユーインが狼狽える。

 彼女は自分が拾われた子だというのは知っていた。同じ水色の髪を持つ人を見たことがなく、死別した育ての親達からも説明はされていた。だが、何故それをこの竜人は知っているのか?
 その答えは訊かずともやって来た。

「似たようなやつを見たことあんだよ。そいつも親が分からないって言ってたっけな。お嬢ちゃんに似た体質で、生まれてこのかた晴れた空しか見たことないんだと」

 晴れた、空。ユーインが決して見ることができない世界。彼女はそんな人がいるのかと疑わずにはいられなかった。
竜人が似ていると言うその人は、本当に存在するのか。
その人は今、何をしているのか。
その人に会えば、私は真ん丸の太陽を見上げられるのか。
少しの間の後、ユーインが問いかける。

「…その人は、どんな人なの?」
「どんな人?まあ、元気なガキんちょだよ。多分お嬢ちゃんと同じぐらいの歳じゃねえかな」
「…今は何をしてるの?」
「自分の使命を全うする為に、頑張ってるぜ」
「じゃあその…使命って、何?」
「ああそうだったな、それを教えてやらねえといけねえんだった」

 竜人は懐から、一つの宝飾品を取り出す。
首飾りの長さをもつ金の鎖に吊るされた宝石は雫を模した形をしており、その表面では水流のような模様が流動するように変化し続けている。

「綺麗…」

宝石を見た彼女達は口を揃え、思わず釘付けになった。

「これはこれから、お嬢ちゃんが一生付けることになるものだ」
「一生?」
「ああ。お嬢ちゃんがどんな存在なのかを証明するもの。雨の神器、プルヴィアだ」
「雨の神器…」

 竜人は言葉を続ける。

「これを着ける者は、その時代の『雨の神子』としての使命を負うことになる。世界を旅して、雨を届ける使命だ」
「それってつまり…」
「お嬢ちゃんがこの村でやって来たことと同じだ。行く場所が多いってのが、今までと違うくらいだな。『この世を往き、恵みを等しく分け与えよ』それがお嬢ちゃんに任された、神様からのお願いだ」
「そう、なんだ」

 ユーインは己の唯一無二な使命を知り、使命という言葉への責任と、使命を負えば避けられないであろう未知なる旅への不安で押しつぶされそうな気持ちになった。

「ちょ、ちょっと待ってください!ユーインはまだ子供なんですよ!ましてや旅なんて、私はそんな危険なこと、家族に…妹にさせられません!」姉が声を上げる。
「まあ、いきなり旅に出ろってのも、勝手な話だよな」
「そうですよ!だから、この話はなかったこと…」

 姉の抗議を遮り、竜人は訊く。

「神子が使命を果たさず、世界に恵みを与えなかったら、どうなると思う?」
「えっ?」
「平等に与えられるべき天の恵みが、限られた地にだけ注がれていく。そうなりゃ、神子を求める魔物が現れるのさ」
「まもの?」

 この村では見たことも聞いたこともない存在。本を読む子がかろうじておとぎ話の中で見聞きした単語で、目の前の竜人と同じく架空であるはずのモノ。魔物とは、その程度の存在なのではないのか?
 姉妹はそう思い、一瞬思考が止まった。
 竜人が姉妹らの戸惑った反応を見て、これ以上はすぐに理解してくれないと判断し、荷物をまとめて玄関へと向かう。

「まあ、すぐ分かるさ。ここらも限界が近いだろうしな」

 竜人が上着を羽織り、村とは違う方向へ歩いていく。

「俺はしばらく見張らせてもらう。村には近づかないから、安心しろ」

 竜人は森に消えた頃、用意された三杯の茶は冷めきっていた。
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